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2話 勉強


 勉強。学生の本分であり、基本的にコレをおろそかにすると良い職にはありつくことはできない。それどころか留年で1年を棒に振る可能性すらある。

 それは部活に入っている人間からしたら切実な問題である。


 そもそも部活と勉強の両立は大体の人間が出来ないと言っても過言ではない。本気でプロを目指しているというなら特に。

 高校時代に赤点で留年の危機に陥ったという思い出話を世のアスリートたちはよく語っている。そのエピソードトークの内容だけで個人を特定するのはほぼ不可能と言ってもいいぐらいには。


 しかし決して勉学を面倒という理由でおろそかにしたわけではない。手を抜かざるを得ない、勉強しながら運動はできないのだ。スポーツにおいての頭を使うというのは学力と一切無関係なのだから。

 当然の原理からくる必然でしかなく、それに対してとやかく言うのはナンセンスなのである。


「その問題そんなに難しいん?」

「別に……そう見えたか?」

「うん、めっちゃ変な顔してた」


 くだらない言い訳を脳内で続けてたのをいいように解釈してくれたらしい。いたたまれなくなった俺は問題の方に目を通し、さっさと解答を書く。


 今日は部活が休みなので放課後の教室で勉強している。正確に言うなら勉強しているのは俺だけで梵は俺を観察しているだけなのだが。


「答え写してよくない?」

「理解しないと意味ないし」

「マジメくんねー」


 たしかにテストの設問は問題集の中から出題されるので答えを丸暗記してもいいが、それはプライドが許さないのでこうやって教科書を(かたわ)らに置いて解いている。決して彼女の前だから見栄を張っているわけではない。


「でも野球以外で真剣なタイスケ、初めて見たかもー」

「かっこいい?」

「うん、フルめちゃかっこいい」


 自分でも顔がほころぶのがわかる。いや彼女に褒められて顔色一つ変えない彼氏はどうかと思うが、だとしても少しここはクールに振る舞いたかった。


 そんなフルめちゃかっこいい真剣な顔が一瞬にして崩れた中、彼女はなにかに気づいたように青ざめた。


「あれっ、三次式って範囲だっけ」 

「はぁ? 範囲表に書いてただろ」

「知らん知らん……範囲表どこだっけ……」


 焦ってカバンの中を漁る姿を見て、彼女が一切勉強していないことを確信する。こんなんでよく合格できたな。

 勉強が人生の全てと言うわけではないが少し意識が低いんじゃないか。いざとなったら俺が養うからいいけど、親は心配してるだろう。


 俺もプロ入りして親御さんを安心させてやりたいところだがドラフト会議は10月開催、さらに俺はまだ2年生。1年以上は無駄な心配をかけてしまうことが確定している。


「ていうか部活入ってないんだから勉強はちゃんとしとこうよ」

「えー、忙しいしムリ」

「家事はやってないってこの前言ってただろ。何が忙しいんだよ」

「タイスケのことを考えてる時間」

「なんだよそれ……」


 悪い気はしないけど、思ったよりメルヘン……幼稚な返答に力が抜ける。いや、嬉しいことは嬉しいんだけど……なんだかなぁ。


「勉強のときタイスケはウチのこと考えてないん?」

「そういうわけじゃないけどさ、勉強するときぐらいは俺の事忘れてもいいんじゃない?」

「……はぁ?」


 瞬間、今までに見たことがないくらい冷徹な表情に変わった。まるで浮気を知ったみたいに、裏切られたというような表情をこちらに向けている。


 しまった、軽はずみな発言だった。そう後悔する間もなく梵は俺の両手首を強く掴み、顔をぐいと近づけてきた。それこそあと数cmで唇が触れ合うぐらいに。


「なにそれ。尻軽女にでもなってほしいってワケ?」

「尻……いやそうじゃなくて、将来のために勉強はちゃんと……」

「泰佑より勉強取れっての?意味わかんない」


 軽い気持ちで始めた会話でこんな大惨事が起こるとは誰が予想できただろうか。


「あ、いや……将来のためにちょっとは……さ……」

「将来? ずっと泰佑と一緒にいるんだから泰佑のこと考えてるのが正解じゃないん?」

「それはそう……だけど」


 反論は出来ない。俺も心の奥底で似たような事は考えてしまっている。だけどそれじゃダメなんだ、どうにかしてそれを伝えないと。


 俺がそう思う中、彼女は何かを考えるような仕草をし、名案を思いついたのかいきなり満面の笑みになった。


「あっ、いーこと思いついた! ちゅーしよ!」

「は?」

「そしたら赤ちゃん出来るっしょ? お腹ん中に泰佑の赤ちゃんいたらさ、何してても泰佑と一緒みたいなもんじゃん?」


 彼女は恍惚(こうこつ)とした表情で自身のお腹をさすり、母のような優しい笑顔を浮かべている。一切の冗談も含まれていない、本気で今この瞬間に母親になろうとしている。

 齢16歳にして性知識が全くないのはさすがにどうかと思うが、それよりもこういう思考回路だと正しい知識を持った時が大変だ。せめて学生のうちは抑えるよう誘導しないと。


「もうここでつくろーよ、教室でつくればじゅぎょーちゅーも思い出せるし。イッセキニチョーじゃね?」

「ダメだって! 俺たちまだ学生だし絶対めちゃくちゃ苦労するに決まってる、俺はともかく梵に辛い思いはさせたくない」

「……じゃあどしたらいいん? 泰佑がウチんこと忘れんようにするならどうしたら……?」


 彼女は続きを言えないまま、黙りこくってしまった。こちらの目を見つめ続ける彼女の目は怒りではなく、懇願。

 助けてほしい、そう言っているようにしか見えなかった。もしカノジョがそう助けを求めてるならカレシが出来ることはたった一つ。


「……じゃあさ一緒に勉強しよう、今からさ」

「えっ……」

「どうせ授業中は勉強以外できないしさ。それだったら勉強と俺結びつけとけば、勉強しながら俺のこと考えれるんじゃない?」

「あっ……」


 自分でもこれが名案だとは思わない。彼女が言った子どもをつくるという方法のがよっぽど離れてていても俺をそばに感じるだろうし、二度と離れないことの証にもなる。

 だとしても今は……ダメだ。今はそれは避けないといけない。


「俺も家で勉強してるときに未那のこと思い出せたら嬉しいしさ」


 この言葉自体はここをやり過ごすための方便なんかじゃない、心からの本音だ。状況的に疑われてしまうかもしれないけど、梵ならきっとわかってくれるはずだ。


 彼女は真顔のままこちらを見つめ続けている。想いが届いてくれることを祈り、こちらも見つめ返した。


 ドンッ!


「ぐえっ!」


 突然、胸を強く突き飛ばされすさまじく情けない声が飛び出る。


「なにそれ……」


「なにそれなにそれ!タイスケめっちゃウチんことすきじゃん!」

「そりゃそうだろ。めちゃ好きじゃなかったら付き合わないし」

「ん〜!」


 梵は頬を赤らめて恥ずかしそうに手で顔を仰いだ。甘えたがりの彼女には珍しい、とてもしおらしい照れ方だった。

 その顔をずっと眺めていたい気分ではあったが、いつまでもこうしているわけにもいかない。鉛筆を手に取り、勉強の準備をする。


「……それじゃ、勉強しよっか」

「ん、わかった。じゃあタイスケ、先生やってよー」


 先生か。人に教えるのは得意じゃない、部活のときに後輩から文句をよく言われるのでそれは自覚している。

 でも梵のためって考えるとやる気は出てくる。やる気があればだいたいのことはできるから、きっと上手く出来るだろう。


「数2の教科書、18ページ開いて」

「はいはーい!」

「んじゃちゃんと聞いててよ、梵サン」

「はーい、タイスケせんせ」

「タイス……まぁいいけど。三次式の展開はー……」


 梵はカリカリとシャーペンを滑らかに動かし、俺の言うとおりに数式を書いていく。それにしても達筆だな、習字教室にでも通ってたのか。

 お互いまだまだ過去のことは知らない。いつになってもいいから彼女からもいろんなことを教えてほしいものだ。


「んでんでー?」

「そもそも2乗も3乗もあんまり変わんなくてー……」

「2乗ってどうすんだっけ」

「あー、そこからか……」


 楽しそうに勉強をする姿を見せられるとこちらとしても教え甲斐がある。そういえば人に教えると自分も覚えれるんだっけか。

 いや、そんなことはどうでもいい。今は二人だけの授業の時間を享受しよう。しかし楽しい時間というのは早く過ぎるのが世の常。


「……もう五時半か。早いなぁ」

「めっちゃ楽しかったー!明日はー……ダメか」

「部活だからなー」


 残念だが二人一緒に勉強するのは1週間に一回。さらに夏の大会が近づいてくるとそのペースですら出来なくなる。

 だけど間違いなくさっきまでの時間は自分たちのなかに強く刻み込まれたはずだ。


「せんせー、頑張ったしごほーびくださいな」

「こっちも教えたからお礼してほしいけどなぁー」

「えー、じゃあどっちも嬉しいことしよーよ」


 そう言うと彼女は目をつぶり、唇を突き出した。その意味を理解した瞬間、汗が全身から吹き出るような感覚がした。


 ……でもここは間違いなくしなければならない。男として、絶対に。

 彼女の肩を優しく掴み、ゆっくりと唇を彼女の顔に近づける。


 そして優しく……右頬に唇をつけた。


「……口どーしはダメ?」

「口同士は……こども出来ちゃうだろ」

「……大事にしてくれんのマジしゅきー」


 真っ赤になりながら笑う梵は今まで見てきた梵の中でも一番可愛かった。

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