月読にて、はじまる戦
この1か月間は瞬きする暇もないほど早く過ぎた。
紫月はふと意識を現実へと戻した。そう、自分はもう、月読宮の人間なのだ。
御三家会議で正式に発表された。
葵がどれだけ嫌がらせをしようと、もう覆せない。
ここから己の地位を築いていかなくてはいけない。
そう、私はもうこの宮に受けいられたのだから。
紫月はそっと目の布を外した。
伝馬はニコニコと団子を食べ、竜馬は心なしかほっとした顔をしている。
陰陽の頭であった薫が放っていた、あの重く張り詰めた空気――。それが今は消え、ようやく呼吸ができるようになったのだろう。「伝馬様!!和馬様と白妙様が!」
突然、女中の一人が慌てて部屋に入ってきた。が、いらただしげな男の声がすぐ後ろから聞こえた。
「兄上!!魔眼が婚約者とは一体どういうことですか!!」
伝馬によく似た男が怒気を隠さず、ずかずかと入ってくる。
紫月を見ると一瞬、顔をしかめたが、すぐに伝馬を見る。後ろには不安げな顔した儚げの雰囲気の女がついてきていた。その男の娘だろうか。同じような色と家紋の着物を着ている。女は竜馬に目を向けると、わずかに困ったような笑みを浮かべた。だが、紫月に視線を移した瞬間、その瞳は氷のように鋭くなった。
紫月は、ここから何か一波乱がありそうだなと思った。自然と口角が上がる。今後の展開を楽しみにしていた。ずっと宮で隠れていたのだ。何か面白いことでもあるだろうか。
「おやおや、和馬。君だって魔眼のことは知っているだろう。あれほどの霊気を持つ者が、月読宮にいてくれるというのは――むしろ喜ばしいことじゃないか?」
伝馬はいつもの調子で飄々と笑いながら、もう一本団子を串から抜いた。その声音には軽さがあるが、芯には鋼のような圧が込められている。和馬の表情がほんのわずかに引き攣った。
「ですが、兄上。白妙は……白妙は竜馬様のために育ててきたのですぞ!」
「そうだったのかい?竜馬、君もそうだったのかい?」
とぼけるように問いかける伝馬に、竜馬は眉を寄せた。
「私は宮のためになる選択をすべきだと思っています」
その言葉に、白妙の顔から血の気が引いた。
「竜馬様……私は……」
か細い声で呼びかけるも、竜馬の目は紫月を見ていた。
その視線に応えるように、紫月はゆっくりと立ち上がる。帯の端を指で整え、視線を白妙へと向ける。
「はじめまして、白妙様。私のことは、お気に召さないかもしれませんが――」
淡く微笑む。その目には感情の波がなく、ただ鏡のように相手の心を映し出すだけの静けさがあった。
「ですが――私はもう、この宮の人間です。どうか、お見知りおきを」
白妙は紫月を睨み、手を震わせた。
団子を食べ終え、団子の串を軽く卓に置いてから、伝馬はようやく腰を上げた。目元には微笑みがある。けれども、その声の温度は低かった。
「魔眼であろうがなかろうが、紫月ちゃんは月読宮に“来ることを選んだ”。それだけで、充分だよ」
その瞬間、室内の空気が変わった。
そして、その変化を誰よりも早く感じ取ったのは――紫月だった。
彼女は何も言わず、一歩だけ前に出る。そして和馬と白妙を見据える。
「伝馬様が許されるならば、いずれ正式にご挨拶させていただきます。いまはまだ、婚約者という立場にすぎません」
そう言いながらも、彼女の瞳には明確な光があった。
逃げも、隠れもしない。試すなら――いつでもどうぞ。
紫月の瞳には、凍てつくような誇りが宿っていた。
白妙の顔が歪み、和馬の拳がわずかに震える。
その空気を、誰よりも楽しんでいたのは――紫月自身だった。




