27話「古代文字」
──ひんやりとした空気が肌に触れる。
気がつくと、僕は冷たい地面に仰向けに倒れていた。
「……う、っ……」
ゆっくりと上半身を起こし、手のひらで床を撫でる。
硬く、冷たく、ざらついた氷。頭に響く静寂。周囲は薄暗く、淡い青の光が氷壁から滲むように広がっていた。
「あれ……ここ……」
ぼんやりとした記憶を辿る。
氷の裂け目──薙さんの声──崩れた床。
そして、真っ逆さまに落下して……。
「落ちて、そのまま……気を失ってたのか」
(最後に誰かが腕を引っ張ってくれた気がしたんだけど……)
体を起こしながら周囲を見渡す。
見知らぬ場所。だが、魔力の密度と温度の違いに、直感が警鐘を鳴らす。
(まずい……)
〈識環邪眼〉を開く。
──ジジ…
【階層解析:視穿】
現在位置:第3階層(氷晶迷宮)
付近構造:閉鎖型氷洞/天然形成の魔力通路あり
魔力反応:大型魔物の痕跡あり/複数の気配
「えっ……三階層!? しかも複数の大型魔物の気配……!?」
気温も、魔力濃度も、さっきまでいた第一層とは比べ物にならない。
「どうしよう……一人で、しかもこの階層で……」
喉が乾く。焦りが胸を締めつける。
けれど、その時、ふと頭に浮かんだ。
──僕にはもうひとつスキルがある。
〈幽霞ノ帳〉
スキル説明が頭の中に蘇る。
【希少級スキル/隠密・幻影系】
周囲の視覚・魔力感知・気配探知を遮断。
使用中は使用者の“存在感”が薄れ、気配そのものが“霞”のように溶ける。
物理接触には影響しないが、知覚されにくくなる。
(……今なら、これを使えば)
魔力を静かに目の奥に集め、呼吸を整える。
「──幽霞ノ帳」
呟いた瞬間、空気が一変した。
身体の輪郭が霞むように薄れ、呼吸すらも音を立てなくなっていく。
足元の氷に映った自分の影が、まるで淡く“溶けて”いくようだった。
(……これが、〈幽霞ノ帳〉……)
視線を巡らせる。
さっきまで明確だった自分の“気配”が、まるでこの空間と一体化したかのように消えていた。
(魔力探知にも引っかからない……これなら、うまく行ける)
一歩、また一歩。
音を立てないように、氷の迷宮を静かに進んでいく。
心臓の鼓動は早いけれど、邪眼と幽霞ノ帳が今の僕の唯一の武器だ。
(……必ず、合流しよう。みんなのところへ──)
進んでいた通路が、ふと開けた。
冷たい氷壁の奥に、ぽっかりと広がる半球状の空間。
天井も壁も自然に形成されたとは思えないほど滑らかで、まるで「誰か」がここを“用意”したかのような、そんな静けさが支配していた。
足を踏み入れた瞬間、僕の目が──いや、邪眼が“何か”を捉えた。
(……あれは──)
氷の壁に、薄く刻まれた文字のようなもの。
それは僕の知るどの言語とも違っていた。
目を凝らすと、その文字の並びが“文”になっていることがわかる。
触れた瞬間、視界が再び金に染まり、邪眼が反応した。
──ジジ……
【対象:魔力痕跡/解析開始】
起源魔力:分類不能
構成属性:空間干渉・霊識残滓・召喚印構造
魔力一致:ダンジョンゲートに酷似した波長を検出
「……ダンジョンゲートと、同じ魔力……?」
次第に文字の意味も浮かび上がってきた。
『貴方が生きてくれるなら、我の終わらぬ生涯も希望になる』
「え……どういう意味だろう」
予想していなかった言葉に少し理解が追いつかなかった。
だけどなぜかその文からは切なく、そして苦しみに近い祈りのような感情を感じる。
「でもこのダンジョンに一体誰が─」
その瞬間、僕の脳内に、鋭くて深く、馴染みのある声が響いた。
──『これは、我らに等しい存在の魔力を感じるな』──
「っ……!?この声…邪神……クトゥル・イグルアス……!?」
声は姿を見せないまま、僕の意識にだけ直接届いていた。
──『どうやら、お前が強力な魔力に触れたことで、邪眼を通じて“繋がった”ようだ』──
「強力な魔力……?」
──『異界にいる我と、お前の意識を繋げる……この壁の魔力は、まさしく“ゲート”と同じ性質を持っている』──
「え、この文字を書いた人物とダンジョンが現れたことと何か関係あるかもしれないってこと?」
──『可能性は高いな。我がいる異界にすら、扉を開けられる者だ。もはや人の力ではあるまい』──
(故意に次元を繋げられるほどの力の持ち主…)
震える手で、僕はもう一度文字をなぞった。
まるで、氷の向こうから、誰かがこちらを覗いているような感覚。
「僕は何をすれば……?」
──『“視穿”を使え。今のお前の適合率なら、この魔力の記憶を深く追えるはずだ』──
「記憶を、追う……?」
──『その文字の奥には、かなり強い思念が残っているはずだ。触れながら視穿を使えば覗けるはずだ──』
次の瞬間、邪神の声はすっと消えた。
「これで何かあっても僕今自分の身を守れないんだけどな……」
僕は言われた通りに邪眼を開いた。
掌をゆっくりと氷の壁に重ねる──
「邪推な事をしてごめん、少し覗かせてもらいます。」




