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ビター・ダーク

果たして自分じゃ気付けない

作者: 花しみこ

 


 踏み入れたミラーハウスにはやはり熱気がこもっていて、高戸はぐっと息を詰めた。足元には片づけ切らなかったらしい段ボールやロープが散らかっていて、足をかけないよう慎重に跨ぐ。咄嗟に手を付いた壁紙は剥がれかけているのかざらつき、手のひらに痛みを与えた。

 鏡のほうに手を付けばよかったかもしれない。思ったけれど、ちらり横目に見える曇った透明の奥は得体が知れなくて、すぐに視線を外した。密室は灰色の闇に包まれている。

 ずっとこうしてるわけにもいくまいと、諦めて足を踏み出す。インターネットによれば、片面鏡張りの通路はまだ入り口前の待機列。たしかにまだ受付らしきものを見ていない。

 この先、カーテンに仕切られた中によくある曲がった鏡――太ったり痩せて見えるやつだ――があって、そこから迷路に続くらしい。既に迷路じみた、物がなくても三人横に並べない通路だ。曲がり角の先に入り口があるのだろうか。舞い散る埃を懐中電灯で照らして、首を動かすのに躊躇を覚える。

 ため息のために息を吸えばいがらっぽく、これ以上吸い込まないよう口を覆った。が、どうせ無駄だろう。喉に張り付いた埃を、精一杯の唾液で飲み下した。


 このミラーハウスは、閉園した裏野ドリームランドという遊園地の一角にある。幼い頃に来た覚えはなく、ピンクのうさぎがぴょんぴょん跳ねるCMを見たことがあった程度で、いつの間にか経営難を迎えていたらしく閉園時さえ話題に上らなかった。こうやって来てみれば、この遊園地が相当な金をかけて作られたことがわかる。車で来なければならないとはいえ、そこまで集客力がなさそうには見えない。なんで閉園なんて、と思いかけて首を振った。

 原因は知っている。でなければ、こんなところに来ない。

 高戸は、本来なら無断で立ち入り禁止の廃墟に入りたがる性格ではない。信号無視も道路の横断でさえ気が引ける。ただまじめなのとは違い、なにか事故やおそろしいことがあったときに自分が悪かったなんて理由を作りたくないのだ。いつだって、誰だって当然責められたくなんてない。高戸はどうもそれが顕著らしかった。

 高戸は現在大学生。来年には就活も始まる。ここで問題を起こしたらいったいどうなるか、考えるだにぞっとしない。そろそろみんな落ち着いて、一切の法律に触れない遊びだけをしてくれればいいのに。スリルなんて手持ち花火を振り回すくらいで充分だろう。


「なんでこんなところに、」


 一言呟いただけで喉はいがらっぽく痛んだが、口に出さないまま居られない。伸ばした袖の奥から埃の匂いが届いている。


「雪下のやつ、こんな遊園地のウワサ聞き付けて来なけりゃよかったのに」


 明るい茶色の髪、筋の浮いた腕、口が大きく声がでかい。雪下のきらいなところは同時に自分にない輝いたところで、憧れてもいた。けれど、こういうときは別だ。

 自分の楽しみのために周囲を巻き込んで、大きな声で押し通してしまう。かれが「なあなあ!」とはしゃぎ言い出すことはほとんどが迷惑で、脳裏に声が浮かんだだけで眉根が寄るほど。前は何だったか、考えればいくらでも思い出せる。

 その中のひとつだと言ってしまえばそれまでだが、床に転がっていた小さな箱をガツンと蹴り飛ばし眉根を寄せた。なにも、夏だからって心霊スポットに来る必要はない。ましてや、オカルトな噂だらけの廃遊園地で、その噂をひとつひとつ確かめる必要だなんて。

 高戸はもう一度ため息を吐いた。「なあなあ、肝試ししよーぜ!」なんて、憎たらしい軽い声が思い出される。

 それから、曲がり角を確かめるように鏡を触った。砂埃か、別のものか、表面は硬くざらついて、曲がり切ってから指先をズボンになすりつけた。

 道の先は広く拓けていて、探していた受付らしき台と色あせ捩れたカーテンがかかっている。この先が本丸、スマートフォンを取り出してぱしゃり写真を撮った。メッセージアプリは、同じようにアトラクション入り口の写真が既に数枚受信されて、ドリームキャッスルに行った雪下なんか楽しそうに自撮りでピースまでしている。ざっと流し見だけ、自分も無言で送信した。


 この遊園地には、七つの噂がある。

 ひとつは、遊園地で失踪する子ども。誰に聞いても話の違う事故、アクアツアーの謎の生き物、メリーゴーラウンドは無人で回り観覧車からは声がする。遊園地中央のキャッスルには拷問部屋があるといい、このミラーハウスでは入れ替わりが起きるという。


 悪ノリを重ねた自分以外の五人は、噂をそれぞれ調べてみようぜ、と、くじで担当を決めた。足りない一つ、失踪する子どもについては最後にみんなで調べるという。そして、入り口、中、出口で最低三枚写真を撮ること、なんてルールでさっさと個人行動を開始したのである。

 いくら気が乗らないからといって高戸も空気を壊すつもりはない。がんばれ、なんて軽いスタンプの並びを無視してポケットにしまった。ぐるりと見まわしてみるが、不審な様子はない。地面の埃がまばらなのは自分のように踏み入る人間がいるからだろう。

 それから三度目のため息、手の甲でカーテンを持ち上げ潜り抜けた。一層濃い埃が鼻につく。さっさと終わらせてしまおう。

 窓のない路は影を深くして、事前に用意した細い懐中電灯に数歩分だけが照らされている。横目に映った見知らぬ背格好に身を竦めたが、すぐに凹面鏡だと気付いて足を進めた。歪んだ鏡には光も歪んで入るのだろう、痩せた姿が後ろへ走っていくように見えた。背後のカーテンが、通りがけひっかかったのか微かに揺れている。正面にはもうひとつカーテンがあり、越えたら迷路に踏み入ることになる。所詮こども向けのそれは数分で終わる程度、うんざりした気持ちを諦念で奮い立たせ、さっさと暗闇を抜けるべく進んでゆく。幸いにして、内部の床に物は落ちていないようだった。


 それからしばらく歩く。明るければ単純なつくりも暗闇のうちでは複雑に見える。常に右に行くことを意識して進んできたが、なかなか灯りに辿りつかない。途中割れた鏡が散らばっていたくらいで、自分の姿も映らないここに愉快なことはなにもない。

 だからだろうか。ずいぶん時間が経ったような気がする。腕時計に懐中電灯を向けたが、入ったのが何時何分かなんて気にしていなかった――そうだ。

 思い出してスマートフォンを取り出す。先ほど送った入り口の写真の横、時刻は。

 画面上に表示されている時間と見比べて、高戸は目を見開いた。


「まだ一分……?」


 いやまさか。そんなわけがない。時計アプリを見れば、正常に秒針も回っている。五〇、五一、五二……六〇は表示されずに一分表示が変わる。時刻表示におかしなところはなさそうだが、一分しか歩いていないわけもなかった。

 とはいえ表示されているのだ。信じるしかない。

 それからまたスマートフォンを仕舞い歩き出し、出口に辿りつかずまた時刻表示を見る。


「は」


 五八、五九、一分追加される。

 しかし変わった先の数字は、先ほどと同じ姿をしている。立ち尽くし、一から数字が回るのを呆然と見つめる。一二……二六……四八……そして〇秒に増えるはずの一分は、逆にひとつ数を減らした。


「ど」


 目前に時刻を表示させたまま、顔を上げる。埃に曇った鏡には、同じように懐中電灯を片手に持つ自分が映っている。見つめあう向こうの自分が笑ったように見えて、高戸はなりふり構わず走り出した。右にだなんて考えてられない。曲がり道を右に、左に、左に、まっすぐ。駆け抜けて駆け抜けて、息が切れてくる。


 どういうことだ。


 埃が喉に張り付く。靴底に硬い破片の感触。籠った空気に汗はじわじわ滲むことしかできない。手元と前を見比べながら、間違いを重ねながら、メッセージアプリを開く。電話は、そう、右上。押して発信する。こんなのおかしい、はやく、繋がってくれ。来年には就活も始まる、こんなおかしなところに居るわけにはいかないんだ。

 そして、待ち望んだ音が、高戸の耳に届いた。電話の向こうでは蝉が鳴いている。ざらつく空気を勢い良く吸い込んで、高戸はすぐに話し出した。







『もしもし~? なあ、どうだった!? こっちは暗いだけでさあ、ぜーんぜんなんもなし!』


 ところで、高戸は終ぞ知らぬままだったが、このミラーハウスにはもうひとつ噂が存在した。


『暗いから結局自分も映んねーし、あっという間だったわ。』


 なんでも、入った人間みな誰かが走り続けるような音を聞いていたという。


『電源も落ちてるから、足音なんてどうせ聞こえるわけもねーしさぁ』


 ミラーハウスを広く感じさせる演出だとも言われたが、裏野ドリームランドは閉園まで一貫してそのような演出はしていないと断言しており、職員もそんな音は知らないと言う。


『出口と入口いっしょだったし、迷路でもなんでもなかったわ、ミラーハウス!』



 入り組んだ道を、高戸は走る、走る──。


 枝先にぶら下がっていた蝉の脱け殻が地面に落ちたが、夏の輪唱に掻き消され、電話の向こうには届かなかった。









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