10話「GEAR CAGE」
家に帰り着いたとき、空はもう夕焼けに染まりかけていた。
制服姿ではないけれど、
今日一日が“普通じゃなかった”ことを、まだ身体がどこか理解しきれていない。
玄関を抜けて、自分の部屋へ。
カバンをベッドに放り投げて、ようやく座り込む。
(……B級、か)
スキル欄のないハンターIDカードを胸ポケットから取り出して、もう一度見つめる。
(あの空間で命を落としかけて、邪神と契約して、スキルをもらって……)
不思議と、実感がない。
名札だけもらって、自分がその世界にふさわしいかどうかは、まだ分からない。
ポケットからスマホを取り出す。
ハンター協会で言われていた、**「専用アプリ」**を起動する。
画面に表示されたのは、青と黒の洗練されたデザイン。
《HunterLink》(ハンターリンク)──
ハンター専用の公式統合アプリらしい。
•ダンジョンの現在の出現状況
•各ギルドの募集一覧
•個人宛の依頼メッセージ
•登録スキルの再評価通知
•ステータスや通過した試験の記録
ログイン画面にIDナンバーを打ち込み、カードの裏に記載された初期パスワードを入力する。
ピッ。
画面が切り替わり、僕の登録情報が表示された。
[ID:S-019889|一ノ瀬 詩遠]
階級:B級(高位)
認可カテゴリ:知覚系/視覚解析
所属ギルド:なし
活動歴:0件
ステータス:アクティブ
ログイン直後に、通知がいくつか届いていた。
【新規ハンター様へ】スキル補助講習の案内
【推薦】近隣の初級ダンジョンに関する調査パーティ募集
【個人向け提案】ギルド“ラド・クロム”より仮勧誘通知
(……もう僕に依頼とか、来るんだ……)
どこか、世界の色が変わったような気がした。
だけど──それは、手放しに喜べる変化じゃない。
(本当に、ここにいていいのかな)
「まずは……慣れないと、だな」
スマホをいじりながら、僕はしばらく画面を見つめていた。
(何からすればいいんだろう……)
スキルを手に入れた。
でも、それを“ただ持ってるだけ”じゃ、意味がない。
(……瀬早さんも言ってた。視えすぎる目は、使わないと慣れないって)
なら──
(ダンジョン、行くしかないか)
僕は「ダンジョン攻略パーティ募集」のタブを開いた。
地図と等級フィルターを使って、
“自分が行けそうな場所”と“解析系スキルを求めているパーティ”に絞り込む。
そして──
『C級ダンジョン攻略メンバー募集中(解析スキル歓迎)』
──という投稿が目に留まった。
詳細をタップ。
■ 募集主:天川 翼
■ パーティ等級:C級(中位)
■ 募集枠:1名(解析/知覚系)
■ 攻略予定:明朝、都内第六ダンジョンゲート
■ 条件:最低限の行動力と判断力/実戦経験は不問
■ 備考:指示に従える方優先/初心者OK
(……実戦経験不問か。解析重視なら、今の僕でもなんとか……)
“B級”だとは書かず、
スキル名も出さず、
「視覚解析系です」とだけ明記して、申請ボタンを押した。
数分後──返信が来た。
【リーダー天川 翼】
初めまして。一ノ瀬さんでお間違いないでしょうか?
申請ありがとうございます。
明朝、自由が丘駅に7時集合となります。
攻略対象はC級ダンジョンで、現在メンバーは3名。
当日は解析補助に入っていただければと思います。
詩遠は落ち着いた気持ちで返答を打つ。
【詩遠】
はい、承知しました。
明日、よろしくお願いいたします。
すぐに返信が返ってくる。
【天川 翼】
装備については不要ですが、動きやすい服装でお越しください。
初回ということで無理のない範囲でサポートいただければと思います。
やり取りは、丁寧で事務的なものだった。
(よかった、優しそうな人で)
僕はスマホを閉じ、ベッドに座り込む。
日が沈みかけた頃、僕は再び外に出た。
(初めてのダンジョンだし、何も持たずに行くのは不安すぎる)
〈視穿〉はあくまで“目”の力。
攻撃も防御もできない以上、少しでもリスクを減らす準備をしておきたかった。
目的地は、駅近くにあるハンター専用の専門店──《GEAR CAGE》。
入店時にハンターIDの提示が必要な、登録者限定の装備ショップだ。
自動ドアを抜けると、すぐに魔力結界の気配が全身にかかる。
(……本物だ。ここがハンター用の店)
店内は思っていたよりも明るくて、スタイリッシュな陳列が並んでいた。
武器、防具、回復アイテム、簡易式の魔導具まで──
まるでスポーツ用品店と工学研究所を混ぜたような不思議な空間。
(あった、ポーションコーナー)
棚に並ぶ瓶を手に取りながら、価格と効果を照らし合わせていたその時。
「──それ、初心者用だと中身が薄いよ。
どうせ買うなら、こっちの“濃縮型”にしときな」
背後からふと声がして、僕はびくっとして振り返った。
そこに立っていたのは、一人の男。
深い青の髪は肩まで伸びていて、ウルフレイヤー風の毛先が絶妙に跳ねている。
顔立ちは整っていて、切れ長の目元に薄い笑み。
唇の端には小さなピアスが光り、腕には沢山の刺青が浮いていた。
(…うわっ…絶対こわい人……)
「……あ、ごめんねぇ勝手に話しかけちゃって。
でも、それ選んだままダンジョン行ったら、たぶん途中で息絶えちゃうと思って」
言葉は軽いけれど、声は優しい。
どこか音楽みたいな響き方をする、穏やかなトーンだった。
「……え、あ、そうなんですか……?」
「うん〜。見た目だけ派手だけど、中身はほぼ水。
濃縮タイプの方が少し高いけど、効果は三倍近いし、初心者にはそれが一番安心かなぁ」
僕は戸惑いながらも、彼の指差す瓶を手に取った。
ラベルには──《緊急治癒ポーション:高濃度仕様/使用後5分は激痛》と書かれていた。
(なにこの不穏な注意書き……)
「だいじょうぶ、痛いのは慣れれば癖になるよ?」
「……癖になりたくはないです……」
「ふふ、面白いなぁ君」
男はそのまま僕の前をひょいと横切り、レジカウンターの方へ手を振った。
(なんなんだ…?この人)
「じゃ、清算する? あ、僕──この店のオーナー、黒島 霧って言います」
「えっ、オーナー……?」
思わず声が出た。
だって、どう見ても店員というより“夜の街のどこかにいそうな人”だったから。
「うん。似合わないって顔してるね。よく言われるけど」
軽く笑って、彼──霧さんは指先でレジ端末を操作する。
その指には黒いリングと、色あせた小さな魔導具のような装飾が巻かれていた。
(なんだろ……なんか、不思議な人だなぁ)
店内は他の客もほとんどいない。
照明は白っぽく静かで、魔力の流れる音だけが天井から淡く響いていた。
薬剤棚のガラスに反射する彼の姿は、何故か現実味がなかった。
綺麗すぎて、影のように揺れて見えた。
「じゃ、頑張ってね。初ダンジョンでしょ?」
「……えっ、なんで分──」
「空気?」
そう言って、彼は指で“ふわっ”と何かを払うように軽く動かした。
「君、まだ“地に足がついてない”。すぐ分かるよ、目を見れば」
そう言いながら、霧さんは僕に品物を差し出した。
丁寧に包まれた濃縮ポーションの小瓶。
「気をつけてね。……あ、あと、そのポーション、目にすごい効くから」
(……目……?)
霧さんの言葉はなにか意味を含んでいた。
(あ、そういえば、邪眼は人にも使えるのかな)
僕が〈視穿〉を使ったその瞬間、何故か“彼の情報が何も視えなかった”。
空気と、魔力の流れ、存在の輪郭すら──
まるで最初から、“滑るように”すり抜けていった。
「ダメだよ。」
霧さんの最後の言葉は、まるで確信のように穏やかで、僕の背中に何かを置いていったようだった。
扉のチャイムが鳴る音と共に外に出ると、
空気はさっきよりずっと冷えていた。




