悲哀の理由
前の文章は元々純文学ジャンルとして投稿しようと思ったものである。エッセイジャンルとしては不適切な表現であったかもしれない。しかし今の思いを伝えるには最適な文章だと思ったため冒頭に据えた。
では前の文章は何を表現したかったのか。実は言いたいことはほぼ一つしかない。
キャラへの悲哀である。いわゆる最強への悲哀である。
どうしてこのような思いに至ったのか、経緯を述べたい。
まず私はある作品を書いていた。作品名は伏せておく。探す必要もない。作中ではある若者が村を救うために鬼と取引し、その代償として腕や脚を払っていく。結果、若者は絶命してしまう。その若者の名が冒頭に出てきた銀糸である。
その銀糸を描いた後、ファンタジーな作品に触れた。正直ちょっと苦手だったのだが、読んでみるとやっぱり面白いのだ。軽く読み進められるのも納得がいく。
ただ……急につらくなってしまった。私の中に変な考えがよぎったのだ。どうしてこのキャラは簡単に殺すのだろう。魔物相手なら命のやりとりがあるだろう。でもあまりにも軽々しすぎる。人にまで手をかけているものもある。もちろん背景はある(と思う)。しかしその精神はどこか虚ろだ。強いがゆえ考える必要がないのか。絶対揺るがない庇護があるのか。感情に乏しい人形はもはや悲哀に値する。
たまたま読んだ作品が悪かったのだろう。数ページで閉じたから作品名は覚えていない。(覚えていたとしてもネガティブキャンペーンと化すから書けない)ただ、衝動に駆られるほどの悲哀だけは残っている。それは一日経っても頭の片隅にあった。
私はかなり没入してしまうらしい。だから自作でも泣くし、登場人物を殺すことはあっても尊厳だけは守ってあげたいと思う。どうも私は銀糸を偏愛しているようだ。だから犠牲の果てに命を失った銀糸を描いた後で、軽すぎる死を受け入れられなかった。そして恐れを通り越して、心のない哀れなキャラに見えてしまったのだと思う。
もちろん前の文章でも読み取れるように、怒りの念もかなり強い。しかしそれ以上に哀れに見えてしまったのだ。
このままでは自賛にも見えるため付け加えるが、評価を得ている作品に比べれば絶対的に私の作品の方が劣っている。一般公募で戦える技巧はまだなく、このサイトでの評価も芳しくない。ただの二年目の書き手である。だから他の作者さんの方針・キャラを批判する立場ではない。これは私の思いを垂れ流しただけの文章である。どうか流されないでほしい。
ゆえに前の文章はこう締めている。
・明滅する悲哀は僕自身の筆で闇に帰す
・これ以上、心の無い者を生まなければいい
・少なくとも、僕の世界では守られる
この戒めは私だけのものである。他の人には強制しない。ただ虚ろなキャラを作りたくないという私の願望である。構成上、今後もキャラを殺すことはあると思う。その際は骸の尊厳だけは守ろうと思う。