115話 導き
僕がミラを背負う準備をしている間、お茶会よろしく一五階層に広げられていた敷物とティーセットは、イルマの魔法袋に納められた。
僕は全員の準備が完了したのを確認し、エヴァを先頭に一四階層へ上がる階段に向かって歩き出す。
が、
『こっち……こっちよ――』
また幻聴か? と僕の頭の中にダイレクトに届いた声に辺りを見渡す。
途端に、出口と真逆の方向へ身体が反転する。僕の意思とは関係なく、だ。
はっ? と半ばパニックになった僕は、後ろにいたエルサと向かい合う。
エルサ! と助けを求めるように叫んでみても、声にならなかった。
「コウヘイ?」
当然、僕の行動を不自然に思ったのか、エルサが心配そうに僕の名を呼び、訝しむような目を向けてくる。
目も見えるし、耳も聞こえる――意識がはっきりしているにもかかわらず、声を発せない。しかも、まるで操縦桿を誰かに奪われたように、僕の意思とは関係なしに足が動いた。
「えっ、なに? なに!」
正面にいたエルサが声を上げながら咄嗟に脇に避ける。エルサは、訳がわからない、という風に瞼を瞬かせた後、青みがかった銀色の瞳をまん丸とさせた。
それもそのハズ。僕のような巨体が無言で迫ってきたら当然の反応だ。
「おい、コウヘイ!」
イルマに呼ばれても返事ができず、僕はエルサとイルマを置き去りにして一五階層の闇へと向かって行く。
僕の身体は、もはや完全に自由を失っていた。
「「「コウヘイ!」」」
僕を呼ぶみんなの声が重なる。
「どうしたのよ、コウヘイ。ねえってばっ!」
知りたいのは僕の方だ。切羽詰まったようなエルサの声が、僕の不安をより大きくさせる。
それよりも、駆け寄ってきたエルサに腕を掴まれ半身が揺らいだ。その反動でミラを支えていた腕が解け、ずり落ちそうになる。
「危ない!」
エヴァがそう叫んだのと同時に、ふっと背中の重しが軽くなった。元より軽かったけど、まったく感じなくなったのだ。ミラが落ちたと察した僕は、焦るどころではない。
僕に背負われたミラは、約二メートルの高さにその頭がある。万一頭から落下でもしたら、岩の地面に激突して頭にコブができるどころの騒ぎではない。
不可視の力に抗えない僕は、どうすることもできずに結果を待つしかない。
地面を滑る擦れたような音が後ろから聞こえた。
革鎧が擦れた音だ。おそらく、エヴァが助けようと滑り込んだのだろう。振り向くことができないため、音だけでそう予想するしかなかった。
唯一の情報元である音に意識を集中させるように耳を澄ませる。
「ありがとうっ、エヴァ」
「いや、エルちゃんが支えなかったら間に合わなかったわ」
エルサとエヴァの会話から、ミラの無事が判明する。
しかし、不可視の力に抗えない状況は変わらず、気を抜けない。
未だ僕の名を呼ぶみんなの声が聞こえてくるけど、いまは一切を無視してこの場を切り抜けるために頭を回転させる。
ついには、イルマが正面に回り込み、通せんぼするように両腕を広げた。例の如く、僕の身体は勝手にずんずん突き進んでいく。
「どうしたのじゃ、おいっ」
当のイルマは、叫びながら怒ったように眦を吊り上げ、ぶつかる寸前で跳躍した。僕が踏み出した右足と左の腰に固定したラウンドシールドを足場にしてぴょんぴょんと飛び移り、僕の左上腕にしがみ付く。
「無視するでなーい!」
イルマが耳元で叫び、鼓膜が破けたかもしれないと心配になるも、顔を歪めさえできない。
僕だってどうにかしたい! が、結局打開策は見つからなかった。
僕の腕にしがみ付いたコアラよろしく、イルマの叫び声に耐えながら進むこと数分――
魔導カンテラがなんの変哲もない岩壁を照らし出す。ようやく僕の身体が動きを止めたと思ったら、反対側に到達したようだ。
そんな短時間で解決策が浮かぶ訳もない。だからといって諦めた訳でもない。僕は、焦る気持ちを抑えながら目の前の壁をくまなく観察する。
魔導カンテラの光に照らされた壁は、ヒカリゴケが覆っていることもなく、赤茶っぽい色のゴツゴツとしたふつうの岩肌にしか見えない。
「ようやく止まりよったか」
イルマが小さく文句を言ってから飛び降りる。イルマは、チラッと僕を見上げてから視線に釣られたように壁の方を向く。
「ふむ、何か仕掛けがあるのじゃろうか」
腰から魔導カンテラを外したイルマは、それを顔の前に掲げて一歩前に出た。
「ね、ねえ、イルマ」
エルサのか細い声が耳に届く。いつになく不安そうな声音だった。
「コウヘイはどうしちゃった……のかな」
「わしにもわからん」
それも当然だろう。
上層へ向かうと宣言した矢先に、僕が奇妙な行動を取れば不安にならない方がおかしい。しかも、僕はあれから一言も声を発していないのだ。
そんなの怖いったらありゃしない。
けれども、エヴァだけは期待するような言い方をした。
「ねえ、コウヘイもミラちゃんみたいに取り憑かれているなんてことは考えられないのかしら?」
「ふうむ、べつにミラが取り憑かれていると、決まった訳じゃないんじゃがな……」
悩むように首を傾げるイルマ。
「でも、反応が全然ないのはおかしいじゃないの。あたしにはよくわからないけど、聖女様が神託を受けるときはまったく反応が無いって聞いたことあるし――」
「じゃから、なんでもそう決めつけるのは思考の選択を狭めるぞ」
「だって!」
エヴァとイルマの掛け合いを聞きながら僕はどんどん不安になる。その間、僕の身体は立ち止まったままで何をする訳でもなく、ただただ佇んだままだった。
「それよりも……どうじゃ、エルサ。魔法眼で何かわからんのか」
「うう、ごめんなさい……」
エルサが謝っていることから、異常が無いのだろう。
しかし、それが余計に僕を不安にさせる。
何かの魔法に掛かってしまった可能性を僕が考えていたからだ。そうでなければこの状況を説明できない。
ただ、途中で魔法を吸収する要領で全身に意識を向けてみた。
それでもやはりと言うべきか、それが解けることは無く、エルサの反応がダメ押しとなったのだった。
とどのつまり、魔法の影響ではないことがわかり、成す術がない。
そう悟った瞬間、物言えぬ恐怖が押し寄せる。
やっぱり、身体を乗っ取られたのか?
誰に? もしかしてミラの人格にか?
けれども、ミラは別人格のときの記憶はないと言っていた。いまの僕は、意識がしっかりしている。
それじゃあ、一体――本当に神様でもいると言うのか!
思考の渦に呑み込まれていると、いつの間にか数歩踏み出し、両腕が正面に突き出されて両手が岩肌に触れる。しかも、僕の手が触れている場所を中心に目の前の壁が青白く輝きだした。
今度はなんだ? そう思った刹那――階層全体が身震いするように揺れた。
どうやら、僕のスキルが発動しているようだ。微量ながらも魔力が流れ込んでくるのを感じる。
「ちょっと、ちょっと!」
「えっ、何!」
エヴァに続き、エルサが驚きの声を上げ、二人ともキョロキョロとしはじめる。
「おいっ、コウヘイ! 何をしておるっ、やめるんじゃ」
イルマが言う通り、止められるものなら僕だって止めたい。
どうにもできないんだよ! と叫んだつもりでも、その声は誰の耳にも届かない。
はじめはとても微弱な揺れだった。それが、次第に激しくなり、ついには轟音が鳴り響く。
地響きの音に比例し、僕の中に流れ込む魔力が多くなっていくのを感じた。
ただそれは、いつもの温かく力が漲る感じではなく、苦痛を伴ったのだ。あまりの激痛に意識が何度も飛びそうになる。
その度に、僕を励ますような謎の声が頭の中に響いた。
『もう少し、もう少しだから――』
幻聴なのか、何者からの問い掛けなのか、痺れるような痛みに耐えるので精一杯の僕には、もはや判断がつかない。
そうしている間にも揺れが益々大きくなるばかり。壁にいくつもの筋が走り、亀甲状に割れた表面が剥がれ落ちてきた。
僕のプレートアーマーに拳大ほどの岩がガンガン当たっているけど、僕には為す術もない。
三人が何やら叫んでいる。それも轟音と激痛で頭に入ってこない。
危険を顧みず、エルサとイルマそれぞれが僕の両脇に立ち、腕を引っ張って引き離そうとしているものの、ピクリとも僕の腕は動かない。
幾ばくか過ぎ、一際大きく耳を劈くような爆音と供に、目の前の壁が奥へ弾け飛んだ。
『やっと……もう少しで――』
痛みが治まるのと同時に頭の中に謎の声が響く。
『さあ、こっちよ』
脳に染み渡るソプラノの声に導かれるように、僕の身体が勝手に前進を再開した。目の前を覆っていた岩壁が崩れて通路が姿を現したのだ。
新たにできた通路は、瓦礫が邪魔しているせいもあるけど、僕のガタイではプレートアーマーの肩を擦りながらギリギリ通れる幅しかなかった。
そのまま通路を一〇メートルほど進むと、異質な空間が広がっていた。
「こ、これは……」
イルマは僕と同じ感想を抱いたのか、あとの言葉が続かないようだ。
ラルフローランのダンジョンは、ほとんどすべて発見された当初のままである。人の手が入ってい箇所は、入り口の数十メートルのみ。あくまで補強に過ぎない。
そう、一五階層の入口以外は、文明の面影が皆無――
僕たちが通路を通り抜けて出た場所は、一五階層の入り口と同様に白い大理石が敷かれていた。
壁には幾何学模様が彫刻された石板がはめ込まれている。さらに、高さ三〇メートルほどの円柱が等間隔に立ち並び、アーチ状の天井を支えていた。
ただ、真新しいようにシミ一つない真っ白に支配された空間――その空間は全てが異質だった。
白を基調にしたその空間は光源が無いにもかかわらず、薄っすらと青白く輝いており、まるで神殿のように厳かな雰囲気を醸し出している。
しかもそれだけではない。圧倒的な存在感を放つ『それ』が広間の最奥に鎮座しているのだ。
幾多の魔法陣が表面を行きかう角ばった氷山のような透明の結晶で、厳かな雰囲気をより一層神秘的なものにさせていた。
あまりの美しさに、僕の心は完全に奪われていた。結晶にではない。僕が心奪われたのは、その中に囚われたように身動きしない――
白銀の竜にだった。
二〇メートルほどの結晶の中心に浮くように、白銀の竜が身を縮こまらせて固まっている。
やがて、僕の身体がまた勝手に前に進んでいく。
「待ってよ!」
「待つのじゃ!」
「待ちなさいって!」
雰囲気に呑まれているのか、或いは、白銀の竜を起こさまいとしてか、みんなの制止の声は控えめだった。
みなが制止するのも聞かず――いや、僕の意思とは関係なくそのまま前進し、白銀竜を内包する結晶の前まで至る。
至近距離で見た彼女は圧巻だった。
『さあ、自由にして――』
頭の中に響いた声は、なぜか嬉しさとも、悲しさともとれる調子で震えていた。
僕は、声に導かれるまま結晶に両手を添える。その瞬間、白銀の竜の双眸がぱちりと開き、透き通るような青白い瞳と目が合った。
どくり、僕の心臓が高鳴る。
『コウスケ……また会えたね』
不可思議な力に導かれた先で待っていたのは、竜神教の竜神が如く輝きを放っている白銀の竜だった。
それはまさに、僕がカッコいいと思いながらも、先の戦闘で興味を失っていた相手である。
これまでの道中で僕が違和感を覚えた幻覚や幻聴は、その白銀竜による導きだったのだろうか……いや、わからない。
一〇階層と一五階層とでは、聞こえた声質がまったくの別物だったのだ。
さらに、気掛かりなのは、僕を導くように問い掛け続けている声が呼んだ名が――コウヘイではなかったこと。
だがしかし、その響きに懐かしさを感じた僕は、余計に思考の迷路に迷い込むのだった。




