幸せという言葉
こういう文章が初めてだったので、これだけの文字を書くのに予想以上に時間がかかってしまいました。読者がいると私は救われます。どうかご協力を…(笑)
「あぁ幸せ!」って台詞、聞いたことはあるだろうか?今まで何度口にしただろうか?
私には、言った記憶がない。忘れてるのか本当に0なのかは分からないし、幸せと感じたことがないかというとまた別の話になる。それに漫画やドラマ以外で、身近な人から聞いたこともあまりないだろう。
でも、それでいいと思う。「幸せ」=最大級の喜びを表現する言葉だと意識するならば、少しの満足ですぐそれを口にしていたら、その人の「幸せ」はやがて錆びて安っぽいものになってしまうだろうから。その言葉を言わない代わりに、「生きていてよかった」や「今なら死んでもいいや」とオーバーな台詞もある。
ここでひとつ断っておくが、決して「幸せ」という言葉が嫌いなわけではない。その行為は、自分の喜びを相手に伝えるのに一番明確で簡単な手段である。そして自分の幸福を再確認できる唯一の方法である。さらに使うタイミングによっては、自分自身にも他人にも、プラスの働きをすることがあると確信しているのだ。
私は最近、誰かが心から発した「幸せ」を周りと共有する時間を目撃した。
それは大好きなバンドのライヴDVDでだった。
ステージ上の彼らは演奏して歌を歌い、観客はそれに合わせて手を高く上げたり跳ねたり一緒に歌ったりする。何曲か終わると、その流れは一旦止まる。会場は一瞬静まる。ヴォーカルがみんなに向けて言葉を発する時間。
そこで彼は言ったのだ。会場の熱気を浴びながら、スポットライトで照らされてキラキラを増した笑顔で、あの言葉を堂々と何万人もの心に放ったのだ。
その時の感動を私は忘れない。もちろん、その場にいて直接生の声でそれが聞けたらよかったのだけど、その言葉に偽りは一切なくて、その時の彼の素直な気持ちだったのだと、画面を通してでも十分伝わってきた。演奏している最中も本当に楽しそうな笑顔だったし、話す声に躊躇いがなかったからだと思う。
そもそも、人はいつ「幸せ」と実感するのか。
それは、心の中の「funの器」が満たされた時だと私は考えている。
そのfun(楽しみ)は人それぞれで、それに伴って、器の大きさや形は変わってくる。
成長してたくさんの経験を積み重ねていくうちに、器に溜まっていく際のルールが自分の中にできていき、それもまた、人によって異なるのだ。
例えば、本を読んでいる時にゆっくりと満たされる人もいれば、美味しいものを食べている時間だけでよかったり、あるいは、納得のいく大きな目標達成がなければ少しも追加されないといった厳しいルールを持つ人もいるだろう。
しかし、そのルールはいつの間にか築かれていくものだから、自分の好き嫌いを説明できて理解しているつもりでも、心の中の暗黙のルールまでは誰も分からないのである。満タンのサインがあって初めて、とくとくと溜まっていった原因を知ることができ、そこから自身のfunの法則を考えるしかないのだ。
だから自分が幸せかどうかは、他人が判断できない。周りからすれば、本人の言葉だけが頼りだ。本気か嘘かは、表情を見ればきっと分かる。信じることができる。
そうすることで、またその人の中の「funの器」には一滴の雫が落され波紋を作り、先に入っていたそれを揺らし、器の限界線まで到達してから波は治まるのだ。
「幸せ」を伝えることは、その瞬間こそに意味がある。
しかし重要なのは、感情を他人と共有するには、本気の言葉があってこそだということだ。感情を誤魔化していては、いつまでたっても相手を動かせない。
ライヴは「funの器」を一度完全に忘れさせてくれる。音楽ライヴに限らず、自分が興味があって熱中できることであれば何でもそうだ。だからどんなに絶望を感じて傷だらけで空っぽの器も、その時は気にしない。聞く意思さえあれば、自然と心まで行き届くだろうから。
そしてそれが終わった後、改めて冷静に自分の器を見つめた時に、「あれ?」と驚くのだ。いつの間にか傷が目立たなくなっている。何か大きいものがすっぽりとハマっているのに気がつく。
きっとそれは心地いい時間。他の人にこの気持ちを分かってもらいたいと感じる。
映画館へ行ったり、お祭りに出かけたり、そういう身近なことで、大勢の人と喜びの「今」を感じてひとつになれる時間は過ごせるのだ。
熱中して楽しめることを発見して、「これがない人生なんて考えられない!」と思えるようになったら、同時に自分の中で生きる意味を見つけたことになる。それは人を確実に強くする。そういうものをたくさん探していけたら、日々を充実して過ごす、理想の生活に近づくかもしれない。
「funの器」の満タンのサインの「幸せ」は、繊細で強烈なワードであるからこそ、特別な時だけに使うのが一番いい。それで周りの人にも一緒に幸せを感じてもらいたい。そのために存在した言葉だと勝手に信じている。
どうも、海上なつと申します。読んで下さってありがとうございます!
これを通して伝えたかったのは、生きて時間を過ごすことによってたくさんの発見があって、いつか必ず幸せを感じるということです。何もかも嫌になってしまった時に死を選ぶんじゃなくて、逃げ込む世界を作ってしまったら楽だと思うんです。そのために生きてるうちに楽しいことを探すんです。たくさんの人と好きな感情を共有すれば、もっと楽しくなるはずです。
オタクと呼ばれる方たちは、それをもう見つけているんですよね。私は熱しやすく冷めやすいタイプでいつまでも中途半端なままなので困っています。いや、でも本文に書いたバンドは一生好きでい続けられると思います。…たぶん(笑)
これを読んで何か感じたという方は、ぜひ感想をお待ちしております。(今回はすごい真面目な話で本人がビックリしました。次はコメディーにしようかな…)
それではこの辺で、またの機会に。




