三人の魔女と一つの約束 中編
私は平等に自分の家族である妹たちを愛していた。
シロナとクロナ、どちらかに偏った愛を注がないように。
さながら平等に我が子を愛する母親の気分だ。
けれど子はいつか親の元を離れる。
私は彼女たちを置いて『世界』へ行かなければならくなくなった。
そして彼女たちは私の知らない感情という名の新しい『世界』を知っていた。
私には欠如していたもの、あるいはこれから知っていく感情。
とても寂しく思うがこれは、私が選んだ道。
私が私らしく生きた結果だから。
その事実を受け入れて、これからも歩んでゆく。
いつか私は――恋という感情を知れるだろうか?
清々しい快晴の青空。
クロナ、シロナの二人は中庭の芝生の上で模擬戦闘という遊びをしていた。
私は戦うのが好きではないので少し離れたところで見学していた。
「行くよシロナ……たあぁぁぁ!」
可愛らしい掛け声と共に黒い氷で作った大鎌を上段に構えてクロナがシロナに肉迫する。
クロナがシロナの目前に迫り、勢い良くその大鎌を振り下ろす。
シロナは最小限の動きでするりと躱し、白い氷で作った杖でクロナの背中を軽く叩く。
余り力が入ってないように見えるが、緩急、静と動、の分け目がはっきりしている彼女の動きには全く無駄がなく、隙もない。
「ぐげぇ!」
変な蛙の鳴き声を上げてクロナが倒れる、それと同時に大鎌も落とす。
「はい、勝負あり。またもやシロナの勝ち」
見学していただけなのに審判ぶる私。
「痛たたたぁ……また負けちゃった」
少し悔しそうだけど、背中を恍惚な表情で撫でるクロナ。
「クロナ、大丈夫? 手を貸すね」
シロナはクロナへ手を差し伸べる。
クロナが彼女の手を掴み立ち上がると同時に、白く淡い光がクロナに灯る。
「えっ、もしかしてシロナ……背中に治癒魔法かけた?」
「だってクロナが気持ち良さそうにしてるから、わたしまで変な気分になっちゃうんだもん」
「……なっていいのに」
「ダメよ、こんなところで……セツナさんが見てるわ」
私の方を見るクロナとシロナ。
私は、なんのこっちゃ、と思いながら二人へ歩み寄る。
こんな風に毎日のように私たちは手合わせをして鍛え合っていた。
クロナとシロナは真面目にやっていて、私は結構サボり気味だ。
「クロナ、シロナ休憩にしましょう」
私は両手を合わせてにっこり微笑んで休憩を提案する。
「セツナ、良い笑顔で言って自分はサボりたいだけでしょ?」
「そうだよセツナ……ワタシもセツナの可愛い泣き顔見たいし、可愛い鳴き声が聞きたい……」
シロナには図星を突かれて視線を逸らすが、蛙の鳴き声をしていたクロナが何か言っていたが無視する。
「私は部屋でゆっくり読書がしたいの、きゅーけい、きゅーけい」
「そういえば、セツナ。最近女性同士の恋愛小説にハマってたね」
「純愛ものが好きなんだよね……情愛ものも良いよ?」
シロナとクロナは二人で遊んでたり、お話しすることが多いが、私は二人の会話を聞きながら読書をする事が多い。
特に恋愛小説は、自分にはない恋愛感情というものを登場人物が抱いており、それがとても興味深い。
「情愛よりも愛情よ! 体で感じ合う愛より、心で感じ合う愛の方が尊いのよ」
「わー、流石セツナ先生ね」
「ワタシも……セツナ先生に愛情の実技を受けたいです」
シロナはパチパチと拍手をして、クロナは右手を挙げる。
私はそんな二人に勢い良く抱き着いく。
「もう、仕方ない子たちね」
ふふ、と微笑みを浮かべて二人を愛しい我が子のように抱しめる。
抱しめられるシロナとクロナは子どものように幼く微笑む。
私には恋愛感情は解らない。
けれど、この時はそれでもいいと思っていた。
私にはシロナとクロナがいる。
彼女たちに確かな愛情を注いでる、そして彼女たちも同じぐらいの愛情を返してくれる。
恋愛感情は私には縁のないもの、そう決めつけていた。
私たちが一緒に暮らし始めて一年の月日が経った。
そしてシロナが相談があると言って、私とシロナの二人で中庭のテラスに座り開口一番。
「わたし……クロナのことが恋愛感情で好きなの」
とシロナは恥じらうように私に打ち明けた。
この時、抱いた感情はクロナへの嫉妬でもなく、シロナを妬むでもなく、焦燥感。
私は恋愛感情を理解できてないのに、シロナ、恐らくクロナも恋愛感情を理解してその感情をコントロールしているのだろう。
どうして私には理解できない恋愛感情を彼女たちは知っているのか、何故私には理解できないのか、なぜ、何故、ナゼ?
私は彼女たちの姉、彼女たちを導く存在。
なのに私は恋愛感情を知らない、そんなことで恋愛相談をするシロナの力になれるのだろうか?
そうか。
私は欠陥品、失敗作だから恋愛感情を知らないんだ。
シロナとクロナは正常なんだ。
心の中でドス黒い感情が生まれて、私の心に宿る光を呑み込んでゆく。
黒く、暗く、昏い、深淵へと堕ちる感覚。
自己嫌悪。
とても気持ち悪く、不愉快な感情。
その感情に蓋をするように瞼を閉じて、深呼吸、そしてゆっくりと瞼を開く。
私は内心の焦りを隠して作り笑いを浮かべる。
嘘が嫌いな私、なぜ作り笑いは上手なのだろう?
「そうなんだ、私の可愛い妹たちが恋仲にあるんだ」
優しい微笑み、きっとシロナの瞳にはそう映っているだろう。
その笑顔の裏で私が焦燥感と激しい自己嫌悪に苛まれてるとは知らずに。
「ま、まだ恋仲じゃないよぉ……でもこれからクロナとわたしは――」
途中で途切れるシロナの言葉。
笑顔が曇り、作り笑顔の私を見つめる。
「ごめんね……セツナ。わたしセツナのこと好き、大好き! だけど、わたしがセツナ抱いてる感情は娘が母親に抱くような感情なの……だから」
申し訳なさそう表情で視線が泳ぐシロナ。
「うん、わかってるよ。ちょっと寂しいけど私は二人のこと応援するよ」
「ごめんね……セツナ」
「いいの……恋愛感情を知らない癖に母親のように上から目線で貴女たちのことを娘のように見てた私が悪いの」
「えっ、セツナ今なんて?」
「いいえ、何でもないわ」
私は何事もなかったかのように口元に右手を当てて微笑む。
困惑するシロナ。
そして屋敷の軒下で凍り付いた表情でこちらを見ているクロナ。
空には暗雲が立ち込めている。
空の雲行きのように、彼女たちが何を考えてるのか私には解らない。
失敗作の私には。
私たちは食卓で夕食を摂っていた。
今日は私が作ったシチューと、クロナが焼いたパンを食べていた。
「……ご馳走」
いつもおかわりをするクロナにしては今日は随分と少食に感じる。
「クロナ、もういいの?」
「うん……今日は食欲がないから」
シロナはクロナを不思議そうに見つめている。
「今日は疲れたから……ちょっと早めに寝るね」
「そう……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
クロナは食卓を出ていき、シロナと私は黙って食事を続けた。
夕食を終えて後片付けをしてから二人で食後のお茶にしていた。
紅茶を飲みながら、クロナのことを話す。
「どうしたんだろう……クロナ」
「きっと私とシロナが二人で仲良くしてるように見えてるのじゃないかしら?」
私の言葉に、はっ、としたようにシロナが私の眼を見つめる。
「もしかして中庭でのわたしたち会話を聞かれたのかな……?」
「クロナは軒下にいたから多分聞こえてないだろうけど、私たち二人で秘密のお話しをしていたのが寂しかったのかも」
私の言葉を耳に入れて直ぐに立ち上がるシロナ。
「待って。今行ってどういう言葉を投げかけるの?」
「どうって……」
「あやふやに誤魔化しても逆効果よ。いっそ勢いのまま告白すればいいと思うわ」
私の提案に激しく動揺するシロナ。
「そんな……いきなり告白なんて無理だよ」
「じゃあ、このままクロナと気まずいままでいるの?」
「それは……」
言葉に詰まるシロナ。
私は見かねて立ち上がる彼女の両手を掴む。
「大丈夫よ、シロナ。貴女なら」
「……セツナ」
私とシロナは静かに見つめ合う。
まるで恋人が見つめ合うようだと私は自嘲気味に笑みを浮かべる。
そして。
黒い一閃。
私は咄嗟にシロナを庇い床に伏せる。
「きゃっ」
シロナは小さく悲鳴を上げる。
私はシロナを抱きかかえて起き上がる。
「どうしてワタシを仲間外れにするのかなぁ……? 凄く寂しいよぉ」
食卓の入り口に漆黒の大鎌を肩に担いで不敵に笑むクロナがいた。
その瞳に光はなく、深い闇に沈んでる。
「クロナ、違うの! わたしたちは……」
「シロナ逃げるわよ!」
私はシロナを両手で正面に抱え上げる。(俗に言うお姫様抱っこ)
今のクロナには誤魔化しは通用しないだろう。
シロナがクロナに想いを伝えるなら、きっとその言葉は届くだろう。
けれど告白する勇気がないシロナには、気持ちを整理する時間が必要だ。
だから逃げて時間を稼ごうと思った。
食卓の入り口に立っているクロナを無視して廊下に出て走る。
「ねぇ……待ってよぉ!」
大鎌を持ったクロナが私たちを追いかけてくる。
「ちょっとセツナ降ろして!」
「わかったわシロナ。このままクロナの方に貴女を投げるからそのまま告白しなさい」
「じょ、冗談はやめてよ! 鎌でバッサリ斬られるじゃない……」
「大丈夫よ、貴女の告白ならバッサリ切られないわ」
「そういう問題じゃない!」
シロナと言い合ってる最中にクロナが追いかけて来ないことに気づき、ちらりと後ろを振り返る。
「清浄なる闇よ暗澹たる世界に終止符を――ディストピア・エンド」
クロナの大鎌から全てを呑み込む漆黒の闇が放たれる。
屋敷を呑み込み破壊する闇。
悪しき闇は清らかな闇で呑み込んで破壊するという考えだろうか、清浄には程遠い。
私は半ば自棄になりながら詠唱を始める。
「こなくそー! 光を反射し闇を遮る水晶よ我らを守る球体となれ――プリズム・スフィア」
透明の結晶の球体が形成され私とシロナを包み込む。
クロナの闇を防げるように思えたそれは、激しい闇の衝撃に段々ひび割れていく。
「どうしよう……ダメかも」
「えぇ……もう! 天使の歌声よ、鐘の音に乗せて高らかに響け――エンジェル・ソング」
私から降りたシロナは両手を胸の前で握りしめて両目を閉じて歌い出す。
彼女の歌声はまるで純真無垢な天使のようで彼方より聴こえる鐘の音と共に響いてゆく。
その歌声に闇は消え去り、私の壊れかけの結晶も消失する。
屋敷はほぼ全壊して、私たちは瓦礫の上に立っている。
歌い終えたシロナはため息を零して、こちらを振り返る。
「ふぅ、これで何とかなっ――」
「――相変わらず綺麗な歌声だね……シロナ」
私の瞳に映ったのはクロナに大鎌で袈裟懸けに斬られるシロナだった。
「ク、クロナ……」
苦悶の表情に満ちた顔で倒れるシロナ。
「シロナ!」
私はシロナに駆け寄り膝をついて彼女を受け止める。
斬られた筈のシロナは傷口も服の切れ目も全くない。
「うっ……う、んん、あっ……あっ」
それでも何かに悶え喘ぐシロナ。
「あ~あ、シロナ。気持ち良くて喘いでるの……嬉しいな」
「気持ち良い……どういうことなの?」
私の問いにクロナは大鎌を撫でて恍惚な笑みを浮かべる。
「ワタシね、可愛い女の子を傷つけるより気持ち良くしてあげるのが好きなんだ……だからねワタシの魔力をこの鎌に込めて相手を斬った時に一瞬の苦痛、そしてとっても長く続く快感を味わえるの」
クロナの言葉を聞いた私の一言。
「なんて質の悪い鎌なの……」
「あっ、はははははは! 言ってくれるね……セツナ」
高笑いしながら大鎌を私に向けるクロナ。
「さぁ、今度はセツナの番だよ……けど、シロナと何を話していたかワタシに教えてくれたら鎌で斬るのはやめてあげるよ?」
「そう……なら私が話せることは何もないわね。お好きにどうぞ」
シロナとの秘密は守る、でないとシロナがクロナに告白する時の面白味が減るからだ。
シロナに私のローブを枕のように巻いて寝かしつける。
私は立ち上がりそっぽを向いて、ひゅっひゅっひゅ~ひゅ、と口笛を吹く。
私は鈍感らしいから、多分、快感を余り感じないと思い込み余裕の態度を取る。
挑発的な私の態度に、むっ、とする。
「わかったよ……シロナが受けた十倍の快感を味あわせてあげる!」
クロナの大鎌が怪しく輝き黒い光を放つ。
ゆっくりと大鎌が振り上げられる。
「快感に悶えてね……セツナ」
瞼を閉じて一瞬の痛みを待つ。
しかし、いつまで経っても痛みを感じない。
瞼を開ける。
そこには、大鎌の刃の先端を素手で受け止めるシロナが映り込んできた。
「シロナ……よく立っていられるねぇ」
「バカにしないで……この程度の快感、どうってことないわ!」
どう見てもシロナの態度は強がりだ。
熱っぽい吐息を吐き、頬は火照り、体は小刻みに震え、足元は覚束ない。
クロナは大鎌をゆっくり下げる。シロナは鎌を掴んでいた右手を摩る、血は出てないが手にも快感が生じているのだろう。
「セツナを庇ったって事は、二人はそういう仲なんだね……二人とも許さない!」
激昂したクロナが大鎌を腋構えにして間合いを詰める。
「ありがとうシロナ……私はお姉さんなのに守られてばかりだね」
私はシロナを庇うように前に出る。
「曇りなき鏡、静寂なる澄んだ水面よ、猛る心を静めよ――クリア・ウォーター・ストップ」
私は両手を胸に当て祈るように言の葉を紡ぐ。
閉じた瞼から流れ出し頬を伝い零れ落ちた一滴。
その涙は地面に落ちて、波紋のように広がって消える。
明鏡止水。
邪念がなく、静かで落ち着いた澄みきった心。
その心情を感じて、脱力したように大鎌を落とすクロナ。
「何でこんな酷い事したんだろう……ごめんね、シロナ、セツナ」
「平気よ……」
謝罪を述べるクロナ。まだ快感に悶えるシロナ。
私はシロナにウィンクして数歩下がる。
想いを伝えるなら今だよ、との意を込めて。
シロナは静かに頷きクロナへ歩み寄る。
「クロナ……わたしは貴女に恋をしてますっ、わ、わたしと付き合ってくださ、い」
快感に堪えながらの精いっぱいの告白。
告白されたクロナは驚いたように、信じられないといった様子で両手で口を覆う。
「嘘……シロナ。セツナと付き合ってなかったの……?」
「セツナにはクロナが好きなことを相談していたの……」
クロナとシロナがこちらを見る。
私は無表情で両手でピースサインをする。(無表情ダブルピース)
クロナとシロナは苦笑いしてから本題に戻る。
「ワタシは……シロナとセツナ同じぐらい好きだから、どっちかなんて選べなかった」
クロナの言葉に私と似てると感じる。しかし私は親愛で、クロナとシロナは恋愛感情を抱いていた。
「じゃあ、わたしを選んで!」
勢い良くクロナの両手を握りしめるシロナ。
真っ直ぐに見つめるシロナの瞳に目を背けてしまうクロナ。
「でもそんなのセツナに悪いよ……」
「私のことは気にしないで、可愛い妹たちが愛し合うことはとても喜ばしいことだもの」
小さく作り笑いをする私の言葉に偽りはない。
私の言葉を聞いて再び視線をシロナに戻すクロナ。
「シロナはどうしてワタシのことが好きなの……?」
クロナはシロナへ疑問を投げかける。
シロナは優しく微笑んで、綻んだ口元を開く。
「クロナの好きなところは……おっちょこちょいで目が離せないところ。力が強いけど相手を傷つけないようにするやさしいところ。控え目だけど笑顔がとっても素敵なとろ……他にもいっぱいあるんだよ」
シロナの言葉を聞いて、クロナは口をぱくぱくして顔を紅潮させる。
「シロナ……」
「……クロナ」
二人の視線が交わる――そして、
白の少女と黒の少女の唇が重なり合い交わる。
まるで唇を伝い愛がお互いに伝わっていくようだ。
お互いの愛を確かめ合うような優しいくちづけ。
けれどそれで満足出来なくなったシロナはクロナの口内に舌をねじ込む。
「……んんっ!」
クロナは驚くが、直ぐに快感に身を委ねるように瞼を閉じる。
くちゅくちゅ、と卑猥な音を立てる。
先程の優しいくちづけとは違い、貪るようなくちづけ。
私は、ぼんやりと静かに二人の様子を眺めていた。
まるで物語の一場面を見てるように他人事に感じる。
けれど互いに愛を貪り合う姿はとても美しく思える。
美しい二人の少女が愛し合い、互いを求め合い、溶けて交わり合うよう。
私は唇を右人差し指でそっと触れる。
瑞々しく潤っている薄桃色の唇は、酷く渇いてるように感じた。