愛を忘れた大人と愛を育む子どもたち 中編
穏やかな朝日を浴びて目を覚ます。
隣では静と早乙女がすやすやと眠っている。
私は二人を起こさないように慎重にベットから出る。
パジャマから黒セーラー服に着替える。魔法を使えば一瞬で着替えられるがたまにはゆったりと着替えるのも嫌いじゃない。
着替え終わり、洗面所で顔を洗ってからリビングへ向かう。
するとコーヒーを飲みながら読書をしてるクラリアの姿を認めて挨拶をする。
「おはようございます、クラリアさん」
「おはようございます、セツナさん。よく寝れましたか?」
「ええ、静と早乙女と一緒に寝たからとても温かかったわ」
「……羨ましい、セツナさんも静と早乙女も羨ましい」
「……クラリアさん?」
互いに挨拶を交わした後に、クラリアが小声で何かを言った何がどう羨ましいのか分からなかったので私は怪訝な表情になる。
誤魔化すようにクラリアは話題を逸らす。
「いえ、何でもないんです! セツナさんはコーヒーにしますか? 紅茶にしますか?」
「では、紅茶でお願いします」
「はい、少し待っていてくださいね」
クラリアはティーポットからティーカップに紅茶を淹れる。そして私に差しだす。
「どうぞ、熱いので気をつけてください」
「ありがとうございます」
私はティーカップに口を付ける。
「あちゅい!」
しまった、私が猫舌なのを忘れてた。
「あちゅい……可愛い」
クラリアは私を注視していたが、首をぶんぶんと横に振り出す。
「……だ、大丈夫ですか、セツナさん」
「大丈夫で、しゅ……」
舌がヒリヒリして噛んでしまった。
舌の火傷を放置していても仕方ないので右人差し指で舌をちょんと触れる。それだけで舌のヒリヒリ感はなくなる。
私は再びティーカップの口を近づける。今度はちゃんと、ふ~ふ~、してから飲みます。
私が落ち着いたのを見計らってからクラリアは真剣な面持ちで口を開く。
「ではセツナさん。これから真面目な話をするんですけど……」
「……今までの話は真面目ではなかったんですね」
「そんなことはありません! わたくしは至って真面目です!」
「ふふ、話の腰を折ってごめんなさいね、続けてください」
「もぅ……セツナさんは意地悪です」
拗ねたように愛らしい表情をしたクラリアは、こほん、と咳払いしてから話し出す。
「この、ループスの村、の住人は全員は女神さま、ユキナさまによって生み出された人間なんです」
「なるほど、それで大人も魔力が高くて、クラリアさんと子どもたちは特に高いのですね」
魔力が高い人間は長寿の者が多く、魔法を使える者もいる。
「……ですが、この村の外、他の街や村の大人たちはある病気にかかっているんです」
その病気がユキナの言っていた世界を滅ぼす原因なのだろう。
「その病気は、どういったものですか?」
「それは……」
「それは……?」
言葉に詰まるクラリア、頬をほのかに赤らめて視線を逸らす。
私が、じぃ~、とクラリアを見つめ続けていたので観念したように口を開く。
「……あっ、愛です」
「……愛?」
「大人は愛を忘れてしまう病気なんです! そして子どもたちも大人になる頃には愛を忘れてしまうんです!」
急に語気を強くするクラリア。愛を語る事には恥じらいがある乙女のようだ。
「そういうことなのね。この村の人たち以外は、違う世界から来た人たちだからこの世界に来た環境の変化によるストレスなのかも。感染症の類ではなく、親から子へ遺伝するのみ。そして愛を忘れた人たちは子どもを産むことをしなくなる……といったところかしら?」
私は憶測での見解を述べた。
「……な、何で知ってるんですか?」
「いや、そうじゃないのかなぁ~、と思っただけよ」
クラリアは面食らったような表情をしてる。
私は紅茶を飲み干して、席から立ち上がり提案する。
「じゃあ、ちょっと近くのオルテンシアの街へ出かけてみましょう。街の様子を見てこれからどうするかを考えましょう」
「えっ、今日は確かに学校は休みですけど……」
「決まりね、では行きましょう。紅茶ご馳走さま、美味しかったわ」
ティーカップを洗って拭いて食器棚に置く。
「街の噴水広場を待ち合わせ場所にしましょう」
「は、はい。分かりました」
私は靴を履いて家から飛び出しいく。
街へ出かけるのは初めてのことだ、とても楽しみかもしれない。
そしてリビングを、ひょっこり、と顔を出して覗く影が二つ。
「聞いた、早乙女?」
「聞いたよ、静お姉ちゃん」
「クラリアとセツナがデートよデート! 羨ましい!」
「えぇ……違うと思うけど」
「二人の後を追うわよ!」
「うん、気になるもんね」
二人で頷き合って、こそこそとクラリアの後を追う。
その姿を見た村の大人たちは声をかけないであげたらしい。
青い紫陽花が咲き誇るオルテンシアの街の噴水広場。
行き交う子どもたちは元気にしゃいでおり、大人たちはどこか冷めたような表情をしてる。
わたくしは、いつものシスターの修道服ではなく、黒いシンプルなデザインのボートネッククラシックドレスを着て黒いヒールを履いていた。
ちらりと時計を見ると十時を過ぎていた、噴水広場に来てから三十分以上経っている。
「そういえば……待ち合わせの時間は決めてませんでしたね」
はぁ~、と溜め息つく。
セツナの勢いに押されるまま来てしまったが。
「これって……デートなんでしょうか?」
ぼそりと呟くと途端に恥ずかしくなってきて頬が桃色に染まる。
「……違いますよね、出会って二日目でデートなんて不健全ですよ――」
「――何が不健全なのかしら?」
流水のような透き通った声が耳に届き、後ろを振り返る。
すると、大きな水しぶきを上げて噴水から一人の少女が現れる。
「お待たせ、クラリアさん。ちょっと着て行く服に迷ってたの」
水色のリボンタイの付いたシフォンワンピースに水色のアンクルストラップサンダルを履いたセツナ。
涼やかな笑みをこちらに向ける。
飛び散った水は、水で出来た十数匹の熱帯魚の姿になり広場の空中を泳ぎ始める。
子どもたちは興味津々に水の魚を追いかけ、大人も物珍しそうに水の魚を見ていた。
「これはセツナの魔法ですか……?」
「ええ、実体のない水の精霊が魚の姿になっているの、時間が経てば精霊は姿を保てなくなるけど」
ありとあらゆるものに宿る精霊。具現化することが出来るのは大精霊という特別な存在。
けれど彼女は小さな精霊たちを具現化出来るらしい、彼女の力は計り知れない。
視線に気づいたのかセツナはわたくしを上目遣いに覗き込んでくる。
「ど、どうしました……セツナ?」
「ふふっ、クラリア。貴女とても綺麗な瞳をしてるのね」
「ぇ、えっ?」
「虹のように輝く宇宙が拡がってるみたい」
そう言ってセツナはうっとりと溜め息を零す。
彼女の熱っぽい視線を直視出来ず、そっぽを向いて拗ねたように呟く。
「……綺麗なのは瞳だけですか」
それを聞いたセツナは、ふふ、と口元に手を当てて微笑む。
「愛らしい顔で拗ねないで、綺麗なお嬢さん。さぁ、行きましょう」
わたくの手を取り歩き出すセツナ。
十代前半の外見で大人びた魅力を放つ少女。
心が揺さぶられるようで落ち着かないけれど、それは揺り籠のようで心地よかった。
二人で歩いていると疲れた顔の若い女性がクレープを屋台で売ってるのを見つけた。
セツナは目を輝かせて屋台へ近寄っていく。
「キウイチョコクリームとイチゴチョコクリームを一つずつ下さい」
「あっ、はい……二つで六百フローです」
急に綺麗な少女が現れたので驚く女性店員。手慣れた様子でクレープを作っていく。
セツナが代金を支払い、女性店員がクレープを手渡す。
「ありがとう」
にっこりと幼い笑顔を見せるセツナ。
女性店員も歩行者たちもわたくしも、ドキリ、としてしまう。
「……あ、ありがとうございます」
女性店員は視線を逸らしながらセツナにお礼を述べる。
こちらへ駆け寄って来るセツナ、さながらお遣い帰りの子どものようだ。
「あ、ごめん、クラリアさん。勝手にクレープの味を選んじゃって」
「いえいえ、セツナさんに選んでもらって嬉しいです!」
「ほんと、なら良かった」
二人でベンチに座る。
どっちにしようと、う~ん、と悩んでいるセツナ。
ここは選択肢をなくしてあげるべきと思い、
「では、キウイの方を頂いてもよろしいですか?」
「うん、じゃあ、後で味見させてね」
「は、はい、わかりました」
後で間接キスの約束をしてしまった……いや、考え過ぎかもしれない。
――きっとセツナさんはこっちの味も食べてみたいだけですよね。
美味しそうにクレープを頬張るセツナを見てわたくしも目の前のクレープを齧る。
キウイの程よい酸味と、チョコとクリームのふんわりとした甘さ、甘さ控えめなクレープの生地のバランスが丁度良くとても美味しい。
わたくしも甘党だが恐らくセツナには敵わないだろう。
セツナが自分のクレープのを半分食べてからわたくしクレープを、じ~、と見つめる。
「クラリアさん、ひとくち食べさせて」
「ひとくちと言わずに残り全部お召し上がりください!」
もうこんなに幼く可愛いセツナさんが見れただけでお腹いっぱいです。
「それじゃあ悪いから……そうだ、じゃあクラリアさんがそのクレープ半分食べたら交換しよ」
「わ、わかりました」
言われた通りに半分食べ終えたら、クレープをセツナに渡しセツナのクレープを受け取る。
渡されたクレープを躊躇いなく齧り付くセツナ。
「こっちも美味しい」
さっきから少し言動が幼くなっているセツナ。きっと間接キスのことなんて頭にないのだろう。
なのにわたくしは邪なことばかり考えている。
わたくしは、えっい、と勢いよくクレープに噛みつく。
こちらのクレープもとても美味しい。
そしてセツナとの間接キスを意識しないではいられない。
胸が早鐘を打つのを止めない、しかしわたくしは止めを差されることになる。
「クラリアさん、頬にクリームが付いてるよ、取ってあげるね」
わたくしの頬に顔を近づけて左頬に付いたクリームをぺロリと舐めた。
冷たい舌が頬を伝う感覚にゾクゾクと快感が走る。
「クラリアさんも、とっても美味しいのね……な~んてね、ふふっ」
そんなことを言ってのけたセツナ、お茶目に笑っているがそこに幼さはなくいつもの妖艶な雰囲気に戻っていた。
わたくしは熟れた苺のように頬を赤く染める。
ふと、クレープ屋の女性店員を見ると、女性店員はこちらを見ていて、ぐっ、と右手の握りこぶしを胸の高さに上げて謎のガッツポーズをしていた。
わたくしたちの様子を見ていた通行人も足を止めてクレープ屋へ並んでいた、気がつけば長蛇の列になっていた。
二人で仲良く一つのクレープを食べる子どもたち、大人の二人組も気恥ずかしそうにクレープを食べ歩きしていたりしている。
そして、一人で奮闘していた女性店員の元に小走りで近づいてくる少女がいた。
その少女の姿を認めて微笑む女性店員、無言で頷き合って少女も屋台に入ってクレープを焼き始める。
何だか小さな愛の光景のようでセツナは瞳を細めて眺めている。
「ねぇ、クラリアさん……この街の紫陽花は青色ばかりでしたよね?」
「えぇ、そうでしたよね……って、あれ」
近くに咲いていた紫陽花を見ると、青色だけではなくピンク色や白色の紫陽花も咲いていた。
先程まで冷たい雰囲気だった噴水広場が和気あいあいと団欒する大人と子どもたちがそこにいた。
愛を忘れていた大人も愛を取り戻して、愛を育む子どもたちは愛を忘れることなく大人になっていくのだろう。
きっとそれはとても素敵なことだと思い、セツナと微笑み合った。