第096話 蒼穹の一戦(1/3)
雲の上、高台の最高所。目の前にそびえる巨大な存在は、ただそこにいるだけで圧倒的な威圧を放っている。
対峙する竜――サヴィスナージャはこちらの出方をうかがうように翼一つ動かさない。周囲ではルィンの仲間たちが鳥の魔獣を抑え込んでいた。
「ルィン、ちょっと待ってろ。俺はあいつに話がある」
「えっ? う、うん、わかった」
シルバーノートが一歩前へ出ると、サヴィスナージャの視線がすっと走った。
『ほう、“あの時”水の小僧とともにいた精霊ではないか。どうだ? その後の歩みは』
「久しいな、サヴィスナージャ。今はこの通り新しい主のもとで身を捧げているさ」
シルバーノートは腕を組み、サヴィスナージャと軽口を交わす。まるで昔馴染みと顔を合わせたかのような口ぶりだった。
「ところで『リアリューヴィン』はどうした? つい先刻までここにいたはずだが」
サヴィスナージャは巨大な顔に、ルィンにもわかるような“笑み”を浮かべた。
『ハッ、奴なら喰ろうてやったわ。小娘の分際で無礼にも我の前に立ち塞がるからだ』
「そうか。確かにお前から微かにあいつの霊力を感じるな」
「シルバー、『リアリューヴィン』って誰のこと? 知り合いなの?」
ルィンの問いに、シルバーノートは視線だけをこちらに向けた。
「さっき言った『水の精霊』のことだ。あいつの結界が奴を――サヴィスナージャをこの高台から解き放たれないように食い止めていたんだ」
「えっ!? 水の精霊が食べられちゃったってこと!?」
『クク、ちょうどいい、お前たちも我の魔力の一部としてやろう――!!』
サヴィスナージャが言い放つと、その巨大な体躯に魔力の奔流が駆け巡った。
「ルィン、来るぞ。以前話したことを思い出せ、水属性の本質を引き出すんだ」
「わかった……!」
ルィンは震える拳を握り直した。深呼吸をして意識を集中させる。あの時、シルバーノートが教えてくれたことを思い返した――
◇
「――ルィン、お前が今把握している水属性の特徴を言ってみろ」
シルバーノートと出会ったあと、ルィンはミラスの街のはずれで水属性の指南を受けていた。
ルィンは顎に手を当て、自分の使う水魔法を思い浮かべる。
「えーっと、これは友達からの受け売りなんだけど、水属性は柔軟な使い方ができる属性で、力強さは他の属性には劣るけど、色々な形に変形できて小回りがきくっていう感じかな? 僕は水流として使うより、魔力を込めた“物体”として使うことが多くて、壁とか足場とか結界にしたり、攻撃なら槍とか弾丸にしたり」
「間違った使い方ではないが、それでは水属性のほんの一部――一割ほどの力しか使えていないことになる」
「い、一割!?」
思わず声がうわずりそうになる。まさか自分の水魔法がその程度しか力を引き出せていないとは思ってもみなかった。
シルバーノートは片手を前に出し、水流の球を生み出して見せる。
「いいか、『魔法』というのは、自身がイメージしたものを『星のちから』を頼りに形にして実現する力だ。その属性に適した分野というものはあるが、前提となる知識がなければ、自ずと狭い考えに囚われた使い方しかできない」
シルバーノートが水球を大きくすると、中で無数の水流がせめぎ合うのが見えた。
「水属性というのは、“万物の流れ”を掴み、操作する力だ」
「万物の流れ?」
「そうだ。覚えるべきは“水の性質変化”と“魔力の流れの操作”、それから“身体の水分の操作”だ。どれも“流れ”を意識して行うものだ」
シルバーノートは言い終えると水球をふっとほどいた。
聞いたこともない水魔法の使い方に、ルィンは戸惑いを覚えた。
「聞いただけで難しそう……」
「そうだな。今のお前の使い方に比べたら、十倍は細かい魔力の操作が要るだろう」
「そ、そんなに難しいんだ……」
ルィンは尻込みしそうになる。
だが、すぐに目標とする人物――フィルレインが、強大な力を持つ二体の魔神竜と渡り合う姿が頭に浮かぶ。
「でも、フィルレインはそれを使いこなせてたから強かったんだよね」
「ああ、あいつは水魔法に関してはずば抜けた実力の持ち主だった」
ルィンは息を吸い、拳を握り込んだ。
「シルバー! その使い方、詳しく教えて! 僕もフィルレインみたいになりたいんだ!」
「いいだろう。ではまずは――」
◇
「よし! まずは“性質変化”だ、あの時言われた通りにイメージして――!」
ルィンは地を蹴り、サヴィスナージャに向かって走り出した。
『大氷槍!』
待っていたと言わんばかりに、サヴィスナージャは即座に氷の槍を生成し、ルィン目掛けて撃ち込んだ。風を切る轟音とともに目にもとまらぬ速さで迫ってくる。
近づく攻撃を目前に、ルィンは頭の中で水の変化を必死に思い描いた。星の“ことば”を懸命に聞く。
だが――
「くっ……“ことば”が浮かばない……! うわ――っ!」
「ルィン!!」
フェルナリーザの声が飛ぶ。ルィンは咄嗟に水の壁を張ったが、その威力は凄まじく、槍は壁を破壊するとそのままルィンを後方へ吹き飛ばした。
「うぐ……」
致命傷は避けたものの、たったの一撃で全身に傷を負ってしまう。攻撃を受けた部分がパキパキと音を立てて氷に侵食され、凍傷が広がっていく。
「……回復を――風の優――」
「だめだ。使うなら水の回復魔法だ」
背後から飛んできたシルバーノートの言葉に、ルィンは目を見開いて振り返った。
「えっ……!? 水魔法って回復もできるの――!?」
「今まで使えなかったのは、“知識”と“イメージ”が無かったからだ。水は本来癒しの力も持ち合わせている」
「そんな……」
思わず息を呑む。確かにルィンはこれまで水魔法に“癒し”のイメージを重ねたことがなかった。
そこで、風の回復魔法を使えるようになった時のことを思い出す。緑の里長のアーシェと交わした言葉がよみがえった――
――ああ、瘴気が薄れたおかげで魔力も戻ってきた。回復魔法も使えるようになったよ。
――風魔法って回復魔法も使えるんだね。
――ああ、風は癒しや支援を得意とする属性でもある。
思い出す。それはアーシェの言葉があったからこそだった。
ルィンは意識を戻し、即座にイメージを組み立てる。
「水の、癒し――!」
冷えた水の感触が傷を覆い、草花が水を吸って息を吹き返すように、生命の流れが宿る様を思い描く。
――その時、“ことば”が浮かんだ。
「――! 水の清癒!」
その言葉に呼応して全身が水の魔法の膜に包まれる。凍傷はすっと解けるように消え、傷もみるみるうちに癒えていった。氷に蝕まれていた感覚が、洗い流されるように薄れていく。
「風とはちがう……水の冷たい感触が全身を洗うような……」
ルィンは気持ちを切り替え、再びサヴィスナージャへ視線を向けた。
「さっきは必死にイメージしたのに、全然“ことば”が浮かばなかった……」
ルィンの苦さを含んだ言葉に、シルバーノートは「ふむ」と腕を組み直す。
「そうだな、説明しただけでいきなりやれと言われても難しいか。――仕方ない今回は手助けしてやる」
そう言ってシルバーノートはルィンへ手を向けた。
「法式付与!」
その声とともに、ルィンの服が淡く光を帯びる。
「これは……」
「その服に、一時的に俺の水属性に関する“魔法の知識”や“イメージ”を、魔法式として刻んだ。これで少しは戦いやすくなったはずだ」
ルィンは目を閉じ、意識を集中させた。
――浮かんできた。今までなかった、水の新たなイメージが。
「――ありがとう、シルバー! 今度こそ行ってくる!」
ルィンはそのまま走り出した。
その背を見送りながら、シルバーノートはわずかに口の端を緩めた。
「ふっ、あの真っ直ぐな性格はあいつにそっくりだな」




