7. 王城
しばらく歩くと辺りには商人の姿はなくなり、喧騒も遠くの方に聞こえるのみになった。段々と憲兵の居住施設や備蓄の倉庫などが増えてきている。街は商いの場ではなく、兵士の場として変貌していっている。
「そろそろ着くぞ、トーマ」
目の前にはあの巨大な白亜の砦。視界に収まらないほどに横へと連なる城壁と、高くそびえる数々の塔。あの日始めて見た時よりも一層に綺麗に見える。
ここに来た理由はただ一つ。王への謁見だ。昨日、王様の容体が良くなったという手紙が届き、ここに来る運びとなった。この謁見が終わると俺は正式にここの憲兵となり、迷宮攻略へとようやく進むことができる。
城を囲むお堀にかかる橋を渡り、大きな城門に立つ門番の元へと向かう。
「お勤めご苦労さん。こっちは王の謁見が必要な客人だ。決して危険な人物じゃない。むしろ商人に客引きされるくらいだ」
サキは簡単な挨拶を済まし、俺を指差しながら門番に事情を説明する。その説明に悪意があるのだが、ここで文句を言えるほど肝の座った人間じゃない。
「大丈夫ですよ。話は聞いております。さあ、中へ」
門番は手を挙げ、係に開門の指示を送る。それと同時にギギギ、と重い樫の木で作られた城門がゆっくりと上がっていく。
しかも鉄板で覆われており、矢の一つも通さないようにしている。幅は二、三メートルほどか、馬車がギリギリ通れるような大きさで、対軍でもしっかり応戦できるようにしてある。
「ほら、見惚れてないで早く行くぞ」
意外にもサキは足早でとっくに奥の方へと歩いていた。それに急かされ、俺も足早に門をくぐり抜ける。
王様の住む居住地に着くまではしばらくの時間がかかった。門を抜けると門衛兵の住む建物と馬小屋があり、その隣にある螺旋階段を使って上に行く。
武器や防具などを揃えてある訓練施設を抜けると、三つの塔へと繋がる階段があった。
しかし、サキさんはここを通らずにもっと奥まったところにある石壁に向かっていった。
「さっきの階段は登らないんですか?」
「あっちの階段は憲兵専用よ。それよりこの抜け道を通る方がいいの」
彼女が手をかざして魔力を通す。すると壁に紋章が刻まれ、今まで見えていなかった扉が現れた。中に入るとトンネルのような冷んやりとした道が続く。灯りは各間隔で壁に掛けられた松明のみで、なんとも言えない不気味さを醸し出している。
……こんなところをしゃべらずに歩くのは少し気が引けた。なにか話して気を紛らわさなければ。
「そういえば、さっきの『憲兵専用』って俺がマントを着けてないから通れないんですか?」
さっき引っ掛かった憲兵の意味を適当に問いかける。
「ご名答。この城には憲兵と側近しか入城は許されていないわ。さっきの門番には話を通していたから何も言われなかったけど、普段の道を通ったら事情を知らない他の憲兵達が襲い掛かってくる。マントである程度味方かどうかを判断するよう、私たちは訓練されているの」
意外にもサキはこの話題に乗り気で、いつもに増して熱の入った説明を受ける。
「マントでって、それだけで分かるんですか?」
「王様からマントを受け取る時、その人の魔術回路をここに書き写すの。それで識別できるようになってるわ」
「へぇー……」
サキの後ろに回り込み、真紅のマントをまじまじと見る。
一見すると何も見えてこないが、眼を凝らすと大きな渦がそこに映されていた。
「その渦は高度な魔術でできているから一般人には見えないの。見えるのは憲兵みたいに魔術に長けた人間だけ」
「結構、セキュリティは万全なんですね」
「ええ。いつこの城に攻めてこられてもいいように、と小さい頃から教えられたのよ」
「…………」
その言葉には妙な引っ掛かりがあった。
部外者は問答言わずに排除する。更に城への道なりは遠く、城門は敵からの攻撃に耐えうるように防備を施している。
素晴らしい心構えだし、王を護衛し城を守る兵士は瞬時に臨戦態勢になる必要があるのだろう。
────しかし、それは魔物相手ではない。
マントで判別することから、外見で分かる魔物でなく人間に対しての対策だ。更にあの城門は矢や石礫と言った魔術による攻撃は想定されていない。
極めつけは『攻めてこられる』という言葉。
つまり、明らかに敵対する人間がこの世界にはいる、ということだ。
しかし、それを俺に知らせないのは何故か。必要な情報であれば、真っ先にサキは伝えるであろうに。
ならば、昔の戦争の名残か。
しかし、ここまで色濃く残っているということは────
「……この国っていつ戦争が起きていたのですか?」
────近年、戦争が起きていたとも考えられる。
「…………」
サキさんはまるで俺の質問が聞こえてないかのように、黙って歩き続けている。
松明の火が鳴らす弾けた音だけがこの空洞に響く。冷ややかな空気と相まって、二人の間には緊迫した雰囲気が漂う。
しばらくすると意を決したように、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……百年前、この国は戦火に満ちていたの。 残された人の伝聞によれば魔術大戦が起こり、世界の殆どが滅亡した。 しかしアイラルだけは生き残り、こうして今も王都は存在し続けている」
「…………」
やはり、戦争の名残だった。
「この時に残った心構えなどは『戒め』よ。この惨状を忘れてはならないよう、私たちが先人たちの思いを引き継ぐために」
淡々と語る彼女の言は、俺の知らない世界の側面ばかりだった。
平和な世界の裏側にある夥しい量の犠牲を、アイラルの負の歴史を、彼女はあまり伝えたくなかったのかもしれない。
「その生き残った理由とか、大戦が起きた理由とかはどうなんですか?」
「……私もそこまで詳しくは知らん。深く知りたいのなら文献でも漁ってみろ」
急にぶっきらぼうな口調で俺の質問を受け流す。
話は終わったのだろう。足早に歩き続け、しばらくすると行き止まりの壁へと突き当たった。
「行き止まりですよ、ここ」
「まあ、見てなさい」
入った時と同じようにサキは手をかざす。
途端に壁は青白い光を辺りに刻み、何かの魔術紋が浮き上がっていく。
それは余り見ない模様の六芒星を描き終えると、壁が二つに分かれて一つの扉が生まれた。
「さっきのもなんですけど、あれって一体……?」
「この壁は王都直属憲兵しか使えないショートカットよ。予め魔力を覚えさせておいて、その魔力が注がれた時だけ扉が出てくるの。
トーマみたいに無理やり鍵を開ける魔術には対応していないけどもね」
サキはそのドアノブをひねり、扉を開けた。
「──────すげえ」
そこは豪華絢爛、とは言わずとも上品な味わいが雰囲気として場を包んでいる、謂わば想像通りの城の内装だった。
ここは廊下だろうか、赤絨毯が敷かれていて、上にはシャンデリア。点在する花瓶に生けられた花の香りが一層に上品さを増す。
あの外見に違わない、気品のある内装だった。
「こら、見惚れてるんじゃない。王の間はすぐそこなんだから」
「えっ、ここなんですか?」
サキの指差す先は目の前にある扉。
なんの装飾もなく、ただの客室か何かとも思えるその扉に王様はいるらしい。
なんとも拍子抜けだった。
「警護とかいないんですか? それと、なんかすごく質素な外見なんですけども」
「警護はこの城内のセキュリティだけで十二分だし、何より王様は私たちよりも遥かに強い。それなのに質素な生活を好んでるなんて、中々な御仁だけどさ」
「サキさんよりも強いって……それ相当に強くないですか?」
「そう、強い。たぶん今まで生きてきたアイラルの人たちよりも、ね。そもそも私たち直属憲兵は一度王様と戦って負けたから配下に就いたのよ」
素直に驚いた。
そもそも猛獣のような彼女を組み伏せることができるのか、とも疑問に思う。
そうは思ったが口に出すのはよそう。ここで暴れても俺以外に被害がかかる。
「さて、そろそろ入る準備はできている? とはいっても少し話していくだけで気張るようなことじゃないと思うけど」
気張るな、とは言われても全身に力が入る。
誰よりも強い、この国の長に会うのだ。せめてオーラだけで圧倒されないように深呼吸を一つ入れ、身体の調子を整える。
大丈夫、この世界にきて圧倒されっぱなしだ。そんなことには慣れっこだから、死にはしないんだから。
「……行きます」
軽くノックをし、やけに重いドアノブをひねった。
中は外見の通り広々としてはいなくテーブルと応接用のソファが二つに、奥には一段と大きな机といくつもの本棚。王の間とは言うが、実際のところ王の書斎と言ったほうが適した表現だと思う。
そして、机に座った誰かが窓の外を眺めていた。
「ん、ようやく来たか」
淡く灯るシャンデリアの下、しゃがれた老人の声が響く。
振り向いたその人の碧眼がこちらを見る。白髪と蓄えた白髭にしわが寄った顔は、王たるゆえんの威厳を示していた。