第066話 月下の邂逅
スースー、とルナの穏やかな寝息が聞こえてくる。
あの後、案内された部屋のベッドで目を閉じていたが、眠気は全然訪れなかった。マイズたちとの林での戦闘に始まり、玉座の間での一連の出来事まで――今日一日で起きたことが頭の中を巡り、目は冴えるばかりだった。
じっとしているのがどうにも落ち着かず、気分を変えようとベッドを離れバルコニーへ向かった。
扉を開けると涼しい夜風が頬をかすめた。見下ろす先には、すっかり静まり返った城下町が広がっている。目線を上げれば、満月が柔らかな黄金の光を湛えて夜空に浮かび、辺りには虫の音が心地よく響いていた。その光と音に包まれるうちに、疲れた心が少しだけ軽くなるのを感じた。
手すりに手をかけてしばらく月を眺めていると、ふと隣のバルコニーにも人影があることに気が付いた。目を向けると、先ほど玉座の間で会ったフェルナリーザが同じように手すりに寄りかかり、夜空を仰いでいた。風に揺れる黒髪が月の光を受け、幻想的な雰囲気を纏っていた。そのどこか神秘的な横顔に、気づけばじっと目を奪われていた。
視線に気が付いたのか、フェルナリーザは「あら」とこちらに顔を向けた。
「あなたも眠れないの?」
「あ……うん、今日は色んなことがあって……」
見つめてしまっていたことを見られてしまい、気まずさに目を逸らした。
「そう、私も同じよ」
フェルナリーザはそれだけ言って再び月に目を向けた。
「あの……さっきはごめんなさい……!」
一瞬の沈黙の後、思い切って切り出した。緊張からやや早口になってしまう。
「いきなりあんなこと言って……」
「まだ気にしていたの? 私はもう気にしていないわ」
フェルナリーザの口調は穏やかだった。その表情に、肩の力が少し抜けるのを感じ、ほっと息をついた。
「あなたはどうしてこの街に来たの?」
フェルナリーザの問いに、左手の指輪にそっと視線を落とした。
「……僕は、探している友達の手掛かりを求めてここまで来たんだ。それで、やっとハイルグントに辿り着いたと思ったら、そのままお城に呼ばれちゃって……。でもお姫様のことは心配だから、助けてあげたいって思ってる」
「そう、私も似たような感じだわ」
「フェルナリーザさんも一人で旅をしているの?」
「“さん”はいらないわ。そんなに歳も離れていなさそうだし」
それまで大人びた印象だったが、こうして言葉を交わしてみると、時折の笑顔や、やや高めの声にどこか幼さが残っているようにも見えた。背丈や雰囲気からして自分と同じか、少し年上くらいだろうか。
「私は各地を回って“情報”を集めているの」
「情報?」
聞き返すと、フェルナリーザは一瞬黙り込んだ。
「ザームの情報よ」
「えっ……?」
その言葉にごくりと息を呑む。
「それってどういう……?」
戸惑いながら尋ねると、フェルナリーザは小さく息を吸った。
「さっきも言った通り、私たち“黒の民”は“影人”のザームとは何の繋がりもないわ」
「あ、その“かげびと”っていうのは?」
先ほども出たその言葉に、首を傾げる。
「“影人”というのは、世界中に潜む影のいわば“支配者”のような存在のこと。ザームのことを言うけれど、私たちの家名と区別するためにそう呼んでいるの」
「なるほど……」
「ただ、まったく関係がないと言い切れるかどうか、自分たちでもわからないの。私たちの英雄の名を持ち、同じ闇魔法を使う。けれど、それ以上の手がかりは見つからない。でも、無関係だと決めつけて見過ごすこともできない。だからこうして各地を巡って情報を集めているの」
そう語りながら、フェルナリーザは城下の影を見つめた。
「そうだったんだ……」
「あなたも何か分かったことがあったら教えてね」
そこで風の国でザームと遭遇したことを思い返した。
「僕、風の国でザームと会ったことがあるんだ。魔族を従えてて、強力な召喚のような魔法を使ってた。僕の友達の行方を知っているようなことを言っていて、この指輪を狙っているような感じだった。……でも僕が知っているのはそれくらいかな、他にはあんまり話せることはないかも」
「それは本当……? 会ったことがあるという話は初めてだわ。その指輪って……もしかして伝承で伝わる指輪かしら」
フェルナリーザがこちらの手元に目を向ける。
「うん、みんなにはそう言われてる。この指輪を落とした子の手がかりと、指輪に嵌める宝石を探して各地を旅してるんだ」
「へえ。……雷の国へも行ったの?」
「え? うん、たぶん二年くらい前だったと思う」
答えると、フェルナリーザは顎に指を添えて、ちらりと空を見上げた。
「私、あなたのこと『ゼルフィシア』で見かけた気がするわ」
「えっ!? 本当!?」
「ええ、不思議な魔力の気配を感じたから印象的だったのを覚えているわ。その後そのまま街を出て炎の国へ向かったのだけれど」
「そうだったんだ……」
こんなに広い世界でそんな巡り合わせがあるなんて、まさか思いもしなかった。
「他の国はもう見て回ったの?」
「そうね、風の国から旅を始めて、この大陸では大地が最後ね」
「……てことは、えーと、僕とは反対周りで……?」
頭の中で地図を描こうとするが、あれこれ考えるうちにかえって混乱してしまった。
「その宝石を持っているってことは、“白き風の剣神”にも会ったのね」
「白き風のけんしん?」
首を傾げる。
「緑の里長のことよ」
「アーシェのこと? そんな風に呼ばれてるの?」
「ええ。私も会って手合をお願いしてみたのだけれど、全く歯が立たなかったわ。この世にあんな人がいるなんてびっくりよね」
アーシェの剣を振る姿を思い返し、自然とその言葉に頷いていた。
「確かに……。アーシェはすごかった。ザームが出てきたときもアーシェに助けられたんだ」
「なるほど、そうだったのね。……私もあの人を目標にしているのだけれど……追いつけるのかしらね」
そう言ってフェルナリーザは再び夜空を見上げた。その瞳に揺れる光は、まるで月が彼女の意志を照らしているかのようだった。
その横顔を見ながら、心の内にあった言葉がふと零れた。
「……フェルナリーザは、“サラ”のことを何か知ってる?」
「サラ?」
フェルナリーザは首を傾げた。その眼差しには、謀や何かを隠しているような気配は感じられなかった。
「……あ、ううん。やっぱり今のは忘れて」
「? そう」
サラは黒の民によって「闇の国」に連れ去られたかもしれない。その疑いはまだ完全には拭いきれていない。あまり全面的に信用しすぎるのも良くないと思い、言葉を濁した。
「――さ、風も冷えてきたし、私はそろそろ部屋に戻るわ。また明日ね、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
「さ、風も冷えてきたし、私はそろそろ部屋に戻るわ。また明日ね、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
フェルナリーザはふわりと髪をなびかせながら部屋へと戻っていった。
静かになったバルコニーで、一人夜空を仰いだ。
フェルナリーザとの会話を思い返すうちに、世界には不思議な巡り合わせがあるものだと、しみじみ思った。詩人の詩に出てくるような“運命”なんていうものは、本当にあるのだろうか。そんなことを考えているうちに、いつしか瞼が重くなっていた。ひとつ大きなあくびをすると、明日の出発に備えようとバルコニーをあとにして、再びベッドに潜り込むのだった。




