第017話 赤き地への一歩(2/3)
崖下へ近付くと横転した馬車が見えてきた。
車輪は折れ荷台は大きく破損し、木片や荷物が一帯に散らばっている。傍らには槍を手にした男が今にも崩れそうな馬車を背に、必死に踏みとどまっていた。壊れたキャビンからは女性と少女のすすり泣く声が漏れてくる。
男の視線の先に禍々しい影がにじり寄っている。クマのような姿をした大型の影が二体、親子を狙うかのように、ゆっくりと馬車へ近づいていた。
「クマ……!?」
一瞬ためらいかけたルィンだったが、思いきって飛び込んだ。足元に水の魔法を集中させて跳躍し、男とクマの間に着地する。
小さな身体が巨大な影の前に立ちはだかった。
「!? なんだ……!?」
「おじさんは中の二人を守ってて!」
「あ、ああ……! わかった!」
男は驚きつつもすぐに頷いてキャビンへと駆け寄る。
ルィンはすぐにクマへ向き直り、覚悟を刻んだような瞳で見据えた。
「ルナ、お願い!」
「任せといて! 月の加護!」
淡い光がルィンの身体を包み込む。
「よしっ、水の槍!」
ルィンは水を変形させて鋭利な槍を生み出した。ユーステスとの旅で得た経験で、巨大な相手にはこうした形での対応が有効だと考えた。
クマが吠え、突進してくる。風を切るような速さで地面を揺らし巨体が迫ってきた。
ルィンは槍を構え、真正面から突き出す。
しかしクマの動きは予想以上に鋭く、爪で槍を弾き飛ばされてしまった。そのまま爪が振り下ろされる――
「ルゥ!!」
慌てて身体を転がし、辛うじて一撃をかわす。
――しかしもう一体のクマが突進しようと迫っていた。
ルィンは咄嗟に腕に水の魔法を纏わせて防御する。
だが、その力はあまりにも小さかった。衝撃と共に身体が吹き飛ばされ、背後の崖へと激しく叩きつけられた。
息が詰まり、肺の奥から痛みが広がる。
「うぐっ……」
「今傷を癒やすわ! 月の心癒!」
ルナの魔法が放たれ光がルィンを包む。痛みが和らぎ、傷は瞬時に癒えた。
しかしルナの魔法の力にも限界がある。何度も攻撃を受けてはいられない。
「水の双剣……!」
息を整えながら立ち上がり、両手に水の長剣を作り出す。青白く光る二本の武器を握り、再びクマたちに向かって駆け出した。
「なんと、あの少年は……」
「……きれい」
キャビンから親子の声が聞こえてくる。
ルィンは二体のクマ相手に必死に応戦した。振るわれる爪を刃で受け流し、噛みつきは紙一重で躱し、突進は足さばきで交わす。
だが、防ぐだけで精一杯で、反撃する余裕がない。ルィンの体力は少しずつ削られていく。
一歩退いて荒く息をつきながら思考を巡らせる。
「どうする……このままじゃ……!」
――そのとき、鋭い風切り音と共に、一筋の矢がクマの目の前に突き刺さった。
直後、三人の男女が空気を切るようにルィンの前へと舞い降りてきた。
「少年、一旦引いて親子を頼む」
茶色の髪をした男が静かな声で促す。
「大丈夫だ、あとは任せろ。一人でよく耐えたな」
長身の男がニッと笑みを見せながら振り返った。
あまりに突然の出来事に、ルィンは傷ついた腕を押さえながら茫然と立ち尽くした。
「くるわよ!」
金髪の女性が短く告げると、三人はそれぞれ武器を構えた。
「烈閃!」
茶髪の男は背中から大剣を抜き放ち、迫るクマを袈裟に斬りつけた。
クマは鋭い爪で受け止めようとしたが、剣はそのまま爪ごと肉を裂いた。その刃は淡く輝きを放っていた。腕を失ったクマは叫びを上げてのたうつ。
「重拳!!」
長身の男が駆け込み、拳を突き出した。拳には淡い光が宿っており、衝撃と共にクマの体を揺るがせた。
「照拳! 光舞脚! ウラァ!」
さらに顎へ打ち上げるような一撃を加え、続けざまに蹴りを放った。クマは大きく吹き飛ばされ、後方の巨木に激突して崩れ落ちた。
「こっちよ! 燦連射!」
同時に、金髪の女性が放った三本の矢がもう一体のクマの頭部へと突き刺さる。ひるんだ隙を見て茶髪の男が跳び上がり、回転を伴った斬撃を叩き込んだ。
クマの身体は真っ二つに裂け、黒い煙と共に消えていった。
「すごい……」
目の前の光景にルィンは言葉を失った。あれほど苦戦した相手がまるで遊ぶように退けられていった。
弓を持った女性が駆け寄ってきて、心配そうにルィンを見つめた。
「大丈夫? 怪我は?」
「あ……腕をちょっと……」
ルィンは、痺れる腕をさすりながら答えた。
「ここね、ちょっと待ってね。――天癒」
女性がやさしく手を添えると、柔らかな光が腕を包み込み、痛みがすうっと引いていった。
「これって……!」
驚くルィンの言葉に、女性は微笑みを返すだけだった。
「フフッ……まずは、あの人たちを上まで送りましょう」
丘を登り親子を送り届けると、御者たちは安堵の表情を浮かべた。
「いやー、このにーちゃんたちがちょうど通りかかってな。話を聞くと、坊主みたいに一目散に崖を降りて行って」
興奮気味に話す御者のそばで、親子が深く頭を下げた。父親は「本当にありがとうございました。あなたたちのおかげで妻と娘は助かりました」と述べ、母親も涙を浮かべ何度も頭を下げていた。
「この少年が時間を稼いでくれたおかげだ。間に合ってよかったよ」
「僕は何も……」
ルィンは目を伏せた。
「あのっ……!」
少女が頬を赤らめながら駆け寄ってきた。背丈からしてルィンよりやや年上に見えた。胸元を押さえるようにして精一杯の声を届ける。
「ほんとにありがとうっ。あの水色の光、とってもきれいで……すごくかっこよかったわっ」
「……うん、無事でよかったよ」
ルィンは笑みを浮かべて応えた。
「また襲われるかもしれない。とりあえずここを離れよう」
「近くの町まで行きましょう。私たちも一緒に行くわ」
全員がその提案に頷き、一行は馬車と共に町を目指して歩き出した。