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彼女が忘れさせてくれたもの

作者: うみ

「古代エジプトの話でもしよっか」

 僕の学校はもう廃校が決まっているぐらい過疎っていて、同級生が僕を含めて12人しかいない。何より女の子がたった1人というのが致命的だ。けれど僕は幸運なことに、その女の子、ケーと付き合っている。

 彼女と下校路を歩いている時にイヤホンで音楽を聴くのはどうかと思うが、音楽好きのケーがガンガン勧めてくるのがそもそもの原因であるし、ケーも下校路で聴くことを僕に求めてくる。僕はもともと音楽を聴く方ではなかったんだけど、ケーの影響で好きになった。今日も、ケーから受け取ったmp3プレーヤーのイヤホンを耳に差し込みながら校門を出た。

「ハッ今なんつった?」

「実は左右の耳で機能が違う、って話」

「そ、そうだっけ」

 イヤホンから音楽が流れ始めた。今日は洋楽だ。音はある程度に絞っているので、会話に支障はない。

「右半身は左脳が、左半身は右脳がコントロールしてる、って言うじゃん」

「うん」

「で、左脳は論理的な感じ、右脳は感覚的な感じ、あるでしょ」

「あるある」

「だからね、右耳は言葉を聴く時、左耳は音楽を聴く時、活発に働くようになってるらしいよ」

「へぇー、なるほど」

「だからさ、今レンタロウの両耳に刺さっているイヤホンの内、少なくとも右耳の方は、無くてもいいんじゃないかなって思うんだよね」

「……?」

「少なくとも左耳の方は、わたしに付けさせてくれてもいいんじゃないだろうか、って」

 そう言いながらケーは、自分の耳と僕の耳の間に人差し指を往復させた。そういうことか。

 ケーは音楽ラブなだけあって、いつもは味わって聴くことを求めてくるので、相合イヤホンなど提案されるのは初めてのことだ。僕は右のイヤホンを取って、ケーに手渡そうとする。

「んー」

 しかしケーは両手を後ろで組んで首を左に振った。

「どした」

「んー」

「なんだよ」

「付けて」

「な、なんじゃそれぁ」

 反射的に平静を装おうとした結果噛んでしまったが、ケーは知らんぷりをしてくれた。なんだ、今日はスキンシップ過剰じゃないか。普段は手を繋いだりもしないじゃないか、僕ら。ドキドキしながらイヤホンをケーの右耳に持っていく。もう一方の手で、耳にかかった柔らかい髪をかき分ける。イヤホンをつまむ人差指と中指、親指の先がケーの耳輪に触れた、うわあったけー。いつもよりケーの匂いを近くで感じる。香水かシャンプーかなんだろうけど、脳を刺激されるいつもの匂いだ。

「あはは、味わいすぎだよ」

 イヤホンを押し込もうとしたところで、ケーが頭を引いた。

「じょーだんじょーだん。やっぱりいつも通り、しっかり聴いて。両耳で」

「お、……おぉ」

 ちょっと残念に思いながら、イヤホンを右耳に戻す。

「ケーって、香水付けてるの?」

「ん? うん。こいつは中々特別なヤツなんだよ。レンタロウは好きですか」

「……うん。好き」

「それは良かった」

 下校路、いつもケーと別れる三差路までの道のりの、ちょうど中間くらいまで来た。

「古代エジプトの話でもしよっか」

「あっそれだ!」

「ミイラを作る時ってさ、脳みそを全部抜くんだよ、知ってた?」

「はぇ!?」

 ケーがミイラ趣味という話は聞いたことがない。というか今日のケーはかなりお喋りだ。いつもの下校デートは、音楽を聴く僕の隣を、ケーがニコニコしながら歩いている、そんな静かなものなんだが。

「ま、まぁ聞いたことはあるな」

「鼻から掻き出すんだってね」

「え、まじかよ」

「こんな感じのかぎ爪を鼻から入れるんだって。おりゃー」

 ケーは人差し指をかぎ形に曲げて、僕の鼻に押し当ててきた。

「なんだよさっきから」

 照れ隠しで笑いながら答える。

「なんていうかさ、耳も鼻も、思ったより脳に近いんだな、って話」

「ふ、ふぅーん?」

 イヤホンからは相変わらず、洋楽が流れてきている。

 脳に近い、ねぇ。

「懐かしい匂い嗅いで、すごく切なくなったりすることあるじゃん?」

「あるある。路地裏の焼き魚の匂いとか」

「あはは、ステレオタイプだね。あとさ、フィクションで人が洗脳される時って、ヘッドホンさせられるイメージない?」

「あるなー。あと、ファンタジー系だけど、ある音声を聴くと超能力に目覚める、みたいなのとか」

「やっぱり、嗅覚と聴覚って、脳に近いんだよ。だからね」

 ケーと別れる三差路まで来た。辺りに人はいない、二人っきり。ケーは突然僕に向き合って背伸びをし、首に腕を回してファーストキスをした。そして、僕の左耳からイヤホンを取って口を近づけ、囁く。

「特別な匂いを嗅がせながら、左から聞こえる音楽に混ぜて、右からさりげなく洗脳音声が流れるmp3を毎日聞かせたら、その人の見えるものを制限したり、都合の良いように改竄したり、……記憶を消したりもできるんじゃないかって思うんだよね」

 そして、ぺろっと耳を舐めらたのがスイッチになったかのように、僕の思考は急激に低速化し、そして停止した。

「さよなら、レンタロウ」

 その声だけが最後に聞こえた。


 こんな思い出はもう一週間前のことだ。

 翌日、ケーは東京の学校に転校したと聞かされた。その時、僕はケーと付き合っていたことを忘れていたから、ケーに忘れさせられていたから、悲しくもなんともなかった。

 でもさ、ケー。

 素人の洗脳なんてそんなにうまくいくわけないだろ。君が僕にくれた忘れ薬が効いたのはたった2,3日だったよ。

 徐々に、ケーと付き合っていた日々を思い出すにつれて、悲しみがひしひしと襲ってきた。今にして思えば、あの日のケーの過剰なスキンシップや、最後のキスは、彼女の別れの挨拶だったのだ。そしてそれから、僕が悲しまないように、記憶を消してくれたのだ。

 僕の記憶を消そうとケーが決断したことはちょっと寂しかったけど、でも、僕はケーの気持ちを大切にしたい。ケーは僕の記憶を消したし、僕は思い出すこともできていない。それでいいんだ。だから僕は泣かない。

 ありがとう。

 さよなら、ケー。



 × × × × ×



 その日の夕方、ケーを見かけたある主婦はこう語っています。

「女の子と男の子が連れ立って歩いてるの。運動部とマネージャーかなって思ってみていたんだけど。でもね、男の子がイヤホンをして音楽を聴いているのよ、変だと思ったわ。でも一番びっくりしたのはその後! あそこの三差路まで来たら、女の子が男の子にキスしていくのよ! 頬っぺたじゃなくて口によ! 11人全員によ!」

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[一言] 11人全員・・・うーん分からない
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