第五十一話 作戦会議
翌日、ママの優しい温もりの中で私は目を覚ました。
家事を完璧にこなすママはいつもはとても早起きなんだけど、今日は私を抱き締めたまま、目を覚ました私を優しい微笑みで包んでくれる。
「……おはよう、璃心ちゃん。貴女の寝顔は、本当に小さな頃から変わらないわね」
うっすらと涙を浮かべたまま、私を見つめるママ。
つられた私もちょっと泣きそうになってしまうけど……昨日いっぱい泣いたしね。
自分の選択に迷いはないし、旅立ちではあるかもしれないけど、別れにはならないような道をきっと見つけようと、心に誓ったんだ。
だから、私は微笑んで言った。
「……おはよう、ママ。今朝はフレンチトーストを所望して良いでしょうか!?」
目覚めるなりそんな事を言い出した私に、ママは驚いたように目を見開き、やがてプッと噴き出すと、
「フフッ! お出掛けするなら美味しい物を食べて体力をつけなきゃね。用意するからすぐに降りていらっしゃい」
そう言って私の頭を優しく撫で、ベッドから出て行った。
ママも『お出掛け』と言ってくれるんだね。
それでは、絶品のフレンチトーストを頂いて、英気を養いましょうか!
レオンに会うまでは、もう泣かないと決めたんだ、私。
涙でグチャグチャになった顔で好きな人に会って、ドン引きされちゃったら悲しいもんね。
ママと二人、ダイニングで朝食を摂っていると藤子がやって来る。
今日は藤子も制服だ。
……そっか、法事は連休を利用して行っていたけど、今日からは普通に学校だもんね。
条件反射的に私も制服に袖を通してしまったけど、今はちょっと、学校に行く気がしないな……。
「おはよう、藤子ちゃん。藤子ちゃんも食べる?」
……ママは相変わらずマイペースだ。
「おはようございます、優璃さん。私は家で朝食を食べて来たので、お気持ちだけで」
そう言いながら私の前の席に座り、難しい表情で私を見つめる藤子。
「……全く、あんたには緊張感が足りないのよ……。ほら、パン屑ついてる」
呆れたように呟き、側にあったティッシュで私の口元を拭ってくれた。
うふぅ~ん! 藤子さんってば今日も男前ですね!
「……私も色々考えたんだけどさ……。まず、デュレクに戻るならあの仕事場がキーになると思うんだよね」
お茶だけでも、と紅茶を淹れてくれたママに「ありがとうございます」と御礼を言いながら話し始める藤子。
ママも自分のカップに紅茶を淹れ、私の横に着席する。
うん、それは私も思うんだよね。
時空の歪みがデュレクとこの世界を繋いでいる、とディールは言っていた。
それなら、あの仕事場に時空の歪みがある、と考えるのが一番しっくり来る気がする。
だとすれば、私がデュレクに行き、そして帰って来たあの仕事場から何らかのアクションを起こすのが良いだろう。
「璃心がこっちに戻ったら時空の歪みは閉じておく、とディールは言っていたそうだけど……。
でも、また会いに来るよ、とも言っていたんだよね?
歪みを閉じてしまったらアイツも来られなくなってしまいそうだし、そんな面白そうな物をアイツが使えなくするとは思えないんだよね……」
フゥ、と藤子が溜め息を吐いた。
さっすが藤子! 当事者の私より冷静に状況を分析してくれるとは!
……って私ももっとしっかりしなきゃだよね……。
「あんたがデュレクに戻るのは、実はそんなに難しいことじゃないと思うんだ。あんたの指には、デュレクの奇跡を結集した指輪が残ってるし、片方は今でもレオンが持っているんでしょ?
だけどさ、そのままデュレクに戻っても、きっとまたディールが邪魔しに来るだろうし、それを解決しないまま戻っても、同じ事の繰り返しだよ」
藤子さん!? 奇跡なんてそんなに簡単に起きないから奇跡なんですけど!?
指輪に願ったら戻れちゃうなんて……そりゃあ、それが出来れば夢のようだけど……。
……あれ、ちょっと待って? この指輪にはアーシェさんの奇跡の魔石の他に、全知全能の水龍──瑠璃の加護もかかってる。
「……瑠璃……」
私がそう呟くと、藤子がハッとしたように顔を上げた。
「……そうか、水龍! あんたは今、その眷属にも似た状態にあるんだっけ。
……全く、スゴいの誑し込んで来たよね……。デュレクでは龍種は神にも等しい力があるって描写してたのはあんたじゃない。
正直、今はレオンより頼りになるかもしれないよ」
藤子さんがそんな可愛くないことを仰るので。
「レオンは世界で一番頼りになるもんっ!」
私は思わずそんなことを叫び、案の定藤子にデコピンを頂き、「今は惚気てる場合じゃないでしょ!」と叱られた。
……うぅ、藤子さん、今朝のデコピンは一際冴え渡っています……。
私が赤くなったオデコをさすりながら涙を浮かべていると、隣に座ったママがコロコロと笑いながら言った。
「璃心ちゃん、レオンちゃんを信じ切ること。それはね、何物にも代えがたい奇跡だと思うわ。
人を信じることって、本当は凄く難しいことなのよ。
……特に、この汚れた現代を生きる私達にとってはね」
ふと、何処か寂しそうな色をその綺麗な顔に落とすママ。
「……けれど、貴女に関わった全ての人が、その可愛い笑顔に陥落して、疑うより信じる事を、涙より笑顔を、そして……憎しみより愛を望むようになってしまうのね。それはきっと、貴女にしか使えない魔法。
特にデュレクの人達はこっちの世界の人々より優しくて純粋みたいだから、その魔法も強くかかってしまうのかもしれないわねぇ」
人を信じる魔法。
そんなものが私に使えるとしたら、それってなんて素敵な魔法だろう。
……正直、ただの女子高生の私に、そんな大層な力があるとは思えないけど、でも、確かに私は疑うより信じたいと思ってしまうな。
昔から、悪役にも何か事情があるのかもしれない、なんて考えてしまう所があるし……。
日本ではそんな想いは簡単に裏切られてしまう事も、私は知っているけどね。
それでも、悪意より善意を信じたいと思ってしまうのは、私がやっぱり甘いからなのだろうか。
「璃心、この世界で一番デュレクに近い場所……仕事場なら水龍にも声が届くかもしれない。私達だけでは解らないことも多いし、いずれにしても私達はあそこにいた方が良い気がする」
行こう、と藤子が立ち上がる。
「……あれ? 藤子、学校は?」
制服を着ているんだし、登校するつもりだったんだと思うんだけど。
「馬鹿言わないで。こんな状況で学校に行ったってあんたが気になって授業なんか耳に入らないよ。
今日はエスケープ! フフ、私、一度やってみたかったの!」
そう言って藤子が楽しそうに笑った。
うわぁぁーー!! あやめさん、藤子を不良の道に引き込んでしまってごめんなさいぃぃーー!!
「……行ってらっしゃい、璃心ちゃん。ママはいつでもここで貴女を待っているからね」
優しく微笑むママ。
さよならではなく、行ってらっしゃい、の言葉が、今の私にはとても心強い。
「……行ってきます、ママ」
そう言って私はママの頬にチュッとキスをした。
そんな私の態度に、ママも藤子も何故だか目を見開いて固まっている。
「……あんた、その誑かし癖、絶対レオンの悪い影響だと思う……」
何を言いますか!
それはまぁ、確かに、スキンシップ過多なレオンのせいで、向こうの世界ではハグやらキスやら甘い言葉やら、やらかしていますが!
それは私の愛情の表れなんですからね!!
「やーねぇ、璃心ちゃん。可愛い上に格好良くなっちゃったら、どんな人でもイチコロよ?」
嬉しそうに頬を染めてママも私の頬にキスを落としてくれる。
「……愛しているわ、璃心ちゃん」
囁くように耳に落とされた言葉は、私の心にスッと入り込んで優しく優しく……私を包みこんでくれるようだった。
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ママに見送られ、住み慣れた家を後にして仕事場へとやって来た私と藤子。
「……う~ん、この何の変哲もないマンションの一室が異世界と繋がっているなんて、今でも信じられないわ……」
全く同意です。
でもまぁ、ディールの言葉が本当なら、ここは私が毎日レオンへの想いを蓄積させていた場所なんだよね。
心の奥底でレオンを覚えていた私が、少しずつ、少しずつレオンへの想いを貯め込んで、ついに溢れてしまったあの日、それは『想像の中のレオン』ではなく『現実のレオン』になってしまった為に、突然小説が書けなくなったのだろう。
私はいつもレオンを妄想して、『想像上の存在』として彼に接していたのに、その想いが溢れて現実になってしまったから。
そして私は──現実のレオンに出会う為にデュレクにトリップした。
溢れた想いが私をきっとそうさせたのだ。
それもまた、奇跡としか言い様がないんだけど……。
原理は説明出来ないし、異世界の不思議、としか言えないけど、なんだかそう考えると全てがしっくり来る気がする。
「璃心、とりあえず水龍とコンタクト取ってみようか。
ディールが来ると言った以上、アイツは絶対にここに来るだろうから……出来ればその前に水龍の見解を私も聞きたい」
藤子の言葉に、私は頷いてそっと指輪に触れる。
思えば、危機に面したら必ず呼べと言われていたのに、遅くなってごめんね、瑠璃……。
瑠璃、聞こえる? と私が問い掛けると……
『璃心ぉぉーー!! 阿呆かお主!! 何かあれば必ず妾を呼べと言ったじゃろうに!!』
瑠璃の絶叫が室内に響き渡った。
……ちょっと瑠璃!? 音量調節とか出来ないの、これ!? いくらなんでもご近所迷惑だよ!
「……マジか。なんというご都合主義……」
藤子がポソリと呟いた。
……全くねぇ。私に限りなく優しい世界。ありがたや、ありがたや……。
『おお、主の盟友もおるのか。それはまた都合が良いの』
と、瑠璃がまたカッカッカッと渋い笑いを響かせる。
今、人化してるか龍の姿かは知らないけど、私にとって瑠璃のヴィジュアルはあの可愛い姿なんだから、似合わないにも程があるってのに!
「……私の事も知ってるワケ!? やばい水龍ハンパない……」
と、藤子は呟いて固まってしまった。
藤子さんや、実物の瑠璃はもっと規格外なんでこの言葉に驚いてしまっていては後が持ちませんよ?
「瑠璃ぃぃーー!! なんか私、こっちの世界に戻されちゃったんだけど……」
そんな私の訴えに、知っておるわ、と瑠璃がフンッと鼻を鳴らすのが聞こえる。
……あ、今はきっと水龍さんヴァージョンですね。ブレスを吐く音が混じっているもの。
『……全く、厄介な事に巻き込まれおって……。じゃがまぁ、あの夢幻王がそちらに現れる前に妾に繋ぎを取ったのは良き判断じゃな』
そんな瑠璃の言葉に反応したのは藤子だ。
……全く、藤子ってば状況適応能力高過ぎでしょ!?
私なんて、デュレクにトリップしたばかりの頃は叫ぶわ鼻血は出すわで大変だったってのに……。
……これが元々の出来の違いというヤツか……。ちょっと自信がなくなっちゃいます……。
「水龍、私の事も知っているなら話は早い。申し訳ないけど、私はこっちの人間で無宗教なんで、敬うとか奉るとか、今は省略させて貰うわ。
……どうせアイツだってそんなに時間を置かずに来るだろうしね」
そんな藤子の問いに、指輪の向こうで瑠璃がニヤリと笑った気配がする。
『聡いのぅ、璃心の盟友よ。主の魂の輝きもまた、妾好みの光よ。いつか相見えたいものじゃのう』
……以前から思ってたけどさ、瑠璃ってば本当に美少女に目がないよね!
私はともかく、唯一心を寄せていたアーシェさんは絶世の美少女だし、
藤子だって、地味に見えがちだけど、スタイルは良いし眼鏡の奥の素顔はすっごく可愛いんだから!
「私もいつか会いたいわ。……だから実現させる為に、教えて欲しいのよ。
璃心がそっちに帰るのは難しいことじゃないのは想像出来るの。けど、このままそっちに帰しても同じことの繰り返しだし……やられっ放しは趣味じゃないんだよね、私。
アイツの一番嫌がること……教えてよ。私も協力するから」
そんな藤子の言葉を聞いて、瑠璃がまたカッカッカッと大笑いしている。
……あーもう、水龍の姿をしてるならツッコミは良いか……。
ってか、何故だか当事者の私を差し置いて瑠璃と藤子の間で話が進んでいる。
無理に魔力を押さえてこっちに来たのならただの人間同然だ、とか、アウンスバッハの異空間を使えば……とか、時空の歪みを消す事は出来ないけど、場所さえ解れば人が通れないくらいに縮める事は出来そうだ、とか。
何だか藤子もノリノリで、現実世界がどれだけ厳しいものなのか思い知ると良いわ、なんて悪役めいた言葉を吐いている。
なんとなく、口を挟みづらくて黙ってその会話を聞いていたけど……瑠璃さん、藤子さん、それはちょっとえげつないですよ……?
「……璃心の仇を私が取れるってワケか。任せて、水龍。そっちのことは頼むわね!」
『妾を誰だと思っておる。こちらでの璃心の保護は任せよ。後は頼むぞ、藤子!』
……あ~、話がまとまっちゃいました……。
なんだか私、とんでもない力に護られてしまった気がする……デュレクでも、現代日本でも。
『妾も準備があるでの、一旦通信を切るぞ。璃心、こちらで待っておるでの、疾く来い』
そう言い残し、瑠璃の声がフッと消える。
満足そうな表情の藤子がニヤリと微笑み、今まで見た中で一番格好良い笑顔で言った。
「……璃心。作者に立て付いたキャラクターの末路、あの夢幻王には私が教えてあげるから。
あんたは何も心配しないで、その笑顔をレオンに向けてあげて。
……きっと今頃、死んだ方がマシってくらい絶望しているだろうから」
ふと、藤子が私をギュッと抱き締める。
珍しいな、藤子ってあまりスキンシップはしない子なんだけど……。
ところが、その肩口に埋まった藤子の瞳から、ポタリ、と何か熱いものが落ちて来る。
「……私はさ、不器用だし、ぶっきらぼうだし、人を信用するのにもいつも時間がかかって……。
口も悪いし、付き合いも悪いし、言わなくても良いことばかり言っちゃう面倒臭い性格なのに、あんたはいつもニコニコ笑いながら、怒りながら、泣きながら、それでも絶対の信頼を私に向けてくれたよね。
そんなあんたの存在が、世間から浮きがちだった私を、いつも繋ぎ止めてくれてた」
……藤子が泣いてる!? マジで!?
「……あんたは私を生涯でただ一人の親友だと言ってくれた。
私は……いや、私こそ、あんた以上の友達なんて二度と作れないと思う。
馬鹿で優しくて……可愛い私の親友」
藤子さん! 馬鹿だけ余計です!
「……幸せになるんだよ? んで、レオンに泣かされたら帰ってくれば良い。
私も、あんたの両親も、うちの家族も……何があっても全力で璃心を幸せにしてみせるから。
今選んだ選択肢だけが全てじゃない。ここにもあんたの幸せがあるってこと……忘れないで」
ギュッと私を抱き締める藤子。
うわぁぁーー!! うわぁぁぁぁーーーー!!!!
藤子がデレるなんて本当に珍しいけど……やばい嬉しい!
……ねぇレオン。貴方に会うまではもう泣かないと決めたけど……今だけちょっと許してね?
「……ありがとう、藤子。大好き……!」
抱き締め返した私の腕にギュッと力が籠り、ポタリと涙が藤子のセーラーカラーを濡らす。
「……この天然タラシ……!」
デュレクでは言われ慣れてしまったその言葉。
……フフ、藤子が言ってくれると、なんだかとても嬉しくなっちゃうね。
「……藤子こそ、その男前な所、どうにかした方が良いと思います……!」
そうして私達は、朝日に包まれたマンションの一室で暫く泣きながら抱き合っていた。
優しいその光は、夢や幻といった虚飾から私達を護るように包んでくれていて……何だか私は、自分がとても強くなったような……そんな錯覚を覚えてしまっていたのだった。
お読み頂き、有り難うございました!




