9.小さな芽生え
その女は、
自分の鞄から、
お茶の入ったペットボトルを、
一本取り出した。
そして、
笑顔で俺に差し出した。
「どうぞ?さっきコンビニで買ったの。フタまだ開けてないから大丈夫ですよ。」
あまりにも自然な女の態度に、
ボー然としてしまって、
俺はすぐに受け取る事ができなかった。
それをみかねて、
無理矢理、そのペットボトルを、
俺の手に握らせた。
買ったばかりと言ってた証拠に、
ペットボトルはまだ冷たかった。
右手に感じた冷感で、
俺はいきなり我に返った。
こんなものいらねぇ・・・!
って言って、
投げつけたいところだったけど、
実際、
酒の後でメチャメチャ喉が渇いていたから、
俺は黙ってフタを開けた。
ゴクリ。
喉を通る冷えた液体。
酒なんかより、
ずっとずっと喉越しがいい。
三分の二ほど一気に飲み干して、
ぷはぁっ!
息を一つついた。
口についた雫を、
強引に左手の甲で拭取る。
何だか一気に、酔いがさめて、
体が軽くなった感じだ。
体中にまとわりついてた熱も、
いつの間にか引いていた。
そんな俺の様子をじっと見てた女は、
安堵の表情を浮かべた。
「もう大丈夫そうですね。一人で歩いて帰れそうですか?」
「・・・あぁ・・・。」
当たり前だろうが!
俺様を幾つだと思ってやがるんだ!
と、心ん中ではムカついたけど、
そんなコトを言う元気もなかったし、
めんどくさいので、
一つ返事で済ました。
女は俺の返事を聞いて、
「よかった。」
と、ニッコリ微笑んだ。
俺は、その瞬間、
全身を何かで縛られたように、
固まってしまった。
周りの女どもの愛想笑いとは、
全然違う。
心底、心配して、
そして、安心した笑顔。
今まで、俺に好意を寄せてほしくて、
優しくした女はいくらでもいたけど、
何も求めずに、
本当の『思いやり』という行為で、
ここまでしてくれた女は初めてだった。
「あたし、もう行きますね。」
そう言うと、
女はその場を離れた。
俺が来た方向とは反対の道。
俺たちとは違う、
一般庶民の世界へと帰っていった。
不思議な感覚だ。
あんな人間が、
ちゃんと存在していたのか。
でも、もう二度と会うことはねぇ。
あんな女は、
俺とは次元が違いすぎる。
自分の中に芽生えた気持ちを、
振り払うかのように、
自分にそう言い聞かせた。
俺は、ゆっくり立ち上がって、
女が行った方向とは反対の道へと進んだ。
煩い人間が住む、
煩い世界へと・・・。
ところが、
俺はしばらくして、
女と再会することになる。
それは、思いもよらない形で・・・。