第13話 越の風華 第三部 ~ヤコブ予言殺人事件~ 前編
越の風華三部作の第三部完結編の前編です。『第一話・比企の風』から始まる作品の集大成です。お楽しみ下さい。
《大和太郎事件簿・第13話/越の風華・第三部》
〜ヤコブ予言殺人事件〜
=前編=
『三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世に成りたぞよ。』 (明治25年旧正月、大本教教祖・出口なお 大本神諭・初発の神勅)
※著者注;
三ぜん世界:神霊界(霊界)、幽霊界(仏界)、人間界(現界・顕現界)の三霊世界のこと。
梅:大本教では「教え」を意味する。
松:大本教では「政治」を意味する。
※ヤコブの予言:
旧約聖書の創世記49章にヤコブの言葉が記されている。
それは、イスラエル(神の御使いに打ち勝つ者の意)と呼ばれたヤコブが12人の息子たちを祝福して、その子孫たちの将来のあり様を述べた言葉である。
時に、BC(紀元前)1560年頃と推定されている。
それは、ユダヤ人の神・ヤーウエの命を請けたモーゼが、エジプトの奴隷であったユダヤの民を率いて出エジプト(エクソダス)を決行したBC1310年より250年前のことであった。
ヤコブいわく
『集まりなさい。終りの日に貴方がたに起こることを告げる。
1・ルベンよ、あなたは我が長子。我が力、我が力の初の実。すぐれた威厳と力のある者。しかし、水のように奔放なので他を凌ぐことはない。あなたは父の床に上り、汚した。
2・シメオンと3・レビは兄弟。彼らの剣は暴虐の道具。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足を切った。のろわれよ。※私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らす。
4・ユダよ、兄弟たちはあなたを讃え、あなたを伏し拝む。ユダは獅子の子。獲物によって成長する。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れない。しかし、最後にはシロが来て、国々の民は彼に従う。彼は雌ロバを良い葡萄の木につなぐ。彼は着物を葡萄酒で洗い、衣を葡萄の血で洗う。その目は葡萄酒によって曇る。歯は乳で白い。
5・ゼブルンは船着場のある海辺に住み、その境はシドンにまで至る。
6・イッサカルは逞しいロバ。ふたつの鞍袋の間の麗しい地に伏し、休息する。しかし、重荷を背負う奴隷となる。
7・ダンはイスラエルの他の部族と同じ様におのれの民を裁く。ダンは路傍の蛇。小道のまむしとなって馬の踵を咬み、馬に乗っている者を後に落とす。
8・ガドは襲ってくる者の踵を襲う。
9・アシェルは豊かな食物を持ち、王の御馳走を作る。
10・ナフタリは放たれた雌鹿。美しい子鹿を産む。
11・ヨセフは泉の辺に生える実を結ぶ若木。その枝は垣根を越えるので、弓を射る者は彼を激しく攻め悩ませる。しかし、彼の弓は弛むことはなく、彼の腕は素早く弓を射る。ヨセフの頭上には神の祝福があり、永遠の丘の極みにまで及ぶ。
12・ベニヤミンは噛み裂く狼。朝には獲物を食べ、夕べには略奪した物を分ける。』
以上を息子たちに伝えた後、ヤコブは次の言葉を付け加え、そして死んだ。
『アブラハムとその妻ヘラ、アブラハムの子イサクとその妻リベカ、そして、レアが葬られている洞穴の墓に私・ヤコブを葬ること。その地はカナンの地のマムレに面したマクベラにあり、アブラハムがヘテ人から買った畑地である。』
※著者注記:『私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らす』の意味;
2・シメオンと3・レビの子孫は他の十人の息子たち(1・4・5・6・7・8・9・10・11・12)の子孫の中に消えていき、12氏族のうちのイスラエルの後継子孫として十氏族(1・4・5・6・7・8・9・10・11・12)が残る、とヤコブは予言したのであろう。
それが、世に謂う『失われた十氏族』である。
なお、ヤコブはイサクの子である。レアはヤコブの妻。
※イスラエル:ある夜、ヤコブは幽霊の様な者に襲われ、一晩中闘った末に勝利した。その、負けた幽霊のような者が『自分は神の御使いであり、お前は今後、イスラエル(神の御使いに打ち勝つ者)を名乗れ』と命じた。以後、ヤコブはイスラエルと名乗り、現在のイスラエル人の始祖とされる。
越の風華・第三部;プロローグ
1、 1966年〜1976年の10年間 中国・文化大革命
『全ての牛鬼蛇神を一掃せよ』との題目で、1966年6月1日付の人民日報の社説が国民に文化大革命を発動した。
『牛鬼蛇神』とは西洋の文化・文明や、資本主義経済を指し示す言葉である。
これを機に、1976年10月6日までの10年間、中国全土に文化大革命の嵐が吹き荒れ、政治家、文化人、大学教授、歴史家、哲学者などを含む多くの中国人民が罪に問われた。
それは、1966年5月16日の中国共産党中央委員会の所謂「五・一六通知」で毛沢東が述べた通知に端を発していた。
『彼らは全ての牛鬼蛇神を野放しにしてしまい、何年もの間、我々の新聞、放送、刊行物、書籍、教科書、講演、文芸作品、映画、演劇、語りや歌、美術、音楽、舞踊などが閉塞感に充ちていた。・・・・
云々・・・。誤った思想、毒草、牛鬼蛇神はすべて批判されなければならず、決してそれらを自由に氾濫させてはならない。』(「牛鬼蛇神を一掃せよ」と文化大革命 編著監訳・石剛 三元社 2012年3月初版発行 より)
この文章の中の「彼ら」とは中国共産党内の資本主義を推進する劉少奇や?小平などを意味していた。
当時、党中央委員会主席・毛沢東は国家大躍進政策の失敗を問われ国家主席の座を劉少奇に奪われ、党の要職も失脚しかねない状況にあり、党副主席・国防部長の林彪や自分の妻である江青を首謀者にして紅衛兵による文化大革命を先導させ、劉少奇の失脚を画策したと謂われている。ちなみに、文化大革命による死者40万人、犠牲者1億人と推定されている。
その後、毛沢東は林彪と対立し、林彪を毛沢東暗殺未遂容疑で殺害(モンゴルで飛行機が撃墜?され墜落)したとされている。また、毛沢東は妻・江青などはやり過ぎたと批判し、文化大革命を収束に向かわせ、周恩来首相の力を借りて自分の保身に努めたが、周恩来の死後、1976年9月9日に死去した。
その後の1980年代、国家主席になった?小平は改革開放政策・自由主義経済の導入を推進し、中国の今日の隆盛に繋がっている。
2、 1963年〜1968年の5年間 米国・ケネディ家の悲劇
一方、この頃のアメリカであるが、1963年11月22日、テキサス州ダラス市の南中時に起きたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺に関与したとして、1967年3月にCIA工作員のクレイ・ショーが地方検事のジム・ギャリソンによって逮捕・告発されていたが無罪となった。
ジム・ギャリソンによると、ケネディ大統領暗殺事件は産軍複合体による謀略である、とのことであった。
なお、ケネディ大統領暗殺の1時間半後に近くの映画館で、暗殺犯として逮捕されたリー・H・オズワルドは、暗殺実行の翌日、メディア関係者でごった返していたダラス警察署の地下駐車場で、警察による護送中にマフィア一員(真偽不明)とされたジャック・ルビーによって、生中継TVカメラの前で射殺されていた。ジャック・ルビーの動機は『大統領を殺した男を殺したかった。』であった。
なお、ジャック・ルビーは事件の4年後に死亡したとされている。
また、オズワルドは「奴等に嵌められた。」と述べていたが、「奴等」とは誰なのか不明のままである。
2014年7月10日にBS日テレで放送されたTV番組では、ナンシーと呼ばれる初老の女性霊能者が暗殺現場にいた人々の残留思念を感じ、それを述べていた。
いわく
『ケネディ大統領暗殺計画は反民主化を唱える民間武装組織によって進められた。オズワルドは銃弾を3発発射しており、1発は命中したが致命傷ではなかった。致命傷は小さな丘の上から発射された銃弾で、殺し屋家業をしている二人の元アメリカ軍人によるものであった。民間武装組織は政財界に有力な協力者を持っている。狙撃者は3か所に配置されていた。それは、オズワルドの居た教科書倉庫ビルのほか、裁判所ビルと小さな丘の上の垣根裏であった。裁判所ビルの狙撃手は1発も撃っていない。』(真偽不明)
民間武装組織の背後に居る政財界の有力者が主犯である可能性もある。それは、産軍複合体に関係する人物であるのかもしれない。(著者の推測)
また、1968年6月にはケネディ大統領の弟である司法長官・ロバート・ケネディが暗殺されている。
その暗殺現場で逮捕された秘密結社『薔薇十字会』と関係があったとされるエルサレム生まれのサーハン・B・サーハンと云う男は、犯行時の記憶がなく、催眠術を掛けられていたのではないかと云われている。
ケネディ家の悲劇に関して、夢予言霊能者ジーン・ディクソンが次のような白日夢(Day-Dream)を霊視している。
『(ケネディ大統領暗殺事件が起きる以前に)、聖書に出てくる家父ヨブが現れ、ジョンとロバートの父であるヨセフ・ケネディを抱き寄せ、何かを伝えた。その時、ヨセフは苦悩と悲嘆と恐怖の表情を浮かべていた。』
ヨブはサタンの計略によって7人の息子と3人の娘を殺された人物であり、その神への揺るぎない信仰心から、再び7人の息子と3人の美人娘を持って幸せに暮らした人物。ヨブは第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハプクと名付けた。(旧約聖書ヨブ記42章)
また、ヨブ記には口から火を吐き、鼻から煙を出す獣の王(竜?)・レビヤタン(リバイアサン)が登場する。(3章、41章)
3、 1962年8月22日 シャルル・ド・ゴール大統領暗殺未遂事件
フランスのパリ郊外にクラマール地区がある。
OSA(秘密軍事組織)より暗殺指令を受けた刺客ジャン=マリー・バスチャン=チリーと云う人物が第五共和政憲法を成立させたフランス大統領であるド・ゴールが乗った車に機関銃を乱射する事件が起きた地区である。第五共和政憲法では大統領の決定権限が大幅に拡大していた。
幸いにも、大統領は無事であった。
OSAは北アフリカのアルジェリア独立運動を阻止するために発足したフランス人極右民族主義者たちの秘密地下組織であった。また、フランス軍人が多く参画している団体であった。
アルジェリアの独立運動や石油採掘権などの経済問題が複雑に関係して泥沼化していたアルジェリア紛争を解決させる為にド・ゴールを担ぎ出した極右民族主義者たちであったが、ド・ゴールがアルジェリア独立を推進し、承認したことによって、『ド・ゴールはフランスの裏切り者』と決めつけていた。
この事件をヒントにして、作家フレデリック・フォーサイスが『ジャッカルの日』を書いている。
ジャッカルは犬に似た動物で、日本風に云えば狼か山犬と云うことになる。
小説の題名にある『ジャッカル』はOSAからド・ゴール殺害の依頼を受けたイギリス人暗殺者のコードネームであるが、『他人のお先棒を担ぐ人』と云う意味合いもある言葉である。
実際、OSAはこのド・ゴール暗殺計画を『ジャッカル』と命名していた、と噂されている。
クラマール地区と云うのは古代のメンヒルがあり、フランス革命で処刑され人々の墓地がある場所である。
山犬は古代エジプトにおいてはアヌビス神であり、墓地の守護神とされている。
因みに、パレスチナ自治政府大統領、PLO(パレスチナ解放機構)議長であったヤーセル・アラファト氏が放射性物質を飲まされ、体調を崩して運び込まれたのがフランス・クラマール地区にある病院であった。そこでアラファト氏は死亡した。亨年75歳であった。
生前、アラファト氏はその顔立から、イスラエル国の一部の人々の間では『パレスチナのジャッカル』と呼ばれていたと謂う。
因みに、パレスチナ自治区にはイエス・キリストが誕生したナザレの地があり、住人はアラブ人であるが、その7割はキリスト教徒であるとされる。
越の風華109;第一の殺人事件発生(山下公園殺人事件)
2013年5月16日(木) 午前11時ころ 氷川丸が係留されている横浜港・山下公園
氷川丸は、1930年(昭和5年)に米国シアトル航路を運航する貨物船兼旅客船として日本郵船によって建造された。現在は横浜市指定有形文化財の観光展示館として山下公園に面した横浜港に係留され、海に浮かんでいる。戦時中は病院船として活躍し、3度も機雷に触れたが無事であったと云う強運の船である。埼玉県さいたま市にある武蔵国一の宮・氷川神社にちなんで命名された船で、操舵室には氷川神社の祭神・須佐之男命を勧請した神棚が祀られている。船の内装はフランス人デザイナーであるマルク・シモン氏が手掛け、アールデコ調に仕上がっている。氷川丸は船底が貨物室や機関室があるDデッキ、その上には機関室や三等船室があるCデッキ、その上の階が一等食堂のあるBデッキである。Bデッキ一等食堂入口前から中央階段を上るとAデッキ船内郵便局前バルコニーに出る。そのバルコニーの階段側手すりには氷川神社の神紋『八雲』が鉄製鋳物の線描画としてあしらわれている。
Aデッキの上の階にはN1デッキ、船長室があるN2デッキ、無線室や操舵室があるN3デッキが設けられている。
※『八雲』神紋について;
八岐大蛇を退治した須佐之男命は奇稲田姫命を妻に娶り、二人の宮殿を建てる場所を出雲の国に見つけた。
その地を「須賀の地」と名づけ、幾重にも垣を巡らした壮麗な宮殿を建てようとした時、美しい雲がむくむくと立ち上り、荘厳な雰囲気が一帯を覆った。その時の喜びの気持ちを須佐之男命は31文字の歌に詠んだ。
『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣に』
(八重に立ち昇る雲が八重垣となって妻の住む宮殿を護ってくれる。そのようなすばらしい八重垣を作ろう)
この故事に因んで、須佐之男命と稲田姫命を祀る氷川神社の神紋は『八雲』の絵柄にされた。
山下公園の埠頭に停泊している氷川丸から一人の黒っぽい背広姿の男性が降りてきた。
そして、バラ園近くに来た時、背広を着た男性の後から歩いて来た男が興奮した声で叫んだ。
「おい、待て、C国人。」
背広を着た男性が振り返った瞬間、後から来た男は手に持っていた刃渡り25cmくらいのナイフで男性の腹部を刺した。すぐさま、そのナイフを引き抜き、もう一度胸元に突き刺し、ナイフを引き抜いた。血しぶきがあがり、刺された男性は地面に倒れ、刺した男は多量の帰り血を浴びている。
そして、帰り血を浴びた男は近くにあるベンチにまで静かに歩き、ゆっくりと腰を下した。
近くに居た通行人が119番と110番に通報したため、しばらくして救急車と警察のパトロール車が山下公園に到着した。
越の風華110;
2013年5月20日(月) 午後2時ころ 警察庁刑事局長室
朝海刑事局長と刑事局長補佐の半田警視長が警視庁公安部長・田中重吾から報告を聞いている。
「神奈川県警からの報告によると、C国大使館付き武官・陳康平を殺害した犯人は三重県津市に本拠を置く右翼・極龍愛神会の青年構成員・熊井恵太、21歳と云う事ですが、その武官・陳康平は公安部で監視対象になっていたのではありませんか?公安部では尾行者を付けていなかったのですか?」と刑事局長が報告書を見ながら訊いた。
「確かに、武官・陳康平はFBIからの報告にあった8月のテロ計画に関しての尾行対象でした。陳康平殺害事件当日の朝、1台の公用車がC国大使館正門から出て行きました。公安部員もその車を追跡したのですが、渋谷駅前のスクランブル交差点で一人の男がその公用車から降りたのまでは確認できています。しかし、駅前の雑踏に阻まれて、その男を見失いました。」と田中公安部長が答えた。
「その男がC国大使館付き武官・陳康平だったのですか?」と半田刑事局長補佐が訊いた。
「はい。未確認です。しかし、当日、他の公用車の外出はありませんでした。また外出者の中に陳康平の姿は確認されていません。したがって、公用車から降りたのは陳康平ではなかったかと思われます。目下のところ、JRや東横線などの渋谷駅監視カメラ記録を調査しています。」
「陳康平は渋谷から東横線に乗って、横浜の中華街駅まで行き、横浜港山下公園前に係留されている博物館・氷川丸の中で女性と会っていた、と云う事ですか?」と朝海刑事局長が訊いた。
「はい。陳康平を刺した熊井恵太の証言では、船内バルコニーでC国人ではないかと思われる女性と会い、小さい石板を受け取っていたと云う事です。熊井の証言によると、二人は中国語で話していたようです。なお、熊井恵太に氷川丸の監視カメラ記録映像を見せてその女性を確認しました。その女性は大きなサングラスをかけており、顔がはっきりとはしていませんし、東洋人かどうかも判断はできかねます。
そして、その女性が中華街に入って行く姿を街頭の監視カメラ映像で確認できましたが、その後の行方は不明です。全国の監視カメラ記録映像を参考にして、現在もその女性の行方や素姓などを継続調査していきます。」と田中公安部長が答えた。
「C国大使館からは何か聞けたのですかね。」
「陳康平が氷川丸に出かけていたのは知らなかったという返事でした。」
「まあ、知っていたとしても、情報部員の行動ですからその様に云うでしょうね。」
「陳康平のポケットにあったその小さい石板には『我未是木鶏 呉人』と書かれていたのですね。」
「はい。陳康平の上着のポケットから出てきた白い石板の大きさは5cm×10cmで板の厚さは0.8cmでした。その石板にはその5文字と2文字の合計7つの漢字が縦書きで彫り込まれていました。なお、白い石板は長方形ではなく上端が半円形に丸められていました。位牌の戒名にしてはちょっと変な文言ですが・・・。」と田中公安部長が言った。
「『我、未だ、木鶏たりえず。』ですか・・・。昭和6年生まれの横綱・双葉山が70連勝を逃した時に陽明学者である知人に宛てた電報の言葉ですね。暗号か、何かでしょうかね? 呉人とはスパイか特殊工作員のコードネームですかね・・・?」と半田警視長が言った。
「ところで、熊井が陳康平を刺した動機は『陳康平が神を汚した』からと云う事だが、どう云うことかね?」と朝海刑事局長が訊いた。
「はい。氷川丸の船室内バルコニーの手すりに描かれた『八雲』の絵柄に陳康平が自分の靴足を乗せて、女と中国語で話していたのが気に入らなかったようです。『八雲』の絵柄は埼玉県さいたま市にある氷川神社の神紋だそうで、熊井に言わせると、神を汚したことになるそうです。それが許せなかった、と述べています。熊井恵太は右翼ですから神様は尊敬すべきものです。特に、極龍愛神会ですからね・・・。」と田中が説明した。
「しかし、三重県津市の右翼青年が何故に横浜港の氷川丸に来ていたのかね?」
「はい。個人的な観光旅行で、明治神宮、護国神社、浅草寺、氷川神社など、関東の社寺めぐりをしていて、氷川神社を参拝した時に、神職から氷川丸のことを聞いて、見学に立ち寄ったようです。一応、目撃情報など裏は取ってあります。」
「ナイフを持ち歩いて観光旅行ですか?」と半田が訊いた。
「はい。関東の暴力団員などに絡まれた時を想定し、護身用に持ち歩いていたようです。」
「ナイフは護身用ですか・・・。」と半田が呟いた。
「しかし、熊井は何故に氷川丸の船室内パルコニーですぐに陳康平を刺さなかったのですか?」と朝海が訊いた。
「はい。氷川丸は氷川神社と関係が深いので、船内を血で汚したくなかった、と言っていたようです。」と田中重吾が答えた。
「氷川丸を汚したくなかったのですか・・・。熊井恵太は比較的冷静だったようですね・・・。」と半田が呟いた。
田中公安部長が帰った後、朝海刑事局長と半田警視長が話している。
「誰が諏訪大社と須佐乃男神社で高城六郎氏と風祭武文を殺害することを決めたのですかね?そして、月島次郎は岐阜市鷺山にある天津教岐阜分社で殺されていた。実行犯はオメガ教団のヒットマンとして、その背後で指示を出していたのは誰なのかです。弾武典の意思はこの三人を生かしてポセイドン、すなわち牛頭天王であるスサノオ命の復活を果たし、救世主の復活を阻止することにあった、と宝達奈巳師は言っていました。」と半田が朝海に言った。
「スサノオの復活と氷川神社の祭神・須佐之男命が関係する訳ですかね?」と朝海が訊いた。
「スサノオの復活は荒ぶる神の復活を象徴しています。世界を混乱の中に陥れる計画をしているのはオメガ教団の背後にいる秘密結社・ブラッククロスでしょう。」
「極龍愛神会がオメガ教団と繋がっていると考えているのかね、君は。」と朝海が言った。
「そうと仮定した場合、C国と日本の関係を悪化させる狙いがあるのではないかと。熊井は極龍愛神会の幹部から指示を受けて実行しただけでしょう。」
「観光旅行を装っているが、あらかじめに計画された殺人ですか? C国と日本を戦争に導く計画が隠されている訳ですか・・・。」と朝海が考えるように言った。
「熊井恵太がナイフを身につけ観光旅行とは考えにくいです。そして、心臓を見事に指しています。確実に殺すという意思があったと思われます。怒っているだけなら、普通は腹部を2、3回刺せば終わりです。最初に腹部を刺して抵抗する力を奪い、確実に心臓を刺したと思われるのですが・・・。あらかじめの計画なら、『陳康平が八雲の神紋の絵柄に足を上げていた』と熊井恵太は嘘をつくことも考えていた可能性がでてきます。どうせ、相手は死んでしまう人間ですからね。死人に口無しです。」と半田が言った。
「その様に考えると、陳康平が会っていた女性は極龍愛神会かオメガ教団と関係がある事になるかな・・?」
「はい、断定はできませんが、その可能性も考えられます。『八雲』の絵柄の前で待ち合わせ、陳康平が靴足を乗せるように女が仕向けたとも考えられますが、いずれにしても、熊井恵太が陳康平を殺す動機を作りあげる事になります。そして、警察を欺いたわけです。熊井恵太は現場から逃げようともせず、ベンチに座って警察が来るのを待っていたそうです。突然の事件なら慌てて逃げるのが犯人の心理です。」
「この殺人の黒幕がブラッククロスと考えた場合はその推理になるが、単に陳康平を殺すことが目的なら、別の組織が動いている可能性もあるのでは・・?」と朝海刑事局長が言った。
「日本をテロに巻き込む計画を進めている陳康平を殺し、テロ計画を阻止すると云う目的がある組織ですね。」と半田が言った。
「そう。岳内太郎が主導していると思われる影の軍団ということも考えられる。奴等は、弾武典を殺してしまっているだろうからね。そうすると、『我未是木鶏 呉人』と云う石板にはあまり意味がないかな。」と朝海が言った。
「なんとも言えません。C国によるテロ活動と関係するのかどうかですが・・・。石板は陳康平が女から受け取ってポケットに入れていたのは事実でしょう。あらかじめポケットにあったのなら、熊井は、あのような証言は出来ないでしょうから。死んだ陳康平のポケットに入っていたのですからね。」と半田が言った。
「熊井恵太が陳康平を刺した時にポケットに入れたとは考えられないかね。」と朝海が言った。
「そうですね、女が渡したとしても、熊井恵太が無理やりポケットに入れたとしいても、『我未是木鶏。呉人』と云う石板文書を残すことに何かの意味があったことになります。たぶん、この言葉には何か意味があるのでしょう。」と半田が言った。
「いずれにしても、船内で陳康平と謎の女が会っている場面を見ていた他の目撃者がいなかったどうか調べる必要はあるな。監視カメラは船内の階段バルコニーには無かったのかね・・・。」と朝海が言った。
「神奈川県警本部に確認しておきます。熊井恵太の証言にあった『謎の女が陳康平と中国語で話していた』と云うのもあやしいですかね・・・。中華街に消えた謎の女はC国人でなく日本人であったという可能性も視野に入れておく必要がありそうですね・・。」と半田は考えるように言った。
「神奈川県警本部には熊井恵太が犯人として送検させ、この事件の幕引きをさせてください。後は公安部に任せましょう。この事件の真相は追及すると神奈川県内だけでは終わらないでしょうからね・・・。」と朝海刑事局長が言った。
「あと、陳康平に関してFBIやCIAが何か情報を持っているかどうかですね。」と半田が言った。
越の風華111;第二の殺人事件発生(フランス山殺人事件)
2013年5月23日(木) 午前11時過ぎ 港の見える丘公園・フランス橋
氷川丸が係留されている山下公園から徒歩で首都高速道路・狩場線をくぐり、堀川と呼ばれる運河を越えると、港の見える丘公園のフランス山地区に至る。
フランス山とは旧フランス領事館があった場所であるが、江戸時代(1863年)から明治時代(1875年)に掛けて12年間、フランス海兵隊が駐屯していた場所でもある。
江戸時代の生麦事件でイギリス商人たちが殺されなど、攘夷派による外国人襲撃に備え、イギリスとフランスは兵隊をこの山手地区に駐屯させた。フランス山から100mくらい歩いたところに旧英国総領事公邸であったイギリス館が残っている。
山下公園から道路を越える陸橋を渡ると横浜人形の家があり、更に進んで陸橋を渡るとフランス橋に至る。フランス橋はフランス山への入口である石造りのアーチ型ゲートのことで、ゲートの上部が歩道になっているのでフランス橋と呼ばれている。
フランス橋の上で背広姿の白人男性と洋服姿でサングラスを掛けた女性が話している。そして、女性は何かを男性に手渡した。男性は手渡された物を見てから上着のポケットに入れた。女性がその場所を離れ、フランス橋から人形の家方面に歩いて行った時、フランス橋の上に留まっていた男性が突然、衝撃を受けたようにその場に倒れた。その倒れた男性の頭から血が流れ出している。
フランス橋の通行人が倒れる男性を目撃して、すぐさま携帯電話で119番通報をした。
数分後、救急車が到着し、頭を銃撃されて倒れている白人男性が死亡しているのを確認した救急隊員が110番通報した。
越の風華112;
2013年5月27日(月) 午後2時ころ 警察庁刑事局長室
朝海刑事局長と刑事局長補佐の半田警視長が神奈川県警察本部の河井刑事部長から報告を受けている。
「はい。所持していた身分証明書から殺された白人男性はアメリカ大使館・海外防衛協力部所属のロバート・バートン氏29歳でした。フランス山の植栽の手入れをしていた職人の目撃証言では、バートン氏はフランス橋の上で黄色い洋服を着た女性と話していたということです。頭部を銃弾が貫通しており、即死状態だったと思われます。銃弾はバートン氏の前頭上部から後頭下部に抜けており、弾道から判断してフランス橋のほぼ西方100mの所にあるビルの屋上か最上階あたりからライフルで射撃されたと思われます。現場検証では発射地点の特定はできませんでした。」と河井刑事部長が概略説明した。
「アメリカ大使館・海外防衛協力部所属と云う事は、バートン氏はCIA(中央情報局)要員の可能性がありますね。」と半田が言った。
「たぶん、そうでしょう。」と河井が言った。
「それで、アメリカ大使館からは何故にフランス橋で謎の女性と会っていたのかは聞けましたか?」
「いえ。何故にその場所に行っていたのかは不明との返事でした。アメリカ海軍横須賀基地へ行く、と言って外出したらしいです。」
「横須賀基地へね・・・。まあ、知っていても知らないと云う返事でしょうな・・・。」と朝海が当然と云った表情をしながら言った。
「それで、バートン氏のポケットから出てきた白い石板に彫られていたという文面は?」と半田が訊いた。
「はい。今、お渡しした報告書に書いてありますが、『八幡大菩薩 呉人』です。」と河井が言った。
「ふーん。『八幡大菩薩 呉人』ですか。先日、山下公園で殺されたC国大使館付き武官の陳康平氏が持っていた石板には『我未是木鶏 呉人』とありましたよね。」
「はい。その通りです。二つの白い石板は同じ形状、同じ大きさで、同じ材質でした。そして、石の成分を鑑識で調べたところ、石の産地はイスラエル国と云うことが判明しています。そのあたりを推察しますと、二つの殺人を教唆した人物、あるいは組織は同一であると思われます。」
「熊井恵太の証言では、背後関係については無い、と云うことでしたな。」と朝海が言った。
「はい。今までのところはそうでした。しかし、今回の殺人事件を考察すると、熊井の証言も当てになりません。すでに送検は済んでいますので、検察での尋問を依頼します。」と河井が言った。
「よろしく、推進してください。」と朝海が言った。
「アメリカ大使館から何かコメントは来ていますか?」と半田が訊いた。
「今朝、捜査状況についての報告要請がありましたので、報告を口頭でしました。C国大使館の陳康平氏の殺害事件についても聞かれましたので、情況を説明しました。今後も殺人事件として捜査継続していきます。」と河井刑事部長が答えた。
「しかし、陳康平の場合は殺人犯を残し、今度のアメリカ人の場合は犯人が不明ですか。何か意味がありますかね。そして、石板に彫り込まれた漢字の意味は何ですかね。」と朝海刑事局長が呟いた。
越の風華113;
2013年5月27日(月) 午後3時ころ 東松山駅前の大和探偵事務所
調査依頼がなく、暇を持て余している私立探偵の大和太郎は応接用の長椅子に寝転びながら、取り留めも無く、考え事をしている。
そして、FM放送ラジオからコーラスグループのフィフス・ディメンション(The 5th Dimension)による『輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン(Aquarius/Let The Sunshine In)』の歌声が流れ始めた。
♪ When the moon is in the 7th-house ♪ 月が第7室に在り、
♪ And Jupiter aligns with Mars ♪ 木星が火星と一列に並ぶ時
♪ The peace will guide the planets ♪ 平和が惑星(運勢)を導き
♪ And Love will steer the stars ♪ 愛が星座(運勢)を支配する
♪ This is the dawning of the age of Aquarius ♪ これが水瓶座の時代の始まり
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ Let the sun shine ♪ 太陽を輝かせよう
♪ Let the sunshine in ♪ さあ、太陽光(日光)を浴びよう
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・♪
※著者注記:占星学
メソポタミア文明(シュメール時代)のカルデア人によって使われていたとされる占星学において、第七室は協同の室・結婚の室と謂われ、ここに吉星があれば、すべての協同的な作業・事柄は成功と利益をもたらし、争いは平和に解決するとされている。
占星術は、占星学で定義される12個の室(星座が合体する移動しない部屋・宮)と10個の惑星(移動する)と12個の星座(移動する)の組み合わせで運命(運勢)を占う術である。
占星術の10個の惑星とは、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星である。
木星は最大の吉星。(金星が次点の吉星である。)
月と太陽は準吉星で、発光星とも呼ばれ、他の惑星に較べ、別格である。
月は人生の諸問題に新しい活気と変化をもたらす星とされる。
木星は成功、幸運、向上、膨張、保存を表わす。
火星は情熱、意思、活動力、闘争本能、対抗意識を表す。
惑星が180°の一列に並ぶとき、それは衝の座相と呼ばれ、惑星の過剰勢力を現わし、最強にして最悪の座相とされる。しかし、人生で成功した人物の出生天宮図には衝の座相が多く見られるらしい。艱難辛苦を乗り越えてこそ成功があると云うことであろうか・・・。
最近の学説によると、太陽系の惑星が太陽の周りを公転しているのと同じ様に太陽系も宇宙の中心の周りを公転しており、その周期が約26、000年とされているらしい。
地球の歳差現象を考慮すると、天球上にある春分点は25、920年かけて黄道を一周することになるらしい。
占星学では天球の黄道上(獣帯と呼ぶ)を12個の宮に分け、その一個の宮を春分点が通過するのに約2100年かかるとされている。春分点は黄道上を東から西に移動し、白羊宮、双魚宮、宝瓶宮、・・・・、の順に12個の宮を巡って行く。太陽は春分点の移動とは逆方向に巡る。(春分点は地球の歳差運動のため、黄道を一周するのに25、920年かかる。25、920÷12=2160年)
水瓶座の時代(宝瓶宮時代)とは天球図(地球上から視た宇宙空間における星座・惑星の配置図)において、(360°の黄道を12個の宮に区分けして命名された)獣帯12星座のうちの宝瓶宮の位置に春分点があるとされる時代のことである。
また、黄道12宮は2区分、3区分、4区分のグループに分けて運命を占う場合がある。
2区分は男性宮と女性宮、3区分は活動宮、不動宮、柔軟宮、4区分は火の宮、地の宮、風の宮、水の宮。それぞれの区分における宝瓶宮は、男性宮、不動宮、風の宮に属する。
なお、宝瓶宮時代には隠れていた世の中の悪が表面に現れ、洗い流される時代であるとも謂われている。(それゆえ、秘密事はバレてしまうらしい。諸兄には夢夢、隠し事には御用心ください・・・??)
※著者注記:5次元(The 5th dimension)
1次元は直線上の空間、2次元は平面空間、3次元は立体空間と定義される。4次元は立体空間に過去から未来へと続く時間軸の要素を加えた4要素空間とされる。4次元空間はアインシュタインが相対性理論の中で無限個の時間軸の存在(平行宇宙の存在)を仮定したことにより、認知されることになった。SF小説によく出てくるタイムワープ現象は平行宇宙の存在を想定して創作された空想である。
さて、5次元空間に関しては4次元要素に霊的空間(霊界)を加えた5つの要素を持った世界(空間)とする意見がある。(真偽は不明)
また、粒子の性質と波動の性質を持つ量子の存在が理論化されて以来、霊とは電磁波である光(量子)と関係されるとされてきた。量子の持つエネルギー量(運動量)を特定すれば、その量子の位置を特定できない、量子の位置を特定すれば(測定できれば)、その量子が持つエネルギー量(運動量)を確定(測定)できないと云う不確定性原理が宇宙論の世界では認知されている。(近年、不確定性原理を表すハイゼンベルグ博士の不等式は日本人・小沢の不等式に修正され、その精度が向上した)
宇宙量子力学における超弦理論によれば、宇宙空間は10次元の要素から成り立ち、宇宙紐と呼ばれる弾力性のある超微小な紐状の要素が真空中に存在しているらしい。
フィフス・ディメンション(The 5th Dimension) と云うコーラスグループは5人の歌手で構成されており、そのひとりひとりの特性を要素とした歌曲を歌うと云う意味からグループ名が出来たのであろう。そのグループがアクエリアス(宝瓶宮)時代を歌っている。フィフス・ディメンション(5次元)、意味深長な言葉である。
「木星と火星が太陽を挟んで一列に並ぶ水瓶座の時代か・・・。ユダヤの美少年予言者・ダニエルの生まれ変わりであるルル・アラブ師の話だと・・・・。」と太郎は『輝く星座』を聴きながら、占星術師のルル・アラブ師から聞いた言葉を思い出していた。
「『その時、水瓶を携えた人が天の曲がり角を横切って歩み、人の子の標と印が東の天に現れるであろう。この時、賢き人は頭をあげ、世の救いの近いことを知るであろう。』とイエス・キリストが言った、のだったな・・・。そして、太陽が双魚宮の時代の2100年間を通過し、その後に宝瓶宮に入り、新しい2100年が始まるのだったな・・・。イエスの生まれた西暦元年(AD1年)ころのローマ時代が双魚宮時代の始まりとすると、西暦(AD)2100年ころが天空神ウラノスの天王星が支配する宝瓶宮時代の始まりか・・・? 海神ポセイドンの海王星が支配する双魚宮時代の前は、軍神マルスの火星が支配する白羊宮の時代だったな。白羊宮時代にはギリシアの都市国家が参加したペロポネス戦争などがあり、二本角と呼ばれたアレキサンダー大王が東方遠征をした時代でもあったな・・・。二本角とは牡羊ことか、それとも牡牛のことかな・・・?」と太郎は思いを巡らせた。
「ギリシアと云えば、弾武典は岡山県玉野市の偽似パルテノン神殿で何の儀式をしようとしていたのだろうか? 木製のアテナ神像は岳内太郎が率いる黒鵜族によって燃やされてしまった。12干支の名前を付けられた11人はオメガ教団によって抹殺されたのだろうか? 玉比口羊神社に残されていた四角錐状のピラミッド型巨石伝説は何を意味するのだろうか? 『巨石から三つの赤い火の玉が飛び出して行った。一つは、神社の背後の臥龍山中腹にある臥龍稲荷神社へ、二つめの火の玉は岡山市内の西大寺へ、三つめは瀬戸内市の牛窓へ飛んで行った。』のだったな。牛窓町に残されている伝説。それは牛鬼の話。『八つの頭を持つ大牛・塵輪鬼を神功皇后が弓で射殺したが、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼となって再び襲って来た。住吉明神が牛鬼の角を掴んで投げて転がした。そこで、その地を牛転と呼ぶようになった。牛転が訛って牛窓となった。』のだったな・・・。なるほど、臥龍稲荷神社は神界、西大寺は仏霊界、牛窓は現世人間界と云うことか・・・。三界へ向かって同時に赤い火玉がピラミッド型の巨石から飛んで行った訳か・・・。日本地理は世界地理の縮図だったな。パルテノン神殿があるギリシア・アテネ市は日本では玉野市。玉比口羊神社はパルテノン神殿か・・。パルテノン神殿とピラミッドが重なるということか・・・。巨石の周りには水が湧き出し、小さな池の中にピラミッド型の巨石が立っていた。まるで、池の中にある小島の様だった。池の中にある小島は三女神の一柱・市杵島姫を祀る弁財天社祠を連想させるな。荒ぶる神・メドーサの生まれ変わりの市杵島姫か・・・。
臥龍稲荷神社にあった狛犬は西洋のジャッカルの姿だったが、何か意味があるのだろうか・・?
ピラミッドのあるエジプトだからアヌビス神を表しているのかな・・・。
そういえば、牛窓町の南の瀬戸内海には死んだ牛鬼が化けたとされる小さな島があったな。牛鬼の胴に相当する前島、頭の黄島、背中の青島、お尻の黒島、角に当たる中ノ小島と端ノ島。これらの島はポセイドン神殿があったエーゲ海のサントリニ島を意味するのか。ポセイドン神殿で牛の首を切り落とし、その牛の血を飲んで法を守る誓いをしたアトランティス人・・・。三つの赤い火玉が大本教の云うところの三ぜん世界である神霊界と仏霊界と人間霊界に、同時に飛んで行ったと云うことか・・・?
しかし、ブラッククロスはクルト・ボルマンが死んでしまって、後任のナンバーファイブを決めたのだろうか・・・?」
その時、事務机の電話が鳴った。
「はい。大和探偵事務所でございます。」
「アメリカ大使館のジョージ・ハンコックです。依頼があります。明日、午前十時に来て下さい。話はその時にします。」と英語で一方的に喋る声が聞こえてきた。
「判りました。明日十時に、海外防衛協力部を訪問します。」と太郎が英語で答え、電話を切った。
「しかし、断ることは許さないと云った雰囲気の電話だったな。ハンコック氏、余程に切羽詰っているのかな・・・。」と太郎は思った。
越の風華114;
2013年5月28日(火) 午前10時ころ 東京・溜池のアメリカ大使館会議室
大和太郎とジョージ・ハンコックの二人が会議机を前にし、二人並んで座っている。
「ブラッククロスが危険な動きを始めたと思われます。」とハンコックが言った。
「危険な動きとは?」と太郎が訊いた。
「神の計画の実現です。」
「神の計画とは?」と太郎が確認するように訊いた。
「神による世界統一をブラッククロスが成し遂げ、世界を統合支配すると云う計画です。」
「そのためには、失われた聖櫃を発見し、その聖櫃の中にあるモーゼ十戒の書かれた石板を手に入れ、その石板に宿る神・ヤハウェを味方に着ける必要がありますね。」と太郎が言った。
「そうです。」
「そのブラッククロスの動きとは?」と太郎が訊いた。
「C国の情報部員とCIAの情報部員が横浜港の近くで立て続けに殺されました。」
「それが、神の計画とどのように繋がるのですか?」と太郎が訊いた。
「二人とも、殺される直前に漢字が書かれたイスラエル産の小さくて白い石板を謎の女性から渡されていました。石板の大きさは横5cm、縦10cm、厚さ0.8cmです。C国の情報部員は『我未是木鶏 呉人』と書かれた石板。CIAの部員が持っていた石板には『八幡大菩薩 呉人』です。」と言って、ハンコックは太郎に石板の写真を見せた。
「『我未是木鶏 呉人』と『八幡大菩薩 呉人』ですか・・・。」と写真を眺めながら、考えるように太郎が呟いた。
「日本文化に精通している大和探偵なら何か判るかと思いましてね・・・。」とハンコックが何かを含んだ様な言い方をした。
「それで、私への依頼の内容は?」とハンコックの質問を無視して太郎が訊いた。
「もちろん、この石板の意味を解読することを含みますが、ブラッククロスの日本での動きを調査する手助けをお願いします。報酬は危険レベル2の扱いですから月額200万円です。他の条件は今まで通りです。自分の身は自分で守ってください。太郎が殺害されたとしても、CIAからの報酬はこれ以上出ません。当面の契約期限は6か月ですが、それ以後、場合によっては1か月ごとの自動継続になります。」とハンコックが言った。
「判りました。依頼をお引き受けいたします。それで、何故に二つの殺人がブラッククロスによるものと判断できるのですか? しかも、神の計画が関係しているなどと・・・。」と太郎が訊いた。
「殺されたCIA情報員はロバート・バートンと云う名で29歳でした。ロバートが調査対象にしていた人物はオメガ教団の副教祖である楯山和弘でした。そして、楯山和弘はブラッククロスのナンバーファイブであるクルト・ボルマンと連絡を取り合っていた可能性があります。しかし、残念なことに、先日、この二人は香港で殺されました。」とハンコックが言った。
「ええ、知っています。アメリカ海軍の特殊部隊・ネイビーシールズによる暗殺ですかね?」と太郎が訊いた。
「いや、アメリカ海軍がクルト・ボルマンを殺すことはありません。」
「何故にそう言いきれるのですか?」と太郎が訊いた。
「海軍情報部、FBI、CIAにとって、クルト・ボルマンはブラッククロスの実体を解明するための糸口であり突破口でした。だから、泳がせておかなければならない人物でした。海軍情報部、FBI、CIAは互いに協力しながらクルト・ボルマンを監視し続けてきました。ほとんど、監視の目を欺かれていましたがね。奴が動く時には必ず海外のホテルに宿泊します。そして、そのホテルから姿を消してしまうのです。もちろん、姿を消すための協力者は金で雇われた現地人で、事前にCIA関係者などの尾行者の妨害を依頼されていたようです。盗聴はしていますが、重要な話は別の部屋や外部で行われている模様で、我々は肩透かしを喰らうのが常でした。」
「アメリカ海軍による暗殺ではないとすると、クルト・ボルマンと楯山和弘は誰に殺されたのですか?」と太郎が訊いた。
「たぶん、ブラッククロスでしょう。CIAに監視されているクルト・ボルマンはブラッククロスにとっては危険人物です。そして、オメガ教団もそろそろその役目を終えることになるでしょう。現在のオメガ教団の動きからは何も見えてきません。ブラッククロスは世界各国の諜報機関に対する陽動作戦のためにオメガ教団を利用しているとCIAでは判断しています。」
「なるほど。ブラッククロスが自らナンバーファイブを葬り去った訳ですか。それで、楯山和弘を監視していたロバート・バートン氏もブラッククロスに殺されたと云う証拠はあるのですか?」と太郎が訊いた。
「その証拠を掴むことによって、ブラッククロスの神の計画に関する動きが判明してくるはずです。」
「なるほど、証拠を探すことを通じてブラッククロスの動きを探るわけですね・・・。神の計画の実現を阻止すると云うことですか・・・。しかし、オメガ教団を追跡する意味が無いとすれば、日本でのブラッククロスの行動には意味がないと云うことになりませんか?」と太郎が言った。
「太郎、誤解の無い様にお願いしますが、ブラッククロスによる神の計画の実現を阻止することがCIAの狙いです。オメガ教団の活動のみがブラッククロスの日本での活動ではありません。ブラッククロスの息がかかった企業組織は日本国内に多くありますし、当然、世界各国に配下の組織を持っているはずです。さて、この写真の石板はモーゼの十戒石を意味しているのではないかと考えています。ですから、この石板に書かれている漢字の意味を知りたいのです。」とハンコックが言った。
「十戒石ですか。呉人を無視すれば、5文字+5文字=10文字。すなわち、十戒を意味すると云う解釈ですかね。」と太郎が言った。
「なるほど、そう云う見方もできますかね。」とハンコックが言った。
「まず、この写真の『我未是木鶏』ですが、これは日本語『ワレ、イマダ、モッケイタリエズ』と読めます。ハンコックは日本語が判るから、この意味は理解できますよね。」と太郎は机の上の置かれた石板の写真を指で押さえながら言った。
「モッケイの意味が判らないが・・・。」とハンコックが言った。
「これは中国の故事による言葉です。モッケイとは木で出来た鶏と書きます。すなわち、無敗の闘鶏はどのような相手が目前に現れても少しも動じる風がなかった、と云われています。だから、モッケイのように何かがあっても動じることが無いと云う意味です。強い相手が来ても、私の心に不安などは起きない。不動心があり、その為に自分の力を十分に発揮できる。しかし、自分はモッケイの様にはなっていなかった、と云うのが『我未是木鶏』です。しかし、この石板の意味は、もう1枚の石板に書かれている『八幡大菩薩 呉人』と関連付けて考えると、『我未是木鶏 呉人』の意味は別にあることになります。」
「それは?」
「答えは九州の宇佐八幡宮です。『ワレ、イマダ、モッケイタリエズ』と言った相撲取りの横綱がいました。双葉山といいます。彼は69連勝していましたが、70連勝目で敗れ、その時に知人に宛てて打った電報の文面が『ワレ、イマダ、モッケイタリエズ』です。双葉山の出身地は九州大分県の宇佐八幡宮と関係が深い中津市でした。この写真のどちらの石板にも『呉人』と書かれています。かつて、昭和時代以前の宇佐神宮の表参道は西向きでした。その西参道には呉橋と云う神橋が神域を囲むように流れている寄藻川に架かっています。この呉橋と呼ばれる訳は、中国の呉の人が創健したのではないか、と言い伝えられているからです。現在、呉橋は閉ざされていますが、参拝には西大門を通じて本殿にお参りします。南大門は閉ざされています。」
「何故に2枚の石板が宇佐八幡宮と関係があるのですか? モーゼ十戒が書かれた石板と・・・。」とハンコックが訊いた。
「モーゼ十戒の石板が入っている契約の箱、すなわち、失われた聖櫃の存在場所です。」
「失われた聖櫃・・・。」とハンコックが呟いた。
「ジョージは、日本は世界の縮図と云うことをご存じですよね。」
「ええ。出口王仁三郎が唱えたことですよね。」
「九州・宇佐八幡宮の場所はエジプトの三大ピラミッドがあるギーザです。そして、宇佐の八幡神を勧請した京都府・石清水八幡宮はシリアのパルミラ遺跡です。そして、石清水八幡は鎌倉の鶴岡八幡宮に勧請されました。鎌倉・鶴岡八幡宮の世界地図での場所はカンボジアのアンコール・ワットがある場所です。」と太郎が説明した。
「そのアンコール・ワットの地図を2か月前に殺された海軍情報部のクリントン中尉が持っていた。」
「クリントン中尉の件をご存知でしたか。」
「CIAにもFBIから情報がはいっています。」とハンコックが言った。
「失われた聖櫃がアンコール・ワットにあると私の恩師であるD大学の藤原教授は推理しています。」
「なるほど。この二つ石板の殺人事件は失われた聖櫃を発見するための儀式ですか?」
「殺されたひとが生贄だったかどうかは判りません。単に、ブラッククロスの秘密を知っているために殺されたと云うことも考えられますが・・・。謎の女性からイスラエル産の石板を渡された理由が何かですね。」と太郎が言った。
「謎の女性が石板を情報部員に渡した意味が何かですか・・・。」と考えるようにハンコックが呟いた。
「何か、思い当たりますか、ジョージ?」と太郎が訊いた。
「実は、類似の殺人事件がアメリカ西海岸のワシントン州・シアトル市とテキサス州・フォートワース市、そしてニューヨーク市で起きています。シアトルではイタリア系人のFBI潜入捜査官、フォートワースでは韓国系人のCIA情報部員が謎の女性から石板を渡された後に射殺されました。ニューヨーク市の自由の女神像の前ではドイツ系人のアメリカ海軍情報部員が殺されました。その三人は、クルト・ボルマンを調査していました。更に、イスラエルのエルサレムでもモサドの情報部員、イギリス・ロンドンではMI6の情報部員、フランス・パリでも同様の射殺事件が発生しています。すべて、謎の女からイスラエル産の小さな石板を渡されていました。横浜の事件と同じように、石板に何か文字が書かれていたという情報は届いていません。それについては再確認しておきます。」
「なるほど、世界同時多発殺人ですか。今までのお話を総合すると日本で二人、アメリカで三人、イスラエルで一人、イギリスで一人、フランスで一人ですから、合計8人の方が殺されたことになりますね。しかも、国際色豊かな情報部員たちを狙った殺人事件ですか。それでブラッククロスが神の計画の実現に向かって行動を起こしたとCIAは考えた訳ですか・・・。いずれの事件にも謎の女性とイスラエル産の白い石板が絡んでいるのですか・・・。」
「まだ報告は入っていませんが、ロシアなどでも情報部員が殺されている可能性も推測されます。ブラッククロスの具体的なテロ目標を早急に見つけ出し、その対策を講じる必要があります。殺された情報部員たちはブラッククロスの何かを知っていたから殺されたとも考えられますが、それはこれからの調査で明らかにして行くしかありません。」
「あるいは、狙いはテロ以外にあるのかも知れないですね。ロシアなど他国の情報部員が二人殺されていると仮定すれば10人が死んでいる事になりますが・・・。ブラッククロスの『ナンバーテン計画』と云うことでしょうかね・・・。とすると、十枚の石板はモーゼの十戒石ですかね・・・? 十人の生贄と仮定した場合、それで何を始める心算なのかですね・・・。さて、殺されたのは八人か、それとも十人か・・・? ところで、私の行動計画はどの様になりますか?」と太郎が訊いた。
「明日の午後2時からこの場所でプロジェクト会議を行います。プロジェクトのコード名称は『BC』です。その時に、参加するプロジェクト要員たちと意見交換を行い、プロジェクトの方向性と参加各員の行動計画を決める予定です。太郎もその時までに自分なりの考え、情況の推理をまとめておいてください。ブラッククロスの狙いを想定し、行動計画を練らなければなりません。」とハンコックが言った。
「ところで、CIAではキプロスの庸兵組織『春雷』の動きについて何か情報を持っていますか?」と太郎が訊いた。
「庸兵組織『春雷』ですか?記憶にない組織ですね。後で、CIA本部のデータベースの庸兵組織ファイルから検索しておきます。あと、質問がなければ、明日の午後2時に再度、ここに来てください。」
「判りました。それでは、また。」
そして、ハンコックは太郎を大使館の門まで送って行った。
越の風華115;
2013年5月29日(水) 午後2時ころ 東京・溜池のアメリカ大使館会議室
「これより、プロジェクト『BC』の初回会合を始めます。」とジョージ・ハンコックが英語でプロジェクト会議の開始宣言をおこなった。7人が出席し、会議は英語を用いて行われている。
「事前にお知らせ致しましたが、本プロジェクトの目的は世界的秘密結社・ブラッククロスの最近の活動動向とその目的を確認すること、及びその組織実態を捉えることにあります。彼らの不穏な活動に終止符を打つ役目は世界各国の国家レベルの組織が行います。その各国家組織にブラッククロスの動向情報を提供するのがプロジェクト『BC』の役目です。では、最初に私の方から本プロジェクトの構成メンバーを紹介します。お互いに顔見知りの方も居ると思いますが、初めて顔を見ると云う方もいるでしょうから、各メンバーの特技や性格を簡単に紹介します。補足することがあれば、その時に自由に発言してください。それでは、最初は私立探偵の大和太郎氏です。そちらに座っている人物です。」とハンコックは言いながら、大和太郎を見た。
太郎は椅子から立ちあがり、周囲に対して会釈した。
「国籍は日本です。埼玉県内に事務所を持つ私立探偵です。年齢は省略します。北辰空手の有段者です。日本の神様古代史やユダヤの歴史などに精通しており、大学時代は神学部で新約聖書、旧約聖書に関する知識を習得したとのことです。日本の歴史と西洋の歴史を比較検討する能力は抜群です。また、数年前にはFBI,アメリカ海軍情報部、日本の自衛隊員と協力してアメリカ国内で行なわれていたブラッククロスの幹部会議を盗聴することに成功しています。その盗聴が契機となってブラッククロスの動きが明らかになってきました。彼の最大の特徴は推理力と行動力です。このような処ですが、大和探偵、何か補足したことはありますか?」
「いえ、何もありません。いろいろとおほめ頂き、ありがとうございます。」と大和太郎が言った。
「次は、私立探偵のスティーブ・キャラハン氏です。」
キャラハンが立ち上がり、周囲の参加者に会釈した。
「現在、アメリカのワシントン市内に事務所を構える私立探偵です。サンフランシスコで事務所を開いていたころには中東の国王一族のボディガードをしていた人物です。したがって、中東の各国の中枢人物にも知人が居り、中東の政治情勢にも精通しています。また、先の大和太郎氏と共にブラッククロスの会議の盗聴に参加していた人物でもあります。CIAやFBIの依頼事項の調査協力も多数経験しています。大和氏と同様に北辰空手5段の実力者であります。銃器の扱いにも慣れています。ステイーブ、何か補足がありますか?」
「ああ。賞金稼ぎを副業にしています。アメリカ合衆国から指名手配されていたテロ犯罪者を数人捕らえた経験もあります。」とスティーブ・キャラハンが言った。
「次は、元イスラエル諜報特務庁・モサドのヘンリー・コーエン氏です。モサド時代にはドイツのネオ・ナチズムに関する情報収集活動を担当していた人物です。現在はアメリカのシアトルで私立探偵をしています。アメリカ西海岸のギャング相手にボディガードなどの経験もありますが、CIAの依頼でアメリカ国内の秘密結社に関する調査や情報収集の仕事をしたことのある人物です。また、ヨーロッパの秘密結社の状況にも精通ししています。銃器の扱いには慣れています。また、皇道館柔道6段の実力派です。ヘンリー、何かありますか?」
「いや、特にないです。」
「次は、イギリス諜報部・MI6(エムアイシックス)のリチャード・ドイル氏です。現役の情報部員です。ブラッククロス担当として諜報部員との連絡役を主な任務として活動している人物で、断片的な情報を組み合わせて総合的に判断するインテリジェンス能力に秀でた人物です。今回のプロジェクトの発案者でもあります。今回のプロジェクトに関して現地活動をする諜報部員とのコンタクトを担当していただきます。リチャード、何かありますか?」
「特にないです。皆さん、よろしくお願いします。」と低い声でリチャード・ドイルが挨拶した。
「次は、フランス対外治安総局・DGSEのアラン・ギャバン氏です。DGSEでは作戦局に所属されています。北アフリカ地域に於おける反政府組織への対テロ作戦の計画策定および実行指導を担当されている現役職員です。本プロジェクトでも行動計画の立案と作戦実行のための物品調達を担当してもらいます。ギャバンさん、何かご意見はありますか?」とハンコックが訊いた。
「情報活動における目的・目標は、戦争で云えばどの地域を手に入れるかと云う戦略と同じです。戦略目標を手に入れ、目的を達成するには戦術が必要です。目的を達成するための作戦を成功させるためには戦術が正しく使われなければなりません。すなわち、作戦の成功には、プロジェクトの構成員が作戦目的と具体的な目標をはっきりと理解していることが必須です。情報活動における戦術はお金の使い方です。適正な人物を選び、その人物に適正なお金を使わせることによって有効な情報が手に入いると同時に、適正な工作行為が実行されます。どの活動現場においても想定外の事が発生します。その時に作戦目的を忘れた手段を実行すれば、プロジェクト全体のバランスが崩れ、作戦失敗の要因となります。皆さんには、くれぐれも適正な戦術を選択するように注意を払っていただきたいと思います。」とギャバンが持論を展開した。
「アラン・ギャバンか・・・。フランス人は感覚的な人間が多いと思っていたが、やけに理論的な人だなあ。」と太郎は思った。
「次は、アメリカ海軍のナンシー・イーストウッド中尉です。職務は潜入調査官です。諜報員ではなく、海軍に関係する事件解決にむけ、現地に潜入して情報収集活動を行う海軍特殊捜査官です。銃器には精通していますし、東野流合気道の4段でもあります。不用意に襲い掛かると弾き飛ばされたり、引き廻されたりしますので、皆さん、ご注意を。今回はニューヨークの自由の女神前で海軍情報部員が殺された事件の情報収集活動と云う名目で海軍から特別許可をもらいプロジェクトに参加してもらいました。ナンシー、何かありますか?」
「特にありません。皆さん、よろしくお願いします。」とナンシーが言った。
「最後になりましたが、アメリカ中央情報局CIAのジョージ・ハンコックです。このプロジェクトを統括いたします。今回のプロジェクト活動に必要な資金調達の折衝は私が行います。よろしくお願いします。さて、皆さんの紹介が終わったところで、MI6のリチャードから本プロジェクトの目的・目標に関して具体的な説明してもらいます。リチャード、お願いします。」とハンコックが言った。
「先ほどジョージからも説明がありましたが、改めて目的と目標について説明します。目的は世界的な秘密結社であるブラッククロスの活動の狙いが何なのかを知ることです。何故に各国の情報部員を連続に殺害したのか。しかも、殺した相手にイスラエル産の小さな白い石板を持たせた理由が何なのか。我々の目的を達成するための目標はブラッククロスの資金源と活動組織の実態を明らかにする事です。現在、各国の諜報機関がブラッククロスを追跡していますが、その実態を掴めていません。そして、各国のブラッククロス担当の諜報員が連続して殺害されると云う事件が発生してしまいました。CIAが監視していたブラッククロスの資金源のひとつであるファウスト薬品の創業者であるクルト・ボルマン殺された今、各国の諜報機関が持っているブラッククロスに関する情報を総合して対応しなければ、ブラッククロスの主導による世界的な混乱が発生する可能性も想定されます。皆さんの献身的な努力を期待する次第です。さて、アラン・ギャバン氏に作戦の立案をお願いすることになるのですが、その為にはまず、皆さんが持っている情報を提示していただかねばなりません。よろしく、お願いします。どなたからでも好いのですが、何か出してください。」とMI6のリチャード・ドイルが言った。
越の風華116;
2013年5月29日(水) 午後6時ころ 東京銀座のステーキレストラン・A牧場
大和太郎とスティーブ・キャラハンが食事をしながら話している。
「今回の仕事は本当にCIAの仕事と思うか? 太郎。」とキャラハンが言った。
「どういう意味だ? スティーブ。」と太郎が訊き返した。
「以前にも言ったと思うが、ジョージ・ハンコックはビッグストーン・クラブの匂いがプンプンする奴だ。それに、MI6、モサド崩れの探偵野郎、それにあのフランス野郎に海軍女。こいつらも、俺にはビッグストーンの匂いがする。太郎、どうだ?」とキャラハンが言った。
「白い石板がモーゼの十戒石を意味すると考えれば、十戒石を追い求めているビッグストーン・クラブが動くのは判るがな・・・。まあ、われわれにとっては仕事の報酬が入れば、CIAでもビッグストーンでもどちらでも好いじゃないか。あまり深く考える必要はないと思うがな。」と太郎が言った。
「まあな。アメリカ政府など世界各国の政府中枢自体がビッグストーンに乗っ取られている可能性もあるしな。」とキャラハンも諦めたように言った。
「ところで、いつから中近東に行くつもりだい、スティーブ。」と太郎が訊いた。
「明日、アメリカに帰ってからサウジアラビアで皇室の警護をしている友人に電話連絡を入れて、計画を練る。一週間後には中近東に渡るつもりだ。BCプロジェクト会議でも出た、キプロスのギリシア人庸兵組織『春雷』に関しても詳しい情報を集める必要がありそうだ。ところで、太郎はどうするのだ。」とキャラハンが訊いた。
「香港・マカオに行く前に、カンボジアのアンコール・ワットを訪問するつもりだ。今回の連続殺人事件がモーゼの十戒石と関係あるとすれば、アンコール・ワットに謎を解くカギがあると考えている。」と太郎が言った。
「アンコール・ワットに失われた聖櫃があるとでも云うのか?」
「その可能性があると推理している。」
「一体全体、どう云うことだ?」とキャラハンが訊いた。
ブラッククロスへの諜報活動を行っていて、葉山マリーナで遺体が発見されたアメリカ海軍情報部のクリントン中尉が持っていたアンコール・ワットの平面図の事や、その地図の十字回廊の部分に印が付いていたことを太郎はキャラハンに話した。更に、世界の縮図である日本の鎌倉市にある鶴岡八幡宮の場所が世界地図のアンコール・ワットの場所に相当すること、鶴岡八幡宮の祭神・八幡大神がユダヤ人の神・ヤーウエの日本での神姿ではないかとする太郎の考え方をスティーブ・キャラハンに話した。
「なるほど、それで、アンコール・ワットにモーゼの十戒石が入っている聖櫃があると考えたのか。まあ、ブラッククロスが世界統一に神の力を利用しようと考えていると云う噂は、俺も聞いたことがあるが・・・。確か、エレミヤの予言は『終りの時、神が聖櫃の在り場所を教える』だったな・・・。」とキャラハンが考えるように言った。
「まあ、そう云うことだ。」と太郎が言った。
越の風華117;
時間が遡る
2013年4月1日(月) 午前10時ころ アラブ首長国連邦・ドバイの国際会議場
九州のB大学文学部史学科の曽我健三教授が大会議場の壇上で、背後の大型スクリーンに映し出された映像を指し示しながら英語で講演している。
曽我教授は世界ペトログラフ(岩刻文字)学術協会の2013年度総会の特別ゲスト講演者として招待されたのであった。
講演の題目は『日本の神官文字・カタカムナの正体を推理する』であった。
曽我教授と同様に、総会二日目の特別ゲスト講演者であるD大学の藤原大造教授も会場の聴衆席に座って、講演を聴いている。
大きな会場の聴衆席は満席ではなく7割程度が埋まっている状態で、ちらほらと空席がある。
会場前列中央に座っている藤原教授の両隣りも空席であった。
「・・・・・。紀元前3000年ころの岩刻文字・ペテログラフであるエジプト象形文字はその後、オベリスクなどの石碑に碑文を書くための聖刻文字と、それを簡素化してパピルス紙に速記するのに使われたとされる神官文字に形をかえて発達しました。一方、カタカムナ文献は日本の古代神官の子孫を名乗る平十字という人物が1949年に、日本の兵庫県六甲山系の保久良神社近くで電波の研究をしていた楢崎皐月と云う人物に見せた神官文字の文書です。保久良神社のある金鳥山は風吹き岩・ロックガーデンと呼ばれる山麓地域のある芦屋市に繋がっているところから、楢崎皐月は、中国の満州に住んでいたころに中国人老師から聞いたことのある古代日本のアシヤ族が使っていた文字ではないかと考えたようです。○(丸)や半円と十の字の組み合わせを主体とした幾何学紋様の図象文字であるカタカムナ文字は人類に何を伝えてくれるのでしょう。現在残されているカタカムナ文献は、その原本を芦屋道満と名乗る陰陽師によって書き写されたと思われる巻物によっており、その巻物を楢崎皐月が大学ノートに書き写したものです。その原本の正体は判っていません。また、楢崎皐月などの研究によれば、カタカムナ文字は発音記号であるとも謂われています。すなわち、カタカムナ文字は表音文字と考えられています。芦屋道満は950年ころに現れ、様々な呪術や占星術を駆使した人物とされています。この芦屋道満は陰陽師・安倍晴明と呪術比べをして負け、安倍晴明の弟子になったと云います。安倍晴明が唐時代の中国に渡って呪術の修業に行っている間に、芦屋道満は安倍晴明が持っていた陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』を書き写したした云う話が残されています。芦屋道満は芦屋市より30kmくらい西にある播磨地域の出身とされています。なお、播磨地域は陰陽師たちの故郷とも云われています。金鳥山にある保久良神社には椎根津彦命が主祭神として祀られています。椎根津彦命は日本国を創建した大和朝廷の神武天皇を、淡路島と明石市の間にある、速吸門と呼ばれたこの場所、明石海峡で待ちうけて神武東征の協力を申し出た人物です。ここ、明石海峡は播磨地域にある播磨灘海域東端部の町であり、椎根津彦命は芦屋道満と同じく播磨地域の住人であったと推定されます。芦屋道満がアシヤ族の人間とすれば、椎根津彦命もアシヤ族の人間であったと推定でき、カタカムナ文献を持っていた神官の子孫である平十字がこの金鳥山がある地域に現れたのも納得できます。さて、陰陽師たちは三国相伝といって、占星術などの知識や技術が天竺・インドから中国を通じて日本に伝わったと考えていたようです。もしも、芦屋道満が書き写した原本文献が『金烏玉兎集』か、あるいは陰陽道に関する他の秘伝書であるならば、その内容は何かを召喚する呪文である可能性もあります。それはペルシアからインドに伝えられたゾロアスター教に起源を発している呪文かもしれません・・・・・・・・云々。」と曽我教授は講演を続けていた。
※ゾロアスター教:ゾロアスターはドイツ語読みではツアラツストラー。拝火教とも謂われる。
ゲーテの著作『ツアラツストラーはかく語りき』で有名。
講演を聴いている藤原教授の横の席にひとりの白人男性が座った。
そして、囁くように言葉を発した。
「プロフェッサー・フジワラ。お元気そうですね。」と男が英語で言った。
その声を聞いた藤原教授が横を見た。
「ああ。確か、トゥーレ財団のカール・クリューガーさん。」と驚いたように教授が言葉を発した。
越の風華118;
遡った時間
2013年4月1日(月) 午後4時ころ ドバイにある高層ホテルの一室
曽我教授の講演が終わった後、藤原教授と曽我教授は世界ペトログラフ学術協会主催の昼食会に出席した。
そして、その後、カール・クリューガーが指定したホテルの最上階の部屋を訪れていた。
クリューガーと藤原教授、曽我教授の3人が応接セットのソファに座って話し合っている。
そして、クリューガーから寄付を受けた一億円の一部を使って行った実験の話を藤原教授がした。
「そうですか、赤紫の朝焼色の光を受けて、大きな霊体の裸弁財天が鹿島灘の見目浦に現れたのですか・・・。そして、裸弁財天の持つ筑紫琴・三弦琵琶の中から黒い鳥が飛び立ち、鹿島神宮と同じように勝利に導く神である香取神宮に向かったのですか・・・。ふーむ、黒い鳥ですか・・・。」とクリューガーが藤原教授の話を聞いて、地中海で黄金の羽根の彫像に太陽光が当たり、裸のビーナスが誕生し、そして、海神ポセイドンが現れて裸のビーナスを連れ去ったことを思い出していた。
「見目浦は北緯35度58分にあるのか・・・。ビーナスが誕生した場所も北緯35度58分であったな。荒ぶる神・メドーサはエーゲ海で裸のビーナスに戻った。それにしても、海神ポセイドンはどのようにしてアレキサンダー大王を復活させるのだろうか・・・?そのヒントをこの二人の教授から聞き出したい。きっと、日本の神話にその答えがあるはずだから・・・。」とクリューガーは思い、腕を組んだ。
「ところでクリューガーさん。私たちに訊きたい事があると云うことですが?」と藤原教授が言った。
「日本の神に関する質問があります。」とクリューガーが言った。
「どのような神様でしょうか?」と藤原教授が訊いた。
「スサノオと云う神様に関するいろいろなエピソードを知りたいのですが。」
「須佐之男命のことですか。」
「スサノオとは『スーサの王』と云う意味と捉えていますが、どうでしょうか?」とクリューガーが付け加えて訊いた。
「『スーサ』とはペルシア時代に『王の都』と呼ばれた都市のことでしょうか?」と藤原教授が訊いた。
「そうです。ヘブライ語ではシュシャン、ペルシア語でスーサ。現在はイランの都市・シューシュ。古代にはアクロポリスの神殿があった場所です。」とクリューガーが言った。
「そして、ユダヤの予言者・ダニエルの墓がある都市。そして、アレキサンダー大王に滅ぼされ、支配された古代ペルシアの都市。」と藤原教授は占星術師ルル・アラブ師から聞いた話を思い出して付け加えた。
「『スーサ』の事をご存じなら話が早そうですな。そうです、アレキサンダー大王に相当する日本の古代人物、或いは古代の神の存在とそのエピソードを知りたいのです。」とクリューガーが言った。
「スーサの王、すなわち、アレキサンダー大王ですか。なるほど。」と曽我教授が呟いた。
「須佐之男命には復活伝説があります。」と藤原教授が言った。
「復活伝説がある?」と言いながらクリューガーが身を乗り出した。
「その伝説は『三国相伝陰陽?轄・金烏玉兎集』と云う文献、陰陽師すなわち古代日本の占星術師たちが創りだした文献に載っています。曰く『スサノオは末代になって疫神となり、八将軍神とともに国を乱すために戻って来る。その時、[蘇民将来]と云う名札を出している家は滅ぼさない。』と謂うのです。」と藤原教授が内容を少し脚色して言った。
「スサノオは疫神になるのか・・・。そして、8人の将軍神を従えているのか・・。」とクリューガーが考えながら呟いた。
「もう少し付け加えますと、この文献に登場するスサノオはチベットに聳える牛頭山の神と云う事になっています。京都祇園にある八坂神社の祭神は牛頭天王ことスサノオ命です。そして、八坂神社の祇園祭りで行列の先頭に登場する山車・長刀鉾にはチベット高原に生息する特殊なヤギの毛で織られた絨毯が飾られています。」と藤原教授が言った。
「疫神・スサノオはチベットに現れると云うことか・・・?」とクリューガーは思った。
そして、質問した。
「ゴズテンノオ(牛頭天王)とはどういう意味ですか?」
「牛の頭に関係する事柄を持つ、天から舞い降りた大王と云うことでしょうか。」と藤原教授が言った。
「牛の頭に関係がある大王・・・。アレキサンダー大王の愛馬ブケパロスには腰から膝にかけて牛の頭の模様があったと謂われていたな。また、中央アジアでのアレキサンダー大王の異名は『二本角』だった。そうすると、牛頭天王が奪った巨旦大王の支配土地とは、アレキサンダー大王が征服したエジプトからペルシアの中東地域のことになるのか・・・。天から舞い降りたとは、幽霊界から舞い戻ると云うことだろうか。牛頭天王ことスサノオは末代になって疫神となり、八将軍神とともに国を乱すために戻って来るのか・・・。」とクリューガーは思いを巡らせた。
「須佐之男命の復活に関する伝説は簡単に云えば以上ですが、その他に何かご質問はありますか?」と藤原教授がクリューガーに向かって言った。
「三国相伝とはどういう意味ですか?」とクリューガーが訊いた。
「インドから中国へ、そして日本に伝わったという意味です。」
「なるほど、インドが発端ですか・・・。さらに、鎌倉にある鶴岡八幡宮の祭神についての話をお聴きしたい。」とクリューガーは言いながら、アレキサンダー大王の東方遠征はインドの手前で引き返した事を思い出していた。
「鶴岡八幡宮の祭神は八幡大神と比売大神と神功皇后です。この神様方については曽我教授の方が詳しいと思います。曽我さん、お願いできますか?」と藤原教授が言った。
「判りました。お話いたしましょう。」と曽我教授が応えた。
「八幡大神のお話をするには、九州大分県の宇佐八幡宮の話から始めなければなりません。
西歴571年(欽明天皇32年)、三輪一族の大神比義と云う霊能者がその宇佐の地で八幡大神出現の白昼夢を霊視しました。最初は3歳の童子として現在の宇佐八幡宮にある菱形池の畔の泉湧く所に現われました。そして、『我は誉田天皇である八幡麿なり』と言った後、すぐさま黄金の鷹に変身し、川の東岸にあった松の樹に止まったそうです。この松樹があった場所に708年(和同元年)、鷹居社お祠を建て、そこに八幡麿を祀ったのが宇佐八幡宮の創健です。この菱形池の畔の泉湧く所には鍛冶をする老人や八つの頭を持つ龍が現れ、これを見た人が病気になったので、大神比義が三年間の断食をしながら厄神退散の神業を行っていた時に八幡大神が現れたということです。その後の733年、宇佐嶋の地に古くから祀られていた比売大神・三女神が神託により八幡大神の近くに設けた二の御殿に祀られました。三女神とは宗像大社の祭神である市杵島姫、湍津姫、田心姫です。」と曽我教授が言った。
「おお、宗像三女神、あのゴルゴン三姉妹に相当する女神たち。」とクリューガーが驚いて呟いた。
「比売大神・三女神が西の果ての玄界灘に浮かぶ島々にある時は荒ぶる神でしたが、この宇佐嶋の地に天下った時には、本来の美しいお姿の姫神様たちだったと思われます。また、甕依姫によって改心した後は宗像大社の祭神として海を守護する女神に成ったと考えられます。」と藤原教授が付け加えた。
「アテナ女神たちによってゴルゴン三姉妹に変身させられるまでは美しいビーナスであったメドーサたちか・・。」とクリューガーは思った。
「宗像三女神は天照大御神が、須佐之男命が持っていた十挙剣を噛み砕いて生まれ出た姫神たちです。十挙とは十個の握り拳の長さ、すなわち1mくらいの長さを意味しますが、別の意味を表す言葉とも謂われています。」と曽我教授が言った。
「別の意味とは?」とクリューガーが訊いた。
「十の戒め、あるいは、十種の呪文であると云う学者もいます。」
「十戒か十呪文・・・。それとも十字架か・・・。」とクリューガーは思った。
「その後の823年、誉田天皇の母親である神功皇后も神託によって三の御殿に祀られました。伝説によると、誉田天皇こと応神天皇と神功皇后の活躍した時代は2世紀、あるいは4世紀ころとされていますから、宇佐神宮に祭祀されたのは、その死後300年以上経ってからと云うことになります。むしろ、比売大神・三女神の方がはるか古代から宇佐の地に祀られていたのです。それは、日本の天皇家の先祖とされる神武天皇が東征をされる以前からと考えられています。なお、藤原教授の説では、神武東征とはモーゼの出エジプトを意味するようです。」
「なぜ、モーゼの出エジプト、エクソダスなのですか、藤原教授?」とクリューガーが訊いた。
「以前にご説明申し上げましたが、日本は世界の縮図です。そして、アフリカ大陸のエジプトにあるギーザは日本の宇佐の地に相当します。そして、九州・高千穂峡を出発した神武天皇は宇佐の地で比売大神・三女神のご加護を祈願した後、『男の水門』と呼ばれた紀伊半島の串本に上陸します。『男の水門』とはアフリカ大陸とアラビア半島の間にある紅海の南端にあるバブ・エル・マンデブ海峡に相当します。そして、イスラエルのあるカナンの地は日本の大和の地、すなわち神武天皇を祀る橿原神宮がある奈良県橿原市近辺に相当します。」と藤原教授が自説を展開した。
「神武東征がエクソダスを意味するとすれば、契約の箱も運ばれていたのですか?」とクリューガーが訊いた。
「契約の箱の中にはモーゼ十戒、すなわちユダヤの神ヤーウエの言葉が石板に刻まれて入っていました。神武天皇に仕えていた物部氏は十種神宝と呼ばれる呪法をシナイ半島に相当する国東半島で神から授かったとされています。しかし、十種神宝とモーゼ十戒の内容は異なります。ところが、モーゼはヤハウエから謎の呪法を授かっていたとされる謎の文献が絶対禁書としてバチカン図書館に保管されています。その文献の中に第6モーゼ書と呼ばれる文書があり、その内容は十種の呪法であるとされています。夜になるとヤハウエは契約の箱に舞い降りることは行いましたが、常に契約の箱の中にいた訳ではありませんでした。ヤハウエが日本の八幡大神となって現われるのは自分の足跡を地上に示すためです。それは八幡大神が国東半島の宇佐神宮から京都の石清水八幡宮、そして鎌倉の鶴岡八幡宮へと勧請移動したことが、シナイ半島からイスラエルのソロモン神殿、そしてアンコール・ワットへと契約の箱が移動したことに相当することを示す目的があったのだと、私は推理しています。」と藤原教授が言った。
その時、
「藤原教授。この男は私と同じ推理をしているな・・・。」とクリューガーは思った。
そして、
「カール・クリューガー。この男も私と同じ考えをしているな。」と藤原教授はクリューガーの表情から悟った。
「アンコール・ワットの話が出たので付け加えることがあります。」と曽我教授が続けた。
「宇佐神宮は日本の神様を仏教の仏様が助けるとする神仏習合の発祥地でもあります。平安時代のころには神様の本来の姿は仏様だとする本地垂迹説が主流となり、宇佐神宮は弥勒菩薩を祀る神宮弥勒寺とも呼ばれていました。そして、宇佐神宮弥勒寺では西から来る人のために、西参道に呉橋が弥勒寺仁王門の前に設けられました。1938年(昭和13年)に弥勒寺仁王門は取り壊されましたが呉橋は現在も残っています。西から来る人とは中国の呉国の人とされ、そのために呉橋と名付けられたと謂います。呉国とは、古代中国の北部を支配した魏、南西部を支配した蜀、南東部を支配した呉など、三国鼎立時代に存在した国の事です。呉国の領土域は水運が発達していて、現在の香港・マカオとなった海辺の街や漁村がありました。また、呉の都・杭州から長江(陽子江)をさかのぼると蜀の都・成都に至り、さらにはチベット地域に到達できます。ところで、アンコール・ワットも西からの道が正面参道です。アンコール・ワットにとって西から来る人物とは誰なのでしょうかね・・・。」
「西から来る人物は呉人か。それはチベットに現れる中国人・スサノオと云うことなのか・・・?そして、その人物はスーサの王、アレキサンダー大王の生まれ変わりでなければならない。ギリシア神話の海神ポセイドンが導く男でなければならない・・・。その男がブラッククロスの道を切り開く。終に、神は契約の箱の在り処がアンコール・ワットであることを宇佐神宮の八幡大神となって指し示されたのだ・・・。」とクリューガーは強く思った。
「先ほどの八幡大神の伝説で登場した大神比義の事ですが、通説では九州の三輪一族とされています。しかし、三輪一族とは、大神比義の現れた時代よりも遥か古代に、奈良県・大和の地に出現しています。」と藤原教授が付け加えた。
「それが如何したのですか?」とクリューガーが訊いた。
「奈良県に三輪明神・大神神社があります。大神神社は第10代・崇神天皇の時代、推定で1世紀か3世紀ころに三輪一族の祖である太田多根子と呼ばれる人物によって創建されました。この大神神社の祭神・大物主大神は崇神天皇時代より以前に登場したことになっています。古代文献では、煌々たる光で海面を照らしながら現われた神が出雲・大国主命に言った。『我はお前の幸御魂・奇御魂である。大和国の三輪山に住みたい。』と。この逸話から、三輪明神こと大物主大神は海神と考えられます。しかも海外から来た神様です。その神が山に住みたいと言ったことは意味深長です。そして、三輪とは三つの輪を意味します。そして、三鳥居が三輪山を祀っています。」と藤原教授がいった。
「サントリニと発音するのですか?」とクリューガー訊いた。
「いえ、日本語ではサントリイですが、サントリニに繋がると私は考えています。」と藤原教授が言った。
「なるほど、海に浮かぶ山・サントリニ島。それは、海神ポセイドンを祀ったアトランティスの首都アクロポリスの丘。ギリシアの哲学者・ソクラテスが書いた文献によれば、そのアクロポリスの丘には三つの運河が同心円上の三つ輪になって存在していたと云うことでしたね。大神神社に祭られている海神はギリシア神話の海神・ポセイドンと云うことですか・・・。」とクリューガーが考えるように言った。
「藤原教授は海神ポセイドンに関係する三輪一族の大神比義が八幡大神ことヤハウエを霊視したと言いたいのですか?」とクリューガーが訊いた。
「そうです。私の研究テーマの一つに『旧約聖書とキリスト教とギリシア神話の関係』があります。」
「なるほど、旧約聖書のヤハウエとギリシア神話のポセイドンの関係ですか・・・。」とクリューガーが呟いた。
「聖母マリアが神の子であるイエス・キリストを産みました。その神とは誰なのかが、私の神学者としての研究テーマです。」と教授が言った。
「藤原教授。あなたは、その神はポセイドンと考えているのですか?」
「違います。ゼウスです。」
「その様に推理する理由は何ですか?」
「ヘラクレス、アレキサンダー大王など、ゼウスは人間の女性に自分の子を生ませています。話は天空神・ゼウスのオリンポス神族と地母神・ガイアが生んだ息子たち・ギガス族との戦いに関係します。ガイアの息子たちを破ることが出来るのは人間だけである、と云う神託を告げられていたゼウスは人間の女性にヘラクレスを生ませました。一方、ガイアはゼウスと戦わせる為に蛇に似た怪物テュポンを創ります。力の強い怪物テュポンは目から炎を放ちゼウスと戦いました。しかし、ゼウスは翼のある戦車に乗り、雷鳴と稲妻を放ち、海上に逃れた怪物テュポンに島を投げつけ、その下敷きにしました。それが、今の地中海に浮かぶシチリア島です。不死身の怪物テュポンはエトナ火山となって今も生き続けています。ゼウスは人間の女性に自分の子・キリストを生ませ、キリスト教を生み出し、蛇と敵対させたと私は推測しています。ゼウスは天空だけでなく、地上の支配を求めて、アレキサンダー大王に東へ向かわせます。地母神・ガイアが東方に住んでいるからです。蛇は地母神・ガイアの創造した生き物です。」と教授が言った。
「地母神・ガイアが住む、その東方の地とは何処ですか?」とクリューガー訊いた。
「日本列島です。日本列島は女性を象った形をしています。もちろん、アジア、ヨーロッパのあるユーラシア大陸も女性の身体を象っています。地球の東北方位(丑寅の方角)にある日本列島には大本教の出口王仁三郎が云うところの艮の金神が住んでいるのかもしれません。すなわち、艮の金神とは地母神・ガイアのことではないでしょうか。」と教授が言った。
「何と云う発想をする男だ。藤原大造、司祭・中臣一族の血を引く男か・・・。」とクリューガーは思った。
話を終えた藤原教授と曽我教授は立ちあがり、クリューガーと握手を交わした。
そして、部屋のドアーまで見送りにでた時、カール・クリューガーが言った。
「明日の藤原教授の講演は『大和朝廷の司祭・中臣一族の系譜に関する一考察』でしたね。楽しみにしています。」
その瞬間、藤原大造教授は直感した。
「私たちが特別講演者としてこの世界ペトログラフ学術協会の総会に招待されたのは、このクリューガー氏が手配したのかもしれないな・・・。我々から日本の神話の謎解きを聞くために・・・。」
そして、藤原教授は更に考えをめぐらせた。
「しかし、アンコール・ワットの十字回廊に込められている意味は何なのか・・・?古代ユダヤの予言者・エレミヤが言った言葉『終りの時、主・ヤハウェは契約の箱の在処を示される』だったな・・・。しかし、本当にアンコール・ワットに聖櫃が隠されているのだろうか・・・?この男、カール・クリューガーもそのように考えているのだろうか・・?エレミヤはこうも言っていたな。それは紀元前バビロンにエルサレムが陥落させられた時代だった。『諸君は、これはヤハウェの神殿だと云う虚偽の言葉を信じてはいけない。』だったな・・・。その時、すでにエルサレムにはヤハウェの神殿はなかった。それは、すでにソロモン王が聖櫃を何処かにはこび去っていたからか・・・。それとも、ソロモン王がヤハウェの神殿を建てた場所は別の場所だったのか・・・。いずれにしても、ヤハウェに嫌われていたソロモン王が取った手段が、貿易船団に載せて聖櫃をシナイ山のエルサレム神殿から移動させることであったとしたら。その遷移先が12世紀に建てられるアンコール・ワットの地であった。アンコール・ワットが建つ以前の状態は不明か・・・。しかし、そこには何かの神殿が古代よりあったのではないだろうか?ソロモン王が建てた何かが・・・。その時代、超古代のスンダランドが繁栄していた名残が何かあったのかどうか・・・。だからこそ、アンコール・ワットが建てられた、と考えられるか・・・? ソロモン王の貿易の対象地域ではあったのだろう。南太平洋のソロモン諸島はソロモン王が貿易していた場所であったとされているから、当然、カンボジア地域も貿易対象であったのだろう・・・。」
越の風華119;
時間は過去に遡る
2013年4月13日(土) ブラッククロス本部の十人会議
十人会議議長であるナンバーワンが話している。
「本日の会議にはナンバーファイブが出席しておりません。その理由は、ナンバーファイブは先月に死亡したからです。新聞などのメディア情報で御承知でしょうが、ナンバーファイブであるファウスト薬品創業者のクルト・ボルマン氏が射殺死体となって香港で発見されました。ナンバーファイブは十人会議での承認を得ずに、弾武典の所在場所を敵である影の軍団に教え、殺害させたことが秘密調査会議の情報活動により判明しました。弾武典が死に、パルテノン計画が影の軍団の知るところとなり、日本に建てた偽似パルテノン神殿のアテナ神像が燃やされました。そして、弾武典が推進していた『月神への呪文』計画も失敗しました。そのため、『月神への呪文』計画と連動していた『三輪の鳥居』計画の効果を得ることができませんでした。確かに、K国への愛国心から弾武典が『ナンバーセブン計画』の一部である北極星を中心にして回転する北斗七星の『炎の破軍剣』計画の実行者7人を殺害し、計画の成功を妨害したのははっきりしていた。しかし、弾武典を処分するのは『月神への呪文』計画が完了してからでよかったのだ。むしろ、そうあるべきだった。『月神への呪文』計画は『ナンバーセブン計画』成功には欠かせない儀式だったのです。それなのに、ナンバーファイブであるクルト・ボルマンは私憤にかられ、十人会議での決定を待たずに弾武典の所在地をオメガ教団の楯山和弘に命じて影の軍団に漏らし、彼を殺させた。クルト・ボルマンは目先の細事に捉われ大局を見失った見本です。そして、これは、我々ブラッククロスの掟を破ったことになり、重大な罪でもありました。
また先日、クルト・ボルマンはアメリカ海軍情報部、FBI、CIAをはじめ、世界各国の秘密情報機関にマークされていることが秘密調査会議に属する諜報調査局の活動より判明しており、ブラッククロスの行動計画の秘密を守るためには、早急に対処しなければなりませんでした。したがって、私に与えられた権限により、クルト・ボルマンに協力していたオメガ教団の楯山和弘とともに処分するよう、処刑執行人に命じました。
3月19日、香港において、処刑執行人よってナンバーファイブは処刑されました。当面、ナンバーファイブの地位は空席とします。クルト・ボルマンにはアンコール・ワットの十字回廊と失われた聖櫃の在処に関する調査を依頼していましたが、残念ながら中断することになります。しかし、この調査に関しては別途の方法を考案中です。」と十人会議議長であるナンバーワンが言った。
「報道によると、クルト・ボルマンと楯山和弘の遺体はクルーザ船の中で発見されたようですが、処刑執行人は何故に死体を抹消しなかったのですか?」とナンバーセブンが訊いた。
「報告によると、邪魔者が現れたために処刑執行人は二人の遺体の抹消することを諦めたようです。」とナンバーワンが言った。
「どういう事情だったのですか?」とナンバースリーが訊いた。
「二人の殺害は夜間に行われました。自分のモータボートで香港の沖合に停泊中のクルーザ船に乗り込んだ処刑執行人は二人を射殺しました。そして、二人の遺体をマカオに運んで鮫に食べさせる為にクルト・ボルマンのクルーザ船を動かそうとした時、そこに邪魔者たちが現れたようです。複数の人物が乗った小型高速艇がクルーザ船に横づけされ、銃器を持った3人がクルーザ船に乗り込んで来たそうです。また、彼らはドイツ語を話していたそうです。処刑執行人は一人でしたので、ただちに自分が乗って来たモータボートに戻り、逃げざるを得なかったようです。」
「そのドイツ人たちは、遺体を確認しただけで、クルーザ船をその場に放置して退散したと云う訳ですか・・・。何者ですかね、そのドイツ人たちは?」
「諜報調査局からの情報では、ドイツの連邦情報局・BNDのネオ・ナチズムの監視を行っている部署にからBND本部会議に対して、香港での二人が殺された事件に関する詳細な報告がなされていたようです。ネオ・ナチへの資金提供を行っているオメガ教団・香港支部を監視していたチームが動いていたとの報告です。」
「BNDと云えばナチスの元情報将校であったゲーレンが設立した情報機関を継承した組織ではないですか。」
「そうです。だから、ネオ・ナチに対する情報工作には特に力を入れており、ドイツ人の血を引き、アルゼンチンのロザリオ市出身であるクルト・ボルマンの資金力に注意を向け、ネオ・ナチへの資金提供を行っているのではないかと監視活動を行っていたようです。クルト・ボルマンはBNDにとんだ勘違いをされていた訳です。そこへ、我々の処刑執行人が突然に現れ、慌てたBND局員がクルーザ船に近づいた云うことでしょう。」と議長のナンバーワンが説明した。
※(著者注記)※
ゲーレン機関;
第二次大戦後の1946年に、ソビエト連邦での軍事訓練を経験してソ連通であった元ドイツ陸軍少将・参謀幕僚のラインハルト・ゲーレンがアメリカの庇護・支援を受けて設立したドイツ人の情報機関。
第二次大戦末期、ゲーレンはソ連による東部戦線の壊滅を予測し、ヒットラーに報告した。それが気に入らないヒットラーはゲーレンを解雇した。解雇されたゲーレンはイギリス軍との非捕虜・難民交渉に失敗した後、アメリカ軍の捕虜となった。そして、隠しておいたソ連情報の資料を持ってアメリカ軍と接触した。
戦後直ちに、アメリカの庇護下でゲーレンはスペイン情報部やバチカンとの接触を進めた。
スペイン情報部との接触を進めた理由は、元の参謀仲間から『戦争末期にヒットラーはアルゼンチンに向けて大掛かりなUボート船団での脱出計画をしていた』ことを聴いて、その船団には多くのナチス戦犯が含まれていたことを知ったからではないかと思われる。
かつて、アルゼンチンはスペインの植民地(独立戦争中の1816年に独立宣言)であった国であり、スペイン情報部はアルゼンチン国内の情報を多く持っていたと思われる。なお、第二次大戦中、スペインとドイツは仲がよかったようである。
また、バチカンは多くのナチス将校たちのドイツ脱出を援助したことは周知の事である。ゲーレンはナチ将校たちの行き先情報をスペイン情報部とバチカンから手に入れようとしていたのかもしれない。特に、世界に教会を持つバチカンの情報網は世界各地にあった。
本小説に登場する世界支配を目指している秘密結社・ブラッククロスの十人会議のメンバーにとっては、上記の事は当然のこととして知っていなければならない事柄であった。
そして、反ナチス・反共産主義のドイツ・アデナウアー政権時代の1955年にアメリカの情報機関であったゲーレン機関はBND(連邦情報局)に昇格した。現在、BNDはスペイン、トルコ、NATO諸国、ラテンアメリカ、アフリカ、イランなどに海外支部を開設している。
「それで、今後のナンバーセブン計画の推進はどうするのですか?」とナンバーテンが訊いた。
「ナンバーセブン計画は中止になります。荒ぶる神ゴルゴンの末妹・メドーサはサントリニ島の南海上で美女のビーナスに戻り、海神ポセイドンの元へ帰っていきました。それは、ゼウス神の子であるアレキサンダー大王がバビロンで死んだ後、海神ポセイドンに約束した事が実行されたものと私は推測しています。もはや、メドーサは荒ぶる神ではなくなりました。これから、海神ポセイドンはアレキサンダー大王との約束を実行するはずです。それはスーサの王であったアレキサンダー大王の復活であると私は推理しています。その海神ポセイドンによるアレクサンドロス復活が行われ、アレクサンドロスは自分の計画を進めるでしょう。私はその計画を利用して、我がブラッククロスの目的達成に役立てる心算です。
アレキサンダー大王は、人間を食べると云う噂がある牛頭の痣を持った荒馬・ブケパロスに跨って戦場を駆け抜けたました。そのため、中央アジアではアレキサンダー大王はズル・カルナイン(二本角)と渾名されています。そして、私の推理では、アレキサンダー大王はアンコール・ワットを目指したていたと思われます。しかし、インドの手前でギリシア人やマケドニア人の将兵の反対にあい、止むなくペルシアのスーサ王宮に戻ったアレクサンドロス。アレクサンドロスの霊は部下でもあり、親友でもあったプトレマイオス将軍にある事を命じました。それは、メドーサの霊が宿っていた彼女の首のレプリカと勝利の女神の霊が宿る黄金の羽根をキプロス島の北の海に沈めて、改めて海神ポセイドンと約束を結ぶことでした。その約束が、スーサの荒ぶる大王・アレクサンドロスの復活です。アレクサンドロスは死後、バビロンの自分の葬送馬車の前に立っていた友人でもある将軍・プトレマイオスに命じたのです。自分が戦場で身に着けていたメドーサの首の大理石彫像と黄金の羽根をキプロスの海に沈めよ、と。バビロンでのその時の光景を霊能者キャサリン・ヘイワード女史がキプロス島北の海上で霊視し、私に話してくれました。勝利の女神とメドーサをポセイドンに渡す代わりに、将来におけるスーサの王・アレクサンドロスの復活をポセイドンに約束させたと思われます。アレキサンダー大王が生きていた時代、彼はインド地域の征服を目指していました。それは、インドの先の現在の東南アジア・カンボジア地域に契約の箱があると云う情報をバビロンで入手していたからです。ですから、復活したアレキサンダー大王はアンコール・ワットにあると思われる失われた聖櫃を見つけ出すための戦いを始めるのでしょう。そして、アレキサンダー大王が復活し、契約の箱が見つかる時に、それが我々ブラッククロスの手に入るための計画を立てました。その計画はナンバーセブン計画の目的であった『救世主イエス・キリストの復活を阻止する』ことも包含しています。その新しい『ナンバーテン』計画の詳細説明をこれから行います。」とナンバーワンが言った。
越の風華120;
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2013年6月3日(月) アンコール・ワットの十字回廊
大和太郎は香港・マカオに行く前に、壮大な宇宙観をもとに建設されたとされるアンコール・ワットを訪れていた。
東南アジア・カンボジアにあるアンコール・ワットはクメール族のアンコール帝国時代(802年〜1432年)の12世紀に建立された石造りの寺院である。
第18代国王・スリャーバルマン2世(在位:1112年〜1150年)の時代に建設が始まり、第20代国王・ダラーニンドラバルマン2世(在位:1151年〜1160年)の時代にアンコール・ワットは完成したと謂われている。建設中は宮殿として利用されていたようである。スリャーバルマン2世の死後、霊廟としての寺院になったとも謂われている。
『アンコール』とは都を意味し、『ワット』は寺院と云う意味である。
※著者注記;1063年、源頼義が由比ヶ浜に石清水八幡宮を勧請し祀る。
1180年、源頼朝が由比ヶ浜から八幡宮を現在地に遷し、鶴岡八幡宮が誕生。
カンボジアの人々(一般にクメール人)はインドの宗教であるヒンドゥー教と仏教を信仰している。インド人がカンボジアと貿易を始めたのは紀元一世紀ころとされているから、そのころに宗教が伝えられたのであろう。アンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院である。霊魂不滅と輪廻転生を思想とするヒンドゥー教の三大神はビィシュヌ神、シバァ神、ブラファー神である。
ヒンドゥー教は5000年以上前からインドに存在した種々の神々を取り込んで変化してきた宗教で、キリスト教の聖書やイスラム教のコーラン(聖典)のような教典はない。キリストやムハマンド、釈迦と謂った特定の開祖がおらず、自然発生的な神々が存在するだけである。
ビィシュヌ神は太陽の光輝く状態を神格化した神で海洋地域と関係が深いとされている。人類滅亡の折には世界を救済する神とも謂われている。シバァ神は凶暴性と温和性を併せ持った山岳地域に住み、牛を乗り物とする神。ブラファー神は宇宙創造と言語の神で、本来はバラモン教の最高神。
アンコール・ワット寺院は幅190mの水濠に周りを囲まれている。水濠の内側にある境内敷地は東西1500m、南北1300mの長方形である。その境内敷地の真ん中に十字回廊があり、それより東寄りの位置に高さ65mの中央祠堂が聳えている。中央祠堂は神が降臨する宇宙の中心である須弥山を象徴しているとされる。
中央祠堂の周囲には第三回廊(基檀部高さ;12.8m)があり、その外側周囲に第二回廊(基檀部高さ;6.4m)がある。更に第二回廊の外側周囲に第一回廊(基檀部高さ;3.2m)がある。すなわち、祭檀のある中央祠堂は三重の回廊に囲まれている。これは、ユダヤ人のモーゼがヤハウェを祀る祭檀を作った時の幕屋の三重構造と同じである。また。ソロモン王が建てたエルサレム神殿も三重の壁の中にあった。
西参道の延長線上の第一回廊(東西200m、南北180m)と第二回廊(東西115m、南北100m)の間に十字回廊がある。十字回廊は平面的に田の字を書いた形であり、沐浴池を十字で四つに仕切る回廊である。中央祠堂に参拝する人々はこの十字回廊にある4つの沐浴場で禊を行った後、中央祠堂に参拝したようである。
アンコール・ワットの中央祠堂は西向きに建てられており、その参道は西から東に向かっている。寺院の正門にあたる西大門は両翼230mもある。7つの頭を持つ蛇神ナーガに護られた西大門を入り、更に歩いて行くと通路の左右に大きな四角い二つの聖池があり、その池を過ぎると本殿の入口である西塔門・十字テラスに至る。十字テラスを過ぎると十字回廊に出る。
十字回廊の北面壁東側には、何故か、下書きの天女と呼ばれる浮彫が未完状態で描かれている。
アンコール・ワットには天女・アプサラスの浮彫がいたる所に描かれている。もっとも有名なのは第二回廊の壁画『乳海撹拌図』に描かれた天女たちである。
乳海撹拌とは、神々と魔族が協力してミルクの海(乳海)をかき混ぜて不老長寿の妙薬を得たと云うヒンドゥー教の神話である。その後、この不老長寿の妙薬を巡って神々と魔族の争いが発生する。その戦いの模様が第一回廊に描かれている浮彫図である。
ちなみに、アンコール・ワット建立の目的は天上の宮殿を地上に再現することであったので、天女が多く描かれたようである。
「これが十字回廊か・・。天井は逆V字形の偽似アーチになっているのか。殺されたアメリカ海軍情報部員クリントン中尉が持っていた平面図では田の字に描かれていたな・・・。参拝に訪れた人々が清めの沐浴を行う4つ池を仕切る十字と周囲の回廊が作る田の字だな。なるほど、田の字は十の字を口の字が囲い込む形で出来ていると云う訳か・・・。」と思いながら、太郎は周りを見渡し、十字の北端部にある小さく突き出した空間を見つけ、そこまで歩いて行った。
そこは『エコーの祠堂』と呼ばれ、参拝者が壁を背にして自分の胸を拳で叩いた時に起こる『ボワーン』と云う反響音によってアンコール王朝への忠誠心を試したと云われている場所であった。
「ここは天井が高いな。柱と柱の間の天井部には赤い彩色を施した八花弁の丸い紋様がいくつも描かれているな。これは、古代日本の丸瓦に描かれた紋様に似ているな・・。それとも、九鬼一族の九曜神紋と同じように、この紋様は八花弁ではなく、太陽を中心に、その周りを回る八惑星を意味しているのかな・・・? しかし、藤原教授が言われるように、失われた聖櫃・契約の箱がアンコール・ワットにあるのだろうか・・・?」と太郎は思いながら手をたたくと、『パアーン』と残響音が響いた。
越の風華121;
2013年6月5日(水) 午前11時 マカオ半島・マカオ海事博物館
カジノ産業で発展してきたマカオは1999年、ポルトガルから中国に返還された。
現在、マカオ特別行政区としてイギリスから返還された香港と同様に『一国二制度』が適用され、自由主義経済を継承している。面積は30平方キロメートルで、人口は約63万人で、そのうち中国籍以外の人物が10%居住している。
近年、習近平総書記主導の反腐敗政策のため、中国高級官僚のカジノ離れがある。
観光客が訪れるマカオ海事博物館はマカオの地名由来の阿媽閣の向側にある。
阿媽閣は媽閣廟とも呼ばれ、明朝時代に建てられた寺院であり、小さな漁船を嵐から護った少女の女神・阿媽が祀られている。
この地域は寺院の参拝客や観光客たちでにぎわっている場所である。
1600年頃に狩野内膳が描いた南蛮屏風の前でふたりの東洋人男性が絵を鑑賞している。
あたかも、赤の他人と云った雰囲気である。
「ご依頼により、キプロスのギリシア人庸兵組織『春雷』についての追加情報を集めましたが、詳細は判明していません。」と小声でひとりの男が呟いた。
「それで・・・。」と観光客風の大和太郎が小さく呟いた。
「このマカオ半島にリスボンと云う名前のホテルがあります。そのホテルのオーナーが『春雷』と繋がっているようです。オーナーの名前は、フランシスコ・ペドロと謂います。ホテルの南側にある邸宅で居住しているようです。このオーナーには用人棒が3人ついていますから注意して下さい。そんなところです。ではまた。」と言って、的場史朗は太郎を残して立ち去った。
「フランシスコ・ペドロのホテル・リスボンか。オーナーはポルトガル人か・・・?」と太郎は思った。
越の風華122;
2013年6月6日(木) 午後4時 マカオ半島のリゾートホテル・リスボン
ホテル・リスボンは15階建のビルである。
太郎がホテルのフロントを訪れた。
「昨日、電話で予約した大和太郎です。」
「大和様。本日と明後日の朝までの二日間の御滞在ですね。日差しの当たる南側のお部屋と云うことでしたので4階の403号室をお取りいたしました。そこのボーイがお部屋までご案内いたします。」
ボーイが太郎の海外旅行用のキャスターが付いたトランク型バッグを床に置き、チップを受け取ったあと403号室を出て行った。
そして、太郎は部屋の南側にあるベランダに出た。
ホテルの南側に海に接している広い庭がある大邸宅が見える。建屋は2階建ての破風屋根の洋館と、その洋館から30mくらい離れた所に平屋で30m×20m×高さ5mくらいの大きさのコンクリート建築物がある。そのコンクリート建築物には海から水路が引きこまれている。
「ホテルからフランシスコ・ペドロの大邸宅はまる見えだな。ヘリポートもあるのか。ホテルから距離にして100mくらい離れているかな。何故、あんな場所を自宅にしたのだろう。ホテルから見えると云う事は、あちらからもホテルが良く見えると云う事か・・?邸宅とホテルの間に何があるのか?まあ、家の中は見えないようにはしてあるようだが・・・。邸宅の庭から海に直接出ていけるのか。大型のクルーザーが桟橋に係留されているな。そして、海水を引き込んだ水路があるな。その水路はコンクリート建築に繋がっているのか。あの建物の中は屋内プールにでもなっているのだろうか?ホテルのオーナーであるペドロが水泳でもするのか・・・? 的場史朗氏の情報では用人棒が3人居るのだったな。番犬は居るのかどうかだな・・・。しかし、あの洋館は何処かで見たような気がするな。切妻屋根のある建築家屋か。そうだ、あの建物はアメリカ・ウォルフボロにあったクルト・ボルマンの別荘に似ている。とすると、2階には会議が出来る大広間があるかも知れないな。とするとやはり、『春雷』はブラック・クロスと繋がっている可能性があるかもしれないな・・・。的場史朗氏から潜水艇2台も調達して何をしたのだろう。海底で何を探査したのだろうか。藤原教授と会ったのはトゥーレ財団のカール・クリューガーとデニス・ホワイトいう男たちだったな。大学の一教授に1億円もの大金を簡単に寄付できる組織か・・・。相当に藤原教授に肩入れをしているな。何が狙いだ。藤原教授が謂うように、鎌倉の鶴岡八幡宮とアンコール・ワットの繋がりはモーゼの十戒石が納められている契約の箱なのか・・?
たしか、藤原研究室の鞍地研究員が言っていたな。『古代のポルトガル人にとって神はゼウスなのです。神・ゼウスが人間の娘に産ませた子にはゴルゴン退治の英雄ペルセウス、そしてエジプトのアモン神ことゼウスがマケドニアの王后に産ませた英雄アレキサンダー大王がいます。イエスは神がマリアに産ませた子。その神の名は不明です。イエスは《神ヤハウェの救い》の意味を持ちますが、ヤハウェは神の名前ではなく、モーゼたちユダヤ人が神と呼ぶ代わりにヤハウェと呼んだだけです。』と。」と太郎は今夜の行動計画を考えながら、疑問点についても考えをめぐらせた。
越の風華123;
2013年6月7日(金) 夜中の午前3時ころ マカオ半島のペドロ邸
あと二日で新月のため、夜空に月灯りはない。
CIAから支給された光量レベル調整装置が付いている赤外線スコープを顔に装着した黒いウェットスーツ姿の大和太郎が、海側の壁にそってクルーザー船が係留されている桟橋近くまで来た。
「やはり赤外線照明が庭を照らしているのか。赤外線照明の数は5基か。このスコープで見ているのはやや眩しいな・・・。光量調整を最小にしてなんとか見られるか・・・。監視カメラの場所はどこかな? 平屋のコンクリート建築物の屋上に3基か・・・。洋館にもたぶんあるだろうな。さて、あそことあそこの2基の赤外線照明を消せば、コンンクリー建屋までは行けるな。そこから破風建築の洋館へ行くのに照明に照らし出されないためにはあそこの1基を消さなくてはならない。夜中の3時にライブ映像を監視している奴はいないことを信じて照明を消すか。映像記録に俺の姿が残っているのはまずいからな・・・。幸運にも、番犬はいないようだな。」と太郎は行動手順を確認し、行動に移った。
「うっつ。サメが泳いでいる。人喰いサメか・・・?」と水路を覗いた太郎は驚いた。
「あのコンクリート建築物にはサメのプールがあるのか・・? 何に利用するのかな? サメに餌を与えるのがペドロの趣味でもあるのか? まあ、ペドロの性格なのかも知れんな。さて、ここから洋館にたどりつくには、この建築物壁にある赤外線照明を消せばいいのだが、照明器の取り付け場所は屋上だったな。どこから屋上に上がるかな・・。それとも、この建物に照明のスイッチがあるかも知れないな。中に入るにはと・・・。サメの居る水路から入るしかないか・・。血の匂いがしないことを祈って行くしかないな。」と太郎は電気通信工事の営業をしていたころに得た知識を思い出し、赤外線照明システムの機器設置場所、建築構造などを想定した。
平屋建築物に侵入した太郎は照明装置用の分電盤を見つけ、赤外線照明と書かれたスイッチを切った。そして、水路を戻り洋館に向かった。
洋館の2階会議室に侵入した大和太郎は、会議室中央に置かれている建築物の模型を見つけた。それは3m×4mくらいの大きさで発泡スチレンを材料として作られたアンコール・ワットの全景模型である。太郎は模型の一部にCIAから渡された超小型の発信盗聴器を埋め込んだ。盗聴器の電源はジオラマに装備されている照明電源から分配するように電気コードを接続した。太郎が私立探偵を始める前に電気通信工事の営業をしていた時代に工事士から教わった技能がここで役に立ったようである。超小型の発信盗聴器は指向性のある電波を一方向に飛ばすもので、到達距離は1キロメートルの性能があり、邸宅の外部公道上のある位置で受信できるように太郎は出力アンテナの向きをあらかじめ考えていた方向に向けて設置した。
指向性の電波発信にしているのは、四方八方に電波が飛ばないので盗聴が発見され難いためである。
「アンコール・ワットの模型か。何を考えているのだろう。クルト・ボルマンの邸宅の会議室にあったのはバチカンの模型であったな。今回はアンコール・ワットか。やはり、フランシスコ・ペドロはブラッククロスに関係があるな・・。十人の会議のメンバーか? しかし、ここでこうしてアンコール・ワットを俯瞰して見ると、確かに鎌倉の鶴岡八幡宮を連想させるな。十字回廊の前にある十字テラスに繋がる西参道の両脇にある二つの聖池は、さしずめ太鼓橋の左右にある源平池に相当するか・・。とすると、西参道は八幡宮の太鼓橋と云うことになるな。そして、十字テラスは舞殿と云うところだな。そして、アンコール・ワットの第一回廊に囲まれた中央塔のある領域は鶴岡八幡宮の拝殿と幣殿と本殿が一体になっている流権現造の本宮に相当するな。とすると、十字回廊は参拝客が八幡大神に祈りを捧げる拝殿、経蔵は幣殿、中央祠堂が八幡大神を祀る本殿と云う事になるか・・・。たしか、現在の本宮は江戸時代・十一代将軍の家斉によって造営されたのだったな。鎌倉時代の鶴岡若宮の本宮はどのような建造物だったのかな・・・?」と太郎は考えを巡らせた。
盗聴器を設置する目的を達成した太郎は平屋建築物に戻り、赤外線照明のスイッチをONに戻したあと、桟橋から海側の壁伝いに邸外出た。そして、ホテル近くの公園に隠しておいた平服に着替えてホテルに戻った。
盗聴作業はCIAの特任要員が継続的に実行し、ジョージ・ハンコックに報告する手はずであった。
越の風華124;
2013年6月7日(金) 午後3時ころ ギリシア・アテネ市内のホテルのバー
サウジアラビア皇室のボディガードをしている友人から紹介を受けた人物に会うため、スティーブ・キャラハンはギリシア共和国のアテネに来ていた。ギリシアは古代から庸兵発祥の国とされている。アレキサンダー大王と戦った古代ペルシアの庸兵にはギリシア人が多くいたらしい。
そして、スティーブ・キャラハンはその知識の豊富さから庸兵の仲間内でソクラテスと呼ばれているその人物にアテネ市内のホテルのバーで会っていた。ソクラテスと呼ばれているのは、彼の知識の豊富さ、状況分析能力の確かさ、冷静さにあった。その姿は哲学者然としており、『私の持っている知識の量はこの世界にあるすべての事柄に比べればゼロに等しい。すなわち、私は無知なのです。』といつも言っていた。
「庸兵組織の『春雷』の何が知りたいのですか?」とギリシア人のソクラテスが言った。
「資金源、組織規模、所有している戦闘用の武器・装備など何でも知っていることを教えてほしい。君は庸兵の経験が豊富だと聞いている。これは、少ないがその情報の謝礼金だ。」とスティーブ・キャラハンは言いながら三千ドルの入った紙袋をソクラテスに渡した。
紙袋の中味を確認してからソクラテスが話し始めた。
「私は三つの庸兵組織の下で働いた経験がありますが、『春雷』での経験はありません。しかし、アフリカ北部の某国で『春雷』の庸兵部隊と反政府軍に対する共同作戦を展開したことがありました。その時の話をしましようか。」
「それで結構だ。」
「『春雷』の組織本部はキプロス島にありますが、戦闘の指示はイタリアのシシリー島にある作戦本部から伝達されていました。私が北アフリカで共同作戦に従軍していた時、シシリー島からドイツ人が来て、作戦の行動計画の指示を受けたことがありました。もちろん、その男はイタリア語でもドイツ語でもなく、英語を喋っていました。申し訳ありませんが、その男の名前は忘れました。」
「男がドイツ人であると、どうして判ったのだ。」
「簡単な事です。シシリーから同行してきた別の人物とは流暢なドイツ語で話していましたし、ドイツ語訛りのある英語だったからです。」
「別の人物とは?」
「知りません。二人とも、いかにもドイツ人と云った風体でした。」
「それだけか?」
「後で、『春雷』の庸兵から聞いた話ですが、『春雷』の資金はそのドイツ人から出ているようです。そして、『春雷』の作戦本部では人工衛星から北アフリカの映像を受信して敵の動きなどを監視しているらしいのです。」
「シシリーのドイツ人か・・・。シシリアン・マフィアではなさそうだな・・・。しかし、『春雷』の資金は豊富にありそうだな。」とスティーブが言った。
「知らないのですか、あなたは。」とソクラテスが言った。
「何を?」
「13世紀にローマ教皇から破門されたドイツの神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世の母親はナポリ・シシリー両国王の娘でイタリア人でありました。フリードリッヒ2世自身もシシリー王国で生まれ、シシリー王国で育った人物です。まあ、神聖ローマ帝国の国号が使われるようになったのはフリードリッヒ2世の死後のことですがね。ドイツ国王を息子に譲り、ドイツには住まずにシシリーに居たドイツ人です。私の推理では、たぶん、その『春雷』作戦本部のドイツ人は神聖ローマ帝国の流れを受けている可能性あります。その男には、何と無く高貴な雰囲気があったのが印象に残っています。ひとつの可能性として、神聖ローマ帝国の遺産を受け継いできたドイツ人を探すことですね。」とソクラテスが言った。
「神聖ローマ帝国の遺産か・・・。」とスティーブが呟いた。
※著者注記;
神聖ローマ帝国は962年のドイツ国王・オットー1世がローマ教皇・ヨハネ12世より皇帝戴冠を受けたのが始まりとされる。しかし、神聖ローマ帝国の国号が公式文書に使われたのは1254年である。フリードリッヒ2世は1250年に死亡している。
因みに、フリードリッヒはドイツ語読みであるが、イタリア語読みではフェデリーコである。
フリードリッヒ2世は第5回十字軍遠征で中近東に向かうが、病気のためローマ教皇の許可を得ずに帰国したため破門された。しかし、その後、ローマ教皇を無視してエルサレムを支配するイスラム王朝の国王と交渉し、聖地エルサレムの奪還に成功した人物である。フリードリッヒ2世はアラビア語を話し、イスラム文化に理解があり、「アリストテレスの論理学」、「霊魂の不滅」や「宇宙の起源」に関してイスラム王朝の国王・アル=カーミルと意見が一致したようである。
フリードリッヒ2世の国家体制維持に対する考え方はカソリックのそれではなく、古代ローマ帝国の考え方を模倣したようでる。それは、被支配地の文化・考え方を尊重すると云うことである。
「それから、『春雷』の戦闘機材の件ですが、海上では高速艇、空は高速ヘリコプター、陸上では高速戦車を使っています。北アフリカの現地部隊ではロケット砲から軽機関銃を大量に持っていました。やはり、頭脳はシシリーに有りと云うところですかね。ドイツ人のたてた作戦は完ぺきでした。あの時は何処で調達したのか知りませんが、主砲が120mmのアメリカ製の戦車が1台輸送船で運ばれてきました。イラクとの戦争で使われた、時速60Km,重量70トンのM1A2エイブラムスでした。主砲の射程距離は通常戦車の3倍あります。そのおかげで我々は、死人なしで反政府軍の支配地を奪還でました。『春雷』の資金力、戦闘機材の調達力は抜群です。」とソクラテスが言った。
「『春雷』とはイタリア・シシリー島の神聖ローマ帝国なのか・・・?」とスティーブが再び呟いた。
そして、ソクラテスに訊いた。
「『春雷』の作戦本部はシシリー島の何処にあるのだ?」
「それは知りません。ただ、海に面している場所のようです。戦車を運べる輸送船が停泊できる場所はシシリー島とは限りません。『春雷』の組織規模を想定すると、別の島に戦闘機材倉庫などがある可能性が高いでしょう。」とソクラテスが言った。
「CIAに監視衛星からシシリー島の海岸線を調査してもらうか・・・。輸送船が停泊できるような桟橋のある邸宅かビルがあるのかどうかだな・・・。」とスティーブは思った。
越の風華125;
2013年6月14日(金) 午前10時ころ 東京・溜池のアメリカ大使館会議室
プロジェクト『BC』の会合が行われている。
私立探偵の大和太郎とスティーブ・キャラハンのほか、アメリカCIAのジョージ・ハンコック、アメリカ海軍情報部のナンシー・イーストウッド中尉、イギリス諜報部MI6のリチャード・ドイル、フランス対外治安総局・DGSEのアラン・ギャバン、アメリカ在住のイスラエル人私立探偵のヘンリー・コーエンの合計7人が出席し、会議は英語を用いて行われている。
「太郎の情報から『春雷』はブラッククロスに関係する組織と思われる。また、スティーブからの情報では『春雷』は戦車を運べる輸送船を所有している模様だ。偵察衛星によって過去に撮られシシリー島に関するビデオ映像のデータベースを調べた。すると、シシリー島のパレルモにある大きな邸宅が浮かび上がってきた。この邸宅は海岸線に面しており、大型船が停泊できる桟橋がある。大型船が停泊している映像は無かったが、この邸宅を調べる必要がある。この邸宅の所有者はイタリア国籍のビットリオ・ルッジェーロと云う人物だ。顔写真はない。どのような人物であるのかも不明。」とジョージ・ハンコックが言った。
「パレルモは13世紀ころに神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世が居住していた都市として有名だ。そして、フリードリッヒ2世はドイツ人の父親とイタリア人の母親の間に生まれた人物。確か、母親の名前はコンスタンツアでルッジェーロ2世の娘だ。フリードリッヒ2世はイスラム文化にも精通した人物。シシリー島は北方のノルマン人が11世紀にシチリア王国を創り、ノルマン文化、ビザンチン文化、イスラム文化の共存を唱えた。12世紀からドイツ人のホーエンシュタウフェン家が支配した。だからパレルモにはアラブ風の建物が多く残っている。」とアラン・ギャバンが蘊蓄を披露した。
「まさしく、その邸宅の建物はアラブ風で出来ている。そこでだが、その邸宅への侵入調査に関しての計画立案をアランにお願いしたい。」とジョージ・ハンコックが言った。
「了解した。二日以内に計画をまとめる。その邸宅の資料は準備出来ているだろ?」
「ここにある。」とジョージは言いながら邸宅の航空写真などの資料が入った封筒をアランに手渡した。
「ところで。」と太郎が言った。
「太郎さん、どうかしましたか?」とジョージが訊いた。
「今回の連続殺人事件ですが、横浜の氷川丸での犯人は犯行後には逃げずに逮捕されています。しかし、他の7人の殺人は遠方からの狙撃によるもので、犯人は逃げるのが前提であったと考えられます。何故に、氷川丸での犯人のみが逮捕を前提としていたのか、疑問です。連続殺人は7人のみで、氷川丸での殺人は別の目的があるとしてとらえるべきなのかどうかですね。」と太郎が疑問を呈した。
「なるほどね・・・。8と云う数字に意味があるとかんがえていましたが、(1+7)と云う意味になりますか・・・。いずれにしても、8人はいずれも、謎の女性からイスラエル産の小さな石板を渡されていました。そして、この石板の意味が失われた聖櫃に納められているとされるモーゼ十戒が書かれた石板を意味するのかどうかですね。」とジョージが言った。
「(1+7)と考えれば、ブラッククロスはどのような意図で行動を起こしているのかです。彼らは、ナンバーセブン計画を断念したとの情報は偽物でしたかね・・・。それに、十戒の十は数字の10を意味します。十字架の十を意味ではないと思いますが・・・。」と太郎が言った。
「それは違います。十戒の石板に書かれた内容をイスラエルの民が守らなかった。その罪をイエス・キリストが背負って十字架にかけられたのです。イスラエルと名乗るようになったユダヤ人・ヤコブの十二人の子によってつくられた12部族の血縁を持った人々は現在では世界中に散らばって居るはずです。また、イエス・キリストが現れた時代にはすでに、ヤコブ、すなわちイスラエルの子孫は世界中に散らばっていたでしょう。なぜなら、紀元前のバビロンの捕囚から解放されて以後、イスラエルの民はその行方がわからなくなっています。ですから、殺された人物が持っていたイスラエル産の小さい石板はユダヤ人が守らなければならないモーゼ十戒を意味する訳です。すなわち、小さな石板はイエスが背負った十字架を意味すると考えることもできます。十戒の数字10でもあり、十字架の十でもあるのです。」とジョージが言った。
「神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世の子孫が関係しているとすれば、7は火の燃えるローマの七つの丘を意味し、それはバチカンの最後を意味する可能性がありますね。フリードリッヒ2世はローマ教皇から破門をされていますから、その復讐を子孫が果たすわけです。」とアランが言った。
「それでは、(1+7)の1の意味は何なのか?」とジョージが訊いた。
「(1+7+10)の中の1ですか。さて、それは・・・。」とアランが考え込んだ。
「7は、北斗七星の7。とすれば、1は北極星ではないですかね。旧約聖書から推察すれば、北斗七星、それは燃える火の剣です。その剣は一点を中心にして回転します。そうすると、一点とは北極星のことと解釈できます。」と太郎が言った。
「しかし、それが十字架とどのように繋がるのだ?」とスティーブ・キャラハンが訊いた。
「十字架、それは、救世主イエスです。日本の青森県にある十和田湖の近くにあるイエス・キリストの墓と云うことになります。」と太郎が答えた。
「日本にキリストの墓がある?あっはっはっは・・・。」とアランが笑った。
「そこにはイスラエルから贈られた白い石板があります。ブラッククロスは以前に十和田湖に十字架を立てようとしました。その目的は不明でしたが、彼らは、キリストの墓とされるその場所に何らかの意味があると考えているのでしょう。ですから、殺した人物に白い石板を持たせた。」
「十和田湖ですか・・・。そこにイエスの墓がありますか・・・。そして、イスラエル産の白い石板がありますか。」とイスラエル人のヘンリー・コーエンが呟いた。
「氷川丸で石板に描かれていた『我未是木鶏(いまだ、もっけいたりえず)。呉人』と云う言葉は、『再びナンバーセブン計画を実行に移す。』ことをブラッククロスは宣言したのではないでしょうか。呉人とは西から来る人物を意味します。また、スサノオ命は氷川神社の祭神ですが、スサノオは八将軍神とともに厄神となって末代に舞い戻ると謂われています。西はあの世、すなわち幽霊界を意味する言葉でもあります。殺された8人は西から来る八将軍神を意味しているのではないでしょうか?ブラッククロスは神を信じている組織集団ですからね。」と太郎が自分の推理を言った。
越の風華・第三部〜ヤコブ予言殺人事件〜
前編 完
後編につづく
目賀見勝利