女神と神子と聖女
※思うがままに書いたので読みづらさはあると思いますが、ふわっと読んでいただけると嬉しいです。
※神子と聖女の定義についてはこの作品内でのものですので悪しからず。
※よく見かける婚約破棄のテンプレから始まる話
「マルガレータ・ニーベリ侯爵令嬢。君はこちらにいる聖女ナターシャを嫉妬により誹謗中傷、傷害、果ては暗殺未遂にまで及んだと報告が上がっている。王族に連なる者が聖女を害することは許されない。よって、君との婚約は破棄とさせてもらう」
「フェオドル殿下、申し訳ありませんが、仰る意味が分かりません。聖女ナターシャ様を害することなどしておりませんわ」
「いいや。多くの証言から君が聖女ナターシャに悪感情を抱いていることは判明している。聖女は王家にとって重要な存在だ。君との婚約が破棄された後、私は彼女と婚約をする。これは決定事項である」
各国の重要人物を集めての盛大な夜会で突如起こった婚約破棄騒動。婚約破棄を申し出たのは立太子を控えた第一王子で、告げられたのは王国でも突出して財を持ち、同時に女神への敬虔さが有名なニーベリ侯爵家の令嬢である。
この二人の不仲さは有名である。第一王子が一方的に侯爵令嬢を嫌って蔑ろにしているのはよく知られている。そして、聖女と第一王子が親密である、という話も。
エストエン王国に初めて現れた聖女は、子爵家の令嬢だという。神殿に務める高位神官が女神より神託を受け取り、間違いなく彼女が存在していると確認が取れた後、聖女ナターシャを丁重に迎え入れた。
それ以降、聖女ナターシャは女神の言葉を伝え、王家はその言葉に従ってきた。ナターシャが神殿にいるだけで多くの寄付は集まり、神殿の力はより一層強くなる。
第一王子フェオドルに守られるように寄り添うナターシャは、彼から贈られたと思われる豪奢なドレスを身に纏っている。すでに寵愛は彼女に移っていると誰もが判断できる材料だ。
本来であれば婚約者であるマルガレータをエスコートしなければならないフェオドルは、ナターシャと出会って以降はずっとナターシャを伴い夜会などに参加していた。それは国内の貴族であれば誰もが知っている事実だ。
聖女ナターシャの身を飾るのはフェオドルから贈られたドレスや装飾品ばかり。それに対して婚約者であるマルガレータは一度たりとも彼からプレゼントは贈られていない。エスコートもされていない。
貴族たちは聖女が相手ならば仕方がない、と一人佇み己の無実を訴えるマルガレータを好奇の目で見つめる。そこに含まれる感情には侮蔑や嘲笑も含まれているのは間違いない。
この騒動は、王子と聖女が寄り添い合いこれから国を治めていくのだろう輝かしい未来を予感させた。聖女が女神の言葉を王家に伝え、王家はそれに従い国を治める。今よりももっと、ずっと、よりよい国になる。ただの侯爵令嬢よりも聖女の方がより国を豊かにする。
王子と聖女が見つめ合い微笑む姿は一枚の絵のようで、誰もが祝福の拍手をしようとした。
その女性が発言するまでは。
「はぁ? その女が聖女? あり得ないわ」
美しい黒髪をまとめ上げ、髪と同じ美しい黒目が輝く一人の女がホールへと足を進める。婚約の破棄を申し出た王子とその隣にいる聖女。向かい合わせに立つ侯爵令嬢。彼らから距離を開けながら様々な思惑で見守っていた人々は、その黒の女の言葉に困惑する。
聖女を非難するような強い怒りを込めた言葉は興奮に満ちていた人々を抑え込む力があった。
フェオドルは己に敬意を表さないまま近寄ってきた女へ不愉快さを隠さない。
「貴様は誰だ」
「私はアラバルン帝国の神子アカネ。女神フォリアフォリより召喚された存在。で、その女神からの神託だけど、その女に加護など与えていない。勝手に聖女を自称するな、とのことよ。マルガレータ嬢に害された事実はない、とも言っているわ」
真っ白なカズラの背中部分には女神フォリアフォリを象徴する月桂樹と月と雫の緻密な金の刺繍が施され、裾は蔦模様の緑の刺繍。肩から掛けられているストラは最高位を示す紫色。女神フォリアフォリを主神とする神殿では、直接神の言葉を与えられ告げることが許されている存在というのは尊ばれており、最高司祭と変わらぬ地位にある。
神子というだけでも滅多にお目にかかれない存在の上、所属しているのがアラバルン帝国という大陸最大を誇る国というのだから見守る人々の口から驚嘆の声が止まない。
何よりも、その神子がこの国唯一の聖女を否定したのだから騒ぎは大きくなるばかり。
「何を言っている。ナターシャは聖女だ。彼女は神の言葉を我々に間違いなく伝えてくれて」
「だからそれがおかしいって言ってんのよ。ねえ、自称聖女さん。貴方、間違いなく女神の声が聞こえてるの?」
「はい。女神は私に聖女になるように、と。それからずっと多くのお言葉をくださっています」
聖女を否定された王子は怒り、聖女は王子にしがみつき震えながらも断言する。
これまで何度も女神の助言を受けてきたフェオドルはその通りだとナターシャの言葉を聞きながら頷く。
言質は取った、とアカネは頷くと、はっきりと大きな声で事実だけを伝える。
「神の声を伝えるのは神子の役目よ。聖女とは神の加護を受け奇跡の力を行使するもの。そして聖女に女神の声は聞こえないのよ。知らなかった?」
「え? う、嘘よ」
勘違いされやすいのよね、と言いながらアカネは神子と聖女の違いを述べる。
「神子は女神フォリアフォリに仕え、祈りを捧げるわ。そして女神フォリアフォリが世に知らしめたい言葉があれば聞き届ける役目を持つ。時に女神がその体に降臨することもあるわ。だから神子の地位は大司祭と変わらないのよ。それに対して聖女は女神から加護を与えられるだけ。簡単に言えば、力を貸してあげるから世の中の為に頑張ってっていうだけのもの。わざわざ声なんてかける必要もないわ」
神子と聖女は間違えられやすい。特に、聖女という響きが神子以上に神聖に思うのだろう。だが、神の加護を受ける人間はそれなりにいる。エストエン王国がこれまで聖女がいなかったのは必要がなかったからだ。しかし、女神はそろそろ聖女を入れないとこの国の大地が危ないと判断し、生まれたばかりの一人の少女に加護を与えた。
だからこの国は正しい聖女の知識は無かった。精々他国からもたらされる情報くらいで、それがどこまで正確なのかも分からなかった。ただ、小説などでは聖女の話がよく見られていて、多くの令嬢たちの聖女のイメージはまさにナターシャが振舞ったようなものだった。
知識が無いからこそ、負の連鎖は止まらなかった。
「貴方、本来の聖女からその役割を奪ったわね。そして勝手に聖女のイメージで行動したでしょ。女神フォリアフォリは盛大にお怒りよ。本来加護を与えたはずの聖女が虐げられていて、これから神子にしようと思っている子が蔑ろにされて。ねえ、貴方、女神をどこまで愚弄するの?」
ざわめきは止まらない。強い視線がナターシャに向けられ、彼女は顔色を悪くしながら震えている。本来であれば隣に立つ第一王子が慰めるなりなんなりしなければならないのだが、信じられないという表情で彼女を見下ろすばかりだ。先ほどまで見せつけるように甘やかしていたのに。
黒髪の神子アカネは淡々と問いかけるが返答はもらえそうにない。傍に何時の間にやら一人の男が近寄り、彼女にそっと杖を渡す。杖は美しい宝石がはめ込まれている神具の一つだ。
黒髪黒目の神子の隣に並ぶ赤髪金目の男は、背が高く鍛えられているのがよくわかる体格の良さと、凛々しい顔立ちの男前で、思わず令嬢たちがほぅ、と熱い吐息を漏らす男ぶりだ。
「ありがと、ジーク」
「全く……勝手に暴走するな。ああ、私はアラバルン帝国の皇太子ジークハルトだ。そしてアカネは間違いなく我が国の神子である。神殿に認められ大司祭も認めている為、お前たちが否定することは許されない。そして彼女の告げる言葉に偽りはない」
男が帝国の皇太子という事実もさることながら、その皇太子が彼女を神子であると断言して保証したことはこの状況において重要な意味を持つ。更に主神である女神を奉る最大の神殿を有している帝国の大司祭が認めている為、彼女が神子であることを疑う事すら出来ない。
女神の神託を告げる者は偽りを伝えることが出来ない。神子になるものは例えどのような状況でも嘘を伝えられない。だからこそ寡黙になる神子も多いのだが、この世界に生まれたわけではない神子アカネは思ったことをそのまま告げる。
「自称聖女ナターシャ。女神が本来聖女の加護を与えたのは貴方の双子の姉のジャクリーン。それなのに貴方は勝手に聖女であると自称した。貴方の家族もろくでなしね。本来の聖女を虐げているなんて。彼女の奇跡の力は彼女が生き延びる為に使われているわ。本来は弱き民を守る力なのに。彼女が最も弱き民となってしまっている……ジャクリーン、いるんでしょ。出てきて」
神子アカネは時々何かを聞くようなそぶりをしながら、異国の地であるこの国の民のことをつらつらと述べてく。一人の女の名を呼べば、少ししてふらふらとしながらぽっかりと空間が出来ている所に出てくる少女。少しばかり古びたドレスを身に纏っていた。顔色は悪く、体付きも決して良いどころか細すぎて心配になるほどである。髪の毛も軋んでいる。
彼女の置かれている状況は決していいものではないと誰もが分かる。その後ろにいるのが彼女の両親なのだろう、少女を疎んじているのが分かる態度だ。そしてどうやらこの騒動から離れた場所にいた所為で状況がよくわかっていないようである。
ふらふらの少女を憎々しげに見た後、王子の腕に掴まっている少女を視界に入れて喜びの表情を浮かべているのだから。
「よく耐えたね。女神フォリアフォリはここまで辛い思いをしながらも、頑張って生き延びた貴方を褒めているわ。貴方に与えられた力は豊穣。弱き民の為にその力を存分に使えるかしら」
「神子様……はい。私がここまで生きていられたのは、私を助けてくれた人たちがいたからです。彼らもまた貧しいのに貴重な食料を分けてくれました。次は私が彼らに報いなければなりません」
瘦せすぎて一見すれば分からないが、その声はナターシャによく似ている。きちんと栄養を取ればそっくりになるのかもしれないが、きっと雰囲気は全く違うだろう。何せナターシャは勝手に聖女を自称し、姉からその地位を奪い取った強欲な人間だ。しかも何の力もないのに王家に嘘を告げ続けてきた。その罪は重い。
よろめく彼女の体をそっと支えながらアカネは再び口を開く。
「聖女カレン、いるわね。女神がお呼びよ」
「神子アカネ。もうちょっと見守りたかったわ」
「駄目よ。聖女ジャクリーンの治癒をお願いね。衰弱しきってるわ。しばらくの間、貴方の所に預けなさいってフォリアフォリが言ってるの。よろしくね」
「畏まりました。アリーシャ、聖女ジャクリーンを私の控えの間に」
新たに一人の女が現れる。美しい露草色の髪の毛をした女はジャクリーンの傍に近寄るとその手を取り支える。聖女カレンと呼ばれた女は新たに一人の女性を呼ぶと二人でジャクリーンを支えながらこの場から去っていく。
誰もアカネの行動を止めることが出来ない。何せ、皇太子ジークハルトがアカネを守るように傍に控えているのだから。眼光鋭く周囲を見渡し、その視線の恐ろしさにまるで足が縫い付けられたように誰も動けない。無論、それはこの状況を近くで見ている面々だけで、離れた場所にいる人々はよくわからないけど何か騒動が起きているな、くらいの認識でしかないのだけれども。
物事はどんどん勝手に進んでいく。
第一王子が婚約者にその婚約の破棄を告げた。そして聖女と婚約をすると宣言した。
しかし、その聖女は偽物で本物がいた。
それを暴いたのは帝国の神子で、その隣には皇太子がいる。
正しい聖女は衰弱しており、別の聖女が神子によって呼び出されるという事態。
大きな国ではないエストエン王国にここまで重要な人物が集まるということは奇跡である。だが、内容は決して良いものではない。
聖女を詐称したナターシャは近衛騎士に取り押さえられた。正しい聖女がいて、このナターシャは偽物であると断言されている。その偽物は王家に偽りを告げ続けていた。そして正しい聖女は虐げられていたと誰の目にも明らかで、その場にいた彼女たちの両親も捕縛された。
速やかに会場から連れ出された後に残されたのは、第一王子フェオドルと婚約の破棄を告げられた令嬢、夜会の参加者、そして神子と帝国の皇太子である。なお、この時点で国王と王妃は別件によりこの場に居なかった。だからこそフェオドルは無謀なことを始めたのだが。
さて、残された面々は困惑の表情である。何せ、フェオドルが婚約を破棄すると宣言したのは聖女を害したから、というものだったのだから。しかしその聖女は偽物である、と神子によって判明している。侯爵令嬢マルガレータは害していないとも神子アカネは告げている。つまり、冤罪だ。
「マルガレータ・ニーベリ侯爵令嬢」
「は、はい」
アカネは優しく微笑むとぽつんと頼りなく立つ令嬢の元に近付き、微笑みかける。突然声を掛けられたマルガレータは、厳しい妃教育で身に付けた淑女の仮面をつける余裕がなく、素の反応をしてしまい、ほんの少し顔を赤らめる。
常日頃から貼り付けたような笑みしか浮かべないと思っていた彼女のあどけない表情に思わず視線が奪われるものは多く、それは向かいに居てはっきりと正面から見てしまったフェオドルも同様であった。
婚約が定められた10歳の頃になると令嬢たちは淑女教育が始まっていて表情をコントロールする術を身に付けさせられている。小さな淑女が一生懸命学んだ事を実行しているだけなのに、フェオドルはその取り繕ったような笑顔が気に食わなかった。
貼り付けた笑顔が不気味だと言い放ち、何時でも無邪気な笑顔で自分に甘えてくるナターシャに心惹かれ、マルガレータを傷つけ続けた。聖女であれば国王とて認めるだろう。聖女だから。この国の利益になるから。そんな理由を嘯いて。
婚約してから彼女に優しく接した事のない王子がマルガレータの素の表情など見られるはずもないのに。彼女に恥をかかせ貶める為に、衆人環視の中で婚約を破棄しようと決めた。
自分勝手な彼の考えなど、女神はお見通しなのに内心では恨み言だらけ。
もう少しフェオドルが素直であれば、素の表情を見せてもらいたい幼い子供の行動として微笑ましいものになっただろう。こっそり二人きりの時に、淑女の仮面を外して欲しいと願えたのだろう。しかし彼はその素直さを持てなかった。願えなかった。傷付けることでしか心が満たされなくなってしまっていた。傷付き笑みを浮かべながらもその目が揺れることで満足するようになった。
歪んだ心が歪んだ道を作り続けてしまい、現在に至ってしまったのだ。
その歪んだ感情を滲ませながら見つめる先に居たマルガレータはアカネから信じられない言葉を告げられていた。
「貴方は女神フォリアフォリにその高潔な精神を認められました。私と同じ神子として、女神に仕えることになります」
「わ、わたくしが、ですか?」
「ええ。誰よりも厳しく己を律し、国の為、民の為に己に出来ることを常に考え続け、己の婚約者が『私』を優先するのに対し貴方は『私』を捨て『公』として務めることを常に考えていたよね。その素晴らしき心を女神は好み、認め、貴方をこの国の神子とし、女神の言葉を民に告げる役割を与える、と」
アカネは見た目はマルガレータよりも年下のように見えるのに、その視線は年上のものだ。マルガレータを促し杖に触れさせると、杖にはめ込まれた宝石が輝く。これが一種のパフォーマンスであると知っているのは、アカネと女神フォリアフォリ、そしてジークハルトくらいだ。女神の声が聞こえない人々は、視覚的に魅せたほうが信じるよ、とアカネが言った結果、女神の手によりこの杖が作られた。
マルガレータに女神からの言葉が与えられたのだろう。静かに美しい涙を流す彼女は杖から手を離すと両手を組み跪き祈りの態勢になる。しばらくして後、彼女は立ち上がるとアカネにお辞儀をする。そして先ほど治療の為に出て行った聖女たちの所に行くと告げて彼女もこの場から去っていった。
一人ぼっちで立ち尽くすしか出来なかった彼女は、背筋を伸ばし前をまっすぐ見つめていた。そして揺るぎない足取りで歩んでいた。その所作はまさに高潔と評されるにふさわしいものであろう。
「それにしても、神子以外に偶に神殿にいる神官に神託を与えることがあるとは言っても、なんで聖女を間違えるのかしら。ちゃんとしてたら正しい聖女が民にもっと早く奇跡を与えただろうに」
「さあな。力が弱いのか、聖女も神子もいなかったから、か」
「女神は間違いなく、ジャクリーン・トラスバルトが聖女であると告げたって。きっとトラスバルトしか聞こえなかったのでしょうね。しかもジャクリーンの家族は昔からナターシャを優遇してたみたいだし。だから聖女に選ばれたのはナターシャだって決めつけたのよ。ジャクリーンが心優しく育ってよかったわ」
ねえ、とアカネは再び近くに寄ってきた皇太子ジークハルトを見上げ、ジークハルトはアカネの頬を撫でる。彼女は擽ったそうに笑い、ジークハルトは優しく見つめる。この二人の関係が友情だけでは収まらないと、周囲は見せつけられる。
最終的に残ったのは第一王子だけだが、その彼は未だ呆然としている。そんな時、慌てたように漸く国王と王妃が入場してきた。ある程度の状況は把握しているのだろうが、詳細はわかっていないと言ったところだろう。
「この国の国王陛下と王妃殿下ね。私はアラバルン帝国の神子アカネ。こちらはアラバルン帝国皇太子のジークハルト。お二人には後できちんと誰かからお話を聞いていただきたいわけだけど……これだけは皆様にきちんと伝えるし理解してもらうね」
国王と王妃は少し高い場所にある椅子の前に立っている。その後に続くように重鎮たちが現れるので、それが落ち着いたのを見計らってアカネは杖をどん、と床に一度叩きつけると女神の言葉を神託として伝える。
「女神フォリアフォリからの言葉です。神子マルガレータは神殿に速やかに入るように。正しきこの国の聖女ジャクリーンは衰弱している為、カルバザ国の聖女カレンの下で療養した後、民を救う旅に出るように。偽りの聖女ナターシャには適切な罰を下すこと。神子と聖女の血は王家に入れることは許さないとのことです」
杖にはめ込まれた美しい緑の宝石が輝く中での宣言。それは間違いなく神託であると誰にでもわかっただろう。その為のパフォーマンス用の杖だから。それでも女神が作った神具なのでただの杖では終わらない。
それはさておき、アカネは神子が現れたこと、ナターシャは偽物で本物の聖女がいるということが告げられていく。
続いて、罪に対する罰への言及が始まる。
「第一王子フェオドル。貴方は神子マルガレータに対し幼い頃から彼女を精神的に傷つけ続けてきました。そして彼女を傷つけることで己の精神的な安定を図っていました。しかし、己の感情を押し殺し、国の為に務めるのが王族の役目。それを放棄した貴方を女神はお許しにはならないとのことです。そして冤罪を増長させた証言者一同も女神はご存じです。女神は個別には対応しません。纏めて、同じ罰を下されますのでその時までに心の準備をしておくように」
女神の怒りを買ったフェオドルはついに膝をついた。上手く行くと思った。婚約を破棄し、自分へ素の顔を見せて楽しそうに笑う聖女を娶り、何れはこの国の王として未来にも名を残す賢君になるのだと、夢を見ていた。
しかし実際はどうだったか。
証言の精査などしていない。彼女に瑕疵があると少しでもきっかけがあればよかったのだ。冤罪を生み出しただけではない。聖女そのものが偽物だった。本来の聖女は家で虐げられて、どうにか生きているだけの状況に近かった。偽物の言葉を信じ、彼女の言うとおりに動いた。結果が出ない時は、実行した人間が悪いのだと信じ込んで。
「そもそも私がこの国に来たのはマルガレータを神子にすると女神フォリアフォリが告げたのでお祝いの為よ。つまり、第一王子が婚約破棄をしなければ貴方は素晴らしい神子を妻に出来た。そしてその神子によって聖女の正体が暴かれ、正しき聖女を救い出すことも出来た。でも貴方がそれをすべて台無しにしたのよ、第一王子フェオドル」
神子は国に属すが王族にへりくだることはない。彼女たちは女神フォリアフォリに仕え、その言葉を正しく世に広める為に存在している。その中でも特にアカネは死にかけたところを別の世界から引っ張って来られた、特別な存在だ。
静かに諭すような言葉をフェオドルは怒りなのか悲しみなのか、全ての感情が混ざったような表情を浮かべながら聞いている。
「貴方の愛は、歪みすぎていたわ。ねえ、本当はわかっていたんでしょ。こんな状況で婚約の破棄を申し出たらマルガレータの貴族令嬢としての未来は終わる、と。貴方は彼女をどこまでも貶めて傷つけて自分という存在を刻み込んで、一人ぼっちになった彼女を……いえ、これ以上はやめておきましょう。貴方がほんの少しでも素直になれば、彼女は貴方をまっすぐに愛してくれたのに。残念だわ」
国王と王妃の間に生まれた最初の子供であり、それなりに優秀で見た目も良かったフェオドルは誰よりも己が優れており、この国の王になるのは自分しかいないという自信に満ちていた。
その自分に与えられた婚約者は美しく真っ直ぐにフェオドルを見つめていた。その目が、嫌だった。笑みを浮かべながら何を考えているのか分からなくて。ほんの少しでも自我を見せてくれればいいのにそれすらもなく。
アカネの言う通り、フェオドルはマルガレータに婚約の破棄を申し込んだ後、彼女がどうなるかわかっていた。特に彼女が罪を犯したならば、結婚など出来るはずもない、と。わかっていて人のいる中で知らしめて、彼女を孤立させて、そして最終的に彼女を囲うつもりだった。ナターシャを王妃に、マルガレータを妾として。誰の目にも触れさせずに閉じ込めて、自分だけしか頼れなくなれば彼女は淑女の仮面を被ることも出来ずに素の顔を見せてくれると思ってしまった。
他人に言われて漸く理解して、フェオドルは絶望する。
女神の怒りを買い、そして神子になったマルガレータを王家、フェオドルが手に入れる機会は永遠に失われた。
「女神フォリアフォリは神子も聖女も純潔を求めません。女神の権能の一つに子孫繁栄がありますからね。ですが、その婚姻を王家や神殿が定めてはなりません。彼女たちが心から愛し愛される人に出会います。運命を歪めることは許さない、とのことです」
神子の血も聖女の血も、王家は取り込みたかったのかもしれない。しかし彼らは手放したのだ。そもそもマルガレータとフェオドルの不仲は国の貴族が知る所、というのであれば国王も王妃も知っているはずだ。それなのにフェオドルの行動を咎めず、マルガレータに我慢をさせた。最初からフェオドルは不快をあらわにしていたのだからその時点で婚約を解消していればよかったのに、豊かな財を持つマルガレータの実家を逃したくなかった王家がマルガレータを犠牲にし続けた。
聖女が現れ、第一王子が聖女を優遇した時にも機会があったのに。それでも国王と王妃はマルガレータを手放さなかった。彼女が大事だからではない。彼女の実家の富が大事だったから。
そんな王家に女神は大事な神子を委ねることはしない。少しでも彼女を思いフェオドルを諫めていれば、もしかしたら機会は与えられたかもしれない。全ては仮定の話だ。
アカネの言葉を聞いた国王と王妃は顔を歪める。しかし女神の言葉を正しく伝える神子に逆らうことは出来ない。国内に神子と聖女が留まるだけでも僥倖だと思うしかない。彼女たちがこの国を見捨ててもおかしくない程、彼女たちは人々の悪意に苛まれ苦しめられたのだから。
「ふぅ。これで一通りフォリアのお願いは叶えたわね」
それまで堂々と神の言葉を伝えていた神子アカネの体がぐらりと揺れるが、直ぐにジークハルトが支え、横抱きにして抱える。
「いつもより長く神託を受けていたからな。幾らお前でも限界だろ」
「そーね。さすがにフォリアもごめんねって言ってるわ。ずっと色々脳内に話しかけられて結構限界来てるー。ジーク、ごめん、後はお願いね」
後を頼んだアカネはすとん、と意識を落とす。
女神から言葉を与えられるということは、神と強制的に繋がる事になる。人間は神と比べるまでもなく弱い力しかない。無理やり波長を合わせられ、言葉を告げられるのだが、神子はこの波長を合わせるのが上手く、力もそれなりに与えられるため鮮明に聞き取れるが、それでも接続時間は短い。
その中でアカネは長時間の接続を可能としているのだが、流石に休みなくずっと女神から言葉を告げられるのは無理があった。今はさすがに女神との接続は切れており、眠ることで脳を休ませて力を回復しようとしている。
「用件は済んだので、俺たちはこれで失礼する。しばらくはこの国に滞在するが、それは神子と聖女を見届ける為だ。不要な接触は断る。外交に関しては大使へと告げてくれ。以上だ」
あくまでも今回の夜会の参加は神子の為であり、聖女がおかしいというフォリアフォリの神託に従って確認をしに来ただけだ。女神は神子を通じて世界を見届ける為、加護を与えたからと言って聖女を個別に見守ることはしない。時間の概念も神にはさほどない。だから、十年くらい経過してても神にとってはほんの瞬きのこともあれば、一瞬が永遠になる事だってある。
今回の聖女に関しては、きちんと神託は告げたし、聖女に加護も与えたから正しく運用するだろう、と思って放置しただけだ。わざわざ女神がその後を気に掛けることはしない。何故なら、女神が命じるのだから、人間は正しくそれを実行するのが当たり前、と思っているから。
それでも、ふと与えたはずの加護の力が一か所にとどまり循環していないことに気付いた時、女神はアカネに調べるように命じた。ついでに、漸く望んでいた娘が神子として相応しい魂に整ったので神託を与えることも行うように、と。
アカネを一人で行動させたくないジークハルトがついていくのは仕方のない事だ。二人は正しく婚姻関係にある。行動力のある妻を一人にしたくない夫であるジークは、未だ皇帝が元気で健康である為、出来るだけアカネと一緒に動くようにしている。
そのついでに色々な国と縁を繋ぐようにはしているのだが、流石にこの国は利も何もないのですぱっと切り捨てる。せめて神子と聖女の環境が整うまでは外交も行いたいとは思えないくらいには、人間性に問題がある者が多すぎた。
横抱きにした妻であり神子であるアカネはジークハルトの腕の中が一番安心できると言わんばかりに緩んだ寝顔を見せる。周囲を一瞥した後、彼は歩き出す。そしてその後ろを何時の間にか現れていた数名の男女が追従していく。咎めない所を見ると帝国から連れてきていた者達なのだろう。
彼らの姿が見えなくなって漸くホールはざわめきを取り戻す。
第一王子が婚約者に婚約の破棄を突き付け、聖女との婚約を宣言した。未来は明るいものだと誰もが思った。それだけの話で終わるはずだった。
第一王子は女神の怒りを買い、その資質を疑われた。
聖女だと信じられていた人物は偽物であった。
王子の婚約者でありながら蔑まれ蔑ろにされていた令嬢は、神子として認められた。
本来の聖女は、その立場を双子の妹である偽物に奪われ虐げられていた。
歪んでいた全てが神子により正しく戻されていく。
これからこの国がどうなるかは分からない。だが、神殿もまた罰せられるだろう。あくまで女神が神殿に求めるのは信仰心を持ち続けること、民から信仰心を集めることである。彼らの名声を上げるためではない。神殿は女神の為に存在しているわけで、女神よりも聖女が目立つことは許されないし、それを祭り上げた神殿の者達を女神は許さない。
おそらく多くの上の方に位置する聖職者は淘汰される。そして正しく女神を信仰する者たちにより正常に神殿は運営されることになる。
王家の権威は失墜したが、だからと言って神殿が力を持つわけでもない。貴族社会が崩壊するわけでもない。ただ、歪んでいたものが正しく元の通りになれば女神はそれでいい。
◆
ぐっすりと眠ることで力を回復したアカネは、王都にある高級宿で一番広い部屋のベッドで起きる。隣で心地よさそうに眠る夫であるジークハルトの髪の毛をちょいちょい、と整えながら、さてどのくらい寝たのだろうと考えるが、夜明けまでもう少しだろう薄暗さの中では分からない。
こてん、と横になったままアカネはジークハルトの顔を見つめる。そしてそっと囁く。
「起きてるでしょ」
「ばれたか」
「なんとなくだけどね」
ぱちりと瞼を開いたジークハルトはにっと笑うとアカネを抱き寄せる。
どのくらい寝てたの、とアカネが聞けば二日だ、と言われて安堵する。最悪三日以上は覚悟していたので思っていたよりも早く回復出来た。
「マルガレータは神殿入りした?」
「いや。迷惑でなければお前と一緒に行きたいというので別室に部屋をとってそこで休ませてる」
「あら。家に帰らないの?」
「王家も大概だが、神子の噂は知っていて奴らも放置していたんだ。神子は最早家族に何の期待もしていない」
「それもそっか。まあ、きっとマルガレータは聖女ジャクリーンと友情を築いて二人でこの国の弱き民を救って、国をよりよくしてくれるよ」
くふくふと笑いながらぎゅっとジークハルトに抱き着いたアカネはふぁ、と大きな欠伸をする。
彼女がこの世界に来た時、女神から直接神子になるように言われた。そうでなければ彼女は元々生きていた世界、地球で死んでしまう事になるから。今、地球で彼女のことを覚えている人は一人もいない。この世界に来た時に地球にアカネがいたという全てが消失した。記憶も歴史も何もかも。だからアカネはこの世界で一から己の存在を確立しなければならなかった。
女神の言葉を告げるだけしか力のない神子。そんな弱い存在の彼女は生きるのに必死だった。そしてジークハルトに出会い、漸く安心できる場所を手に入れることが出来た。とはいっても、そんな場所になるのにはそれなりに時間がかかったけれども。20歳でこの世界に来たアカネは現在25歳。最初の一年はどうにか自分の存在を認めさせることに必死で、三年目で漸く帝国中に神子を認識させた。そこから他国の神子や聖女と関わるようになった中での今回の出来事。
こんなことは本来は起きるはずもなかった。聖女がずっといなかった事、神殿の聖職者の力が思ったよりも弱かったことが悲劇を生み出した。今後新たな聖女や神子が生まれることになるだろうが、今後は似たような過ちを生み出さないようにアカネを経由することになるだろう。
その度にアカネは国を移動するだろうが、きっとジークハルトもついてくる。せめて、ジークハルトが皇帝になるまでには大陸中の国に神子と聖女が配置されることを願うしかないが、それが女神の気まぐれだ。
「神子と聖女の役割が、正しく認識されるようになればこんなことは起きなくなるよね」
「だといいな」
「勘違いしてる人多いけど、別に聖女も神子も実は心優しく慈愛に満ちてる必要はないんだよ。大事なのはフォリアへの信仰が深くて、揺るがない自分を持ってることなの」
「あー、確かに。全員そうだな」
「我儘なレイチェルだって聖女でしょ。レイチェルは我儘だけど、しっかりとした信念があるわ。彼女は欲しいものはかならず手に入れるけど、その分他の人が損をしないようにするの。彼女に与えられている加護は富だから余計にね」
「我儘の言いたい放題で、あれが欲しいこれが欲しいって言ってるけど、最終的にそれが国を富ませてるのは間違いないな」
「だから彼女は愛されるのよ。欲しいものがあればだれもが必死になるわ。だって最終的に彼女は人々を豊かにするんだもん」
くすくすと笑う。人肌の温もりでうつらうつらしながら、アカネは言葉を続ける。
「それに私だって人を羨むし、妬ましいって思う事だってあるよ。ジークの隣に立つには美しさも若さもなくて、他の女の人の方がいいんじゃないかなって思うこともあるよ。だけど私は神子のままだもの。これがね、思うようにいかないから女神フォリアフォリを貶める、なら神子になれないけどね」
「まだそんな事思ってんのか」
「んー?」
「俺の隣がどうこう」
「今は思ってないよ。他の国の女が来てもジークが私を見捨てないってわかってるし、心変わりもないってわかってる。もしも心変わりしたらフォリアが教えてくれるし、その時は出奔しようねって約束してるから」
「やめてくれ。お前がいなくなったら俺は死ぬ」
「だからね、信じてるから、大丈夫……ふぁあ……もちょっと寝る」
「ああ、そうしろ。起こすから」
「んー。おやすみ」
すとん、と眠りに就くようになったのはこの一・二年のこと。それまで誰も信じられずに気を張り続け、眠ることも中々出来ずに失神するように眠って、それでも短時間で起きていたアカネの目の下から隈が消えたのはいい事だ。
二人の結婚は一年前に神殿で執り行われ、皇帝と皇妃、大司祭の見守る中粛々と行われた。挙式は一年後に行うが、書類上ではすでに夫婦である。国内貴族には周知されているし、平民にも知られているが他国にその話は中々広がらない。挙式を行うまでアカネが自由に動けるようにするためだ。
態々公言はしないものの、視線と態度で牽制している。ジークハルトは自分に近寄ろうとする女性に対して冷酷な対応をしている。そうでなければアカネが過去を思い出して落ち込むからだ。アカネに出会うまでは自由に女性と軽い付き合いをしていた。本格的にアカネに好意を持つまで、彼女はその姿を見せられていた。だから最初の頃は全く信用されなかったし、何時でも捨てられると恐れられていた。
アカネ以外の女性との縁を完全に切って、漸く信じてもらえるようになって、こうして言葉にするようになったことが嬉しいと思う。
ぎゅっと抱きしめるアカネの体は、一時期本当に丸みも何もかもがなくなって骨と皮だけのような体になってしまっていた。今は適切な筋肉と脂肪がついて抱き心地が良くなったけれども、何時か死んでしまうのではないという恐怖と常に隣り合わせだった。
気の抜けた表情で幸せそうに眠る妻を眺め、もう一度抱きしめるとジークハルトももう一度眠りに就く。
◆
その翌日、アカネはマルガレータと共に神殿へ赴いた。
アカネが眠りに就いている間に女神は嬉々として罰を下し、聖職者たちの質が安定していた。マルガレータが神子であることはアカネが保証し、マルガレータもアカネと同じく紫のストラを肩から掛けることとなった。
神子に求められるのは女神フォリアフォリへ仕え、信仰し、祈りを捧げることである。かと言って清貧な生活をしろというわけではない。娯楽も嗜好品も許されているし、恋をすることも許されている。一日の間で必ず女神へ祈りを捧げる時間を設け、女神像を己の手で磨き上げればいい。それが終われば心穏やかに体を休める為の時間を多くとる。アカネのように直接女神から力を分け与えられている神子は例外として、女神からの神託を受けるには力を温存しておく必要がある。
そんなことを聞きながらマルガレータは、妃教育よりも気が楽で良いですね、と笑う。妃教育は苛烈で、それでも誰も救ってくれなかったことを考えるとどれだけ素晴らしい環境なのだろうとマルガレータは微笑む。
国を思い民を思っていた彼女の戦う場所が王宮から神殿に変わっただけ。彼女はどこにいても、国の為、民の為に頑張ります、と微笑む。
いつかその隣を支える人が現れる。その時までマルガレータは一人で立ち続けるのだろうが、きっと多くの人が彼女を支えてくれる。
アカネは頑張れ、何かあれば連絡してね、と約束をする。
聖女の回復は三か月ほどかかった。衰弱した体に聖女カレンが治癒の力を流す事で体の中を整えたのだが、最低限の筋肉しかなかった彼女は食事もままならなかった。胃がすっかり小さくなって少量を食べるのも何とか、というジャクリーンは水分から始めて、重湯、お粥、という風に少しずつ固形物を摂取できるようにし、ゆっくりと人並みに食事が出来るかどうか、というレベルにまでどうにかいたった。それでもまだ少食の部類である。
多少顔がふっくらとしてきたことで、彼女の持つ愛らしさがどんどん表面上に出てきた。この間、ずっとジャクリーンを支えていた人物が二人いる。
ジャクリーンの実家で彼女をそっと支えていたメイドと、貧しいながらも食料を差し入れしていたジャクリーンより一つ年上の青年。メイドは雇い主が捕縛された後、事情を聴いて驚いた。そしてすぐにでも大事なお嬢様であるジャクリーンの元に行きたいと願った。その際、ジャクリーンを救ってくれていた青年に声を掛けた。二人は揃って隣国の聖女カレンの元を訪れ、ジャクリーンを支えたいと願った。
聖女カレンの国であるカルバザ国の神子経由で女神の意思を問えば、むしろ二人が関わらないと駄目、と告げられた為、メイドと青年は献身的にジャクリーンを支え、介護した。
ジャクリーンも自分の心の支えとなっていた二人がいることで、早く良くなりたいと願ったおかげか、体調は安定しやすくなった。
三か月経ち、ジャクリーンはメイドと青年を伴い自国へと戻ることになった。
聖女は女神の加護を受け、弱きものを助けるために奇跡の力を行使できる。特にジャクリーンが与えられたのは豊穣の力なので、畑など植物の育成に有用だろうというアドバイスを受けた。
国に戻り、神殿に赴くと既に神子として務めているマルガレータが出迎え、二人は挨拶を交わすとゆっくりと会話をした。二人の間ですり合わせが行われ、女神から時々言葉を受けるマルガレータは、女神の言葉通りジャクリーンをまずは国境沿いの辺境の地の中でも特に不作に悩まされている地域へ派遣することを伝えた。
ジャクリーンはその言葉に頷く。彼女はこれ以降、女神の神託に従い国内中を旅しては奇跡の力を行使していく。弱きものを救うための力を存分に使う彼女が聖女であると、平民程理解していた。かつて聖女を自称していたナターシャは王都から動くことなく、贅沢を好んでいた。聖女としてあるべき姿を見せなかった彼女が罪人であるというのは、もはや誰もが知る事実になっていた。
ジャクリーンは常に二人の男女を伴って旅していた。一人はメイドでジャクリーンの身の回りの世話をする事に喜びを感じていた。そしてもう一人の青年は御者や力仕事などを積極的に行っていた。後に彼は聖女ジャクリーンの夫にもなる。愛し愛されるようになったジャクリーンの力は次第に強まり、災害によって長く不作に苛まれていた地域の土地を信じられない程の速度で回復させるようになる。
神子と聖女は良好な関係を築いていた。二人は女神への信仰篤く、国を愛し民を愛し、その為に己が出来る最善を尽くすという似た者同士であった。
その二人の活動に王家が介入することは出来ない。女神の怒りを受けていた王家にそんな余裕はなかったのだ。
具体的な何かが起きているわけではない。しかし気付けば彼らは不運に苛まれることになっていた。そしてそれをどうにかしようとする為に他に注意を払う余裕がなかった。
その中で明確な罰を下されたのは聖女を詐称したナターシャと、マルガレータを傷つけたフェオドルの二人である。
ナターシャは一晩の内にまるで老婆のような姿になった。可愛らしさを前面に押し出していた彼女は己の容姿に自信があった。それを女神は奪い去った。今彼女を可愛いというものはいないだろう。まだ若く、これから長く生きていく彼女は、老いた姿のまま生き続けなければならない。
フェオドルに与えられたのは、マルガレータの顔と名前を認識出来ないというものだ。そこにマルガレータがいても顔がわからない。名前も思い出せない。それでも執着にも似た愛を感じる。それに苦しむ罰。名前も声も分からないけれども、心が求めてしまう。話しかけることも出来ないのに。
ナターシャの若さは戻らないけれど、フェオドルの罰はある条件を満たせば終わることがある。それは、心の奥底からフェオドルが反省し、己がマルガレータを愛していたことを認めることと、そしてそれをマルガレータが許し、フェオドルを愛するようになれば、この罰は終わる。
ただし、それはとても難しいことだろう。何せマルガレータは長い間傷つけられていた。初めて顔を合わせた時、こんなにも素敵な人が婚約者なのかと嬉しくなるほどの一目惚れだった。それでも、少しずつ心は傷付き、守る為に恋心を捨てるしかなかった。
たくさん傷付いて、神子となっても癒されることが無いそれ。心の傷は見えないからこそどうやって治すかなどわからないし、人によって違う。
その傷が少しでも癒されて、フェオドルと向き合うことが出来るようになるかどうかは、女神以外には分からないこと。そして女神はその点については何も告げることはない。
かくして、エストエン王国の夜会で行われた婚約破棄騒動は誰もが思いもよらない方向に転がりながら、どうにか着地した。
◆フェオドルがかなりヤバイ男という感じで書いてしまいました。どこかでヤンデレサイコパス系のヤバイ話を書こうと思ってたのですが、その欲がフェオドルにぶちまけられました。
◆あくまでもこの作品は聖女と神子の違いをベースに書きたかったのでざまぁ的なものはあまり考えてなかったのですが、一応自称聖女ナターシャと電波系フェオドルには罰が与えられた風にしました。
◆実はきちんと書き切れていないのですが、何故ナターシャが聖女の振りをし続けることが出来たのかって事なんですけど、一応作中に書いてあるように、この国には聖女はずっといなくて正しい聖女というのが分かっていません。聖職者も、聖女について詳しいわけではありません。聖女の神託が現れた頃は隣国のカレンはまだ聖女ではなったので、イメージが市井に流れている小説になってしまっていました。
◆他にも色々裏話等は9/26付の活動報告に記載しようと思いますので、ツッコミを入れてくださる場合は先にそちらを読んでいただけると嬉しいです。