8. 道標
────そこは異様な場所であった。
その部屋はただの書斎。装飾もない質素で庶民的な造り。
されどその主はこの国の王たる存在。栄華を極めるこのアイラルの国の長。
本来不釣り合いなはずのその二つは、何の違和感もなくお互いが溶け合っている。
だからこそ、この空間は異様なのだ。
「あ、あの、この度────」
「ああ、自己紹介はいらん。すべてあのじゃじゃ馬娘から聞き及んでおるよ、トーマ」
極度の緊張で口の回らない俺を察してか、王様は手で俺を制した。
「立ち話でする話題じゃない。ゆっくり、腰を下ろして話そう」
柔和な笑顔を浮かべながら、俺をソファへと促す。
無理に遠慮する理由もなく、流されるがままに座った。
「そうだ、いい茶葉が入ってきてるのを忘れていた。お主に御馳走してあげようととっておいたんだった」
「い、いえそんな。俺なんかのためにそこまで持て成さなくても」
「いや、持て成させてくれ。わしは一国の長として主にお願いする立場なのだから」
「……では、お言葉に甘えて」
そういわれてしまうとこちらとしても無碍にするわけにはいかない。ソファに座ってお茶が出るのをひたすらに待つだけだ。
どうもこちらの調子がつかめないのは、王様のなせる話術なのだろうか。
しばらくすると、高級なカップに注がれた紅茶が出てきた。
ふぅ、と息を吹きかけ、カップを口元へと運ぶ。
「……美味しい」
「外れの街で採れたカモミールのハーブティーのお味はどうじゃ。最近身体もうまく動かなくなってきてな、こういうのを飲むと落ち着くのんじゃ」
「はい、今まで飲んできたものよりも格別においしいです」
カモミールティーは神経を落ち着かせて冷静にさせる効果がある。そのため長時間の集中を要する儀式を行う魔術師は、その前にこのお茶を飲んで身体を落ち着かせてから儀式に入る。魔術師御用達のお茶だ。
稽古の中で何度か飲んだことはあるが、その時の茶葉はリンゴとフローラルの香りが混在していてどうも苦手だった。しかし、さすがは王の見込んだ茶葉なのか、両方の香りも入り混じることはなくそれぞれを楽しめた。
お互いがカップを置き、一息ついたところでサネルが切り込んできた。
「早速、本題に入ろうと思っていたが自己紹介が遅れたな。わしの名はサネル=アイラル。この国の第十代目の王じゃ。フルネームで呼んだり様なんざつける輩がいるが呼び捨てにしてもらったほうが落ち着く」
「では、そう呼ばせていただきます」
「そうかしこまらなくてもいい。敬語は構わんがそちらからすると呼び捨てにくいじゃろ」
「わ、分かりました」
落ち着いた言動と柔和な表情で緊張の糸が緩んでいく。さらにこちらの気遣いも忘れてはなく、できるだけ話しやすい環境が整えられていく。
あのサキさんが慕っている理由もわかる。
「それと、主の魔術の腕もサキから聞いておる。この分なら戦力の頭数として数えることもできよう」
「そんな、たまたま適性があっただけです。僕なんかまだまだです」
人から褒められるとつい否定から入ってしまうのが癖になっている。サキさんにも『せめて褒めてる相手の気持ちも汲めよ』と嫌味を言われてばかりいた。
「その適正があることが素晴らしい。世の中の人々はこれほどの魔術の才を持ってはおらん。多少胸張ってもだれも文句は言えまいよ」
それでもサネルは俺を褒めてくれた。ここまで褒められた経験は過去に遡ってもないだろう。
少し気恥ずかしくなって、カモミールティーを口に運んで顔をそらす。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。我が国に協力する以上、お主には憲兵になってもらう。マントの制度はもうサキから聞かされているかね」
「……はい」
憲兵は皆マントを羽織っており、漆黒のマント、純白のマント、真紅のマントに分かれたその色は、その人の階級を表している。また、その人の強さも表してもいる。
「聞く限り、お主の力は純白に値する。しかし、初陣で死なれてはこの計画すら立ち行かなくなる。事実、出来るだけ主には戦闘をさせたくはない」
「……その通りです」
過剰までの褒めようであったが、俺には戦闘経験がない。訓練と実践とでは天と地ほどの差がある。
そこを推し量っての采配なのだろう。
「そこでまずは漆黒のマントを付けてもらいたい。出来るだけ後方支援に回り、死なないことを第一に行動するのが主の目標だ」
「了解しました」
俺の戦闘貢献度と死んだ場合のリスクを考慮したサネルの言い分は理解できる。
少なくともこの采配に疑問を抱くこともないし、むしろ初陣の俺を頭数に入れようとしていたことが申し訳なくなるくらいだ。
「では、正式にトーマを王都憲兵隊第六部隊配属の憲兵として迎え入れる。このマントに忠誠を誓い、アイラルの英雄にならんことを願っている」
サネルから差し出された漆黒のマントを受け取る。黒一色のその布は何物にも染められない、まるで深淵のように引き込まれそうな色合いだった。
ようやくこれで、憲兵の一員となったのだ。
「最初の儀式じゃ。ここに魔術回路を書き写そう。さあ、手を」
サネルの差し出された片方の手のひらに、俺の右手を重ねる。
ほんのりと暖かいサネルの魔力の流れを感じる。それは回路の隅々まで行き渡り、その道なりがマントに刻み込まれる。
腕に浮かび上がる回路は燐光に輝き、まるであの時のように────
「────ッ!!」
突然、視界に亀裂が走った。ズクズクと、鈍い痛みが頭の奥から木霊のように押し寄せてくる。
思わず頭を抱えそうになる左手を理性で制する。呼吸が早くなるのを、必死に、我慢する。脂汗は滲み、身体の奥から熱のこもった何かが溢れ出て来るかのよう。
でもどんなに痛くても声は出せない。きっとサネルは俺を気遣って遠征を見送るだろう。
それはダメだ。何が何でも俺が働かなければ。
みんなの期待を裏切ることはできない。
「……よし、完了じゃ。少し痛みを伴ったかもしれんが、大丈夫か?」
「ぁ、はい…… そこまでの痛みはなかったです」
「それは僥倖。これでこのマントは主のものじゃ」
ようやくサネルの手を離すことができた。それと同時に痛みもだんだんと薄れていく。
曰く、さっきのの痛みはよくあることらしい。初めて他人の魔力を受け入れる時は拒絶反応が起こるらしい。俺はそれが特に顕著になって現れたようだ。
描かれたマントの模様はまるで渦のようにうねっていて、禍々しい痕跡を残していた。
サネルは一仕事終えたかのようにソファに腰を下ろす。
「儀式も終えたところじゃ。早速サキと作戦室に向かって第一次遠征について概要を聞いてもらいたい。特に難しいことはないとは思うが、もし分からないことがあったのなら部隊長に話を聞くとよい。あれは切れ者じゃからな」
「分かりました」
「此度の任務は聞く限り難しいのじゃが、わしは主を信じておるぞ」
柔和な表情で俺の肩を叩く。まっすぐに俺の顔を見据えられてはびくりとしてしまう。
荷が重いと感じてしまったからか、俺は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「で、では、ここで失礼させていただきます」
ここにいると妙に居心地が悪い。自分の調子がつかめなくなってしまう。
そそくさとソファから立ち上がり、扉のノブに手をかける。
「そうじゃ、一つ聞き忘れていたことがあった」
「なんでしょう」
「まあ、ただの質問なわけじゃが────」
振り返るとサネルは、ソファに腰かけてこちらを見据えていた。
「────お主にとって、『英雄』とはどんなものかね」
その碧眼は、しっかりとこちらの眼を捉えていた。
さっきまでとは一転して真剣な面持ちと、突拍子のない質問に思わずうろたえてしまう。
「ええっと、『皆のために尽くし、誰をも幸福にするヒーロー』、みたいな感じです」
「すると主はそのような存在になりたい、そのために憲兵になったというわけなのじゃな」
フワフワしていた答えに間髪入れずに切り返される。
「何故、そう分かるのですか」
「馬鹿にするわけではないのじゃが、主はあまり期待を寄せられ慣れたような人ではない。その証拠に先ほど肩を叩いた時、主は少しだけ震えていた」
「……」
「そのような人が何故、命を落とすかもしれないこの依頼を請け負ったのか。決まっておる。それを夢見ていたからじゃ」
「……その通りです」
心が読まれているかのようにまさしく図星だ。誰かにいつも頼りっぱなしなのは、なんだかみっともないと思ったからだ。みんなを引っ張れるような、そしてみんなに頼られるような、そんな人を何故か羨ましく思っていた。
だからこの依頼を受け持った。否、その道しかなかった。本当の自分を取り戻すにはその道しかなかったからこそ、俺は後押しされた。きっと無数に選択肢があったのなら、俺は間違いなく別の道を選んでいた。
とてつもない高揚感、それと身震いするほどの恐怖心のさなかで、俺はその一本道に足を踏み入れた。
「……答えは得た」
俺の言葉に頷いたサネルは、少しの笑みを浮かべていた。
まるで、長年の答えを得たかのように、俺の言葉を深くかみしめていた。
「なにか変なこと言っちゃいましたかね?」
「いや、なにも特別なことはない。ただ未来ある若者の胸の内を少しだけ聞いてみたかっただけの、おいぼれの他愛もない質問なだけじゃ」
さっきまでの剣幕はどこへやら、元の優し気なサネルの顔に戻っていた。
なぜか俺は少しだけ安堵し、息を吐いた。
「じゃあ、そろそろ失礼しますね」
ドアノブを握り、今度こそ外に出る。廊下の窓から差す日光が眩しくて、久し振りに陽の光を浴びたかのように気分が晴れやかになった。
そしてサネルのほうへと向き直り、一礼してドアを閉める。
「────すべてを忘れても、主のその答えだけはゆめ忘れるな」
部屋の奥から、しゃがれたサネルの声が聞こえた気がした。
「どうだ、変な爺さんだっただろう」
扉のすぐ近くに目を移すと、サキが壁によしかかりながら立っていた。
「うわっ、サキさんいたんですね」
「その返事はあんまりじゃない。わざわざあんたのために待っていたのに」
彼女は少し仏頂面になりながらそっぽを向いた。
結構長い時間話していたのに待っていてくれたのは意外だった。彼女のことなら、しびれを切らして先に行っていたと思っていたが。
「ありがとうございます」
「……なんか普通に謝られると反応に困る」
「何でですか。いつもは『師を敬え』ばかりうるさいのに急に調子くずして」
「道も知らないあんたがそこかしこうろちょろしてたら迷惑かかるでしょ。ほら行くわよ」
俺の質問を適当にあしらって彼女は先へと勝手に進んでいく。
いつもそうだ。なんだかんだ言っても目の前にはいつもサキさんがいる。俺はそれについていくので精いっぱいだ。
それでも、彼女が連れて行ってくれる道には間違いはない。
そう願って、俺は後へと続いて歩きだした。