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幻想水月物語  作者: 安良木 響花
【緑の章】
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第048話 風の気配

 泉の上空に水の足場を作り、静かに目を閉じる。足を組み、目の前に横たわる剣へと意識を向けていく。


 ――今まで話しかけようともせず、名前もつけてあげずに本当にごめん。どうか心をひらいて……。


『……』


 泉の面に微かな波紋のような静寂が広がる。だが、剣からの返答はなかった。


 水辺ではアーシェとルナが様子を見守っていた。アーシェの隣には、目を閉じて静かに休むウーフの姿がある。

 ルナがルィンの方を見つめ、ぽつりと漏らす。


「うまくいくのかしらね」

「こればっかりは本人次第だな。だが心配ない。彼の誠意はちゃんと剣に届いている」


 その言葉に、ルナは「ふーん?」と首を傾げた。


「そういえば、アーシェには妖精はいないの?」

「我々緑の民は、それぞれが“風”の妖精みたいなものだよ」

「えぇっ!? 全然そんな風に見えない……妖精ってもっとこう……()()()()してるものじゃないの?」


 疑問符を浮かべながら、ルナが目を丸くする。


「はは、まあ、気づかないのも無理はない。我々の気配はもう妖精のそれとは程遠いからな」


 アーシェはどこか遠くを見つめるような表情をした。

 ルナは宙に浮かびながら、考え込むように腕を組む。


「わたし、自分のことあんまり分かってないのかも……」


 アーシェはふっと微笑み、泉の方を見る。


「私たちだって同じさ。なぜ存在しているのか、“風”の力を託されている理由は何なのか――考えることはあっても、結局なにもわからないし、今が変わるわけでもない」


 一呼吸置いてから、ルナに視線を向ける。


「“月”の君だってそうだろう? 彼は“水”なのに、今こうして君は手助けしている。自分が何者であっても全ては巡り合わせの積み重ねだ。そしてそれは考えてやってくるものでもない」

「なんだか深いこと言うわね……」


 ルナの頭からプスプスと白い煙が上がる。

 そんな中、アーシェがふと泉の方へ目を向けた。


「おや、少し反応があったようだ」


 視線の先、ルィンの剣がうっすらと淡い輝きを帯びていた。


「あの状態から三日でここまでか……彼の切実な想いが剣の心を揺り動かしたのだろう」

「ルゥはやるときはやるのよ!」


 ルナが胸を張って誇らしげに言い切る。

 ルィンは深く呼吸を整え、そっと足場から降り立った。


「……ふぅ。ちょっと休憩しようか」


 剣にそっと語りかけるように呟いてからアーシェたちの元へ向かう。


「アーシェ! 今少しこの剣の声が聞こえたような気がしたんだ! なんて言ってたのかまでは分からなかったけど……」

「その調子だ。しっかり対話を続ければ、いずれはっきりと剣の声が聞こえるようになる」

「うん!」


 まだ微かな兆しだったが、アーシェの言葉に勇気をもらう。


「アーシェの体調はどう? もう大丈夫?」

「ああ、瘴気が薄れたおかげで魔力も戻ってきた。回復魔法も使えるようになったよ。見ての通り、もう大丈夫だ」


 アーシェは軽く身振りをしてみせた。


「瘴気……あの黒いオーラのことだね……。里の皆は大丈夫かな?」

「ああ、心配ない。皆の気配はしっかり感じられる。君たちが手当てをしてくれたおかげさ」

「よかった……。風魔法って回復魔法も使えるんだね」

「ああ、風は“癒しや支援”を得意とする属性でもある。その指輪を見るに、君は風の宝石を探しに来たのだろう?」


 そう言うと、アーシェはすっとローブの内側から長剣を取り出した。

 思わず目を見開く。


「そんなに大きな剣が、ローブの中に……?」

「ふふ、その反応は久しぶりだな。これはメルディアーナの大樹の葉で作られた特製のポーチでね。見た目以上にたくさん入るんだ」


 腰につけたポーチを示しながら、アーシェが微笑む。


「ほら、この宝石を受け取れ」


 長剣のつかめられてあった緑の宝石を外し、手渡される。ためらいつつも、両手でしっかりと受け取った。


「え、いいの……?」

「構わない。その代わり、メルディアーナを影から解放してやってくれ」


 その手から、意志とともに小さな不安が伝わってきた。


「うん、約束する! 必ずメルディアーナを助けるよ!」



 宝石を指輪に嵌め込むと、緑の光が淡く広がって身体を包み込んだ。風が吹き抜けるような感覚が胸へと届いてくる。まるでこの世界の自然の営みが身体に染み渡るように、全身が穏やかな感情に包まれていった。優しさ――それが、この感覚を言い表すのに最もふさわしい言葉だと思った。


「これが風の力……優しい気持ちが伝わってくる」

「風の宝石は『リーフの優愛』とも言う。風の優しさと誠実さが込められているよ」

「リーフの優愛……。ありがとう、大切にするね」


 指輪を嵌めた左手を胸の前でそっと握りしめた。新たな希望と共に、その手には託された想いがひとつずつ積み重なっていく。力だけではない。全てに込められた“誇り”に応えるように、そこに宿る気配へと心を澄ませた。


「それじゃあ、僕戻るね」

「ああ、その調子だ。焦る必要はない」


 頷き、再び泉のもとへ戻る。

 その心はふたたび剣との対話へと深く沈んでいく。謝る気持ちと、共に戦いたいという願いが泉の水面に映り込み、波紋となって広がっていった。


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