異世界トリップしたけど兄貴もいたから頑張ってみる。
どうしてこうなったんだろうか。
俺はつい先程まで兄貴とリビングでテレビを見ながらくだらない話をしていた。
テレビに映っている二人組のアイドルを見て「敦はどっちの娘がタイプなんだ?」と兄貴に聞かれたので、腕を組みつつ目を閉じて悩んでいた。
その間僅か5秒程だったと思う。
答えようと目を開けたら、目の前にあるはずのテレビが無くなり、そのかわりに黒いローブを羽織った銀髪ロングでイケメンのお兄さんがいた。
「え…?こ、こんにちは…?」
人間挨拶が基本だよね。…うん。
見ていたはずのテレビがなくなり、隣にいたはずの兄貴の姿も見当たらず、ましてやイケメンのお兄さんの後ろにサバンナかな?と思うような景色が広がっているような気がするからといって現実逃避を始めようなんて思って……いる。
「つかぬことをお聞きしますが、ここはどこでしょうか…?」
そして、お兄さんの右手にある身の丈程の長さの、いかにも死神が持っていそうな物騒な大きな鎌は本物ですか。
「ここはアーテリア王国から南へ来たところの、ザカル荒野ですよ。ここには私しかいないと思っていたんですがねぇ…?あなたは気配も感じさせずに、一体どうやって私の目の前に現れたのですか?」
「アーテリア王国…?ザカル荒野…も、わからないんですけど…教えていただいたのにすいません。ところで、俺の家の場所知ってたりしません…よね。」
「さぁ。…ここは魔法使い以外では兵士か冒険者くらいしか来ない場所です。あなたのような丸腰で来る人などいませんね。ですが…何も知らない振りをして私の油断を誘おうとしているのですか?」
銀髪イケメンのお兄さんはそう言うと、鎌の柄の終わり部分からジャラジャラと極太のチェーンを引きずり出し始めた。収納式らしい。
「あの…知らない振りではなくて、本当に知らなくて。というか、その物騒な物をしまっていただく事とか出来ません…?」
話しながら段々とお兄さんがにじりよってきているのだが、最初は驚いた表情をしていたお兄さんは、今は無表情になっていて雰囲気も怖い。なにより手に持っている鎌の存在感がありすぎて、命の危険を感じずにはいられない。しかもお兄さん、チェーンの部分を掴んで鎌を振り回し始めた。
「お、お兄さん…まさかとは思うんですけど、その鎌で俺のこと狙ってたりしないですよね…!?」
「それはあなたの返答次第になりますかねぇ。ここのところ魔物の血しか吸っていないので、この子も人間の血を吸いたくなっているかもしれませんが。」
人間の血。ここにはお兄さんと敦しかいない。まさかお兄さんが自ら命を断つ事はないはずで。そうなると必然的に敦の血、という事になる。
平和な日本に生まれて24年。
高校を卒業して地元で就職した敦は、毎日真面目に仕事を頑張っていた。彼女いない歴イコール年齢、とプライベートな面では少し寂しかったが、人に恨まれるような事をした覚えもなく、何か事件に巻き込まれるような経験もなかった。
日常生活でいきなり自分の命を奪われるかもしれない、というなんともスリリングな経験は敦以外の日本人でもなかなか無い事だと思う。
などと考え事をしてしまうのは、平和な日常生活から一変して命の危険が目の前に迫っているので、動揺しまくっているからだ。
(もう訳がわからないよ…。誰か助けてくれ…!)
「あ、兄貴ぃ…どこ行ったんだよぉ。俺何も悪いことしてないのに…ここどこだよぉ…死にたくない。殺さないでぇ…。」
振り回されている鎌の風切り音がすぐ側で聞こえる。
お兄さんとの距離が残り2mを切ったところで俺の精神力に限界が訪れた。
人生で泣いたことなんて数えるくらいしかなかったが、抑えようにも次から次へと両目から涙がボロボロと溢れてくる。
「うっ…ひっく…死ぬのやだぁ。こっちこないでぇ…。」
もう何も考えられなくなり、ずりずりとお尻でなんとかお兄さんと距離をとろうとするが、それ以上にお兄さんが近付いてくるのでどんどん距離は縮まっていく。
(腰が抜けてる。もう終わりだ…。)
お兄さんと俺の足がぶつかった。
ぎゅっと自分の身体を力の限り抱き締める。
(短かったな、俺の人生。)
薄給ながらもコツコツと貯金して、いつか彼女ができたら愛を育んで、何年かしたら結婚。そして将来子供が出来たら夢のマイホームかな、なんて誰しもが一度くらいは夢みるようなありきたりな夢をぼんやりでも思い描いていた。
「顔をあげて。」
(コツコツ貯金…までしか出来なかったな。なんて寂しい人生だったんだろう。)
「顔をあげなさい。…無視ですか?」
「ひっく…マイホーム…え?」
自分の身体を抱き締めて丸くなりながら今までの人生を振り替えっていたら、お兄さんが話しかけてきていた。
「この子に血を吸わせるのはやめにします。そのかわり、私と一緒に来てほしいところがあります。拭いてあげるから、顔を見せて。」
なぜだかわからないが、俺の命をとるのを思い止まってくれたらしい。いつの間にか鎌を振り回すのを止めていたお兄さんは恐ろしい鎌の代わりにハンカチを手にしている。
「ほ、本当に殺さない……?」
「えぇ。気が変わりました。とりあえず場所を変えましょうか。」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている俺の顔をお兄さんは思いの外優しい手つきでハンカチで拭いてくれた。
「私に捕まってください。良いと言うまで手を離してはいけませんよ。」
顔を拭き終わるとお兄さんは俺を立ち上がらせ、ローブの中に包みこむように抱きしめてきた。
「お、お兄さん!ちょっとこれは近すぎませんか?」
先程まで恐怖に捕らわれていたので、お兄さんにされるがままに大人しくしていたが、これは恥ずかしい。家族ともこんなに近い距離で触れあったりしたことがない。彼女がいたことはないが、この密着具合は恋人ならではのものではないのか。
「私の自宅までテレポートを使いますから。私から離れるとあなたはどこに飛ばされるかわかりませんのでこうする必要があるのです。…空の上から落ちても良いのなら離れても構いませんが。」
「テレポート…ってそんな魔法みたいな…。」
「とにかく移動しますよ。落ちたくなければしっかりと捕まっていてくださいね。」
お兄さんが何か呪文のような言葉を呟いた途端、視界がぐにゃりと歪んだ。強烈な目眩を感じた俺はそこで意識が途切れた。
ーーーカチャ、カチャッ。
金属が擦れあっているような音で目が覚めた。ぼんやりとしたまま目を開けると見知らぬ天井が目に入る。
(ここはどこだろう…。)
ゆっくりと身体を起こしながら周りを眺めると、銀髪イケメンのお兄さんが椅子に座っていた。その手には俺が涙を流し恐怖を覚えた大きな鎌があった。
(あの鎖の音だったのか。)
目が覚めた時に聞こえた金属音の原因がわかったところで、意識を失う前の記憶が蘇る。
(殺されなくて良かった。けどお兄さんがあの鎌を持ってる限りいつ殺されるかわからないよな。)
自分の考えにブルッと身体が震える。不安になり自分の身体を抱き締めてしまう。
「気が付きましたか。どこか具合が悪いところはありませんか?」
俺が起きた事に気付いたお兄さんが鎌をテーブルに置き近付いてくる。そしてそのまま敦の真横に座った。
本当に真横だ。ぴったりと密着している。
「あ、えっと…だ、大丈夫です。ここは…?」
意識を失う前は気付かなかったが、香水でもつけているのか、お兄さんからとても良い香りがする。なぜか安心するような、それでいてドキドキするような…。
(なんてことを考えているんだ、俺は。…少し離れよう。)
香りもそうだが密着しているところから感じるお兄さんのぬくもりにも、他人と密着した経験などないので恥ずかしさがこみあげてくる。お兄さんに気づかれないように微妙に身体を傾けて距離をとることにする。
「ここは私の家ですよ。テレポートしたら気を失ってしまっていたのでベッドに運びました。」
「そうなんですか…。なんだかご迷惑をおかけしたみたいで、すいません。」
距離がとれたと思ったら話しながらお兄さんがまたくっついてくる。謝りながらまた距離をとってみたが、なぜかまたくっついてくる。
(機嫌を損ねるのは怖いけど、気まずい!)
「ところで、先程の質問ですがなぜザカル荒野にいたのですか?」
お兄さんはくっついたまま話を続けるつもりらしい。また鎌を持たれたら困るのでこの距離感はとりあえず考えない事にした方が良さそうだ。
「あの、それなんですけど…家でテレビを見ていたはずが急に目の前にお兄さんが現れたんです。俺の隣には兄貴もいたんですが…近くにいませんでしたか?」
「テレビ、というものが何かよくわかりませんが、あなたと私以外には人の気配は感知できませんでしたね。ではザカル荒野には急に移動してしまったということですか?」
「移動というか、本当に一瞬で…。お兄さん、どうしたら帰れますかね…?」
「…もしかしたら、ですが。あなたはなんらかの原因で異空間を渡って来てしまったのかもしれませんね。」
少し考える素振りをしてからお兄さんが答える。だが聞き間違いだろうか、普段の日常生活ではなかなか聞かないような言葉が出てきた。
「異空間…?そんなファンタジーな…。」
ふと頭の中に、学生時代の思い出が甦る。異世界トリップして世界を救うべく勇者になる話や、異世界に転生して四苦八苦しながら第二の人生を過ごす話……これらは同じクラスで読書好きな友達が貸してくれたので読んだことがある。
あれはあくまでも作り話にすぎない。だが家にいたはずなのに見知らぬ土地に一瞬で移動するなんて不可能な訳で。目が覚めたら自分の家で、夢でした。なんてことが起こってほしかったが、実際に目が覚めたらお兄さんのベッドの上だった。
「今思い出しましたが、たしか300年程前に違う世界から来たという人物がいると聞いたことがありますね。」
「えっ!前例があるんですか。それだったら俺も日本に帰れますよね。」
嫌な予感がしていたのだが、過去にも同じような人がいたと聞いて一気に気持ちが明るくなる。いきなり異世界トリップしてしまった事で頭が混乱していたが、帰れるならば何の問題もない。
「いつまでもお兄さんにお世話になる訳にもいきませんし、帰れるなら早く帰った方がお互い良いですもんね。お兄さん、どうしたら帰れますか?」
原因は不明だがこの世界に来てしまい、初めて会った人物に殺されそうになったり、助かったと思ったらテレポートされ、起きてからずっと密着されたりと、今まで経験したことがない事ばかりで正直精神的に疲れている。帰れると決まったら今すぐにでも家に帰ってゆっくりしたい。
「……。」
「お兄さん?」
テンションが上がった敦は、少ししてからお兄さんが黙っていることに気付いた。
「どうして黙って…って、あっ!すいません!」
よく見ると隣にいるお兄さんの腕を思いっきり掴んでしまっていた。痛かったのかもしれない。
(機嫌を損ねないように、とか思っていたことをすっかり忘れてた…。)
「お兄さんごめんなさい。痛かったですか…?」
あまり意味は無いだろうが、お兄さんの腕をさすりながら謝る。許してくれなかったらどうしよう、と思っていたらお兄さんに抱き締められた。
「えっ、あの、お兄さん!?」
「わかりません。」
「離してくださ…えっ?」
「わかりません。」
「…何がわからないんですか?」
突然抱き締められたことに驚いたが、続いてお兄さんの口から出てきた言葉に嫌な予感が舞い戻ってきた。
(まさかとは思うけど…。)
「帰る方法がわかりません。それと、以前きた人物はこの世界で天寿を全うしたそうです。帰るのは諦めましょう?」
しばらく黙っていたお兄さんの発言に敦は凍りついた。
「なにを言っているのか、わからない…です。」
「常識では考えられませんからね。異空間を渡ってくるなど。ですが、テレポートを使わずにあなたは私の目の前に突然現れました。これは運命としか言い様がありませんね。」
「俺、帰れないの…?どうして…。」
「おや…またあの可愛らしい泣き顔が見れますかねぇ。いじめたくなりますが、心が壊れてしまうのはいけませんね。」
お兄さんが何か話している気がするが、頭に入ってこない。前例があるのに、その人物は帰っていない。たぶん帰れなかったんだと思う。もう日本に帰れない。兄貴にも友達にも、誰にも会えない。
つい先程帰れると思って浮上した気持ちが嘘のようだった。
「嫌だ…。嫌だよ…なんで、どうして…?」
別段強くもない敦の心は悲鳴をあげていた。いや、見知らぬ土地に異世界トリップしてしまった時点からずっと不安だったのだ。心が折れそうなのを無理矢理気のせいにしていた。
ベッドの脇にある窓からは外の景色が見える。自然豊かな風景は、日本でも似たような景色の場所はあるかもしれない。だが、敦の家の周りは住宅地で自然を感じられる場所ではなかった。
せめて目が覚めたら知らない場所でした。というシチュエーションだったなら、寝ている間に運ばれたとか誘拐とかを考えられたかもしれない。それだったらまだ帰れる可能性を信じて希望をもてただろう。
しかし実際には敦は寝ていなかったし、本当に一瞬で見知らぬ場所にいた。異世界トリップなど信じられないが、いろいろと説明がつかない現状を考えると、認めるしかない。
(どうしてこんな事に…。)
「そんなに泣いては目がとろけてなくなってしまいますよ。大丈夫です、私がいますから。さぁ、少し眠りなさい。」
頭が混乱して何も考えられなくなっていた俺は、またしても意識を飛ばした。二度目もお兄さんの腕の中で。