第107話 色づく空、世界の軋み
ルィンとフェルナリーザの背を見送るルナが、ピクリと耳を動かした。振り向いて、とある方向の空をじっと見つめる。
「……」
その様子にナヴィが気づく。
「ルナ、どうかした?」
「……んー、なにかしら。遠くの空が一瞬色づいて、何かざわついた気がしたのよね」
「ふーん? あっちの方向?」
ナヴィも同じ空を眺めた。
「うーん、あたしには何も感じられないなぁ」
「……そう、ナヴィが感じないのなら気のせいかしら」
「それよりほら、ルゥとフェリちゃんの試合が始まるよっ」
「……えぇ、そうね!」
そう言ってルナは振り返ったが、もう一度ちらりと空を見た。
ルィンたちが闘技大会に興じている一方で、世界各地では異変が生じていたことを、その時彼らは知る由もなかった――
◇
――炎の国、海岸沿いの荒野。
「……はぁ、はぁっ、くそっ、さすがにキツイな――っ」
『クク、ヴァルフォスと言ったか。お前のその上質な魔力を喰らえば、俺の力はついに復活するだろう。そうなれば、クク、景気づけにこんな世界なぞ全て焼き払ってくれる』
赤い鱗を持つ竜が二足で立ち、目の前の日焼け肌の青年を見下ろす。
「『ファーヴォルゴロッド』って名前だったか。お前が本当に向こうから来た『魔神竜』なんだとしたら……この世界をぶっ壊される前になんとしてでも俺が止めなきゃならないな」
赤の里長――ヴァルフォスは、赤い鱗の竜「ファーヴォルゴロッド」と決死の戦いを繰り広げていた。周囲では、赤の民が総出で結界を張り、暴れる魔物や影獣たちを必死に抑えこんでいた。
ヴァルフォスは全身傷や火傷だらけで、天道の癒しも追いつかず満身創痍だった。怪我した腕を抑え、肩で息をしていた。
『この力の差を見てもまだそんなことが言えるか。フン、お前から微かに“あいつ”の気配を感じるが、最早俺には関係のないことだ。さあヴァルフォスよ、早く俺の力の一部となれ。俺の魔力はあと少しで“完全復活”なんだ』
「“あいつ”……? いや、考える前にこの場をどうするか……あんまり“あの技”は使いたくなかったが、そんなこと言っている場合じゃないな……! こっちも“あいつ”が来るまでなんとか耐えるしかない……!」
ヴァルフォスは体勢を立て直すと両手を固く握り、頭からつま先まで全身の隅々へ魔力を滾らせた。周囲の空気が陽炎のように揺らめき、地面の岩が熱で赤く染まり始める。
直後、閃光のごとく、その身体の中心から赤く眩い光が発せられた。
「ファーヴォルゴロッド!! ここからだぞ!! 真炎豪禍――ッ!!」
◇
――雷の国、山岳地帯盆地。
「はぁ、はぁっ……」
地面に手をつくソフィアの前方には、小さな村一つを覆うような巨大な結界が敷かれている。
ソフィアの肩元で紫色の妖精が羽を震わせた。
「ソフィー、大丈夫? また魔力が空っぽになりそうよ」
「――はぁっ……え、えぇ、そうね……、フィン……! そろそろ、交代してくれる、かしら……っ」
「あぁ……! 任せろ、姉さんはその間にしっかり休んでてくれ……!」
ソフィアが地面から手を離すと、入れ替わるようにしてフィンが両手をつく。
「ダインスニフト! 結界はまだ維持できそうか!?」
二人の視線の先、半球を描く結界の頂上には、褐色肌の青年姿の精霊が座禅を組んだまま宙に浮いていた。
フィンの言葉に、精霊はゆっくりと目を開いた。
――ああ。君たちが魔力を注いでくれているおかげで、ここまで『ザフィアラーゼン』を起こさずに抑え込めている。現状維持しかできないが、このまま結界を継続する他ない――
雷の国に現れた紫の鱗の竜「ザフィアラーゼン」は、紫の里長のソフィアとその弟フィンが、紫の主「ダインスニフト」と協力して結界で動きを封じていた。結界の中で竜は静かに眠りにつくように、瞼を閉じたまま規則的に深い呼吸を繰り返していた。
――だが、ただ眠っているだけなのに、そばにいるだけでまるで積乱雲の中にいるかのような“魔力の暴風”が二人を襲っていた。至近距離でそれを浴び続けていたため、二人は意識を保つのがやっとだった。
「くそ……っ! 俺たちだけじゃ、こんなの……っ」
「フィン、弱気にならないで。諦めなければきっと……きっと活路を見出せるわ……! それまでなんとか、踏ん張りましょう……っ!」
◇
――風の国、樹海深部。
『――――ッ!!』
轟音とともに吹き飛ばされた緑の鱗の竜が、崩れた体勢のまま大樹を次々と薙ぎ倒していった。その跡に巨大なトンネルとも言える空洞が出来上がった。
その後を追うように、長剣を持った妖精――緑の里長のアーシェが森の奥からつかつかと歩いてくる。
『……くっ……“こちら”に貴女のような強者がいるとは……』
「『フェンディールハイファ』、君のことは旧友から聞いている。私は普段は争いよりも対話を優先するが、問答無用で森を破壊し始めた君を見過ごすわけにはいかない。森や世界が滅ぼされる前に討ち取らせてもらう。弁明があるのであれば今のうちに聞こう」
竜――フェンディールハイファは立ち直ると、ギリっと睨むようにアーシェに鋭い視線を向けた。
『……『リーフ』の名を持つ貴女からは“彼女”の気配を感じられない。“紛い物”の貴女がその名を持つことを、私こそ看過するわけにはいかない――!』
その言葉にアーシェは肩をピクっと反応させた。周りの空気がチリッと震える。
「紛い物? その言葉は聞き捨てならないな。この名は友人から授かった私の“誇り”だ。君が古の『魔神竜』であったとしても、言葉は選ぶべきだな。どうやら話し合いは無駄なようだ」
アーシェの視線は冷たくなり、剣の切っ先を竜に向けた。その足元から白い風が巻き上がる。
それに対するように、フェンディールハイファも眩い緑色の光を伴う魔力の嵐を放つ。
両者の瞳には、それぞれ確かな“想い”が宿っていた。
『……私は、失った魔力を取り戻し、今までも――そしてこれから先も、“あの地”で“待たなければ”ならない……!! アーシェ・リーフレーヴィ、紋章を持つ貴女の魔力を、私がいただくぞ――!!』
◇
――大地の国、ハイルグント王城地下最奥部。
「ミルグレイア、これを見ろ」
黄の民の長――大地の国王ファグラーは、向かいに立つ王女ミルグレイアに、淡く黄色に輝く手のひらサイズの結晶を見せた。二人の目の前では、足元の魔法陣から立ち昇る二本の螺旋状の光が不規則に震えていた。
「いいか。この緩んだ奔流の封印を、二人で固く敷き直す。ルィンが言伝とともに届けてくれたこの品――俺たちは『竜の魔晶核』と名付けたが、全てを解析するには至らずとも、宝石と似た魔力波長を持つこの結晶を媒体にすることで、城の解析班との研究の結果、ルィンが言う通りそれが可能だという結論に至った」
ファグラーの説明を聞くと、ミルグレイアは深く頷いた。
「わかりました、お父様。ルィン様が私に届けて下さったこの『愛の結晶』を使うことで、あの方と私、二人の力を合わせて世界の危機を未然に防ぐのですね!」
「いや、“二人”というのは俺たちの――」
「なんて素敵な計画! お父様、そうとなれば善は急ぎましょう!」
「あ、いや――」
「早くしましょう! さあ、ルィン様の結晶を私に――!!」




