理と感情の交錯
葵が去った後、伝馬は茶を飲み干しながら、ひとつ息をついた。
「さて、と。これでひとまず、紫月ちゃんはうちの娘も同然ってことになるけど……やっぱり葵は納得しないだろうねぇ」
「ええ、わかっています」
紫月は静かに頷いた。涼しげな瞳はどこまでも落ち着いていた。
「ですが、葵様の行動が私の利益を損なうようであれば私も黙ってはいません。私がここにいる理由は、それなりの意義があると理解していますから」
「頼もしいねぇ。僕としても君には長くいてもらいたいものだよ」
伝馬は楽しげに笑った。
竜馬は無言で紫月を見つめていた。
まるで目の前にいる女性が何者なのかを改めて確かめようとするかのように。
「……紫月殿」
「はい、竜馬殿?」
「先ほど言ったことは本心か?本当に母の態度を気にしていないと?」
紫月は微笑を浮かべながら答えた。
「ええ、本心です。私はこの状況を利用するためにここへ来たのです。もちろん、不快な言葉を投げかけられれば気分が良いとは言えませんが、それを感情的に捉えるつもりはありません」
「……強いのだな、君は」
竜馬の呟きに紫月は微かに首を振った。
「強いというよりも、ただ合理的なだけです。私には私の目的がある。それを達成するために必要なことをするだけです」
「目的、か……」
竜馬は小さく息を吐いた。自分にはまだ理解できないものがあると感じながらも、彼女の言葉の芯にある確かさに惹かれていた。
「それにしても竜馬殿のことは少し意外でした」
「どういう意味だ?」
「葵様があれほど反対なさっているのに竜馬殿は一切迷うことなく従った。つまり、それだけ伝馬殿を信頼しているのですね」
「……父上を信頼しているのではない。宮の意志を尊重しただけだ」
その言葉には、どこか硬い響きが含まれていた。
「宮の意志…ですか」
「私は次期当主だ。宮の利益になることを最優先に考えている。だから、父上の決定に従うことが、最も理に適っていると思ったまで」
「では、竜馬殿は私のことをどうお考えですか?」
不意に尋ねられ、竜馬は少し目を見開いた。
「……どう、とは?」
「私が竜馬殿の婚約者としてふさわしいかどうか、ということです。葵様は反対していますが、竜馬殿はどうお考えですか?」
「それは……」
竜馬は言葉を詰まらせる。確かに母の言う通り、紫月がこの宮にとって適切かどうかという疑問は、彼自身も抱いていた。一体どこで何をしてきたのか、まだわからないことばかりだ。ただ、昨晩の圧倒的力。彼女は宮にとって利益になる存在なのは間違いない。
「君は……強い人だと思う。母の言葉にも動じず、自分の目的を持って行動できる。宮にとって利益になる存在だ」
「光栄です」
紫月はニコリと微笑んだ。
「私の存在が宮にとって利益になると考えてくれるだけで十分です」
「……君は自分を過小評価しすぎているのではないか?」
「そうですか?それは他人の評価で興味がないです」
紫月は意にも介さずさらりと返す。
「さて、私はそろそろ自室に戻ります。伝馬殿、竜馬殿。失礼いたします」
深く礼をして、紫月は静かに去っていった。
「あの子は賢いし、本当強いねぇ」
伝馬のつぶやきだけが残った。