「運命を乗り越えて生きていく」ことにした、とある令息の話
路地裏に店を構える占い師のもとに、若い男がやってきた。
他に客はいなかった。
男は銀貨を1枚投げると、占い師が座れとも言わないうちに自ら席についた。
「これから勝負に出る。俺の運気を占ってくれ」
占い師は男の粗雑な態度にも何も言わず、色のついた粗削りな水晶を水盤上に投げると、その盤面に現れた啓示を男に伝えた。
「今は勝負事は避けたほうがいい。流れに逆らわず、現状維持でそれなりに運気は開けるだろう。信用できる者の意見を尊重して吉。健康運はいまいち、金運は下降気味。特に恋愛運はよろしくない。…恋にかまけて学業をおろそかにしているね? 学びなおして吉と出ているよ」
男は告げられる結果に拳を震わせ、歯を食いしばって聞いていたが、突然立ち上がると水盤の乗った机を激しく叩いた。水晶の石が乱れ、盤面が変わり、占い師は言葉を止めた。
「…運命なんて、くそくらえだ。俺は運命を乗り越えて生きていくんだ!」
そして男は店を出て行った。
空には欠けた月が浮かんでいた。
卒業式の後の謝恩パーティの席で、オーレイ伯爵家の長男サイモンは傍らにカーラ・シモンズ男爵令嬢を置き、婚約者であるシーナ・ディケンズ伯爵令嬢に向かって叫んだ。
「シーナ、おまえとの婚約は解消する! 俺にとってこのカーラとの愛こそ真実だ」
突然のことにざわつく場内。
「…その申し出、お受けいたします」
卒業生、在校生、教職員、これだけ多くの人を前に告げられた婚約解消の申し出を、シーナはためらうことなく受け入れた。あまりにもあっけなく。
「卒業と同時に結婚と言われながら、あなたにその気はなく、この1年間ずっとカーラ様と仲良くされていたこと、既に両親にも報告済みです。ここにいる皆様も婚約解消の証人となってくださいますわ。どうか、カーラ様とお幸せに」
美しい一礼を見せた後、シーナの手を取る男がいた。サイモンの一歳年下の弟、アンドリューだ。
「こんな場でやらかすとはね…」
アンドリューは兄に向ってそう言い放つと、シーナを連れて会場を出て行った。
「ちょっとぉ、いいのぉ?」
サイモンの腕に腕をからませていたカーラが、サイモンの顔を覘き込んだ。
「シーナ様ったら全然悔しがってなくって面白くなかったけどぉ。ま、これも思い出かな」
カーラは笑顔のままサイモンからするりと腕を抜いた。
「今まで楽しかったわ。ありがとう。これでお別れね」
予期せぬ言葉にサイモンはうろたえた。
「え、…ずっと一緒だって…」
「何言ってるのよ。私たち、卒業までの約束だったでしょぉ?」
そんな約束、した覚えはなかった。確かに自分には婚約者がいて、卒業と同時に結婚しなければいけないと話したことはあったが…、それでもいい、とはそういう意味だったのか?
カーラは少しも未練のない様子で
「私、南都ローディアで仕事決まってるから。あなたのおかげでリッチな学生生活を送れて楽しかったわ。あなたも元気でね」
笑顔で手を振ると、サイモンに背を向け、遠巻きにしている友人のもとへ向かった。
「ちょっと、どういうこと?」
「知らないわ。サイモンが勝手にやったことだもの」
「オーレイ伯爵夫人を目指すんじゃなかったの?」
「そんな夢を見たこともあったかなぁ。でもディケンズ伯爵に目をつけられて王都で暮らせるわけないし、ここらが引き時よね」
ペロッと舌を出して明るく笑うカーラは、再びサイモンに視線を向けることはなかった。
同じく卒業した級友たちも、後輩も、教師たちも気まずそうにするばかりで、誰もサイモンに話しかけてこない。ずっとサイモンとカーラの仲を応援すると言ってきた者達も、まるでそんな事実はなかったかのように一様に目を背けた。
華々しい未来を祝う場で、サイモンは一人立ちすくんでいた。
家に戻るとすぐに父に呼び出された。書斎には母と弟のアンドリューがいて、どちらもサイモンを睨みつけていた。
「既に婚約解消の手続きは済んでいる」
父は大きな溜め息と共に、卓上にある婚約解消の書面を指で荒々しく突いた。そこには既に両家の名前が書かれていた。
それを見て、安心したような気にもなりながら、更にざわつく思いで心音が激しくなった。
「アンドリューからもシーナ嬢からもおまえの不誠実な行動は聞いていた。おまえは両家の婚約はおまえ一人のものだと思っていたのか」
「…それは…」
「せめて両家で話し合う場を持とうと考えはしなかったのかっ!」
「パーティーの席で、…皆さんの前で婚約解消を告げるなんて…。どういうつもり? 楽しい思い出となるはずの卒業パーティーからも追いやるなんて!! 人として恥ずかしくないのっ!」
いつになく荒ぶれた父母の言葉に、サイモンはびくりと身を震わせた。
ただカーラと共に生きたかっただけ。彼女とならきっと幸せになれるとそう思って。
いつからシーナを邪魔だと、邪魔だから排除してもいいと、思うように、なって、いたのか…
「あんな大勢の前で婚約者に恥をかかせる行為をするようなものに、この家は任せられん。この家はアンドリューに継がせる」
「えっ?」
弟は刺すような冷たい視線を向けながら、口元はにやりと笑みを浮かべていた。
「ディケンズ伯爵やシーナとも話し合って、引き続き両家の共同事業を継続するためにも、僕とシーナが婚約することになったんだ。後は兄さんと話し合うだけだったのに、まさか卒業パーティーであんなことをするなんてな。…最低だよ」
アンドリューにはカーラとの仲を応援すると言われていた。シーナのエスコートが必要な時には婚約者の代理を務めてもらっていたが、アンドリューは喜んで引き受けていた。アンドリューはシーナに思いを寄せているような素振りを見せていて、それを都合がいいと思っていた。
思い切ったことをしないと父を説得できないと言ったのもアンドリューだ。
弟の恋心を利用したつもりが、利用されていた。気付くのがあまりに遅かった。
「うちのことは僕に任せて、兄さんは真実の愛とやらに生きればいいよ」
翌日にはサイモンは廃嫡となり、弟アンドリューとシーナの婚約が結ばれた。
サイモンがカーラと過ごしている間、アンドリューもまたシーナと共に過ごし、愛を育てていたようだ。
パーティで事を起こさなければ、家の都合での婚約者の入れ替わりで済んでいたのかもしれない。
しかし、もうどうにもならないのだ。
親から当面の金を渡され、家を出ていくように言われたサイモンは、トランク一つに荷物をまとめると、どこに行くかも考えることなくその日のうちに逃げるように家を飛び出した。
あてもなく街を歩いていると、誰もが自分を蔑視し、責めているように思えて怖くなった。
とりあえず王都を出ようと駅馬車の乗り場に行った。時刻表を眺めていると男が体当たりしてきた。金をすられたことに気が付いて慌てて追いかけたが見失い、戻った時には荷物もなくなっていた。
気の毒がるものの目線が、自業自得だと言っているように見えた。
ぼんやりしているからだ。
油断しているから。
世間知らず。
後先を考えない愚か者。
卒業パーティーで婚約者に恥をかかせた奴。
廃嫡されたばか。
貴族でなくなった男。
いいカモ。
恥ずかしくないのか。
死んでしまえ。
ほんの二日前までは順調に思えていた人生が、こんなにもあっけなく崩れていく…
誰かがかける声も耳に入らず、サイモンはよろけながら街をさまよった。
帰る場所もなく、移動するための金もない。学校時代の友人だって、あの騒ぎで自分を軽蔑し、廃嫡され平民になった自分を相手にはしないだろう。恋人だと思っていたカーラさえもあんなに簡単に別れを告げた。親からも見捨てられた自分は生きていても仕方のない人間なのだ。
気が付けば、行く先に大きな橋が見えた。日が暮れてまばらなガス灯の明かりでは川の流れもよく見えないが、高さは充分だろう。
サイモンに決意を促すように人が途切れた。誘われるように欄干に近寄り、足をかけた。
「まあ、占いの通りになったね」
突然聞こえた声に振り返ると、橋の上であの占い師が店を開いていた。
ついさっきまで誰もいなかったはずだった。目に入っていなかっただけだろうか。こんな場所に店を開いたところでとても客が来るとは思えないが、厚手の敷物の上には例の水盤があり、手の中でころころと石を転がしている。おそらくあの占い用の水晶だろう。
「今は勝負の時じゃない。しかし反対されるほどに突き進む。…若気の至りってやつかねぇ」
「っ!!」
「勝負に負け、すべてを失い、おまえは命を絶つ。…まさに占いで見た運命の通り」
サイモンは欄干を掴んでいた手を震わせた。浮き上がっていた足がバランスを崩して倒れたが、幸い川の向こう側ではなかった。
サイモンは嗚咽をもらしながらその場に泣き崩れた。
「何度も諫めた婚約者を裏切り、家を追い出してなお金まで用意してくれた親を裏切り、なさけないねえ」
その言葉にサイモンはただ泣くことしかできなかった。
「何が『運命を乗り越えて生きていく』、だ。すっかり運命に翻弄されちまってるじゃないか。ま、気をつけてお行き、あの世まで」
愚かだった。自分が愚かで、みじめで、死んでしまいたい。もう自分は生きる価値なんてない。それなのにもう立ち上がって川に飛び込む気力もない。死ぬことにさえ失敗した、情けない自分。
死に損なった自分にあの世に行けと、そう言いながらも占い師の手がゆっくりと伸びてきて、サイモンの頭をそっと撫でた。
「占いに後押ししてもらいたいほど自信がなかったくせに…。やっちまったことは愚かだが、死ぬ運命には抗えたじゃないか」
昔、祖母が生きていた頃、悲しいことや悔しいことがあって泣いていたら、こうして頭をなでてもらったことを思い出した。
困った子だねぇ。
泣くだけお泣き。そして次はどうしようか考えてみようか。
大丈夫だよ。大抵のことは何とかなるものさ。
号泣から徐々に泣き声が小さくなり、子供のようにしゃくりあげていると、
「おーい」
街の方から手を振りながら男が駆けよってきた。
「あんた、停車場で金をすられた人だろう? 犯人が捕まって、金も戻ってきてるぞ。…おいおい、泣いてるのか。あはは、情けないなあ、…ほら」
男が差し出す手を掴み、立ち上がると、そのまま男に連れられて、街の警備隊の派出所に行った。
別件のすりで捕まった男が持っていた財布はまだ手つかずだった。そのうちの一つがサイモンのもので、警備隊員からも
「すられた金がそのまま戻ってくるなんて、奇跡に近い」
と言われた。鞄も見つかっていたが、仕立ての良いシャツ類はどこかに持ち去られていた。
それでも金と鞄が戻ってきたことで、サイモンはずいぶん冷静になっていた。
わざわざ自分を探しに来てくれた人と警備隊員に礼を言い、その日は街の宿に泊まった。空腹を満たすと更に気分も落ち着き、その後二日かけて旅の準備をして、新天地を目指した。
出発前にもう一度あの占い師の店に行ったが、そこは空き家になっていた。
自分を探してくれた男も、橋の上に占い師がいたのは気が付かなかったという。
サイモンは国境に近い街に行き、学校で得意だった語学を活かして貿易会社で働くことになった。
誰も自分のことを知らない街でもう一度やり直す。
仕事で必要な語学はさらに学びなおし、やがて仕事の傍ら頼まれれば通訳や翻訳もこなせるようになった。
家に謝罪の手紙を出せたのは3年が経ってからだった。
他国に移住し、実家からはますます縁遠くなったが、故郷の言葉を目にするたびにほろ苦い思い出とぎりぎり抗えた運命を思い出し、頭の上がなんだかこそばゆく感じるのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
テンプレ作品、完全2025年製。
今年もよろしくお願いします。




