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第003話 焦燥

 冷たい雨の中、ルィンは散らばった荷物に目をやった。ナッツの瓶と花の種が雨に濡れて地面に転がっている。

 その瞬間、恐ろしい考えが頭をよぎる。


「村は……!?」


 血の気が一気に引いた。


「村も同じように襲われていたら……じいちゃんや村のみんなが……!」


 ルィンは震える手で荷物を鞄に詰め込み、ぐちゃぐちゃになった鞄の中にサラの指輪をしまい込む。混乱に満ちた街を後にして村への帰り道を駆け出した。

 冷たい雨が容赦なく体に打ち付ける。頬を伝う涙はもはや雨水と区別がつかなかった。ルィンは息を切らしながら必死に走る。

 山のふもとが見えてきた。その足はさらに速さを増す。胸の鼓動は高鳴り、息ができなくなるほどまで駆け続けた。雨でぬかるんだ足元は滑りやすく何度も転びそうになる。


 山道に差しかかろうとしたその時、突然脇の茂みが激しく揺れた。


「――ッ!?」


 ルィンは驚いて後退する。

 茂みの中から飛び出してきたのは、ルィンと同じくらいの大きさの狼だった。だがその姿は歪んでいた。目は血のように赤く輝き、全身から黒い煙のようなものが漂っている。


「なんだよ……これ……!」


 声がかすれる。狼が低く唸り声を上げ、鋭い爪を地面に突き立てながらゆっくりと近づいてくる。雨脚はさらに強まり、視界がぼやけていく。


「どいてよ! 村までもう少しなんだ――!」


 焦燥が声に滲む。

 ――次の瞬間、鋭い唸り声とともに狼が飛びかかってきた。


「――ッ!」


 ルィンはとっさに鞄を盾にして牙を防ぐ。しかし勢いに押されて地面に倒れ込んだ。狼は牙を剥き出しにして、目の前で猛り狂っている。

 恐怖と疲労で足が震える。手には力が入らない。迫る牙を前に頭の中が真っ白になった。


「――うぁああああ!」


 叫びながら恐怖を振り払うように狼を突き飛ばす。狼は少し距離を取ったがすぐに体勢を立て直し、再び臨戦態勢をとった。

 ルィンは近くに落ちていた木の棒を拾い上げ、震える足で立ち上がった。

 ――狼が動いた。左右に揺れながら狡猾にルィンへと迫ってくる。視線は追いつかず、体に力が入らない。

 ルィンは棒を握りしめ、思わず目を閉じた。


 ――その瞬間、サラの微笑みが脳裏に浮かんだ。


 「信じてる」という言葉が耳の奥にかすかに蘇る。


「僕は――!」


 ルィンは目を開いた。覚悟を決め、棒を持つ手に力を込めて正面に構える。


 ――すると、何かが脈打つようにドクンと心の奥底が揺れた。誰かのささやきが頭の中に響くように、“ことば”が浮かぶ――


「――っ! 水の剣(シュルク・アイル)――!!」


 ルィンは咄嗟に叫び、棒の先端へと意識を集中する。木の棒が淡く光を帯び、水の刃が形を成した。


「うぁあああッ!」


 狼は突然の反撃に対応できず、水の刃に切り裂かれた。苦しそうにのたうち回った末、やがて動かなくなる。黒い煙をまとったその体は宙に溶けるように消えていった。

 ルィンはその場にへたり込み、荒い呼吸を繰り返す。全身を襲う恐怖と疲労に、目の前の光景が現実とは思えなかった。


「じいちゃん……!」


 再び立ち上がり、ルィンは走り出した。


 足はもつれ何度も転びそうになる。ぬかるんだ地面に足を取られ、木の枝が頭を打つ。それでも止まらない。視界は涙と雨でぼやけていた。


 そして、ついに村へとたどり着いたルィンの目に映ったのは――変わり果てた無残な村の姿だった。


「そんな……」


 地面に倒れた村人たち。崩れ落ちた家々。漂う血の匂い。

 降りしきる雨は、まるでこの惨劇を洗い流そうとしているかのようだった。

 ルィンの足が震え、前に出るのをためらわせる。歯を食いしばり、意を決して村の中へと走り出した。

 

 少し進んだところで剣を握ったまま倒れているバッツの姿が目に入る。その奥には瓦礫に寄りかかるようにして倒れているリニーの姿があった。


「リニー!!」


 ルィンの叫び声が静まり返った村に響き渡る。

 ルィンは駆け寄り、震える手でその小さな体を支えた。


「ごほっ、ル……ィン。無事……だったのね……」


 リニーの声はあまりにも弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。青ざめた顔で、その体からは大量の血が流れている。


「――ッ!? リニー! どうしてこんな……!」


 ルィンは泣きそうになる気持ちを抑えながら、その手を強く握った。


「ルィン、お父さんがね……ぐすっ……お母さんも……黒いのに飲まれて……! うぅっ、怖かった……!」


 震えながらリニーは涙を流す。


「リニー! 今、傷の手当てをするから! お願い、しっかりして!!」


 ルィンが必死に呼びかけていると、鞄から花の種がこぼれ落ちた。それに気づいたリニーがかすれるような声でつぶやく。


「お花……の種……一緒に……植えたかった……な……」


 そのか細い声がふっと途切れた。瞳が静かに閉じられ、小さな体から最後の力が抜けていく。


「リニー……? うそだ……そんな……リニーッ――!!」


 叫びは砕けた心からほとばしるように村の空へと響き渡った。冷たい雨が静かに降り続け、リニーの頬を、そしてルィンの頬を濡らしていった。

 ――風が遠くで誰かを呼ぶように静かに吹き抜けていった。


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