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認めぬ正妻、動じぬ婚約者

「どういうことですか、これは!?」

紫月が竜馬の婚約者になった翌朝、月読宮の邸宅で伝馬の正妻である葵の怒声が響き渡った。

広間では伝馬が悠々と茶を啜りながら、妻の怒りを軽くいなしている。

「どういうことって、婚約の話かい?」

伝馬は涼しい顔で茶をすすりながら、葵の視線を受け流した。

「当然です!」

気位の高い顔を怒りに染め、葵は唇をきつく結ぶ。

その隣で竜馬は黙って座っていたが、険悪な空気に小さく息を吐いた。

「竜馬は格式高い家の令嬢を娶るべきです!紫月など、どこぞの馬の骨とも知れぬ娘ではありませんか!」

「へえ、それはまた随分と手厳しいねぇ」

伝馬は肩をすくめたが、表情には一切の焦りがない。

「なぜあんな女を息子の婚約者にしたのですか!?白妙こそ、竜馬にふさわしい。分家とはいえ月読の娘、血筋も確か。幼い頃から親しくしていたのです!」

「ふむふむ、そうかい」

伝馬は相槌を打つが、あくまで気楽な様子だ。

「でもねぇ、葵。君、紫月ちゃんの実力を知らないだろ?あの子は魔眼なんだよ」

「魔眼!?だから何ですか!何を馬鹿な——!」

「それに、僕が決めたことだ」

伝馬の声色が変わった。葵が驚いたように口を閉じる。

「僕はね、紫月ちゃんを月読宮に置いておきたいのさ。彼女はそれだけの価値がある。しかも、婚約者という形にすれば、他の宮から横槍を入れられることもない……理解できるよね?」

伝馬は笑っていたが、目は笑っておらず、恐ろしく冷たかった。これ以上何も言うなと示していた。だが、葵はひるまない。

「——ですが、竜馬が……!」

「宮のために父上に従います」

静かに竜馬が口を開いた。

彼の顔は普段と変わらず冷静そのものだった。

「父上がそう決めたのなら、それが宮の最善なのでしょう」

竜馬は淡々と言い放った。

「竜馬!」

葵は苛立ちを露わにする。

「あなたはそれでいいの!?白妙を見捨てるというの!?」

「見捨てる、とは?」

竜馬は眉を寄せた。葵が何を言っているのか心底理解できぬという顔だ。

「そもそも私と白妙の婚約は決まっておりませんし、恋仲でもありません。私は宮の意向に従うだけです」

その一言が葵の言葉を詰まらせた。

竜馬の目には迷いがない。

葵がどんなに言い募ろうとも、この息子はもう決断を変えることはないと悟った。

葵がさらに苛立ちを募らせる中、伝馬は呑気な口調で言った。

「まぁまぁ、そんなに言うなら、ちょうどいい機会だ。紫月ちゃん、挨拶に来たよ」

「……何ですって?」

葵が睨みつけるように顔を上げた瞬間、襖が静かに開いた。

紫月は穏やかな表情を浮かべながら、静かに広間へと足を踏み入れる。

その後ろには付き従うように白銀が控えていた。

黒髪は月読宮の家紋が入った簪でまとめられ、紫水晶のような瞳が静かに葵を見据えていた。

紫月は深く礼をした。

「初めまして。紫月と申します。遅ればせながら、ご挨拶に参りました」

その冷静な態度が葵の怒りをさらに煽る。

「私は、お前を竜馬の婚約者として認めるつもりはありません」

キッパリと告げる葵。広間の空気が一瞬で凍りついた。

竜馬は眉を寄せ、伝馬は「おやおや」と肩をすくめる。

しかし、紫月は少しも動揺することなく、穏やかな微笑みを浮かべたまま答えた。

「すぐに認めていただかなくても、かまいませんよ」

あまりにもあっさりとした返答に葵が目を見開く。

「なっ……!」

紫月は涼しげな表情で続けた。

「私は宮に迎え入れられたばかりの身。葵様にとって、私が婚約者としてふさわしいかどうか、時間をかけて見極めていただければ幸いです」

その言葉に伝馬が「ほらね、いい子だろ?」と笑い、竜馬は紫月を見つめた。

葵はしばし紫月を睨みつけたが、言葉を返せず、苛立たしげに視線を逸らした。

「……絶対に認めませんからね!」

吐き捨てるように言うと、葵はふいと踵を返し、広間を後にした。

その後ろ姿を見送りながら紫月は静かに息をついた。しかし、それは想定の範囲内だった。

これから葵がどう動くのか、じっくりと観察すればいい。

「嫌われてしまいましたね」

くすくすと笑いながら紫月は軽く肩をすくめた。まるで気にしていない様子だった。

伝馬はそれを見て申し訳なさそうに言う。

「葵は昔から気が強くてねぇ。家柄とか、そんなものに固執してるんだ」

「ええ、奥様のお気持ちもわかります。どこの馬の骨かわからない女ですからね」

竜馬は気まずそうに眉をひそめ、紫月のほうを向いた。

「……母が無礼なことを言って申し訳ない」

謝罪の言葉は真剣だった。葵がどんな人物かは竜馬自身が一番よく知っている。

紫月が何も悪くないのに、あんな態度を取られたのは不快だったのだろう。

しかし、紫月はそんな竜馬を見て、ふっと微笑んだ。

「竜馬殿が謝ることではありませんよ」

「……だが」

「私は別に気にしていません。むしろ、奥様が私を敵視するのは当然のことです」

紫月は淡々と言い切った。

「姑は嫁を嫌うものでしょう」

竜馬は、そんな紫月の落ち着いた態度に言葉を失った。

普通なら怒るか、落ち込むかする場面だ。しかし、紫月はどこまでも冷静だった。

「……本当に、何も気にしていないのか?」

「ええ、気にしませんよ。私は宮に受け入れられるためにここに来たのではなく、ただ自分の立場を得るために来たのですから」

紫月はさらりと言い切る。

その言葉に竜馬は何か言い返そうとしたが、結局、何も言えなかった。

そんな二人のやり取りを聞いていた伝馬は茶を飲みながら満足げに笑った。

「やっぱり紫月ちゃんは大物だねぇ」

紫月は伝馬の言葉に小さく微笑んだ。

葵の態度は予想通りだった。

しかし、これはまだ始まりにすぎない。

これから先、葵がどう動くか——

紫月は、これからの生活が決して穏やかではないことを確信していた。

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