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幻想水月物語  作者: 安良木 響花
出逢と別れ編
1/109

プロローグ 夢と記憶


 ◇


 気がつくと、どこを見渡しても果てしなく続く広大な都市の中にいた。視線の先、見上げると、天まで突き抜けるかのような巨大な浮遊城がこちらを見下ろすようにそびえている。


「ここは……」


 街は淡い黄色の石造りで、壁や地面のあちこちに草花が植えられ、道を飾るように青々とした木々が立ち並んでいる。

 周りに人はいない。優しく風が足元を吹き抜けるだけで、自分以外の生き物は存在しないかのように辺りは静まり返っていた。物寂しく、どこか懐かしさを覚えるその場所に、僕は一人立っていた。


 ……いや、一人ではなかった。長く続く道の向こうに、同じように立ち、空を見上げている人影が見えた。


「あれは……女の人?」


 その背中を追う。一歩、また一歩。焦燥感に急かされるように足取りは早まり、やがて僕は全力で駆けていた。だが、進んでいるはずなのに、距離は一向に縮まらない。


「はぁ、はぁっ――、あのっ――!」


 思わず手を伸ばす。

 ――そのとき、周囲に突如異変が起こり始めた。色鮮やかだった景色が灰色に塗り替わり、風が冷たく強くなる。足元がガラガラと音を立てて崩れ始めた。割れた足場の隙間から、身体が闇の中へ落下していく。


「待って……!」


 咄嗟に出た僕の叫びに気づいたように、女性がこちらへ振り返る。

 顔が見えそうになる――だが――。



「――っはぁ、はぁっ、はぁ……」


 飛び起きた身体に伝わるのは、柔らかなシーツの感触。 見慣れた天井、使い古した机。いつもの自分の部屋だ。 けれど、握りしめた指はいまだ震え、嫌な冷や汗が手のひらを濡らしていた。


「……またこの夢……最近こればっかりだ」


 “先ほど”伸ばした指の先は凍えるように冷たかった。「夢」のはずなのに、どことなく現実味がある。僕は、いまだ小刻みに震えている自分の右手を反対の手でぎゅっと握りしめた。


「でも、こんなこと言っても誰も相手にしてくれないよな……」


 ベッドから起きてカーテンを開けると、穏やかな日差しが部屋に差し込み、どこからか鳥の囀りが聞こえてきた。

 庭先のこずえが揺れるのを眺めながら、いまだに残る夢の記憶の断片を振り返る。ひと月ほど前から、同じ夢ばかり見ていた。見たこともない場所、景色、そしてあの女性。


「……あの女の人は一体誰なんだろう。今日は顔が見えそうになるところまで近づけたんだけどな」


 思いにふけっていると、窓の外に杖をつく人物が歩いているのが見えた。


「あっ、いっけない、寝過ごしちゃった! 今日は大事な用事があるんだった……!」


 僕は急いで着替えを済ませ、慌ただしく階段を駆け降りる。その頃にはいつも、夢のことは記憶の片隅に消えていくのだった。

 


 ◇



「ルィン、薪割りが終わったら洗濯も頼む、すまんのう」

「わかった! じいちゃんはゆっくり休んでて!」


 そよ風が草花を揺らし、柔らかな陽の光が色あせたベンチを照らす。そこに腰掛けるじいちゃんが優しい笑顔で僕の仕事をこなす姿を眺めていた。すべてがいつも通りで、だからこそ特別だった。


「よし、次は、っと」


 薪を運び終えて洗濯物を抱える。風が吹き抜け、少し伸びた前髪がふわりと揺れるのを感じた。

 川辺に着くと水面がきらきらと輝いていた。太陽の光を跳ね返し、まるで無数の小さな星が散っているようだった。


「……」


 布を濡らしながらふと顔を上げ、周りに誰もいないことを確かめる。そして、水の上にそっと手をかざした。


「ちょっとだけ……」


 意識を手先に集中させると、心の奥底から“ことば”が浮かんできた。いつだって()()だ。


水花の舞い(フロール・アイル)


 言葉とともに手に力を込めると、指先からサーっと音を立てて水が立ち上がった。掌の上で渦を巻き、小さな花のかたちをつくって空へと舞い上がっていく。

 まるで夢の中の一瞬をすくい上げたような、そんな美しさだった。鳥たちが惹かれるように旋回し、空に囀りが響く。


「ふふっ」


 思わず微笑みが漏れた。

 僕には不思議な力がある。物心がついたときにはもう使えていた。じいちゃんはこれを「魔法」と言った。だけど、なぜ僕だけが使えるのかその理由は教えてくれなかった。


「村のみんなには秘密にしておきなさい」


 優しく言われるたびに胸の奥に小さな疑問が沈んでいった。でも、答えを急ごうとは思わなかった。ただ今は――こうして水と遊べることが嬉しかった。



「ルィン、今日は街へ行くんでしょ?」


 川からの帰り道、小さな足音が近づいてきた。


「うん、薬草を売りに行くんだ。じいちゃんの好きなナッツも買ってくるよ。リニーも何かいる?」


 足音の主――リニーはぱぁっと目を輝かせた。


「今日はお花の種が欲しいわ! お庭に植えたいの!」

「花の種か。探してみるね。でもバッツさんにはちゃんと言っておくんだよ?」

「もちろん! 帰ってきたら一緒に植えてくれる?」

「うん、でもじいちゃんとの家の用事が先だけどね」

「ふふっ、わかってる!」


 リニーは村長の娘で、この村に子どもは僕たちふたりしかいない。


「じゃあ明日にしましょう! 約束よ? ルィン」

「わかったよ、約束する」


 リニーとはこうして約束を交わしては一緒に何かをするのが習慣になっていた。

 この前は、一緒に村の門に花の飾り付けをした。村のみんなも村が明るい雰囲気になったと喜んでくれた。その前は近くの川で釣りをしたっけ。いつもの他愛もない会話が何よりも大切に思えた。


 家に戻る途中、隣の畑で土をならしていた男性――バッツさんがこちらに気づいて手を止めた。


「ルィン、気をつけて行くんだぞ。いつもリニーがわがまま言ってすまんな」

「気にしないで、僕が勝手にあげてるだけだから」

「ははっ、そうか、ありがとうな」

「あっ、そうだ、バッツさん、今度また剣術を教えてよ! もう少しでコツを掴めそうなんだっ!」


 僕は時折、剣の握り方をバッツさんから習っていた。この平和な村での暮らしで、何かと戦うことなんて考えられない。バッツさんも「何かあったら俺が守ってやるから、そういう時はルィンはリニーを頼んだぞ」と言っていた。

 でも、剣なんて振れたらカッコいいじゃないか! 両手を握りしめる僕のそんな気持ちを察したのか、バッツさんは苦笑した。


「やれやれ、ルィンも男の子だな。わかった、街での疲れもあるだろうから、明後日にでも時間を作って一緒にやろうか」

「わぁっ、ありがとう!」


 バッツさんはにこりと笑って手を上げ畑仕事に戻った。口数は少ないがいつもあたたかな人だった。


 今日は半月ぶりに街へ行く日だった。

 支度を済ませると、家の前でじいちゃんがいつものように見送ってくれた。


「ルィンももう十歳か。すっかりしっかり者になったな」

「ふふ、まだまだじいちゃんには敵わないよ」

「はっはっは!」


 大きな手で頭をくしゃりと撫でられた。


「気をつけてな。今日は特製のシチューを作って待っているよ」

「うん! じいちゃんのシチュー楽しみ!」


 僕は満面の笑みで頷いた。じいちゃんのシチューは大好物だ。


 山道を歩きながらふと後ろを振り返った。木々の間から見えるいつもの村の景色。またここへ帰ってくるんだって、当たり前のように信じて疑わなかった。



 街に着く頃には太陽は少しだけ傾き始めていた。

 市場に近づくとパンの焼ける香ばしい匂いが風にのってとんできた。甘い果物と香草の香りが混じり、ざわめく声と笑い声が溢れている。静かな村とはまるで違う賑やかな音と色が広がっていて、歩くたびに胸が弾んだ。


「ん? あそこ、なんだか騒がしい……?」


 ふと通りの一角で人だかりができているのが見えた。何かを囲むようにざわめきが広がっている。

 近づいてみると、銀色の髪の少女がひとり困ったように立ち尽くしていた。目元には涙が浮かび、何かを探しているようだった。


「どうしたの?」


 声をかけると少女が顔を上げ、泣きそうな顔で僕を見た。目が合う。涙目の金色の瞳が微かに揺れた。その光に一瞬だけ、何か懐かしさのような感覚を覚えた。


「……大切なものを落としちゃって……指輪なんだけど、見当たらなくて」

「……僕も探すよ」


 僕は少女の声で我に返り、頷いて見せた。

 市場の雑踏の中を駆け回り、やがて屋台の足元に落ちていた指輪を見つけた。日差しを浴びてきらっと金色に輝いた。


「これかな? ……え――?」


 指輪を手に取った瞬間――ドクンと全身が脈打ち、足元がふらついた。気が遠くなるような眩暈。視界が明滅し、耳の奥で砂を噛むようなノイズが弾けた。


 ザザッ――


 ――を持つ者よ――。


 な、なんだ、これ……? 声……?


 ――集めなさい――。


 な、なに……? 集める……? なんの話……?


 ――彼女の意思を――――。


 ――――。


 ――。


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