第012話 ひとときの並び道(1/4)
深い森を抜け、木漏れ日が揺れる街道に出ると、ルィンは大きく息を吸い込んだ。草花の甘い香りと温かな日差しが、森での旅路の疲れを優しく癒してくれるようだった。
目指す炎の国がどれほど先なのかもわからない。地図もないまま、人づての言葉だけを頼りにひたすら歩き続けた。
時に道に迷い、時に草原の真っ只中で夜を明かすこともあったが、それでも前へ進むしかなかった。すれ違う旅人や行商人に道を尋ねながら、流れに逆らわずに進む小舟のように一歩一歩を進めていった。
「あとは……薬かな」
その日は夜を過ごすために小さな町に立ち寄り、必要な物資を買い揃えていた。
夕暮れが町を茜色に染め始める頃、ルィンはこじんまりとした薬屋に足を踏み入れた。外の空気とは違う土と草の匂いが漂っていた。
「いらっしゃい」
カウンター越しに座っていた深い皺を刻んだ老婆が優しい声でルィンを迎えた。
「まだ大丈夫ですか?」
「ああ、坊やは何が欲しいんだい?」
「怪我をしたとき用に塗り薬をください」
「はいはい、ちょっとお待ち」
老婆はゆっくりと立ち上がり棚の奥に手を伸ばす。古びた棚の隙間からほのかに薬草の香りが立ちのぼった。
そのとき、キィッという音と共に扉が開き、長身の黒髪の青年が入ってきた。
「まだやってるか?」
「おや、今日はアンタが最後になるかねぇ。はい、傷薬だよ」
「俺にも薬瓶を一つ。それと包帯ももらえるか」
商品を受け取ると、青年がこちらに視線を向けた。日焼けした肌と精悍な顔つきが印象的だった。
「少年、君も旅の途中か?」
ルィンは老婆に銅貨を差し出しながら小さく頷いた。
「うん、今は炎の国を目指してるんだ」
「炎の国ねぇ……まあ物好きなこった」
老婆が不思議そうにルィンを眺める。
「炎の国か。俺の行き先と方向は一緒だな。よかったら途中まで一緒に行かないか? 話し相手が欲しかったんだ」
薬瓶を懐にしまいながら親しげな笑みを浮かべる。その目には一人旅の長さを物語るような静けさが滲んでいた。
「うん、僕も話せる人がいると嬉しい」
「決まりだな!」
青年とともに訪れた食事処には、温かいシチューの湯気と香ばしいパンの香りが店内に漂っていた。木の椅子と丸い卓が並ぶ素朴な店内には数組の客がくつろぎ、あちこちから静かな笑い声がこぼれていた。
「俺はユーステス・ハルツだ。よろしくな、ルィン。ユースと呼んでくれ」
「ユースはどうして旅をしているの?」
ルィンの声には純粋な興味と好奇心がにじんでいた。こうして他人の旅の理由を聞くのは初めてのことだった。
ユーステスは食事の手を止めると湯気の向こうをじっと見つめた。何かを見ているわけではなかったが、自分の想いを確かめるような視線だった。
「……俺はこの目で水の国を見てまわりたくてな。かれこれ三年は旅を続けてる」
「水の国を見てまわる?」
「ああ。世界には各地を旅して、様々な文化や風習を伝え歩く吟遊詩人という者たちがいるんだ。聞いたことないか? 俺もいつかそんな風になりたいと思ってな」
「へえ、そんな人たちが……!」
まだ出会ったことはなかったが、ルィンはいつかそんな人たちの話を聞いてみたいと思った。
「ルィンはどうして旅をしてるんだ? その歳で一人だと大変じゃないか?」
「あ、一人じゃ――」
「一人じゃないわ。私もいるんだから」
首元の影からルナがひょっこりと顔をのぞかせた。
ユーステスはルナを見つめたまま小さく息をのんだ。
「……妖精? ルィン、お前は……」
その目には、驚きとほんの少しの戸惑いが浮かんでいた。
しかし、ユーステスは静かに息を吐いて首を振った。
「いや、すまない。余計な詮索はやめておこう。みなそれぞれ事情はあるだろうからな」
ユーステスはそれ以上深くは尋ねてこなかった。
必要以上に踏み込もうとしない姿勢に、ルィンは大人の温かさと頼もしさのようなものを感じた。
「ありがとう、ユース。この子はルナ。僕は友達を探すために旅をしてるんだ」
「友達を探してか。そうか、それで炎の国を目指すのか」
ユーステスの真面目な眼差しは、言葉以上に理解を伝えてくれた。
「それじゃあ明日の朝、町の広場でな!」
「うん!」
宿へ向かうとき、ルィンは自然と笑みがこぼれていた。
「ルゥ、なんだか嬉しそうね」
「ルナ以外の誰かと旅をするなんて初めてだからね!」
寝台に横たわりながら天井の木目をぼんやりと眺めた。
新しい出会いがこんなにも心を温めるものだとは思わなかった。静かなわくわくが込み上げてくる。明日はどんな話をしながら歩けるだろう。そう思うと胸の奥が小さく弾んだ。