第四十三話 海底の結婚式
『じゃがのう……あの人魚が妾の話すら聞かぬのは事実での……。
あの思い込みの激しさには妾も吃驚じゃ』
フゥ、とヴァライアさんが溜息を吐く。
……確かにねぇ……。エリックさんの幸せを想ってのこととは言え、自分で石になっちゃうくらいの頑固さだもん、
ちょっとやそっとの説得じゃ聞いて貰えないかもしれないよね。
アーシェさんにとっては、エリックさんの幸せこそが一番大切だからこんな事態になっちゃってる訳だし……。
そんな風に誰かを想える事は、とても素敵なことだと思うけどね。
でも私は、アーシェさんにも幸せになって欲しいから、今はエリックさんの言葉を信じてあげて欲しいな。
「ヴァライアさん、できればエリックさんと話をさせてあげて下さい。
アーシェさんの言葉は私がエリックさんに伝えますから。
こんな簡単なすれ違いで二人が傷ついたままなのも痛々しいですし……」
……残念ですしねっ!!!!
『仕方あるまい……。人間よ、許可するゆえ人魚に声を掛けてやるが良い。璃心を介せば会話も成り立つであろう』
ヴァライアさんがそう言って、渋々といった様子でエリックさんに向けて言う。
少し戸惑った様子を見せたエリックさんだが、すぐに思い直したかのようにその表情に決意を滲ませ、
「……感謝します、水龍よ」
と言ってフォレスの下からスッと抜け出して来た。
……っつーかフォレスさん、貴方がエリックさんを椅子にして寛いでたの、バレバレですからね!?
そうして私達の側に近寄ってきたエリックさんに頷きを返し、私達は奥にいるアーシェさんの前に並び立つ。
「……アーシェ……」
初めて間近で見るだろう痛々しい表情で石になってしまっているアーシェさんに、エリックさんはショックを隠せないようだ。
そっと優しくその頬に手を触れ、ポロリと涙を流している。
「……僕の為にごめんね、アーシェ。妹が君にしたことも……許して欲しいとは言わないよ。
この海を守ってくれている君に、私情に駆られて嘘を吐くなんて決して許されることじゃないよね」
エリックさんの優しそうな瞳から、また一粒の涙が零れ落ちた。
そんなエリックさんを目の前にして、私の意識の中に、またあのアーシェさんの思念波が聞こえて来る。
『……リコさん、と言いましたか。エリックに伝えてくれますか……』
そうして、私は頭の中に聞こえて来るアーシェさんの気持ちを、しばらくの間代弁することになった。
「エリックさん、アーシェさんは、貴方の心変わりに絶望している訳ではなくて、
自分が好きになってしまったことで、貴方の人間としての幸せを奪ってしまったんじゃないか、と思っているんです。
人魚は一生に一度、一人の男性しか愛せないから、貴方を愛してしまったアーシェさんは貴方と共に生きることしか出来ない。
だけど、貴方がアーシェさんの幸せを願っていたように、アーシェさんもまた、一番大切なのはエリックさんの幸せだった。
……自分さえいなければ、エリックさんは人としての幸せな道を見つけることが出来るんじゃないかと思ったそうです。
エリックさんがその人生を終える時、アーシェさんは泡となって消えてしまうけれど、それはエリックさんには関係のないことだと。
……だけど、自分と共にいないエリックさんの幸せを、実体を伴ったまま見守るのはさすがに辛かったそうです。
共に生きるとアーシェさんが決めた以上、貴方のどんな姿も彼女には見えてしまう。
その手が他の誰かに触れたり、他の人の名前を呼んだり、幸せそうに微笑んだり……自分はそこにはいないのに、と、どうしても思ってしまうから」
アーシェさんは言う。
自分にはエリックさんの子どもは産めないから、エリックさんが望むなら仕方がない、と。そして自分もエリックさんの子どもなら見てみたいとも思っていた。
けれど、そこに至るまでの光景を見守るのは辛いだろう。
きっと悲しみでこの海に災厄を齎してしまうから、そうなる前に何も出来ない石になろう、と思ったのだと。
……ねぇ、これ、言っておくけど、生まれて十年程しか経っていない女の子の心情だからね?
思い込みの激しさはビックリだけど、何と言う圧倒的な決意と深い愛……!
最近、初恋を知ったばかりの私には想像も出来ない愛の深遠を覗いてしまった気分だよ。
「……アーシェ……」
エリックさんが呟いて、冷たい石だろうアーシェさんの身体を優しく抱く。
その表情は、何処か嬉しそうに見えた。
「……こんな時に不謹慎だな、とは思うんだけどさ……。なんだか、嬉しくて」
……何と、やっぱり嬉しかったらしい。
そりゃまぁ、大好きな人が己の幸せより自分の幸せを願って石にまでなる程の強い想いを持っていてくれた事が解ったんだもんな……。
嬉しくない訳がないよね。
「言葉は聞こえなくても、君が確かに僕を慕ってくれていたのは心から信じていたけど……ここまで強く愛されていたなんてね。
……けど、君になら解るだろう? 僕はもう他の存在を愛したり出来ないし……君に側にいることが幸せの全てだってこと。
僕は君ほど優しくはないから……僕が身を引くことでアーシェが幸せになれると考えたとしても、僕は諦めない。
足掻いて足掻いて、何としても君を繋ぎ止めようとするだろう。何としてでも僕を選んで貰おうとするだろう。君に、僕と共に生きる幸せに気付いて貰おうとするだろう」
……こら、駄目ですよ、十歳児相手になんという熱烈な告白だとか考えちゃ!
アーシェさんはきっと、年とか関係ない存在なんだと思うし。
生まれたその瞬間から、自分の運命を知り、使命を知り、同族もおらず、海の底で魔物に囲まれてその声を平和の為に捧げる、愛に生きる種族なんだから!
……って勝手に私が思っているだけだけど。
『その通りじゃぞ』
だからヴァライアさん、思考を読むの止めて!!
「愛しているよ、アーシェ。……生涯にただ一人、君だけをずっと愛すると誓うよ」
優しく囁いたエリックさんの唇が、石になったアーシェさんのそれに触れる。
──その途端、アーシェさんの身体が眩い光に包まれ、眩んだ瞳が再び景色を認めた時、
彼の腕の中にはキラキラと輝く銀色の髪を静かに揺らしている、美しい人魚が抱きしめられ、潤んだ瞳でエリックさんを見上げていた。
キャァァァァーーーー!!!! 素敵ですっ! 素敵すぎますっ!!
やっぱりお姫様の呪いを解くのはいつだって王子様のキスなのだ。
愛は地球を救うのだ!!
悲しい恋の結末しか知らなかった人魚姫が幸せになった瞬間を間近に見て、私は大興奮だ。
『……リコさん、エリックに伝えて……』
再びアーシェさんの声が聞こえ、私が彼女の言葉を伝えようとすると、
エリックさんは私を見つめ、優しく微笑みながら静かに首を振っている。
「……良いよ、アーシェ。君の気持ちは君から聞くから」
そう言って、強くアーシェさんを抱きしめ、もう一度深いくちづけを……。
キャアアーー!!
なんだか恥ずかしくて見ていられなかったので、私は頬に手を当てて静かに二人から離れたのでした。
お幸せにーー!!
------------------
そうしてしばらく、二人きりの世界に浸っていたエリックさんとアーシェさんが、幸せそうに微笑みながら手を繋いでこちらに向かって来る。
その雰囲気はもう……幸せいっぱいな恋人同士そのもので。
何故だか私は、友達の恋が成就したかのような感動を覚えてしまい、瞳を潤ませている。
藤子もそういう話には縁がなかったから、誰かの恋の成就を見届けるのは初めてなんだよね、私。
『……人魚よ、だから言っておろうに……。お主はただ己の愛を信じ、相手を信じ、幸せを感じておれば良いのじゃ』
そんな二人を見て、ヴァライアさんも何処か嬉しそうだ。
フフ、友達の幸せが嬉しくない訳ないもんね。ヴァライアさん可愛い!
『……やめんか、璃心!』
頬を染めて抗議を寄越すヴァライアさん。だって可愛いんだもん!!
ニヤニヤと笑いながらヴァライアさんを見つめる私からぷいっと顔を反らす姿すら超絶可愛い。
『人魚よ、丁度良き機会じゃ。妾が立会人になってやろう。名付けと宣誓の儀式を執り行う。
……後ろの人間共、ついでだ、主らも見届けよ』
興味のなさそうな視線をレオンとフォレスに向け、ヴァライアさんは尚も手を繋いで見つめ合っているエリックさんとアーシェさんの前に立つ。
『ええい、そういうのは後でやらんか!』
そう言いながらその小さな手でパシパシっと二人の腕を叩く。
……頭には届かなかったんだろうなぁ、可愛いなぁ……!!
『璃心、違うからの!?』
……まったく、お前は世界最強種に対する畏怖や尊厳は持ち合わせておらんのか……とブツブツ言いながら、引き締めた表情で二人の前に立つ。
途端に威厳に満ちた雰囲気に変わる。
ああ、やっぱりヴァライアさんは水龍なんだなぁ……と、改めて実感する。
今の姿はものすっごく可愛いけどね。
『今代の人魚──アーシェよ、そちはその名を一生の物とし、愛したこの男の住まう土地にその身が朽ちるまで慈愛を与えると誓うか』
その問い掛けに、アーシェさんはコクコクと嬉しそうに頷く。
『人魚に愛されし人間──エリック・ベルツよ、そちはこの人魚を慈しみ、齎される慈愛に感謝を捧げ、その愛をアーシェに一生捧ぐと誓うか』
決意を込めた表情でアーシェさんの手を握る手にグッと力を込め、真剣な瞳で頷くエリックさん。
そんな二人を見て、ヴァライアさんが満足そうに微笑んだ。
『──名付けと宣誓は成された! もし違えることがあれば、街は災厄に包まれ、壊滅するであろうでな、努々忘れるでないぞ。
……アーシェ、幸せにおなり』
ヴァライアさんがそう告げた瞬間、アーシェさんの美しい海のような瞳から、一粒ずつの涙が零れ落ちる。
おっと、と声を上げてヴァライアさんがそれを小さな両手で受け止め、パン、と音を立てて両手を合わせた。
うわぁぁーーん!! 何て素敵な結婚式だろう!
私は我慢が出来ず、瞳からポロポロと涙を次々と零れ落としてしまう。
『……さぁ、アーシェ。神殿の外でもお主の復活を魔物たちが首を長くして待っておる。
聞かせておやり、その幸せの歌を。この海を護って来たその妙なる美声で、もう一度この海に幸せを齎しておくれ』
ヴァライアさんがそう言うと、アーシェさんは世界中の幸せを集めたような満開の笑顔で頷き、エリックさんの手を離れてふわりと浮き上がった。
銀色の髪が蒼水晶の光を受けてキラキラと輝き、アーシェさん自身を光のオーラで包んでいるみたい。
蒼と銀の鱗で覆われた下半身をゆらゆらと動かし、エリックさんの周囲を中心に踊るように泳ぎながら……
その小さな、美しい唇から聞いたこともないような綺麗な声が流れ出て来る。
言葉は解らない。旋律も、私の知っているそれとは違う。果たしてこれが声なのか、と問われれば自信はない。
だけど、それは確かに幸せを謳う歌で……アーシェさんが声を発する度に世界が幸せに満ちていくような気すらする。
これが、人魚の歌。
なんて幸せな歌だろう。
なんて幸せな時間だろう、なんて幸せな空間だろう。
胸がいっぱいになった私は、その姿を見つめながら、ただ、泣き続けることしか出来なかった。
「……リコ」
泣き続ける私の横に、スッと立ったレオンがそっと私の肩を抱く。
「……素敵だね……。ボクもいつか……」
呟くようにそう言うレオンの瞳にも光るものがあるようだ。
「……レオン……」
私はその名前を呟くだけで精いっぱいで、そっとその肩に頭を乗せる。
「……良かったね」
呟く私の涙を優しく拭い、肩を抱く手に力を込めるレオン。
「……うん、素敵だね。ボクもいつか、あの場に立ちたいな……」
君と、と呟くレオンの言葉は、その荘厳な光景に夢中になっていた私の耳には届いていなかった。
……恥ずかしかったから、聞こえなかったフリをした訳じゃないんだからね!?
------------------
今日は二人でいさせて欲しい、とエリックさんが言うので、私達三人だけが海底神殿から辞することに決めた時。
ヴァライアさんがスッと私に寄って来て言った。
『璃心よ、これはお前が持って行くと良い』
そう言って広げた手の平には、あの時アーシェさんが流した涙が魔石になって残っていた。
透明な、ハートの形をした綺麗な石だ。
『人魚の魔石じゃ。これを心から想い合う者同士が一欠片ずつ身につけることで、引き裂かれそうになった時に奇跡を起こす事があると言う。
人魚が最初に流す心からの喜びの涙が二粒合わさって生まれる、この世に二つとない奇跡の魔石。
……璃心のその煌めく魂に魅かれ、厄介な者が近付いている気配がするでの……。
主はこの後、時間を置かず北へ向かう事になるじゃろう。その前にこの石をその想い合う者と分け合っておれ。絶対じゃ』
真剣な瞳でその魔石を私に握らせるヴァライアさん。
……でも、そんな貴重な魔石を私の一存で受け取る訳には……
「水龍よ、ボクが預かろう。そして、リコに必ず受け取らせてみせるから」
突然レオンがそう言った。
……レオン様!? 一応今回の報酬であるその石の事は皆で相談して決めた方が良いと思うんだけど!?
三頭狗の魔石ですらあの価値だったのだ。
こんな奇跡みたいな魔石、どれだけの価値があるか解ったものじゃない。
売れば相当な金額になるものだと思うし、一応フォレスにも相談した方が良いんじゃないかな?
『……うむ……。口惜しいがそなたに預けるのが一番的確な判断なようじゃの……。
人間よ、必ず璃心を護れ。今はそれだけしか言えぬ』
ヴァライアさんが難しい表情でその石をレオンに渡している。
「……今度こそ、絶対に守ります。貴方に誓おう、水龍よ」
レオンも真剣な表情でその魔石を受け取り、あろうことか龍族であるヴァライアさんに向かってそんな宣誓をしていた。
……ちょっと!? ヴァライアさんに対する宣誓ってそんなに気軽にして良いものじゃない気がします!!
『……それとのぅ、璃心、妾の真名に関することじゃが……』
私の前に立ち、上目遣いで両手をにぎにぎしながら私を見つめるヴァライアさん。
……可愛い、可愛いすぎますっっ!!
『……お主が妾を愛でてくれるのは良く解ったわ。悪い気はせんでの、受け入れてやるが……。
我が真名は軽々しく人間に伝えて良いものではない。じゃから……』
名前をくれないか、と、ヴァライアさんが瞳をウルウルさせて私に懇願する。
曰く、ヴァライア、という名前は出来るだけ人に知られて欲しくないのだとか。
真名を知られることが不利に働くことがあるのか……。
思いっきり呼んじゃっててごめんなさい……。
『出来ればお主の国の漢字を使った名が良いのう……。そちの国の言葉の響きはほんに美しい』
期待するようにキラキラと瞳を輝かせ、私を見上げるヴァライアさん。
……う~ん、私なんかが名前を付けて良いものかとも思うけど、私も「ヴァライア」という名前より呼びたい名前があって……
「瑠璃、というのはどうですか?
私の生まれた国では、海の事をそんな風に表現することがあるんです」
と、私が告げると、途端にヴァライアさんの瞳がキラキラと輝き出す。
『瑠璃……美しい名じゃのう! お主の名も一文字入っておるな!
よし気に入った、これからは妾を瑠璃、と呼ぶのじゃぞ、璃心! 敬称を付けたら許さぬからな!』
嬉しそうに満面の笑顔で私の手を取り、はしゃぐヴァライアさん改め、瑠璃。
……めっちゃくちゃ可愛い!!!!
『こちらの名付けの儀式も無事に済んだのう……。
これで璃心を魔の手から護る手立てが出来たわ……』
突然、瑠璃が危険な微笑みを湛えてそう言った。
ええぇぇーー!!??
私また地雷を踏んだりなんかしてないよね!!??
お読み頂き、有り難うございました!




