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第041話 温もり

 秋風が街を吹き抜け、木々は赤や黄色に色づき始めていた。冷たさを増す風に、人々は上着の襟を立てながら早足で歩いていく。


 その日も、ソフィアとフィンは街の診療所に眠るルィンのお見舞いに向かっていた。

 花屋の前を通りかかったとき、ソフィアがふと立ち止まり、微笑みながら店内へ入っていった。


「昨日は果物を届けたし、今日は花を買っていきましょうか」

「ああ。もうすぐ二ヶ月か……」


 俯き加減に呟いたフィンへ、ソフィアは励ますように明るく声をかけた。


「大丈夫、きっと目を覚ますわよ。ルナも不安でしょうし、あたしたちがしっかりしなきゃ」

「そうだな」


 フィンは頷いたものの、その表情には希望と不安が交錯していた。



 二人が診療所の入口へ近づくと、遠くからルナの興奮した声が飛び込んでくる。


「ルゥ!? ルゥ!! 目を覚ましたのね!」


 顔を見合わせたソフィアとフィンは、バタバタと一目散に階段を駆け上がった。

 病室の扉を開けると、ベッドの上でルィンが上半身を起こし、目の前のルナを優しく見つめていた。


「あぁ、ルゥ……よかった……ほんとに心配したのよ……っ!」


 ルナは安堵と喜びの入り交じった声を漏らしながら、小さな拳でルィンの胸を何度も打ち付ける。

 ルィンはルナの頭をそっと撫でた。


「心配かけてごめんね、ルナ。待っててくれてありがとう。それに二人も」

「ルィン! よかった、ほんとに……!」


 ソフィアは気丈に笑っていたその目に、堪えていた涙を滲ませた。

 フィンは顔をぱっと明るくさせ、ほっとした様子でベッドへ駆け寄った。


「ルィン、あたしたちがちゃんとわかる?」


 ソフィアが問いかけると、ルィンは皆を安心させるようにしっかりと頷いた。


「うん、わかるよ。三人の声はずっと頭の奥で聞こえてたんだ。でも……闇に閉じ込められたみたいに、身動きが取れなかったような感覚で……」


 その言葉にソフィアは胸を撫で下ろし、微笑んだ。


「いいのよ、ちゃんと目を覚ましてくれたんだもの。まずはしっかり栄養を取って、身体を戻していきましょう?」

「うん、そうだね……僕、お腹空いちゃった」


 病室には久しぶりに訪れた温かな空気が満ちていた。

 長い眠りから目覚めたルィンを囲み、四人の絆は確かに深まっていった。



 それからはルィンの体調を取り戻す日々が続いた。


 驚くほど旺盛な食欲で、ルィンはまるで数ヶ月分の空腹を一気に満たそうとするかのように、毎日診療所の小さな食堂で大盛りの料理を平らげていく。


 あるとき、ルィンの隣でパンをかじっていたフィンがゆっくりと口を開いた。


「……そろそろ話をしてもいいのかなと思うんだけど、ルィンはあの時何が起きたのか覚えてるのか?」


 ルィンは手を止め、わずかに視線を落とした。


「……それが、何も覚えてないんだ。ルナが地面に叩きつけられたところまでは覚えてるんだけど、その後頭が真っ白になって……気づいたら闇の中だったんだ」


 俯き加減に答えたルィンの瞳は、自身でも困惑しているように揺れていた。


「ルナから聞いたのだけど、あなたはラースのことをどれくらい知っているの?」

「ラース?」


 ルィンは小さく首を傾げた。


「ルナが前に一緒にいたっていう? 僕もそれくらいしか……」

「あの後、お前はラースの力であの魔族を一瞬で消し去ったんだ」

「えっ!? ベルマを!?」


 ルィンは驚いて目を見開く。


「わたしもね、気がついたらソフィアの手の中にいたの。二人が言うには、わたしは一度殺されたんだって――」

「――! あれは夢じゃなかったんだ……」


 ルナの言葉に、ルィンの顔色が青ざめていく。


「でも、ルナはここに……?」

「ラースになったルィンが、生き返らせたのよ」

「生き返らせる――!?」


 信じられないという表情でルィンはルナを見つめた。


「そんなことが……」

「その後いきなり倒れて、それからずっと目を覚まさなかったんだ」


 フィンはその日々を振り返るような目をする。

 一拍置いて、ルィンはふと何かを思い出したように呟いた。


「そういえば……意識が闇に戻るとき、一瞬だけ声が聞こえたんだ」

「声?」


 三人の視線がルィンに集まる。


「ルナをたのむよ、って」

「それ、ラースだわ! ほかには何か言ってた!?」


 興奮ぎみに詰め寄るルナに、ルィンはぎゅっと目を閉じて必死に記憶を辿る。


「……宝石を集めなさい、って言ってたような。うっすらとしか思い出せないけど……」

「――!」


 ルナははっとした表情でルィンの指輪を見つめた。


「やっぱり、宝石を集める必要があるんだわ!」


 ルナは宝石を指差しながらルィンの肩へとひらりと乗った。

 その様子を見ながらソフィアが顎に手を当てて思案するように言う。


「ラースがそう言っていたのなら、他の宝石を集めれば何か分かるかもしれないわね」

「そういえばルィンはどうして宝石を集めてるんだ? ラースに会うためなのか?」


 ふと疑問を口にしたフィンの言葉に、ルィンの表情がわずかに固くなる。


「僕は……影の災害の時、目の前で友達が影に飲み込まれてしまったんだ。そして必ず助けにいくって約束した」


 ルィンは小さな拳を握り締め、言葉を続ける。


「そのときその子がこの指輪を落として、それがきっかけでルナと出会ったんだ。それから手がかりを求めてラースに話を聞くために、宝石を集めてるんだ」

「そうだったのか……」


 ルィンは少し間を置いてから、ぽつりと付け加える。


「でも……あの時よりも魔法のことを知った今、思い返すとあれは影に飲まれたっていうより、連れ去られたような感じだった。黒い渦の中に消えていったんだ」


 ルィンは思い出すように、それでいて確信に満ちたような表情を浮かべた。


「それなら、早く助けに行かなくちゃね」

「うん! だから、早く身体を戻さないと!」


 ルィンはぐっと拳を握り直し、真っ直ぐな瞳で頷いた。

 その表情に焦りや曇りはなかった。今はゆっくりと、確かに身体を取り戻していくことが大事だと分かっていた。




――ひと月後。


「はぁあっ!」

「うぉおっ!」


 ルィンとフィンは、時計塔の最上階で激しい組手を繰り広げていた。拳と拳がぶつかり合い、乾いた衝撃音がゼルフィシアの空に響き渡る。その光景は、かつての特訓を彷彿とさせるものだった。


「よし! 戻ってきたぞ!」

「ああ、すっかり元通りだな」


 腕を回しながら喜ぶルィンに、フィンも嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ふふっ、ありがとうフィン!」


 息を整えながら、二人は拳を突き合わせた。


「二人とも、お茶を淹れたわよ。一緒に飲みましょう」

「ありがとう、ソフィア!」


 ゼルフィシアを一望できる窓際のテーブルで、落ち着いた時間が流れる。夕暮れの光が柔らかく差し込み、時計塔の部屋を温かく包み込んでいた。

 ソフィアは湯気の立つカップをゆっくりと置くと、寂しそうな表情を浮かべ、ルィンへ向き直った。


「……ルィン、あなたはこれから残りの宝石を探しに行くのでしょう? あたしたちはついては行けないけれど、代わりにこれを持っていって」


 ソフィアは自分の首元に手を伸ばした。フィンもまた、胸にかけていたネックレスを外した。二人はそれをそっとルィンの手に重ねた。


「え、でも……これ、大切なものなんじゃ……」

「ええ、そうよ」


 ソフィアは優しく微笑み、静かに、それでいてしっかりとした声で言葉を重ねる。


「だから、大切につけて、友達を見つけたらきっと返しに来てちょうだい」

「それまで、俺たちの代わりにずっとお前を見守っていてくれるはずだ」


 フィンもまた、力強く、それでいて柔らかな眼差しを向ける。


 気がつけば、ルィンの目には涙が溢れ、頬を伝ってこぼれていた。


「このネックレスはね、二つ合わせると小さなお守りになるの。あたしたちの確かな想いが込められているわ。あたしたちの大切な弟を守って、と」

「辛くなったらいつでも帰ってこい。ルィン」

「――っ! うん……っ!」


 ルィンは震える声で必死に返事を絞り出し、両手で大切にネックレスを受け取った。


「――ありがとうっ、ソフィア……っ、フィン……っ!」


 その言葉には深い感謝と、別れの寂しさが込められていた。


 震える小さな肩に二人はそっと手を添えた。

 ――すると、あの日村を出てから今まで押し込めていた感情が溢れ出し、堰を切ったようにルィンは声を上げて泣き出した。


 ――ゼルフィシアには長く居すぎてしまった。

 祖父と別れてから多くの人たちと出会った。皆温かくルィンの心を包みこんでくれた。……ときどき、その温もりの中で立ち止まりたくなることもあった。

 それでも、ルィンは自分の足取りに迷いが生まれないようにと、いつも早めにその場を離れることにしていた。

 ……半年という月日は、幼いルィンの心を留めるには十分すぎる時間だった。


 大きな夕日が部屋を照らす中、ソフィアとフィンはルィンの両横に寄り添い、ルィンが泣き止むまでずっと傍にいてくれた。



 翌朝、ルィンは旅立ちの準備を終えた。

 出発する際、門まで二人が見送りに来てくれた。

 朝日が街を優しく照らし、冷たい風が足元を吹き抜ける。


「気をつけてね、ルィン、ルナ」

「無理するなよ」


 ルナを肩に乗せて、新たな旅路へと足を踏み出す。

 ゴーン、ゴーン――という鐘の音を背に、何度も何度も振り返りそうになる。

 そのたびに心の中で、繰り返し自分に言い聞かせた。首元のネックレスを握りしめ、必死に前だけを見据え続けた。


 二人の姿を目にしてしまうと、再び寂しさが溢れ、戻りたくなってしまうから。


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