第016話 赤き地への一歩(1/3)
水の国と炎の国を隔てていたのは、果てしなく続く荒野だった。
赤茶けた大地が地平線まで続き、岩と枯れ草がまばらに転がるばかりで緑はほとんど見当たらなかった。容赦なく照りつける太陽は幌を焼き焦がすかのように熱を放ち、吹きつける乾いた風が砂埃を舞い上げる。その光景には、訪れる者を迎えるやわらかさは微塵もなかった。
ルィンは荷馬車の荷台に腰を下ろし、幌の影に身を寄せながら暑さをやり過ごしていた。風にばたつく乾いた布の音が耳を打ち、軋む車輪が荒野を淡々と進んでいった。
「旅人くん、そろそろ国境だよ」
若い御者が額の汗を拭いながら振り返る。
帽子を深く被り、日差しを避けるようにしてルィンは前方をじっと見つめた。
霞のかかった地平線の向こうに焼けた大地がどこまでも広がる。涼やかな風と潤いに満ちていた水の国とは何もかもが異なっていた。空気はひりつくほど乾き、焦げたような匂いがほんのりと鼻をかすめる。
「ここからが炎の国……」
期待と不安が入り混じった顔つきでルィンがつぶやく。
その様子に気づいたのか、振り返った御者が余裕のある声を返す。
「炎の国は初めてかい?」
「うん。話には聞いてたけど……思ってたよりずっと暑いや」
水の国では風が森や川を渡り、肌を撫でるように吹いていた。
だが、今は風が吹くたび肌を刺すような乾いた熱気に変わっている。
「そうだなあ。水の国は過ごしやすいからなあ」
御者は前方の空を見つめながら故郷を思い出すような表情をする。
「でも、お兄さんが乗せてくれて助かっちゃった」
「ハハッ、あのまま歩いてたら今頃干からびてたかもしれんな」
炎の国に近づくにつれて変化する環境に体がついて行かず、木陰で何度も休みながら進んでいたところだった。
「この先に小高い丘がある。そこからなら水の国と炎の国、両方見渡せるんだ。景色がいいぞ」
「へぇ……!」
見知らぬ土地への不安は尽きなかったが、道中で出会う風景にはいつも心が動かされた。
荷馬車はガタガタと揺れながら荒野を進み、やがて小さな丘へと差しかかった。
「わぁ……!」
丘の上から見た光景に、思わず声が漏れた。
振り返ると緑豊かな景色が広がっていた。
やわらかな起伏の草原には風に揺れる木々がまばらに立ち並び、その間をぬうように透きとおった川が蛇行していた。陽を受けた水面はきらきらと光を弾き、小さな橋がところどころに影を落としていた。空の青さはどこまでも澄み渡り、遠くには煙を上げる家々の屋根が見えた。点在する村々がまるで夕暮れ前の灯火のようにほっとする温もりを宿していた。
視線を前に向けると、全く異なる光景が広がっていた。
赤茶けた岩山が連なり、ところどころから立ちのぼる白い煙が空の青を曇らせるように漂っている。山肌はひび割れて崩れた岩が斜面を覆い、生命の影を寄せつけない。足元に広がる大地は焼け焦げたような色をしており、陽炎が立ち昇るたびに空気がゆらりと歪んだ。風は熱を含み、頬をなぞるたびに肌の水分を奪っていく。命の気配に満ちていた水の国とは対照的な、荒々しさと大地の奥深くから滲み出す力強い脈動があった
ルィンは目の前に広がる二つの光景に心を動かされ、口を開けて交互に眺め回していた。
「ん? あれはどうしたんだ?」
御者が前方に視線をやり、突然声を上げた。
道の脇に一人の男が立ち尽くし、崖下を見下ろしていた。
「おい! どうしたんだ!」
御者が声をかけると男が振り返り、怯えたように震える声を漏らす。
「……あ、あぁ、突然黒い獣に襲われて、馬車がキャビンごと崖を下っちまって……獣もそれを追って下に……」
それを聞いてルィンは荷台から身を乗り出した。
「中に人はいたの!?」
「あ、あぁ。親子が乗っていた……」
男の声は風にかき消されそうだった。
「ルナ!」
「えぇ!」
ルィンはルナと共に真っ先に荷台から飛び降りた。
「お兄さん、ここまで乗せてくれてありがとう!」
「お、おい! 危ないぞ!」
御者の声が背後から追ってきたが、ルィンは足を止めることなく崖を駆け下りていった。足元に水を纏わせ、落下の衝撃を和らげながら岩の合間を飛び越えていった。
「こりゃたまげた……ありゃーなんだ?」
残された御者たちは呆気に取られたように顔を見合わせた。