4.開放
あの時から、不思議な夢を見る。
詳細は分からない。夢の中は抽象的で、油彩画のようにぼんやりとしている。暗めな洞窟みたいなところに誰かと二人でいて、全速力で運動したかのように疲れ果てたのちに嫌な気分になって全身が痛みに襲われて最後は目の前が真っ暗になる。その先は分からない。しばらく真っ暗闇の中漂ったまま、自然の目が覚める。
起き抜けは必ずと言っていいほど汗がぐっしょりで、枕元に置いてあるポットの水を飲まないと脱水症状になるくらいに疲弊している。
タオルで顔を拭いていると、部屋の中にノックが響いた。
「おーい、起きたか?」
「あっ、今お────」
返事をする暇もなく、ドアが勢いよく開かれた。
「────おっ、起きてたのか。おはようさん」
部屋のドアには、最近になってよく知った女の子が仁王立ちしていた。
「おはようございます。 ……サキさんは相変わらずのデリカシーのなさですね」
「なんだそりゃ、弟子に気を使う師匠なんて聞いたことない」
「まず子弟である以前に男女ですよ。もうちょっと気をつけましょう」
「へぇ、言うようになったなトーマ。師匠に逆らえるほどの力をつけたんだな?」
「……撤回します。どうぞ、遠慮なく僕と接して下さい」
「分かればよろしい。少ししたら朝ごはん食って魔術の稽古ね。今日は今までの復習と少しだけ厳しい訓練があるから覚悟してなさいな」
そう言うとサキは満足した表情で俺の部屋から出て行く。
喧騒一転、静まり返った部屋はまるで通り雨が過ぎ去ったかのようだった。
「朝からあのテンションなんて、あの人の相手をするのも疲れるなぁ」
そう言う俺も満更ではなく、水をもう一口飲んでからベットから出た。
────月日が経つのも早いもので、 この世界に来てから約一ヶ月ほど経っている。
あの任務を受け持った後、王都と呼ばれるあの大きなお城へと呼ばれた。彼女曰く『王様との謁見が必要』らしい。謁見を持って正式に迷宮踏破の依頼がなされるため、会うまではまだ何もすることができないとのこと。
しかしタイミングが悪かったのか、王様は御老体からの病気を患ってしまったらしくしばらくの間謁見は出来ないとされた。
その間手持ち無沙汰なのも好ましくないことから、サキが最低限この世界を生き抜ける程度の稽古をつけることとなった。
そこから約ひと月ほど、王都から邪魔にならないように少し離れた草原地帯のレンガ小屋で共に生活し、稽古をつけてもらっている。
意外とこの小屋は広く、二人の個室にリビング、ダイニングキッチンと暮らすには何一つ不自由がない。勿論、コンロなどの科学的なものはないのだが致し方ない。
それに、サキと一緒に生活することで色々なことを知ることができた。
身長は俺よりも少し高く、身体も鍛え抜かれているが年齢は二十歳と俺と変わらない。『もっと歳食ってると思ってました』と言ってしまった初日の昼は地獄だった。
服装はシンプル、というか白シャツに黒のパンツと女性らしくはない。理由を聞くと『動き易いから』の一言。女っ気がないとは思ったが初日の昼の出来事を思い出して口に出すのはやめておいた。
年が変わらないと分かってからひと月過ごしていても敬語は抜けなかった。どうもサキが姉御肌だからなのか、心の何処かで尊敬の念が湧いているのかは定かではない。
本人は満更でもなく、『敬語が抜ける時は師を超えた時だけだ』と偉そうに語っていた。こう言っているが、この人は誰に対しても敬語は使わないだろうと思う。
以上のことから分かるように、彼女を一言で表すならば、あった時の人物とは全く違う『ガサツ』そのものだ────
「────ん? 私の顔になんかついてる?」
朝ごはんのパンを齧っているサキは訝しげに俺の顔を覗いた。中々感の鋭い人で、時々考えてることを見透かされているようにも思える。
「別に、何にもないですよ」
その問いかけを軽く流して少し冷えたコーヒーを飲む。
「まあいいか」とサキはそこまでは気にせず、パンにバターを塗り始めた。
一見飄々としてるようにも見えるが内心はビビっている。何かの拍子でバレてしまえば初日の昼のような出来事よりもひどい地獄を見せられるに違いない。
下手に動けなくなって、今も冷えた不味いコーヒーを口に入れることしかできなくなっている。こんな毎日だからか、少しだけ精神は鍛えられた気がする。
結局、その日の朝食の味はよく分からないままだった。
「────さあ、魔術の稽古の時間だ」
時刻はおおよそ十時頃だろうか、太陽はすっかりと昇りきっていた。今頃の王都周辺の街は人の往来で一杯だろう。この世界は時計もないから、予測でしか時間を測れないのは少し不便だ。
小屋から少し離れたこのだだっ広い草原でいつも稽古をつけられる。四方見渡しても一面の緑。遠くの方には大きな山脈と王都が見える。
ここなら仮に魔術が暴発したり事故が起きてもしても被害は最小限に抑えられる、らしい。
『最悪、暴発寸前になったトーマを殺せば防げるからな』といつもの調子で言った彼女の顔は今でも忘れられない。
「最初は基礎魔術の復習と行こう。まずはトーマの魔術回路を出してくれ」
「分かりました」
ふぅ、と一息つき、右腕に力を少しずつ入れる。
「────開放」
その一言で、アミダのように青白い線が何本も浮かび上がってくる。少し暖かな感触が、じわりじわりと右腕を覆っていく。だんだんと侵食してくるそれを受け入れながら、ゆっくりと正しい道のりへと導いていく。
少しすると、完全に右腕は青白い線で覆われていた。身体は疲弊していて、額に汗が溜まっていた。
「はぁ…… やっぱりこれ疲れますね」
「まぁ、慣れない中良くやったもんだよ。普通の人なら早くとも半年位はかかるものなのに、ひと月で形まで持ってこれたんだから」
この魔術回路は、魔術を行使する際に使ういわゆる『装置』だ。魔術のリソースとなる魔力は、身体の奥底で自然に形成されるが普通の状態では使えない。
回路が出来てない中で下手に使おうとすれば魔力が『暴発』し、当人もろともの大規模の爆発が生じる。安全にその魔力を外界に発現させるにはパスとなる魔術回路を形成することが必要となり、それを通じて初めて魔術が行使できるようになる。
つまりどんな魔術でも、まず回路を開かなければ発現には至らない。
俺は額の汗を拭い、すっかり座り込んでしまった。この青白い線に体力を吸われてしまったかのような感覚で、維持するにも疲れる。戦闘の前に疲れ切っていたら元も子もないはずなのに。
「サキさん、疲れないコツって何ですかね」
「なんというか、慣れね。いつの間にか自分の中でスムーズにスイッチが入ってる感覚があればもう疲れないはず。それよりも回路の本数の多さの方が重要。何故か分からないけど、その多さに感謝するべきよ」
発現の速さや疲弊度は練度により上達していくが、魔術回路の本数は遺伝によりほとんどが決まっているため、先天的な才能とも言える。本数が多いほど、通せる魔力の量が多くなり、また使える魔術の種類も多くなることからより高度な魔術も扱えるようになる。
俺はイレギュラーだからなのか、これも与えられた『能力』によるものなのか、普通の人の倍以上の本数を持っている。
「ほら、休憩してる暇があったら知識の復習。開放と魔術の四大元素を簡単に説明してみろ。わからなかったら特別講義が待ってるぞ」
座り込んで水分補給している間に急にサキさんが問題を出してきた。
あまりにも急で、若干の脅しも含んでいるため面食らったが、一番最初に習ったことだ。朧げながらも覚えている。
「えーと、『魔術回路を開くための詠唱』で、その他の詠唱は主に『強化』、『創造』、『放出』、『召喚』、この四つのどれにも属さないのが『特殊』です」
魔術の行使に関わることにはどれも詠唱が必要となる。『開放』は回路を開くための詠唱だ。熟練の人になれば詠唱破棄、つまり無言で回路を開くことができる。サキさんもその一人だ。
初めて会った時のとんでもない強さだったり、改めて見るとすごい人じゃないかと思える。
そして、魔術は大別して四大、ないし五大に分類できる。それに合わせて、詠唱も各個に存在している。それぞれが全くベクトルの違う魔術であることから、使う回路も全く違ってくる。
回路の本数が多くない普通の人は、一種類の魔術を使うだけで精一杯となる。しかし、逆に言えば回路が多い人ほど使える魔術の種類は多くなる。例に漏れず、サキさんも強化以外もある程度は使いこなせるらしい。
「そう、正解。魔術詠唱は大別して四つ。そしてどの系統の魔術にも当てはまらないものを特殊と呼んでる。色んなのがあるけど主に他人に関わる魔術を特殊としてるね」
特殊は先天的で稀少な魔術のことを指しており、独特な回路の形からしか発現しないことから後天的に習得するのはほぼ不可能と言われている。つまり、魔術を体系化する時に発見されたイレギュラーだ。
確認されている魔術としては『他人を癒す魔術』や『他人やものを操作する魔術』などがある。伝え聞では『触れたものを分解する魔術』や『指定した場所へ人やものをワープさせる魔術』、『人の魔術回路を奪う魔術』など常識外の黒魔術も存在しているらしい。
「さて、次は魔術の見学だ。座学よりも実際に見るほうが理解も早まる、とはよく言うもの。特殊は私は使えないし四つの魔術を見ていこう。まずは強化から」
サキさんは両腕を差し出し、いとも簡単に魔術回路を開いていく。
「────強化 二重」
俺の無骨な回路とは違う、洗練された青白い光が稲妻のように腕に刻まれていく。練度の高い回路はさながら芸術品と言っても過言ではない。
「強化は身体の一部を『強化』する魔術で、一番単純な魔術としてよく知られてるわ。腕や脚を強化するのは勿論、眼を強化して遠くの方を見たり、胃を強化して食べ物の消化を早めたりすることもできる。一番簡単だけど、一番奥が深い魔術ね」
サキさんは、 近くに埋まっていた大岩を片手で持ち上げながら解説してくれた。可憐とは言わずとも少女が片手で大岩を持ち上げている画は未だに慣れてはいない。
「次は創造を見てみようか」
そういうと、さっきまでの両腕の強化用の回路は消え去り、右腕だけにまた新しい回路が開かれていった。さっきは稲妻模様を刻んでいた回路だが、今度はアミダのような回路を所狭しと描いている。
「創造はものを『創造』、簡単に言えば造ることができる。例えば、あの盗賊たちの剣みたいなものとかね」
彼女は目を瞑り、真剣な表情を浮かべながら手のひらを広げた。
「────創造 短剣」
忽ちに青白い光の粉が手のひらに集まっていき、その一粒一粒がゆっくりと集まり剣が形取られていく。少しすると完全な剣の様相が出来上がっていた。
「よし、完成。持ってみる?」
サキから差し出された短剣は、本物のように重く鉄の材質も感じ取れる。一見して、本物と相違ないようにもみえる。
「凄いです! これじゃ鍛冶職人なんて要らなくなるんじゃないですか?」
「いや違う。私の実力じゃその剣はあくまで紛い物よ」
サキはその短剣をとるや否や、さっきの大岩へと投げつけた。甲高い金属の音もなく鈍い音が立てて剣は簡単に粉々になり、跡形もなく消えていった。
「完璧な創造をするには、対象の構造をそっくりそのまま知らなきゃいけないの。創造する対象への学が浅ければ、さっきのように外見だけの脆いものになってしまう。
この魔術は一番知識が求められるから、入門用としては不向きだし使い手もそこまではいないの」
「 ……じゃあ、あの盗賊たちの剣も」
「多分紛い物よ。よく今までやっていけたのか不思議なくらい」
知らぬが仏。無知が幸いしたのか、あの盗賊たちは何も知らずに殺人を犯していたらしい。
確かにあの剣幕で脅されれば誰も紛い物だとは思うまい。経験した俺が言うのだから間違いない。
「……運が良かったのか悪かったのか」
少しだけため息を吐く。
見上げた空の太陽は、ちょうど正午を告げていた。