119話 ミラの秘密
厳かな雰囲気の神殿は、見るも無残に破壊され、原形をとどめていない。
歴史的価値が高そうな壁は、大半が崩れ落ちて岩肌があらわになっている。
床一面に敷かれた大理石は、隕石群が降ってきたかのようにいくつもの穴が穿たれていた。
事の発端は――数分前。
『アドリアナっ! こいつはコウヘイで間違いない! おまえが封印されてから千年近く経ってんだから、コウスケはとっくに死んでんだよ!』
いつの間にか目覚めていたミラが、意味不明な内容を叫んだ。
どうやら「アド」は、アドリアナの略称らしい。しかも、白銀竜は千年もの間あの結晶に封印されていたと判明した。
さらには、コウスケとは、僕の名前を間違えたのではなく、やっぱり人違いだったのだ。
『はっ、テメー! いま、なんつったよ……あぁん!』
ミラの言葉に反応したアドの口調は、とても幼女竜から発せられたものとは到底思えない声音で、僕が止める間もなく二人は激突する。
瞬く間に目にも止まらぬ速さの肉弾戦が繰り広げられ、その攻防はお互い譲らず、拮抗していた。
アドの尻尾の一振りで吹き飛ばされたミラは、空中でクルリと反転して壁を蹴る。その拍子に、壁に亀裂が入り石板が弾け飛ぶ。
ミラは、蹴った勢いのまま突進して鋭い蹴りを放った。
蹴りの衝撃を抑えようとしてかアドが飛び退くも、勢い凄まじく壁に背を打ちつけられる。アドは、ミラが壁を蹴ったときよりも大きな破壊音を伴わせ、壁の石板と一緒に崩れ落ちた。
それでも、勝敗は決しない。
負けじと片膝に手を突きながら立ち上がったアドが小さい口をめいっぱい開ける。
メラメラと燃え盛る火球が一つ、二つと連続で吐き出されたけど――
ミラが羽虫を相手するような感じで、事もなげに素手で火球を叩き落すという、信じられない荒業をやってのけた。
大理石の床が破壊され、もう滅茶苦茶だ。
中々決着がつかず、僕は唖然とするばかり。
そんな中、ミラが柏手を打ち、すぐさま大きく腕を広げた。手の平から生まれるように拳大ほどの光の玉が無数に現れ、ミラの周りを浮遊し始める。
戦いの次元が違いすぎて僕なんかが止めに入る余地など皆無だ。ミラも魔法で反撃か? と僕は、固唾を呑んで見守るしか出来ない。
途端、アドがニヤリと口角を上げ、次第に顔全体に笑みを広げで笑い声をあげた。
一方、アドの笑い声に訝しむような表情をさせたミラが腕を下ろす。それと同時に、浮遊していた光の球がフッと消滅した。
すると、アドと同じようにミラも愉快そうに声をあげて笑い出したのだ。
訳がわからず、僕は困惑顔だ。
「やっぱり、ミランダだったのか。ちっちゃいから最初は気付かなかったのだ」
アドの口調がいつの間にか戻っており、トテトテとミラの方へ歩み寄る。
「それを言うなら、アドリアナ。ボクも一緒さ。随分と可愛らしくなったじゃないか」
歩み寄るアドを受け入れるように、ミラが屈んで両腕を広げる。親しい友人との久しぶりの再会を思わせる固い抱擁を交わすのだった。
そして、いまに至る。
まったく想定外の状況を目にした僕は、誰でもいいから説明してほしかった。
「これは……いったい、どんな状況なんだ?」
「わしも聞きたいくらいじゃよ」
僕の声に反応したのは、イルマだけ。エルサを見ても、首をブンブンと振るのみで、驚きで声が出ないようだ。
「エヴァは?」
あ、だめだ。
白目を剥いて大の字になって寝転がっている。あまりのプレッシャーに耐えられなかったのかもしれない。
エヴァの肩を揺すって起こそうとした僕の所に、ミラがアドの手を引いてやって来た。
「驚かせて悪かったね、コウヘイ」
エヴァをエルサとイルマに預け、僕はミラに向き合った。
「ねえ、さっきのはなんだったの? そうだ、コウスケ! その人を知ってるの? 僕はその人に似ているとかなのかな? あっ、あと、封印とか、このドラゴン……アドを知っているの?」
僕は、機関銃のように捲し立ててしまったものの、ミラは僕の質問を遮ることなく最後まで聞いている。けれども、目を点にさせ、最後には大きく息を吐き出して呆れた様子だった。
「まったく……」
まさにイルマのそれと同じように、僕を見る目が人を小ばかにした感じ。素直で可愛い妹キャラのミラは何処へやら、裏ミラは大分いい性格をしているようだ。
そんなふてぶてしいミラとは相反し、彼女に手を繋がれたアドは、僕とミラとの間で視線をソワソワと彷徨わせ、落ち着かない様子。
「先ずは、自己紹介から行こうか。話はそれからだよ」
「自己紹介?」
「なんだよ。ボクがいつものミラと違うと、気付いていないのかい?」
「いやっ、ちょっと待って」
ミラの別人格であろう彼女の質問には答えず、首だけを後ろに向ける。エヴァは未だ目を覚ましていない。エルサがその場に残り、頷いたイルマが立ち上がった。
イルマが来るのを待ってから会話を再開した。
「さすがに僕も気付いてるよ。さっきも必死にいつものミラのフリをしていたじゃないか」
「ちぇっ、誤魔化せなかったか」
呆れたもんだ。
そのつまらなそうな顔から、本気で騙せていると考えていたようだ。
だから、ありのままの意見を言った。
「いや、無理でしょ」
「無理じゃな」
当然、イルマも呆れていた。
「ふんっ、ウッドエルフごときがこのボクに生意気言うんじゃないよ」
「なっ」
あまりの言われようにイルマは、面を食らったようにぽかんとしている。透き通った緑の瞳が小さい点となり、固まっていた。
ミラの顔と声で、普段のミラが絶対しない表情と言い回しをするもんだから、物凄く気味が悪い。
僕が思わず顔を歪めていると、はっとなったイルマが言い返した。
「そ、その言い草、お主が何者かによっては聞き捨てならんぞ」
「そ、そうだよ。きみはいったい……」
喧嘩腰のイルマに割って入るように僕もミラに問う。
「おお、そうだったね」
自ら言い出したくせに、すっかり忘れていたようだ。
頬を指でポリポリ掻いてからミラが佇まいを正す。それに釣られ、僕とイルマも緊張したように背筋を伸ばした。
「ボクの名前は、ミランダ。ミランダ・クロズリー・ドランマルヌス。以後お見知りおきを」
ミラはにっこりと微笑むなり、ローブの裾をドレスのようにちょこんと摘まみ、片方の足を斜め後ろの内側に引き、貴族令嬢然とした洗練されたカーテシーを披露した。
と言うか、名前が長いから貴族なのだろう……って、そうじゃない!
「え?」
「なんじゃと?」
自己紹介というくらいだから、まったく別の名前かと思っていた。イルマもそう思ったのだろう。
僕とイルマの声が重なった。
「「同じじゃん!」」
が、僕たちの反応に何を勘違いしたのか、とんでもない告白をされた。
「はっはーん。そうだろそうだろ。驚いたか! そう、このボクがあの魔……って、えっ? そっちなのかい!」
いま、なんと言った?
聞き間違いであってほしい。
あのと言うくらいだから、名の知れた魔法士だとか、その類であってほしい。
「やはりか……魔族、でよいのじゃな?」
「ちょっ、イルマ!」
どうしてイルマは平然と受け入れられるのだろうか。僕には理解できない。僕が否定したいことを、あっさりとイルマが認め、落ち着いた声音で呟いた。
僕が息を呑み、ミラとイルマの表情を交互に観察している間も話は続いた。
「ふーん、やっぱり、気付いていたんだね。凄いじゃん。でも、コウヘイたちなら、特別にいままで通りミラと呼んでくれて構わないよ」
嗚呼、魔族と言われてもさも当然と言った口調だ。
ミラが否定することはなかった。
「いや、お主がそう言ったとしても、それを判断する材料がないからのう――」
「まっ、信じるかどうかは任せるよ。ボクとしては、ドランマルヌスの名を聞いてもその反応だと、ちょっぴり寂しいけどね」
ミラの口振りから、どうやら魔族の中では名の知れた存在らしい。最低でも中級魔族、最悪の場合は上級魔族の可能性もあり得る。
任せると言われても、僕にはミラが魔族だと信じられない。と言うよりも、信じたくなかった。
しっかりと見極めるべく、僕は注意深く観察を開始する。
寂しいと言いつつも、不敵な笑みを浮かべ、挑戦的にキラリと光った深紅の瞳と視線がぶつかる。
「おや? コウヘイは信じてないようだね」
「あ、べつにそう言う訳じゃないけど……信じたくないと言うか、なんと言うか……」
いままで僕たちの窮地を救ったときの戦闘や、先程のアドとの戦闘を見せられては、信じるより外ないという気もしてきている。
それにもかかわらず、僕が受け入れられないのは、エルサの言葉を信じてのことだ。
魔法眼で見たミラの魔力の色に、魔族特有の「黒」は無かった。魔族が僕たちが危険なときに助けるハズもない。
一先ず、会話を重ねて本当の目的を探ることにした。
「そ、そんなに有名なの?」
「そりゃあ、有名さー。魔族領というか、魔人で知らない人はいないよ。それに、この世界に来てから千年近く経ってもボクに挑戦してくる輩がいるくらいだしね」
「魔人……」
「そうそう、そうなんだよね。ヒューマンたちは勘違いしてるんだ。ボクたちは魔人で、魔獣も併せて魔族が正解かな? まあ、そんなのどっちでもいいんだけどね」
確かにそうだけど、色々な認識勘違いがあるのは、不謹慎にも面白い。その他にも、気になるキーワードがいくつもあった。
「この世界にやって来た? しかも、千年って――」
「大体だよ、大体。一々正確な年数なんか数える訳ないだろ」
「そうなんだろうけど。じゃあ、いったい――」
「あっ、ダメだよ。女性に年齢を聞くのは感心しないな」
まだ何も言っていないのに、魔人と名乗ったミラはイルマみたいなことを言い出す始末。偏見かもしれないけど、年齢を重ねるとこうなるのだろうか。
実際、イルマの方を見たら、ジト目で見られてしまった。僕の考えもあながち間違いではないのかもしれない。
「ち、違うよ。僕が言いたいのは、なんでこんなところにいるのか、ってこと」
居心地が悪くなり、慌てて訂正する。
「それをコウヘイが言うのかい?」
「そ、それはどういうこと?」
ミラの底冷えするような冷たい視線に中てられ、思わず僕は一歩後退る。
ミラの告白は、僕にとって衝撃的なものだった。
未だミラが魔人であると信じきれない僕は、いつもの癖で余計な発言をしてしまったようだ。




