チビちゃん
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妻との間にもうけた娘は満七歳になり、めでたく小学校の入学式を迎えた。
子が健康に歳を重ねることは、素直に嬉しい。
妻を失ったのは二年前。乳癌だった。二十五歳の若さで亡くなってしまった。私が新卒三年目を迎えた折のことで、ようやく仕事が面白くなってきた矢先のことだった。
自らが病におかされたことを知ったとき、妻はけろっとしていた。「どうやら癌にかかったみたいです」と簡単に言ってのけたのだ。それからまもなくしてやはり平然とした様子で「これから入院します」と述べ、最期もやっぱり平気な顔をして死んでしまったのである。
物心がついたばかりの娘は、えーんえーんと泣いた。棺に取りすがりもした。だけど、私は泣かなかった。妻は周りのニンゲンに極力悲しい思いをさせないようにするために、あえてあっさりとこの世を去ったのだろうと察したからだ。だから精一杯の笑顔で見送ってやった。晴れやかな気持ちだったとまでは言わないし、言えないけれど、つらいだけの葬儀でなかったことは確かだ。彼女から卒業したような気分にすらなったものである。
妻が元気だったとき、子育ては彼女に任せきりだった。だから、いざ自分一人で娘を育てるとなると、もうどうしていいかわからなかった。子育てという行為について、初めて責任感を覚えた。いや、家族を養っていかなければならないという義務感はもちろん抱いていたのだ。でも、繰り返しになるのだけれど、育児については妻に任せていればいいと、たかをくくっていたのである。
それでも男親だけでなんとかここまでこぎつけた。小学校に入るというのは間違いなく一つの節目だ。感慨深くないと言えば嘘になる。とはいえ、意外と手がかからないものだなあと感じているのも事実だ。娘は強くて逞しい。そう思わされる場面に幾度も出くわした。妻に「大丈夫だよ」と告げたい。「私達の娘は元気一杯だよ」と伝えたい。まったく、天国に手紙を届けてくれる郵便屋が一つくらいはあってもいいだろうに。
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入学式を無事に終え、娘と手を繋いで帰路をゆく。
我が子と過ごす時間を大切にしたいという思いは当然強く、だから定時あがりがゆるされるような部署への転属願いを半期ごとに提出してるのだけれど、それはなんやかんやでことごとく却下され続け、私はいまだ営業職の最前線を張っている。仕事は山ほどあって、片付けても片付けても、また新たな案件がどっさり降ってくる。手帳には隙間がなく、TоDоリストだっていつもいっぱいだ。業務過多なのは明らかだ。でも、私の代わりはいない。日々、額に汗して頑張るしかないのである。
ありがたいことに、平日は決まって帰りが遅くても、あるいは休日出勤を強いられたとしても、娘は私をパパと認めてくれている。いや、認めてくれていると信じたい。そういう考え方って都合がよすぎるだろうか。それでも私は娘と上手くやれていると思いたい。この先、いわゆる反抗期みたいなものがあって、「私とパパの洗濯物は別だからねっ」だなんて言われてしまうのかもしれないと想像すると、しょんぼりしたくもなるのだけれど。
いつまで手を握らせてもらえるのかなあと考える。なにせ活発な子だ。早々と恋人を見付けてしまうような気がする。そうなったら私は嫉妬するだろう。イイ男と巡り会ってほしいと思う反面、娘にはいつまでもそばにいてほしいと考える。これって矛盾だなと、私の口元には苦笑が浮かぶ。
帰りの道中にあって、家屋と歩道とを隔てる塀の上を指差し、娘が「パパ、あそこに猫ちゃんがいるよ」と言った。
確かに娘の示す先には猫の姿がある。毛色は真っ白だ。こちらにお尻を向け、香箱座りをしている。
うーんと背伸びをして、娘が猫のお尻を左手の指先でつついた。シャーッと怒られやしないかとひやひやしたのだけれど、猫はものを言わず、軽やかに地面に下り立った。今度は「にゃあにゃあ」と声を上げつつ、こちらのことを見上げてくる。おまけに、私の脛に娘の脛にと頬ずりをする。娘は「わあ」と、まあるい声を出しつつ膝を折ると、猫のおなかに両腕を回した。
「ねぇ、パパ?」
「うん?」
「この猫ちゃん、きっとウチに来たいって言ってるんだよ?」
「そんなわけないだろう。会ったばかりなんだから」
「でも、この猫ちゃん、欲しーっ」
「いけないよ。それにしても……」
私は猫に注目する。なんともおしゃれなものを首に巻き付けているではないか。唐草模様の風呂敷なのである。風呂敷が少々膨らんでいるのはなぜだろう。旅の途中だとでもいうのだろうか。
猫は鳴く。私達のほうを見ながら、やっぱりしきりに「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」と鳴き続ける。
「どうしてこんなに鳴くのかな?」
「さあ、どうしてだろう」
「このちょっと変わった首輪に、なにか秘密があるとかかな?」
「ひょっとしたら、それはいい視点なのかもしれない」
「視点?」
「そう。視点だ」
猫から風呂敷を失敬して、中身を改めた。そこには銀色の小さな袋に入った猫エサがおさまっていた。ああ、そうか、そういうことかと、内心唸った次第である。
「この真っ白な猫は、自分のおやつを持って散歩に出るんだね」
「どういうこと?」
「おなかがすいたら、ヒトにおなかがペコペコだってねだって、エサをもらいなさいってことだよ」
「そうなの?」
「うん。きっと、そうだ」
唐草模様の風呂敷の上に、猫エサを広げてやった。思った通りだ。真っ白な猫はばくばく食べる。私は微笑し、娘は愉快そうに「面白い猫ちゃんだねーっ」と声を弾ませた。
白い猫はおやつを食べ終えると、私に向かって「にゃあにゃあ」と鳴いた。ああ、きっとそういうことなのだろうと思い、風呂敷を返してやると、も一つ「にゃあ」と鳴き、猫はとことこ歩いて向こうへと去っていったのだった。
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土曜日。朝、友達の家で遊んでくると言って出掛けていた娘が帰ってきた。十五時過ぎのことだ。昨夜もあれやこれやの飲み会に顔を出した。営業職の宿命である。なので、いまだ二日酔いに苛まれながら、今更、私はソファの上で朝刊に目を通していたりする。
「パパ、パパ、ねぇ、聞いて聞いて?」
「ん?」
「あのねあのね? またあの白い猫ちゃんに会ったの」
「風呂敷の猫ちゃんのことかい?」
「そうそう。それでね? 猫ちゃんの飼い主さんに会ってきたの」
「は?」
話がちょっと飛躍した。猫におやつをあげたであろうことは予測できた。だけどそこから先、どうやって飼い主にまで辿り着いたのか、その経緯がまるっきりわからない。
「飼い主って誰なんだい?」
「おばあちゃんなの」
「おばあちゃん?」
「そう。一人暮らしのおばあちゃん。おまんじゅうを食べさせてもらったの。おばあちゃんのお手製なんだよ?」
そこまで聞かされたところで、ある程度、事の次第は把握できた。
「そのおばあちゃんのところまで、案内してもらってもいいかい?」
「あっ、おばあちゃん、そう言ってたよ? パパならきっと来るだろうって」
「猫のあとをつけたから、おばあちゃんの家がわかったんだね?」
「そうなの。猫ちゃんの後ろについていってみたの。そしたらね? 猫ちゃんはこっちだよーこっちだよーみたいな感じで、何度も振り返って、にゃあにゃあ鳴いてくれたの」
「わかった。まずは行ってみよう」
「やったーっ。またおまんじゅう食べられるかもっ」
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こじんまりとした一軒家だった。生垣には手入れが行き届いている。こうるさくなく、それでいて品のある、すなわち住んでいるニンゲンの生真面目さと几帳面さが窺い知れる住居だった。
インターホンのボタンを押すと、古風なヴーッという音が鳴った。本当に今時珍しい。備え付けのカメラで客が何者かを確認してから表に出るのがフツウだろうに。
引き戸を開けて出てきたのは、真っ白な髪を後ろで丸く結わえた小さな老婆だった。割烹着をまとっている。娘が真っ先に「おばあちゃん、また来たよーっ」と声を発した。「そうだねぇ。また来てくれたねぇ。嬉しいねぇ」と老婆はしわくちゃの顔をさらにくしゃっとさせたのだった。
訪問した理由を説明するまでもなく、家にあがらせてもらうことができた。まず線香の匂いが鼻に届いた。居間と続き部屋になっている畳の仏間があり、文字通り、そこには仏壇がある。勝手知ったるといった感じで、娘がチャッカマンでろうそくに火を灯し、線香を立てた。老婆は台所のほうへと向かったままだ。初めて訪れた家なのだから多少無礼かもしれないと思いつつも、私も線香をあげさせてもらった。
居間に戻る。ちゃぶ台につく。台所から戻ってきた老婆は「お線香、ありがとうねぇ」と穏やかな口調で言った。大らかで優しいヒトだなというのが第一印象。優しすぎるのではないかというのが、その次。
老婆はお盆からまんじゅうののった小皿を出してくれた。「いただきまーすっ」と元気よく言い、娘が早速ほおばる。老婆はにこにこと笑いながら、湯飲みに茶を注ぐ。「どうぞ」と言われ、「ありがとうございます」と答え、私は緑茶をいただいた。
くだんの真っ白な猫は、ちゃぶ台の下で丸くなっている。手をやってその感触を確かめた。猫というヤツはどうしてこうもふかふかしていて温かいのか。
「すみません。娘が迷惑をおかけしてしまったようで」
「迷惑なんかじゃありませんよ。それどころか、喜んでいますよ。小さなお子さんと話す機会なんて滅多にありませんからねぇ」
「その、他のご家族のかたは?」
「私と主人だけですよ。私は石女でしてねぇ」
石女。
子を産めない女性のこと。
「すみません。余計なことを訊きました。本当に申し訳ない」
「いえいえ。いいんですよ、いいんですよ」
ゆったりとした空気に包まれる。過ぎゆく時間すら柔らかい。娘が二つ目のまんじゅうを喉に詰まらせた。慌てた様子でお茶に口を付ける。急いで飲んだせいだろう。むせて、咳をする。背中をさすってやっていると、そのうち落ち着いたようだった。
白い猫がちゃぶ台の下から姿を現し、老婆の隣で三つ指座りの姿勢をとった。澄んだ黄色の瞳。すまし顔。凛としていて立派に見える。
「猫ちゃんの名前はなんていうんですか?」
「チビですよ」
「チビちゃん?」
「ええ、ええ」
チビちゃんが前触れなくくるっと身を翻した。仏間へと向かう。仏壇を見上げる。「にゃおーん、にゃおーん」となにかを恋しがるように鳴く。
老婆は鼻をすすり、指で目元を拭った。
「主人はもう五年も前に亡くなったんですけどねぇ。今でもチビは、ああやって仏壇の前で鳴くんですよ。大事にしてもらったことを覚えているんですかねぇ」
そうなのかもしれない。いや、ひょっとしたら、チビちゃんには亡くなった旦那様のことがまだ見えているのかもしれない。だから鳴く。おねだりする。どうしてかまってくれないんだ、って。どうして頭を撫でてくれないんだ、って。
「チビちゃんには、いつもエサを持たせていらっしゃるんですか?」
「ええ。お弁当のようなものなんですよ。お散歩の途中でおなかがすいたら、食べられるようにと思いましてねぇ」
中々のアイデアだとは思う。だけど、猫を気にも留めやしないニンゲンもいるだろう。嫌いなニンゲンだっているだろう。チビちゃんの愛想のよさに付け込んで、悪さを働くような輩だっているかもしれない。
それでも老婆は信じているのだ。
ヒトの善意というものを。
家をあとにするとき、老婆と一緒にチビちゃんも見送ってくれた。老婆の隣にお行儀よく座り、「にゃあ」と鳴いてくれたのだ。「また来るからねーっ」と娘は手を振り、私は小さく頭を下げたのだった。
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私と妻は、娘に美幸という名前を付けた。美しく幸せな女性に育ってほしい。そんな願いを込めた、言ってしまうとベタな名前だ。
美幸。
おまえはこれから、きっとたくさんの壁にぶち当たる。乗り越えられて喜ぶこともあるだろうし、乗り越えられなくて悔しい思いをすることもあるだろう。きっと後者を経験することのほうが多いはずだ。ニンゲンは誰しも、そんなふうにできているのだから。
おまえがなにか失敗したときには励ましてやりたい。
おまえが泣いているときには勇気づけてやりたい。
今でも、しばしば思い出すことがある。
それは、妻の最期の瞬間の一幕だ。
「ウチのおチビちゃんのこと、よろしくね?」
私が「任せとけ」と笑顔で答えたことは、言うまでもない。