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幻想水月物語  作者: 安良木 響花
【紫の章】
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第034話 稲びく力

 ひと月ほど時計塔で特訓を続けるうちに、最上階まで階段を上っても、もう息が切れることはなくなっていた。

 フィンをお手本に身体操作の基礎を学び、動作のひとつひとつもどこか洗練されてきたように感じられた。


「身体操作も一通り身についてきたかしらね。そろそろフィンとの組手を始めましょうか」


 ある日、整ってきたルィンの姿を見てソフィアがそう告げた。それを聞き、ルィンはきゅっと表情を引き締めた。たしかに動きは良くなってきたかもしれないが、出会ったときのフィンの流れるような身のこなしや、今までお手本にしてきた目の前の所作を思うと、自分にできるのかという不安があった。


「フィンみたいにできるかな……」

「完ぺきを目指さなくてもいいのよ。ゆっくり覚えていきましょう」

「うん……!」


 ソフィアのやさしい言葉に、ルィンは勇気をもらった。


「魔法や天道の使用は禁止。純粋な体術のみでやること」

「わかった!」

「ああ」


 ソフィアが念を押すと、二人はホールの中心で向かい合った。


「ちょっと待って」


 構えを取ろうとしたところで、ソフィアが手を上げて制した。


「組手の前後は向かい合って礼をすること。相手を敬う気持ちが大切よ」

「敬う気持ち……」


 ルィンは頷き、フィンと共に深く頭を下げた。戦いではなく、相手の体を借りて学ばせてもらう。そんな気持ちを込めて礼をした。


「では始め!」


 

 始まってしばらくは、体術に長けるフィンにただ一方的に動かされているような感覚だった。フィンの身体の運びは鋭く正確で、ルィンはついていくのがやっとだった。


 少しずつだが、何度も繰り返すうちに目で追えるようになっていった。ルィンの反応が上がれば、フィンもさらに速さと力強さを増していく。次第にそれはただの練習以上のものになっていった。


「ほら! 今のはバランスを崩さなければ受け流せたわ!」

「呼吸が乱れてる! その隙を狙われるわよ!」


 鋭くも的確な指摘が飛ぶ中で、フィンの動作に集中しながら、そのひとつひとつを丁寧に落とし込んでいった。身体操作で覚えた感覚を思い出しながら、全身の流れを組手に重ねていく。洗練には程遠いが、流れるような動きがゆるやかに生まれはじめていた。



「ルゥ、最近一生懸命ね」


 宿屋のベッドに横たわったルナが、隣で姿勢を整えるルィンを眺める。ルィンは寝る前のひとときにも、黙々と身体操作の訓練を続けていた。


「二人が熱心に教えてくれるのが僕嬉しくて! それに、自分の動きが少しずつ良くなっていくのを感じるからね」

「ふーん、わたしももうちょっとやってみようかしら……」


 月の光が差し込む静かな部屋の中、並んだ二人の小さな息遣いだけが、穏やかな時間の中にそっと溶け込んでいった。



 ――ホールに鋭い衝突音が鳴り響く。渾身の拳が走り、フィンがそれを正面から受け止めた。


「だいぶ様になってきたわね。次のステップに移ろうかしら」


 さらにひと月ほど組手を続けた頃、ソフィアが言った。だいぶそれらしい組手になってきたところだった。


「次はなにをするの?」

「雷魔法を使った実戦形式の組手をしてもらうわ」

「――!」


 ソフィアは首元のネックレスをゆっくりと外す。大切なものを扱うような所作だった。ルィンはふと、フィンの首元にも同じものが揺れていたのを思い出した。


「雷魔法は電撃による攻撃に加えて、身体強化にも使えるのよ」

「初めて会った時に、フィンがすごい速さだったのはそういうこと?」


 ルィンは時計塔に初めて来た日の出来事を思い返す。あのときは目で追うことも出来ず、一方的に攻撃を受けるだけで反撃する余裕もなかった。


「ええ、あれは雷魔法で速度と反射神経を高めていたの。直接的な攻撃力の強化はできないけれど、そこは私たちは天道てんどうで補っているわ」

「紫の民も天道を扱えるんだね」

「ええ。ただ、修めるには大変な努力が必要だったわ。時計塔の頂上で、何年も祈りを捧げて……」


 ソフィアが思い返すように言葉を継ぐ。

 「何年も」という言葉にルィンは小さなひっかかりを覚えた。自分が天道を習得するまでにかかったのはひと月ほどだった――それだけ、ガーシュヴォルフから授かった加護の恩恵が大きかったのだろう。


「それはいいとして、雷魔法の説明に戻るわ。雷魔法の攻撃は威力こそ高くはないけれど、発動と着弾が速く、射程距離が長いのが特徴よ。攻撃魔法については、私たちが細かく教えるよりも、ルィン自身のイメージで形を探っていく方がいいと思うわ」

「わかった!」

「それじゃあ、宝石をその指輪にはめてみて。伝承通りなら、ルィンも雷魔法を使えるはずよ」


 ソフィアがネックレスから宝石を外し、ルィンに手渡す。

 指輪に宝石をはめ込んだ瞬間、ルィンの心に言葉にしがたい強い感情が湧き上がった。胸の奥で脈打つようにしてあふれ、それが全身へと広がっていく。

 火花のような紫色の稲妻が、全身を走り抜けていく。


「これが雷魔法の力……強い意志を感じる……」

「俺たち紫の民は規律を重んじる一族だから、そういう精神が宝石に宿っているのかもね」


 それぞれの宝石には特性があることを、ルナが話していたのを思い出す。水は「静謐せいひつ」、炎は「情熱」、雷は「意志」。まだ見ぬ宝石たちはどのような力が宿っているのだろうと、ルィンは思いを巡らせた。


「それじゃあ、組手を続けてちょうだい。これからは実戦形式で、雷魔法と天道の使用も許可するわ」


 二人は礼を交わし、向かい合った。

 初めての雷魔法にルィンの胸が高鳴る。


雷の同調(マイス・ゼフィア)――!」


 火花が散るように紫電しでんが身体を包み、空気に緊張が走る。


 ――静寂の中、ふたりが同時に動き出した。雷光のような速度で間合いが詰まり、拳が交差する。

 だが――


 フィンの拳がルィンの頬に命中し、衝撃で尻もちをついた。


「はは、速すぎて目と反応が追いつかないや……」


 思わず苦笑しながら、ルィンは肩で息をした。想像していた以上に雷魔法の速度は苛烈だった。


「あたしたちも最初はそうだったわ。慣れるまで特訓あるのみよ! ほら立って!」


 こうして、ルィンの雷と向き合う日々が始まった。まだ不安定な稲妻だった。けれど、ルィンの中で新たな力が確かに息づきはじめていた。


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