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共通プロローグ企画参加作品です。


 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。

 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。



 ◇◇◇◇◇


「っていう出会いで……」

「なわけあるか。俺は剣なんか持ち歩いてない。お前の髪も黒じゃないだろ」


 女が語る壮大な妄想をばっさりと切り捨ててから、グレンは目の前の女をじっと睨む。

 金茶の瞳を輝かせる、まだ年若い女の髪色は夕焼けの色だ。

 真っ暗闇で見たとしたら、黒に見えるかもしれないが、雪明りの中なら見間違えるわけもない。


「それはそうなんですけど。なんか神秘的な感じがしません? 黒髪の美女が雪の中で行き倒れって」

「誰が美女だ」


 女があまりにも間の抜けたことを言うため、ついつい気持ちの良い応酬をしてしまったが、本来何より優先して語るべきはそこではなかった。


 仕事を終えて、帰りついた自宅に見知らぬ女がいて、自分は妻だと言い張る。


 その点だ。


 男は一つ息をついて頭を振り、自分のペースを取り戻そうとした。

 銀糸のような髪が男の頭の動きに合わせて、ゆるゆると揺れる。


「ともかく、話を戻すが。俺はお前なんか知らない。お前と結婚した覚えもない」


 女子どもには親切に、と厳しい教育を受けた彼にしては、平常聞いたこともないほど冷たい声だったが、女は堪えた風もない。

 金茶の瞳は相変わらず喜びに煌めき、柔らかそうな頬は薔薇色だ。


「やだぁ。いつもみたいにリサって呼んでくださいよ。グレンさん」




 女の話を総合すれば、こうだ。


 グレンとリサは一年前に知り合い、瞬く間に恋に落ちた。

 周囲の後押しもあり、めでたく夫婦になったのが二ヶ月前。


 女は淀みなく語ったが、グレンは何一つ身に覚えがなかった。


「もー。いい加減に悪ふざけはやめてくださいよぉ。いくら私でも泣いちゃいますよ」

「…………」


 ぷっくりと頬を膨らます女を見ながら、グレンはどうしたものかと思案する。


 十中八九、この女はイカれてる。

 どこで目をつけられたのかはわからないが、笑えないいたずらなのか、詐欺まがいのものなのか。

 いずれにせよ、グレンの留守中に家に入り込んでいたのだから、ろくなものではない。


 いざとなれば、力づくでお引き取りいただくのも致し方ないが、相手が女ということも考慮すれば、できるだけ穏便に済ませたい。


「悪ふざけはお前の……」

「ちょっとー? グレンいるのー?」


 グレンが畳みかけようとしたそのとき、玄関の方で母の声がした。

 返事をする間もなく、大きなかごに山盛りの林檎を持った母がリビングへ入ってくる。


「……母さん」


 近所に住むグレンの母が、こうして前触れもなく訪れることは珍しいことではなかったが、見ず知らずの女と二人きりでいるところを見られたことにグレンは内心狼狽えた。

 初対面の女だと主張したところでわかってもらえるだろうか? 痴情のもつれなどと認識されてしまっては始末が悪い。


 ところが、母は女の姿を認めるとにっこり笑った。


「あら。こんにちは、リサさん」

「こんにちは! お義母(かあ)様。美味しそうな林檎ですね」

「おか……っ?!」


 ぎょっと目を見開くグレンをよそに、女二人はかしましくしゃべり出す。


「これ、随分大きいですけど、もしかしてベンさんにいただいたんですか?」

「そうそう。ベンさんの孫の……何て言ったかしら」


 母が首をかしげると、女が微笑んだ。


「ミハイルさんですよ。林檎農家って言ってましたよね」

「ああ、そうそう。ミハイルね。あなた本当に良く覚えてるわねぇ」


 母が女を褒める様子も、女が嬉しそうにはにかむ姿も、親愛に溢れたごくありふれたやり取りに見えた。


「おい、ちょっと待てよ。母さんはこの……人と知り合いなのか?」


 最初の動揺からようやく立ち直ったグレンが聞くと、二人は一瞬動きを止め、顔を見合わせた。


「何? どういう意味?」

「さっきから私のことなんて知らない、結婚した覚えもないって、ひどいんですよ」


 おどけたように唇を尖らせる女に、母がやれやれと首を振った。

 それは子どもの頃から、グレンが何かをやらかしたとき――花瓶を割ったり、馬車の前に飛び出したり――の母の仕草だ。


「やぁね、この子ったら。何が気に食わないのかしら?」

「うーん。思い当たるのは……あっ」


 ぽん、と手を打った女がきらきらと瞳を輝かせて振り返る。


「お義父(とう)様のフロック・コートのボタンを、勝手に変えちゃったからですか? グレンさんは金が良いって言ってたのに、絶対青銀が似合うって決めちゃって」

「…………」


 あのコートには金が良いって言ってましたものね、と女は眉を下げた。

 グレンは、ひんやりとした気色の悪さが胸一杯に広がるのを黙って見ているしかなかった。

 傘をさしていたはずなのに、気づいたら背中がぐっしょりと濡れていたときのような、心もとない気持ち悪さ。


 確かに先週、グレンは父が大切にしていたフロック・コートを仕立て直して譲り受けた。

 父の瞳は蜂蜜色で、その色を写し取ったような金色のボタンが美しいコート。

 それを母が、『あなたの瞳は青なのだから、金よりも銀の方がいい』と言い張って、青銀のボタンへ付け替えてしまったのだ。


 その事実は、当然家族以外が知るところではない。仕立屋から仕上がったものを母が直したから、ボタンの色が変わったことは、辺境地で働く父さえ知らないのではないか。


 ――それを、なぜかこの見知らぬ女が知っている。


「この子は小さい頃から執念深くて。ごめんなさいね、リサさん」

「ふふ。大丈夫ですよ、慣れてますから」


 うふふ、と微笑み合う女二人が、グレンには今まで見たことがない、奇妙な生き物に見えた。

 

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