後日談
厳重に秘匿されたこの事件だったが、その真相についてある噂が広がって行った。
いわく、ホワイトハウスはポトマック川から上陸した身の丈数十フィートに及ぶ怪物に襲われ、その怪物に大統領が殺されたのだ、と。
事件後にホワイトハウスで撮られたという不鮮明な写真がどこからか流出し、怪物はカンブリア紀にいたという『アノマロカリス』の背中に無数の触手が生えたような姿をしていたと言われている。
米政府は、公式にはこの噂を否定しながらも、真相を隠すために、この噂を放置した。
大統領執務室でトルーマン大統領はご機嫌だった。
やれ教養がないだの、貧相だのと散々陰口を叩かれてきたが、これで見返してやれる!。
転がり込んだ大統領の椅子とはいえ、大統領になった事に変わりはない。
欧州戦線も太平洋戦線もあと一押しだった。
自分は、その輝かしい勝利を手にした大統領として歴史に名を残すのだ。
トルーマンは、その時の自分の姿をうっとりと思い浮かべた。
だが・・・
2月にヤルタで開かれた米英ソ3首脳の会談で、トルーマンの夢想は消し飛んだ。
スターリンはトルーマンを『威厳も貫禄もない粗雑な小物』と呼び、鼻で笑うようにしてまったく相手にせず、チャーチルとばかり話した。
そしてチャーチルも、表向きはトルーマンを立てながらも、秘かに鼻で笑っていた。
会談が終わり、ワシントンDCに帰ったトルーマンは、臨時の執務室となっていたペンタゴンの1室で怒りを爆発させた!。
「誰のおかげで戦争に勝ててると思っているっ!!!。
私が行っている大量の武器援助がなければ、独にすら勝てないクセにっ!。」
トルーマンはソ連が米英の意に反してポーランド亡命政権を認めない事を理由に、即時ソ連への武器援助を中止し、その装備を英に供給し、さらに太平洋戦線から大量の兵員を抽出して欧州への増派を決めた。
国内ではこれに反対する者も多かったが、かねてよりソ連による共産化の拡大を懸念していた反共勢力はこれを歓迎した。
その甲斐あり、欧州戦線では米軍は破竹の快進撃を続け、ベルリン攻略も目前となっていた。
一方。
大量の兵員を抽出された太平洋戦線では、米軍の苦戦が続いていた。
莫大な物量を背景にすぐにでも落とせると思っていた日本軍の守る島々はしぶとかった。
島に坑道を張り巡らして抵抗を続ける日本軍には、圧倒的な航空戦力による空爆も、大量の砲艦による艦砲射撃もあまり効果がなく、上陸して地道に掃討するしかなかった。しかし1つの島あたりに投入出来る兵員が少ない米軍は、全島をくまなく掃討する事が出来ず、隠れて攻撃してくる日本軍守備隊の前に多大な犠牲を出し続けたのだった。
これほどの犠牲を出してまで、小さな島々を占領する意味はあるのか?。
対日講和論は日々その勢力を増して行った。
そして。
ついにベルリンを占領した米軍は勝利宣言を出した。
その頃ソ連はまだポーランド西部に残存するドイツ軍の掃討に手間取っていた。
トルーマンは秘かに現地司令官の猛将パットンに指令を出し、誤爆を装ってソ連軍を攻撃させた。
いったんは停戦しての話し合いが持たれたものの、ポーランドの正当な政権をめぐって決裂し、米英連合軍とソ連は戦争状態に突入したのだった。
この時、太平洋戦線ではまだ苦戦が続いていた。
一応占領した島でも、隠れ潜む日本兵によって散発的なゲリラ攻撃が続き、基地としての機能は低かった。
日本兵は、米軍のいない地域に移動して隠れ、夜闇にまぎれて米軍の基地を襲っては食料や武器弾薬を奪って行った。
米軍は対策として基地の周りに厳重な柵を張り巡らしたが、それはその柵の中だけが米軍の実効支配地域である、という事だった。
かくして、フィリピン奪還を機に、アメリカは日本に対し講和を持ちかけた。
太平洋の島々と、ボルネオ島をはじめとする旧オランダ,フランスの植民地の放棄と引き換えに、満州および台湾の領有を認め、対ソ宣戦布告を行う事を条件に。暗に対ソ戦での有償武器援助をほのめかせて。
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