第063話 王都への道(2)
「さ、いよいよハイルグントが近づいてきたね」
走り出した馬車の荷台で、ミヌエットが「んーっ」と大きく伸びをした。
「ま、この調子なら何も起こらない気がするけど」
「おい、気を抜くな。お前だって噂を聞いただろ」
「噂?」
首を傾げると、ダレンが短く頷いた。
「ああ、最近この辺りで行商人の馬車が襲われる事件が続いてるらしくてな」
「襲われる……このあたりも街道に影が出るのかな」
ルィンは脇の林へと視線を向け、小さく呟く。
「どうだろうね。でも、確かにまだ気を抜くには早かったね」
ミヌエットは緩んでいた表情を引き締めると、荷台に座りなおした。
軽い談笑を交わしながら進んでいたが、ふいにミヌエットが手を上げ、「静かに」と三人を制した。その表情からは先ほどまでの和らぎが消えていた。三人の視線がミヌエットに集まる。
「どうしたの?」
「フランが警戒してる。林の中に何かいるみたい――怪しい男がこっちを見てるって」
ミヌエットの声は緊張を帯びていた。
「人か? 影じゃなくて?」
「うん、弓を持ってるって」
ミヌエットは視線を前方の林へ向けた。ダレンも組んでいた腕をほどき、同じ方向をじっと見つめた。
「まずいね。僕は一旦、御者とベルナークさんに伝えてくるよ。三人は警戒をお願い」
「わかった。ダレン、ルィン、行こう」
マイズが荷台から跳び降り、馬車の前方へ走っていく。三人は荷台を降りて林側へ回った。
「ミヌエット、どのあたりか分かる?」
上空のフランを確認しながら、ミヌエットは林の奥を指し示す。
「あの辺り、少し木が密集してる、あそこの――」
「――うわぁああッ!」
言い終えるより前に、前方から御者の悲鳴が響いた。ダレンが即座に反応し、声のした方へ駆け出す。続いて「や、やめてくれぇ!」とベルナークの叫びも届いた。
――と同時に、馬車が突然暴れ出したように前へ走り出した。
「なんで馬車が――!」
追って駆け出すが、荷台は大きく跳ねながら林の中へと突っ込んでいった。
「ルィン! 御者とベルナークさんを頼む! マイズもグルだ! ミヌエット!」
「うん!」
ダレンの叫びにミヌエットもすぐに反応し、二人は走り去る馬車の後を追っていった。
「マイズが……! わかった、二人は任せて!」
駆け寄ると、ベルナークと御者は地面に倒れて血を流していた。ベルナークは背中に深い傷を負い、御者の肩にも赤い染みが広がっている。二人は苦悶の声を漏らし、動くこともできない様子だった。
「大丈夫ですか!? 今治療するので、そのままじっとしていてください」
急いで傍まで行くと、傷口に手を当てる。
「風の優癒!」
魔法で二人の傷はたちまち塞がった。
「な、なんと……これは天道か……? いや、それにしては……」
ベルナークが驚いたように傷の跡を見つめているが、そのままじっと林の奥を見据えた。
「僕も後を追います。結界を張るので二人はここにいて下さい。その中は安全なので出ないようにお願いします」
そう告げ、二人に向けて両手を掲げた。
「守護悠水陣!」
水のバリアを展開し、風の力でその輪郭を補強した。淡い光が二人を包み込み、空気の揺らぎが守りの境界を描いていく。
「こ、これは……」
戸惑う二人を後に、急いで林の奥へと駆け出した。
『なんだか嫌な予感がするわね』
「僕もだよ」
『ベルナークさんたちの傷、あれは明らかに槍じゃなかったよ。マイズは何か隠してる』
ルナとナヴィの声が響く。
二人の警戒の念を感じながら、足早に林の中を駆けていった。
「とにかく急ごう――!」
車輪の跡を辿っていくと、視界の先に人影が浮かび上がってきた。
「あれは……ダレンと、マイズ――?」
動きからしてどうやら戦っているようだった。その奥には止まった馬車の姿が見える。
マイズの槍が素早く突き出され、それをダレンが剣で受け流す。二人は激しくぶつかり合い、その背後では、肩にフランを乗せたミヌエットが弓を構えて周囲を警戒していた。
ミヌエットがこちらに気が付く。
「ルィン! 二人は?」
「大丈夫、手当して安全な場所で待ってもらってる」
直後、甲高い金属音が響き、マイズの槍が弾き飛ばされた。ダレンの剣先がすかさずマイズへと突きつけられる。
「さすが騎士団を目指すだけあるね……参ったよ」
マイズは観念したように膝をつき、両手を上げて降参の姿勢を取った。だが、その様子を見てもダレンは構えを解かず、目を逸らさなかった。
「お前はハイルグントの憲兵に突き出す。もう一人いるんだろ、出てこい」
「うーん、まさか鷹の目があんなに強力だとはね、参ったな。おーい僕らの負けだ、降参しよう」
マイズは肩をすくめながら脇の木陰を見つめた。その視線につられるように全員の意識がそちらへ向く――その刹那。
「――ッ! ダレン! そっちじゃ――!」
「――くっ!」
ミヌエットの声も間に合わず、視線の反対側の木立から空気を裂く音とともに一筋の矢が放たれた。
「うぐっ――」
反応が遅れたダレンは肩に直撃を受けた。苦痛に顔を歪め、その場でぐらりと体勢を崩す。
「ダレン!」
ミヌエットの叫びが響く。
――その直後、マイズがマントの中から二本の短剣を引き抜き、倒れかけたダレンに襲いかかった。その動きは予測を許さない速さだった。咄嗟のことにミヌエットは弓を引く余裕もなく、フランも飛び込もうとしたが間に合わない。ダレンは腕を前に出し、覚悟を決めたように目を閉じた。
だが――。
次に目を開けたとき、ダレンの目の前には紫電を纏ったルィンが立っていた。淡く輝く剣が、マイズの短剣を真正面から受け止めていた。
「え……?」
「な、なんだお前……!」
ダレンは驚きに目を見開き、マイズも目の前に現れた姿に戸惑いを隠せずにいた。
「マイズ、本当に降参する気があるのなら、その短剣を置いて。そうでないなら……覚悟して」
マイズを睨みつけ、剣を構えたまま静かに言い放つ。
――もし自分が止めなければ、ダレンは命さえ危なかったかもしれない。躊躇いもなく人を傷つけようとするマイズが許せず、剣を持つ手に力が入る。
「ふ、ふふ……生意気だな」
マイズはゆっくりと後ずさる。その足取りには明らかな動揺が滲んでいた。
「何やら怪しい術を使うみたいだが、こっちは伏兵だっているんだ、おい!」
マイズがこちらの背後を見やりながら声を上げる。そちらに目を向けかけた――その瞬間、またしても反対側から矢が放たれた。
「ルィン!」
ミヌエットの声が飛ぶも、静かに手を掲げた。
「水流顕現!」
「――!?」
その場にいた全員がその光景に息を呑む。放たれた矢を防ぐと、飛んできた方向を睨みつけた。そこからは確かに人の“気配”を感じた。
「疾風刃!」
放たれた二つの風の刃が木々を切り裂き、木の上に潜んでいた伏兵を炙り出した。
「うわっ!」
枝を打ち払われた男は背中から地面に落ちる。
「お、おいマイズ! 聞いてねえぞ! なんだコイツは……!」
「僕だって聞いてないさ……」
弓を持った男が困惑した声を上げる。マイズも短剣を構えたまま唖然としたように立ち尽くしている。
「水球弾!」
その隙を逃さず、すかさず水の弾を放つ。伏兵の額を正確にとらえると、男は「ぐあ――」と呻き声を上げてそのまま気を失った。
「ミヌエット、あいつを抑えてて」
「う、うん……わかった!」
ミヌエットは倒れた男のもとへ駆け寄り、その体を押さえつけた。
「ルィン……お前は一体……うっ」
「風の優癒!」
掲げた手から放たれた光がダレンの肩を包み込み、血を流していた傷口が瞬時に塞がった。
「……これは天道なんかじゃない……まさか――」
「傷は治したけど、まだ動かないで」
「なんなんだ、お前……」
困惑するマイズに向き直り、鋭い視線を向ける。その身体から放たれる気配は、年齢に見合わぬ威圧感を纏っていた。
「くそっ……! こっちはやっと天道を覚えていい儲けができるようになったんだ……! こんなところで……!」
「お前ッ――! 聖なる力をこんなことに使うなんて――!」
ダレンの怒声が空気を裂く。
「フンっ……! 僕が手に入れた力だ。僕がどう使おうが――!」
――直後、マイズが短剣を光らせて飛び込んできた。その動きは鋭く、戦い慣れた者のそれだった。天道の力による身体強化と武器強化が明らかに施されている。かつての自分であれば為す術もなかっただろう。
だが、あの人たちと比べると、動きは直線的で、太刀筋は芯がない――。
マイズの攻撃に合わせて剣を振り上げた。緑に輝く一閃が、まるで紙を裂くように短剣の刃を両断した。
「――!? くそっ……!」
マイズは咄嗟に飛び退き、腰元から取り出した玉を地面へと叩きつけた。煙が広がり視界を奪っていく。そのまま林の奥へ逃げる足音が聞こえてくる。
「ごほっ、あいつ、煙幕なんて……! このままじゃ、逃げられる……!」
「烈風!」
風の力で煙を吹き飛ばす。マイズの姿は見えなかったが、冷静さを崩さずに次の一手を考える。
「すごい……なんなの、ルィン」
ミヌエットは口を開け、呆然とこちらを見つめていた。
「フラン、力を貸してくれる?」
ミヌエットの肩口に留まっていたフランに呼びかけると、「ピィー!」と大きく鳴いて空へと舞い上がった。しばらく旋回する様子を見守っていたが、ふと林の一点を見据える。
「あっちか。ありがとうフラン! 二人とも、ちょっと待っててね」
「え? ルィン、あなたフランの――」
ミヌエットが言い終えるより早く、地を蹴って駆け出した。紫電を纏った身体が風の加速を得て、林の中を疾走する。
すぐにマイズの背を捉え、前へと回り込んだ。
「――!? な、なんなんだよ、お前……!」
「マイズ、一緒に旅ができて楽しかったと思ってたのに、残念だよ」
「……ハッ! あんなの適当に合わせていただけだ……! お前みたいな甘ちゃんが友達を探して旅だって? ハンッ、笑わせるね」
マイズは嘲笑を浮かべるが、その声の端には明らかな焦りが滲んでいた。
「その友達とやらは、もうとっくに野垂れ死んでるかもな!」
――その直後。
身体の芯から強烈な光が噴き上がる。額の紋章が黒く光を帯び、風が渦巻き、身体に紫電が走る。大地は小さく揺れ、握りしめた拳は熱を帯びたように赤く輝いた。
「――!? ひ、ひぃ! ば、化け物……!」
剣を抜き、雷のような速度で間合いを詰める。刃がマイズの首元へと迫り――
『ちょっとルゥ!』
『だめ、ルゥっ!』
ルナとナヴィの声が頭の中に響き渡った。動きをぴたり止める。剣先は寸前で静止し、マイズは尻もちをついて崩れ落ちた。そして、虚ろな目をしたまま白目をむいて気を失った。
「僕、今……何を……」
光が薄れていく中、手元を見下ろした。呼吸は浅く、胸に渦巻く衝動はまだ静まっていなかった。
『ルゥ、頭にくるのは分かるけど、一線を超えちゃだめよ』
『あたしたちが止めなかったら、あの人の首、今頃飛んでたよ』
二人の言葉に、呼吸を整え、心を鎮めていく。
「……僕、頭に血が昇って……気づいたら剣を抜いてて……。二人とも止めてくれてありがとう……」
剣を鞘に戻し、なお震える指先を握りしめた。今も胸の奥には重たいものが残っている。抑えきれなかった感情の爆発に自分でも戸惑いを隠せず、怖ささえ覚えた。
目を閉じ、深呼吸を数度繰り返す。それから地面に倒れたままのマイズを一瞥した。
「……とりあえず二人のところへ戻ろう。心配してるかもしれない」




