第009話 青の里
深い森の懐に抱かれた青の里。木漏れ日が差し込む静かな森に、水のせせらぎと人々の歌声がかすかに響いていた。里の空気はしっとりとしていて、どこか懐かしい香りがした。
水の宝石の痕跡を辿り、ルィンはついにこの地に辿り着いた。
「ここがじいちゃんが言ってた“青の里”……」
里に入ると人々がざわめき出し、こちらを見ている。少し警戒する様子もあり、自然と肩がこわばる。
「あのっ――!」
「止まれ!」
一人の男性が近づいてきて訝しげにルィンを見つめた。
ルナと指輪にはまった宝石に目を留めると、驚いた表情を浮かべる。
「妖精……? それにその宝石と髪色、もしや……ルィンか?」
「うん、僕はルィンだよ」
「そうか……来なさい」
男性は静かに頷き、ルィンを里の奥へと案内した。
石畳が続く細い道の両側には、薄青い木材で造られた家々が静かに並んでいる。水路が張り巡らされ、澄んだ水の流れる音が耳に心地よく響く。家々の軒先には水草や貝殻で彩られた飾りが吊るされており、簡素ながらも慎ましい美しさを湛えていた。
やがて辿り着いたのは、巨大な滝が流れ落ちる深い青色の淵。その滝の裏側には、洞窟の入り口が隠されていた。中に入るとひんやりとした空気が肌を撫でる。天井から滴り落ちる水が澄んだ泉に波紋を広げ、神秘的な音色を奏でている。洞窟の壁には青く光る苔が生え、幻想的な光を放っていた。泉の奥では精霊が息づいているかのような青白い光が揺れている。
その泉のほとりに金色の髪の男性が椅子に座り、誰かと話していた。耳元ではルナによく似た青く輝く妖精が舞っている。
「――! まさか、ルィンか……?」
男は目を見開き、しばし言葉を失ったままルィンを見つめた。まるで幻を確かめるように一歩、また一歩と踏み出す。
「はい、ルィンです」
緊張した面持ちで答えると、男はゆっくりと近づき、ルィンの顔をまじまじと見つめた。そして、そっと手を伸ばして小さな肩に触れた。
「おぉ、ルィン、よくここまで……」
震える手で優しく頭を撫でた。触れたそのぬくもりに男の目が細められる。やがて静かにうなずくと深く息を吐き、椅子へと腰を下ろした。
「私はこの里の長、ダンルーク。……お前の父だ」
「おとうさん……?」
思いもしなかった言葉に、ルィンは驚きの色を浮かべた。
「ああ。九年ほど前、お前は母セルシアと共に行方不明になり、それきり消息が途絶えていたのだ。セルシアは……」
ダンルークの声はわずかに震えていた。
「お母さんは僕に名前と、この水の宝石を遺したって、じいちゃんが言ってたよ」
指輪を見せるとダンルークは目を見開き、小さく息を呑んだ。何かを確かめるようにじっと見つめ、表情がゆっくりと硬くなる。その目に静かな驚きの色を残したまま背もたれに身を預けると、やがて視線を落とした。
「そうか。セルシアよ……すまなかった」
目元に手を当て小さく呟く。
それからひとつ大きく息を吸うと、ルィンをまっすぐに見据えた。
「お前を育ててくれた者がいるんだな。感謝せねばな」
「うん……でもひと月前に、影みたいなものに村を襲われて、じいちゃんや村のみんなは……」
声がしだいに小さくなっていく。
「そうか、お前のところにも影が。災難だったな……」
「影について何か知っているの?」
「いや、あれは私達もよく分かっていない。この里も襲われたが皆の力で退けた」
「そう、なんだ……」
自分の知らないところでも影の脅威が広がっていたことを知り、あのような悲劇が各地で起きていたと思うと血の気が引くのを感じた。
「ルィン、ここまでの旅路、疲れただろう。ここで私たちと暮らしていくのはどうだ。みなお前を歓迎する」
ダンルークは優しい眼差しを向けた。
しかし、ルィンは揺らぐことなくまっすぐ言う。
「ありがとう。でも僕、約束したんだ。友達を助けに行くって」
その瞳を見つめながら、ダンルークはルィンの指輪に目を落とし、しばし考え込んだ。
「……そうか、わかった。お前の意志を尊重しよう。だが先程、里の近くでの戦いの様子を見ていたが、あれではこの先危険すぎる。せめて試練を課そう。一人で旅を続けるために必要な力を、ここで身につけていきなさい」
ダンルークに課された試練は、里の守り神である巨大な滝を水魔法で真っ二つにするというものだった。
深い青色の滝壺に流れ落ちる轟音、舞い散る水しぶき、そして圧倒的な水の力。その壮大で力強い光景を前に、ルィンは思わず少しだけ尻込みした。
「……よしっ! 水刃!」
気合を入れ直し、ルィンは手に水を宿す。思い切って切り掛かるも、滝の表面を削るだけでまるで歯が立たない。何度挑んでも結果は変わらず、パシャパシャと少し水が跳ねるだけだった。
「……くっ! こんなの、どうすれば……!」
「ルゥ! ファイト!」
近くの岩場に腰掛け、ルナが小さな拳を握りしめて応援する。
それからルィンが滝に通い詰める日々が続いた――