1. 開創
いつのまにか、真っ暗な世界にいた。もう眠りが浅くなって、夢と現の狭間にいるという考えに行き着くのにはそれ程の時間はいらなかった。
どれほど眠っていたのだろうか。長い夢を見ていた。不思議と夢とは思えないくらいな感覚で、頭の中に断片的に記憶がある。思い返そうにも不都合があるのか、中々思い出せない。
真っ暗闇の世界を瞬きで一つ二つと切り裂く。朧げな世界が映し出された時、ある違和感を覚えた。
「ここは……どこだ……?」
いつものベージュの天井の面影などなく、石畳の堅牢な天井が目の前にあった。いつもだったら差し込む日差しも、古ぼけたランプの光に変わっていた。
むくりと起き上がる。辺りを見渡しても同じような壁。まるで閉じ込められているかのよう。
ふと、身体へと視線を落とす。
「えっ、水!?」
俺の身体は水のような液体で満たされた石の棺に納められていた。しかし濡れてさえおらず不思議と冷たさは感じない。
それどころか着ていた服も全然違う。絹で作られた中世の庶民のような、地味な色に仕立て上げられている服だ。確実に覚えのある服ではない。
ただ分かることは、ここは俺の常識じゃ通用しないところであることだけだ。
「取り敢えず出口だ。出口を探さないと」
ひたすらに辺りを歩き回ると、部屋の一角に大きな錆びた鉄扉を見つけた。しかし、鍵穴には巨大な南京錠のようなものがかけられており、鍵がなければ到底出られないようなものであった。
「こんなの開けられるわけないでしょ……」
その錠前を手に取り、思わず嘆息する。
瞬間────
「──────なっ!?」
鍵は淡い緑色の光に包まれいった。
ガチャリガチャリと内部の仕掛けが解けていく音がする。
「う、そ、だろ……」
十秒程ほど握り続けていると不思議な光は収まり、堅固な錠前は力なく地面へと落ちた。
拾い上げ、もう一度検めるも目に見えた仕掛けは見当たらなかった。
「……どういうことなんだよ」
飲み込めない状況に頭が混乱する。
少なくとも、今までにこんな魔法のようなことをしたことはない。そもそもここの『普通』が違うのではないか、そう思えてきた。
「まず、外に出なきゃなにも分からないな」
堅牢な鉄扉を目一杯に押し開け、恐らく外に繋がるであろう石階段を駆け上がる。上がっていくにつれ、冷たい空気がだんだんと暖かくなっていくのが感じられる。どうやら地下にいたらしい。
最上段に辿り着き、目の前にあった扉の鍵を開ける。この能力は意思と関係なく、手をかざすだけでも発動するらしい。
ガチャリと鍵の開いた音がなり、扉を開ける。その部屋には大きな樽や木箱が置かれており、倉庫として使われているらしい。
ふと後ろを見ると、あの扉は壁の色と同化していて見えなくなっていた。何かの細工が施されていたらしい。俺という存在を知られてはいけないような、そのような思惑が見て取れる。
「段々と訳が分からなくなってきたな」
苦笑いを浮かべながら、勢い良く出口の扉を開け放つ。
「────────」
言葉が出なかった。
透き通った青空の下に、およそお伽話によく出てくるであろう白亜の城がそびえ立っていた。周りには近代的なものは何一つなく、中世代にタイムスリップしてしまったかのよう。
この世界は自分の知らない世界だ、とようやく確信が持てた。
それと同時に俗に言う「異世界転移」という現象が起きていることも認めざるを得ない状況となって来た。目覚めたら知らないところで、外に出ると中世チックなお城が建っていた。おまけに知らない能力も備わっている。ここまできたら夢絵空事も現実味が増す。
周りを見回すと人は居ないが、倉庫のような建物が集まっていた。恐らく、あの城の貯蔵施設の地下で俺は眠っていた────もとい、隠されていた。
「取り敢えず、人を探さなきゃ」
倉庫群を駆け回る。
どうやらここら一帯は食料庫らしく、時々運ぶ時に落としたであろう数本の小麦が地面に落ちていた。
まず俺がすべきはこの世界について知ること。俗に言う異世界転移とやらが本当であるならば、セオリーとして人と会うことだ。仲間、とは言わずとも話が通じる人が欲しい。何も知らない人一人が生きていけるとは思えない。
そう考えていると、どこからか話し声が聞こえてきた。野太い声から察するに男が二人。同性なら気が楽だ。
「すみませーん、ちょっと聴きたいことが……」
「なんだぁ、小僧」
そこにいたのは俺の身長すら越える巨漢が二人。ターバンを巻き強面な顔を隠し、薄汚れた絹の服を纏っている。この施設を警備する人とは思えない。
恐らく、いやかなりの確率で対極に位置する人だ。
「……同業者とは見えねえなぁ。かと言って警備にも見えない」
「首頭、どうしますか」
「どうするって、そりゃお前……」
俺の目の前で不穏な話ばかりする二人。これからどうされるのか考えたくもない。
背筋が凍りつき、身体は震えさえもしない。逃げる気も起きず、ただ直立不動で二人の反応を待つだけだ。
話が済んだのか、盗賊の親玉らしい人がこちらに向かってきた。
「小僧、さては迷子か」
「はい、そうなんですよ! 実は気付いたらこんなところにいて……」
「そんな不思議な話があるもんか」
「いや本当なんですって! 目が覚めたら何も知らない変な世界に来ていて、どうしようってなってたんです。何も知らなくて、本当に不安で……」
我ながら説明が下手くそだ。
自分の感情ばかりを並べてあの男たちが納得するわけがない。
しかし予想とは裏腹に、親玉は腕を組んで考えるそぶりを見せてくれた。
「……ふむ、お前の言うことはいまいち要領が得ない」
「ご、ごめんなさい。焦って言葉が余り────」
「────だがまあ、ここの出口くらいは教えてやる。お互い見なかったことにしようや」
笑みを浮かべる男。それをみた俺は身体の力が抜け落ちそうになった。
最悪しか予想できない展開だったが、どうにか最高の展開へと持ち込めた。理解のあるおっさん達で助かった。
「時に小僧、お前はこの後どうするつもりなんだ?」
「えっと、取り敢えず外に出て、僕を守ってくれそうなところに行こうかと」
「ん? 守ってくれそうなところとはどこだ?」
急におっさんの声色が変わった。何かが気に障ったらしい。おっさんの座った眼が俺の顔を睨みつける。
再び背筋が凍りつく。
あの眼だ。明らかに友好の色を示していない。
それどころか、対等の存在にすらもみられていない。
「あの、警察? みたいなところですね」
「じゃあ憲兵のところに行くのか」
会話するごとに凄みが増していく。
言葉を交わすたびに筋肉が強張りつく。
言葉を選ばなければ。かと言って選ぶ余裕すらも向こうは与えてくれない。
「いや、僕はただ────」
「お前、俺らのことをチクろうってのか」
「いやいや、そんな、誤解ですよ!」
「そんなことはない。今そう思っていなくても、後から怖くなって全部バラす。俺はそんな奴らをごまんと見てきた」
再び笑みを浮かべる男。
さっきとは打って変わって不気味に見える。
「そんな、信用して下さいよ!」
「疑わしきは罰せよ、だったか。まあ何にせよ、悪い『芽』は摘み取らねえとな」
後ろから子分の笑い声が聞こえる。
その声は、悪魔の笑い声だった。
『見られた時点で殺す』
あの時、そんな言葉を交わしていたのだろう。
何があっても殺す。例え密告しないのだとしても。
詰まるところ、俺はあの盗賊供の掌でただ踊らされていただけだった。
「俺らはこんな身なりで、学もろくにないが魔術には少し覚えがあってな」
奴は腕まくりをすると、右腕に何本もの青白い線があみだのように浮かび上がってきた。
一本一本が美しく、こんな状況にも関わらず少しだけ見惚れてしまった。
「創造 短剣」
呼び声に応じ、右掌に青白い粒子が集まる。
やがてそれらは群をなし、短剣の形へと変貌していく。
……ようやく気がついた。
ここでは魔術が『普通』。今まで感じていた違和感は全て、この概念を知らなかったからだ。
「俺は剣を自在に操れる。もちろん、消すこともできる。そしたら何ができるか、分かるか?」
手に持つ短剣を小気味良く揺らしながら、男はこちらに近づいてくる。
「……わか、りません」
「察しの悪い奴だ。答えをすぐ教えるのは嫌いなのだが、仕方ない。特別に教えてやろう」
ピタリ、と首筋に短剣を突きつける。
怯えた眼をした俺を愉しむかのように、笑顔でこう言い放った。
「お前は最初からいなかったし、誰もお前のことなんか知らなかったんだよ
奥にいた子分もいつのまにか剣を精製している。
本気で殺しにくる。脅しでもなんでもない。
二対一。二匹の蛇がとぐろを巻きながら袋のネズミを伺っている。生殺与奪の権は誰が持っているか、考えるまでもない。
息が詰まる。唾を飲み込む。
脳に血が行かず、考えがうまく纏まらない。
それでも直感ですべきことが浮かんできた。
俺が今すべきことはその権利を行使させないことだ。
詰まる所、逃げるしかない。
「────っ、くそ!」
踵を返し、全力で逃げる。
倉庫群へと逃げ込み、奴らの視界から消えるのが最善。身を隠してから落ち着いて逃げるべきだ。
「面白くねぇなぁ小僧、俺らともっと遊ぼうぜえ!」
後ろから悪魔が呼びかけてくる。振り向くな。振り向いたら最後、地獄に引きずり戻される。
起き抜けだからか上手く脚が動いてくれない。呼吸も段々と荒くなる。肺に酸素が十全に行き渡ってないのが分かる。
「────逃がさねえぜ」
「────っ!?」
倉庫の角から子分が飛び出し、思わず脚を止める。
盗みなれていて地形がおおよそ把握しているためか、子分にいつのまにか先回りされていた。
「服装から見るに、お前もカタギだろうからちょっとの魔術は修めてるだろう。ちょっとくらい抵抗を見せてくれりゃあ、俺らもやりがいがあったってのにな」
背後から親玉が近づき、鋒を俺の首に向ける。冷ややかな剣先は、じっと俺の命を狙い続けている。
震えが止まらない。今にも身体が崩れ落ちそうだ。
「ただ逃げるだなんて悪手も悪手よ。最期は戦って散る方がよくないか?」
「だから、僕は何も知らないんですよ! 魔術とかどうとか言ってますけど、今の今までその概念すら知らなかったんです! だから僕を逃がして下さいよ!」
半泣きで命乞いをする。
恥も外聞も掻き捨てて、巨漢の男へと泣きすがる。
しかし無情にも男は俺を弾き飛ばし、短剣を首元へと向ける。
「自分の置かれてる状況も知らずに命乞いなんざ、無様な最期よ。せめて、泣き声で俺らを喜ばせてくれや」
鋒が俺へと向かってくる。
冷んやりとしたそれは、すぐに来るであろう最悪の未来を想起させるには十分だった。
────数秒後には血飛沫を上げている。
このままズクズクと刺さる鈍い痛みが来るだろう。掻き毟るたびに襲いかかる鈍痛と、燃え盛るほどの熱が身体中に回り出す。少しすると脳味噌が麻痺し出して、やがて意識が飛ぶ。
嫌だ。嫌だ。あれは夢だったはず。夢だったはず。もうあの地獄は嫌だと、あの時切に思っていたのに……
……あの時とはなんだ。
俺は何かを覚えている。でも今は思い出せない。思い出そうとするたびに、脳に靄がかかって邪魔をする。
それでも一つ、ある言葉を思い出した。
それは戦いの言葉。意味はわからない。
でもその言葉を呟けば、身体中に力が湧き出すんだと身体が覚えている────
「────強化 二重」
脚に熱が集まる。脚が青白い光を帯びる。
どこか懐かしい感覚。
思い切り力を込めて大地を蹴る。
「グフッッアッーー!!!」
いつのまにか俺の身体は親玉の腹へと弾丸のように突っ込んで行った。
余りの衝撃に奴は宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「────っ、野郎!」
もう一人が飛びかかってくる。
考えるより、反射的に俺の脚が動いた。
「グッハッッ────!?」
脚は延髄にクリーンヒットし、子分は為すがままに地面に倒れこんでいく。
「…………はぁ、はぁ、はぁ」
すっかりノビてしまった二人を前にし、思わず自分の身体を見る。
なんてことない、筋肉もそれほどない普通の身体。それでも、巨漢の二人をこの身体は簡単にいなしてしまった。
身体の損傷は息の上がる程度。脚に籠った熱は次第に抜け落ちていき、何ともない脚へと戻っていく。
訳の分からない魔術に、鍵を開ける能力。
何故かは分からないが、今の俺はその力を手にしている。
得手せずして強力な力を宿す身体。そう思うと少しだけ、気分が高揚した。