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別れの涙、そして旅立ち

「いやーーーあの高天宮にはいつ行っても肝が冷えるよねぇ!!!」

月読宮の邸宅に戻るとすぐ、伝馬は緊張から解放されたかのように大声で叫んだ。

お茶を片手に、もう片方で豪快に自分の胸をたたきながら、笑い声が館内に響く。

月読宮家の現当主である伝馬は、齢五十を越えてなお、若者のような無邪気さと活力に満ちていた。

顎に10センチほどの髭を生やしており、時折り髭を撫でる仕草をする。

紫月たちは月読宮の邸宅に戻り、三人でお茶を飲みくつろいでいるところだった。

子供のような人懐っこさを持つ伝馬を紫月は微笑ましくみていた。

「あれー紫月ちゃん!目元隠さなくていいよ!ここはもう紫月ちゃんの家なんだから寛いでよ〜」

紫月は邸宅に戻り、口元の布をとり、月読の宮の家紋が入った白い布で目元を隠していた。

「私の魔眼を好まない人もおりますから」

「えーそんなことないよ?陰陽師なら誰もが憧れる目だよ。そうだろ、竜馬?」

伝馬の隣に座っていた竜馬は急に話を振られ、目を伏せた。

紫月は彼の表情に一瞬の戸惑いを見た。

婚約者とはいえ、彼女の両目の魔眼に抵抗があるのだろうか。

「すべての力には、それに見合う責任が伴います」

竜馬はゆっくりと言葉を選びながら答えた。

彼は伝馬に全く似ていなかった。

飄々とした父を反面教師にしているのか、竜馬は一言で言えば真面目で堅い男だった。

「真面目すぎる」と伝馬に嘆かれるほどだが、その堅実さは月読宮の将来を考えれば頼もしい資質だった。

竜馬は整った顔立ちをしている。涼しげな切れ長の目に鼻筋が通っている。

竜馬は紫月の視線に気づいたのか急いで目を逸らした。

「いやーしかし、本当、我らの陰陽の頭は怖いよねぇ〜あの人、俺が小さい時から陰陽の頭なんだよ?一体今いくつなんだよなぁ」

伝馬はそう言うと深いため息をついた。

陰陽の頭である高天宮薫は御三家の一つ、高天宮である。

高天宮は御三家の中でも霊力が最も高く、そして謎に包まれた宮であった。

もう一つの御三家である武焔宮(たけほむら)

彼らは荒々しい霊力を纏い、力こそ全てという武人のような術師たちである。

「だからこそ伝馬殿からの申し出を私はありがたく思っております」

「やめてよー紫月ちゃん。こっちは下心があってやってるんだからさーてか、一応俺はもうお父さんだから、父上って呼んでよ〜」

伝馬はそういうとガハハって笑った。

「父上ですか…」

紫月はそう呟くと小さく笑った。

「父上」という言葉を口にするのは、いつぶりだろうか。

実の父とは紫月がお腹にいる時に母と別れて、顔さえ知らない。

母は秦国から海を渡って、和国に身一つでやってきた異国の人間だった。

父と別れてからは、紫月を生み、たった一人で娘を育ててくれた。

魔眼を持つ紫月への周囲の差別はひどかった。

村人の投げる石、耳に突き刺さる罵声、そして何度となく迫りくる妖の魔手。

それでも母は紫月を守り抜いた。

最後には紫月の将来を案じて、魔眼が尊ばれる天竺へ送り出す手はずまで整えてくれたのだ。


「あそこでは魔眼を大事に扱ってくれる。生きる術も教えてもらえるだろう」


と言いながら、紫月を強く抱きしめた。

ここよりもずっと良い環境を—。

その言葉とともに、紫月は天竺行きの船に乗せられた。

涙をこらえて母に別れを告げる。

二度と会えないかもしれない。

幼いながらも、その覚悟を決めた。

岸辺に立つ母の姿は、船が水平線に消えるまで、ずっと紫月を見送っていた。

天竺では師に出逢い、そして同じ魔眼の子たちが十人ほどいた。

紫月のように両目の魔眼は師のみだった。

人里離れた山の小さな木の家で皆で一緒に過ごした。

そこでは厳しい修行が待っていた。

しかし、師は優しくも厳しく、紫月自身こんなに穏やかな日々が過ごせることに嬉しかった。

ここでは誰も石を投げないし、母を傷つける人もいない。

酷い言葉を投げかける人も酷いことをする人もいない。

妖におびえて過ごす必要もない。

紫月はここで安心感を得て、沢山の本を読み、天竺の言葉も流暢になり、厳しい修行を楽しんでいた。母が恋しくて泣くこともあったが、一緒に過ごす魔眼の子達と励ましあい、夜を過ごした。

師の作る料理は質素だったが温かいし、時には喧嘩をし、競いながら、仲間と過ごすのは楽しかった。すでに12年の月日が流れていた。

母とは時々手紙でやり取りをして、母は元気そうだった。

きっと自分という重荷が外れたからだろう。


ある日、師に呼び出された。

師の紫水晶の瞳が穏やかに紫月を見つめる。

「来週、そなたの国へ行く船が出る。国に戻りなさい」

その言葉を聞いた瞬間、紫月の心臓が跳ねた。


——帰れ?


予想もしなかった言葉だった。

寝耳に水とはまさにこのこと。

「……なぜ、ですか?」

かろうじて声を絞り出す。

それは、すがるような声だった。

「私は……ずっとここにいるつもりです」

震える声で言いながら、紫月は師の顔をまともに見られなかった。

視界が歪む。喉が締めつけられる。

和国には帰りたくない。

また、あの辛い日々が待っているのか。

差別され、侮辱され、居場所を失い続ける日々が——。

しかし、師はただ静かに微笑み、穏やかな声で言った。

「そなたは和国に戻らなくてはならない。それが、そなたの道だから」

紫月は息を呑んだ。

——道?

師は時折、不思議なことを言う。

まるで未来が見えているかのように。

「私の……道、ですか?」

問いかける声はかすれていた。

師は、迷いなく頷く。

「そなたはもう強い。だからこそ、もっと広い世界へ羽ばたかねばならぬ」

そう言いながら師は紫月を抱きしめた。

その瞬間、紫月の中で張り詰めていたものがぷつりと切れた。

「嫌です……!」

言葉にならない声が喉の奥から漏れ出る。

仲間と別れたくない。

師と別れたくない。

幼い子供のように泣きじゃくる紫月を師は黙って抱きしめていた。

大声で泣いたのは、いつぶりだろうか。

声が枯れても涙は枯れなかった。


そして、紫月は船に乗った。

別れ際、仲間たちは泣きながら紫月を抱きしめた。

特に幼いアーシャは、紫月にしがみついて離れず、仲間たちが無理やり引き離すほどだった。

紫月は、魔眼を隠すため目元に布を巻き、天竺の商人を装った。

誰かに理由を尋ねられれば「目が弱く、日差しに耐えられない」 と答えればいい。

和国に着いたら換金できるよう、天竺の香辛料と希少な石を鞄に詰め込んだ。

それが2ヶ月前のことだった。

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