第四十一話 海底神殿
「リコさん、貴女も僕と一緒にアーシェに呼び掛けて頂けませんか?」
海に入ろうという直前で、エリックさんが真剣な表情で私にそんな事を頼んで来る。
不思議に思った私が、コテンと首を傾げて彼を見つめると、エリックさんは切羽詰まったように私の手を取り言った。
「アーシェと最後に別れたあの日以来、どんなに座標設定しても海底神殿に辿り着く事は出来なかったんです。
僕がどんなに呼び掛けてもアーシェから反応が返って来ることもなかったですし……。
でも何故だか、貴女の声ならアーシェに届く気がするんです。確信は全くないですが……。
そのお優しい心根がアーシェに届いたなら、きっと彼女にも何か変化が起きる気がする。お願いです、リコさん」
涙すら浮かべて私の手をギュッと握るエリックさん。
……正直、私にそんな力があるとは思えないけど、アーシェさんを一番想っているエリックさんがそう言うなら私でもお役に立てる事があるかもしれない。
私だってアーシェさんに会いたいのだ。
呼び掛けることで道が開けるなら、協力は惜しまないつもり。
「解りました、エリックさん。お役に立てるかは解りませんけど……私も精一杯アーシェさんに呼び掛けてみますね」
ニコリと微笑んでそう言った私に、エリックさんは「ありがとう」と優しく微笑んでくれる。
そうして私達は波打ち際に立ち、祈るように両手を組んでアーシェさんに届くようにと頭の中で呼び掛けた。
アーシェさん、アーシェさん。
貴女の大好きなエリックさんがこんなに悲しんでいます。
私も貴女に逢いたい。逢って二人を幸せにしてあげたい。
アーシェさん、私ね、最近初めて恋を知ったばかりなの。
だけど、その気持ちは毎日毎日、どんどん大きくなって行くんだよ。
ねぇアーシェさん、人を好きになるって切ないね。時には自分でもどうにも出来ないくらい、爆発しそうになっちゃうね。
だけど、大切なその人の笑顔を見ることが出来るだけで、幸せな気持ちで満たされるよね。
貴女の大好きなエリックさんもまた、すごく辛そうにしているよ。
彼を心から笑顔に出来るのは、貴女だけだと思うから……。
ねぇ、アーシェさん。逢ってお話をしよう。彼の話を聞いてあげて。
私がそんな風に呼び掛けていると、ふと、頭に直接響くような綺麗な声が聞こえて来た。
『……あなたがエリックの婚約者なの? 私とエリックを引き裂こうとしているのはあなた……?』
そんな声に、私は閉じていた瞳を開けて周囲を見渡す。
「リコ?」
私達の少し後ろで心配そうに見守ってくれていたレオンが、そんな私の様子に気が付いて怪訝そうな表情で私の名を呼んだ。
「レオン、今、何か聞こえた?」
そう尋ねる私に、レオンはいや、と首を振る。
同様に私に視線を向けるエリックさんにも尋ねてみたけれど、彼にも何も聞こえていないようだ。
フォレスも同様に首を振っている。
……声の内容からして、間違いなくアーシェさんの声だと思うんだけど……。
今、私は彼女の声を弾く魔道具を身につけているから、声は届かないはず。
と、言うことは思念波、なのかな……?
「リコさん、何か聞こえたんですか?」
エリックさんが必死な表情で尋ねてくる。
……う~ん、まだ確信を得た訳じゃないし、もう少し話をしてから報告しようかな。
「ごめんなさい、エリックさん、空耳かもしれないから、もう少しだけ待って頂けますか?」
そう言うとエリックさんはガッカリしたような表情で俯いてしまう。
ちょっと罪悪感を感じちゃうけど、不確かなまま期待を持たせるより良いはず、と自分に言い聞かせて私は意識を集中する。
『……アーシェさん、かな? 初めまして。リコって言います。貴方に逢いに来ました』
意識の中でそう語りかけると、また声が聞こえて来る。
『……貴女がエリックの婚約者なの? 私からエリックを奪うの……?』
頭の中で、悲しみの感情が増幅する。
伝播するそのあまりの深い絶望に、私の瞳から思わず涙が零れ落ちる。
……なんだ、この切なすぎる感情。こんな感情、私はまだ知らない。
突然泣き出す私を見て、飛び出そうとするレオンをフォレスが止めている気配がする。
「もう少し待て、レオン。気持ちは解るが今は多分リコにしか何も出来ねぇ」
泣きながら振り返り、フォレスにコクっと頷き返す。
フォレスに羽交い絞めされている悲壮な表情のレオンが、リコ、と私の名を呼んでくれた。
……ありがとう、レオン。貴方が名前を呼んでくれるだけで、私また頑張れるよ。
『……違うよ、アーシェさん。私はエリックさんとは昨日会ったばかり。彼の事も優しい人だという事が解るだけで、何とも思っていないよ』
『だって、だってエリックが私の前に他の娘を連れて来ようとするなんて、婚約者以外有り得ないじゃない……!』
再び深い絶望が私の頭を包む。
気を失ってしまいそうな程の負の感情。
このままじゃマズい。意識を持って行かれてしまう。
……ええい、止むを得ん、ここはあの設定を使わせて頂こう!
『アーシェさん、私ね、こんなナリだけどさる国の王子なの。周囲を欺く為に女装なんてしているんだ』
……自らこの設定を語ることになるとは……。
絶対に認めたくなかったのに……。
ううっ、後でレオンに慰めてもらおう、そうしよう……。
『……王子? そんなに可愛い顔をして……?』
『さる組織から逃げる為に自分の持っているモノを利用しているだけ。それに言ったよね、私は恋をしているって。……けどそれはエリックさんじゃないよ』
『後ろの金髪? さっきから死にそうに切実な表情で貴女を見つめているけど……?』
『……そう。彼が私の大切な人。結ばれることは難しいけど、今は側にいられるだけで幸せだから……だから、アーシェさんの気持ちも少しは解るつもりだよ』
……うう、レオン、王子に恋される男設定にしてしまってごめんなさい……。
これは私が墓場まで抱えて行くので許して下さい……。
『ねぇ、アーシェさん。エリックさんと話をして欲しい。そんなに彼を想う貴女が、何故直接話すら聞くことなく拒絶しているの?』
そう問い掛ける私に、アーシェさんは少しだけ悲しみの念を和らげて言った。
『……来てくれれば解るわ。道を開くから、エリックも連れて、来て……』
その言葉を最後に、アーシェさんの思念波は消えてしまう。
安心した私は、ガクッとその場に膝を付いた。
……はぁぁ~~、アーシェさんの悲しみが深すぎて、ちょっとヤバかった……。
けど、あんな絶望から抜け出せない程に、アーシェさんはまだエリックさんの事を愛しているんだね。
これは早く二人の誤解を解いてあげたい、と、私は決意を新たにする。
「リコ、リコ……!」
馬鹿力のはずのフォレスの拘束を解き、砂浜に脚を取られる事もなくレオンが私に駆け寄って来た。
そしてそのまま、しゃがみ込んだ私を強い力でギュッと抱き締め、その麗しの瞳から涙を零す。
「どうしていつも君に頼ってしまうことになってしまうんだ! ボクは自分が恥ずかしい……!
君にはいつだって笑っていて欲しいのに……泣かせてごめん、リコ……!」
ああ、レオンこそ泣かないで。
私の涙はアーシェさんの悲しみに引き摺られただけだし……。
「レオン、貴方が泣いていたら、また私、悲しくなっちゃう。
……大丈夫、アーシェさんの悲しみに釣られてしまっただけだから。
道を開くからエリックさんを連れて来てって言ってくれたよ。
……だから、一緒に行こう、レオン。早くアーシェさんとエリックさんを逢わせてあげなきゃ」
ね? と優しくレオンの頭をポンポンと撫でる。
相変わらずこの髪の毛の手触りは最高ですね! 絹糸か何かで出来ているのでしょうか?
だけど、レオンはいつかのようにイヤイヤをする子どもみたいに私の肩口に顔を埋めて首を振っている。
拗ねている、というよりは私をとっても心配してくれているのは解るし、すごく嬉しいけど……。
今はお仕事中ですしね。早く行かないと。
なので、空魔法で言葉を包み、レオンにだけ届くようにそっと、その風のシャボン玉をレオンの耳元で破裂させた。
『心配してくれてありがとう、レオン。大好き!』
それがレオンに届いたのは間違いない。
ハッと顔を上げた彼は声は出さず……けれど、心の底から嬉しそうに微笑み、間近でそれを見ていた私にだけ解るようにこう言った。
『ボクも』
キャーーーー!!!!
ご褒美頂きましたーー!! 有り難うございます、レオン様!
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「エリックさん、アーシェさんが道を開いてくれるそうです。……行きましょう、アーシェさんが待っています」
レオンに抱き締められたまま、私はエリックさんにそう告げる。
……なんだかレオンは私を離す気が全くなさそうなんだもん。
恥ずかしいけど、そのままの状態で言うしかないじゃんか!
「……アーシェが、そう言ってくれたんですか……? 僕の声は届かなかったのに……」
すごくショックを受けている様子のエリックさん。
仕方がないよね、私は婚約者とは違うと理解してくれたみたいだけど、アーシェさんはまだ誤解したままだし……。
来れば解る、と言ったあの言葉。
どんな状況かは解らないけど、今は行くしかないんだ。
「……いずれにしても、アーシェに声が届いて良かったです。これで僕も彼女に直接話が出来る。リコさん、有り難うございます」
深々と頭を下げたエリックさんが再び頭を上げ、決意に満ちた格好良い男の人の表情で言った。
「アーシェと直接話が出来るなら、必ず誤解を解いて彼女を幸せにしてみせます。
レオン様、フォレス様、リコ様、海底神殿に行きましょう!」
その言葉に私たち三人は決意を込めて頷いた。
そうして、はぐれないように、と四人で手を繋ぎ──当たり前のように私の両脇はレオンとフォレスだったけど、私たちは静かに海の中に潜って行く。
エリックさんの言うように、この魔道具があれば水の中でも普通に息が出来るし、普通に海底を歩く事も出来る。
この世界の魔道具って本当に便利すぎるよね!
レオンとフォレスに両手を取られている為、間近で泳ぐお魚さんに触れることが出来ず、ぐぬ……と人知れず臍を噛みつつ、
神秘的な海中の光景に見惚れていた。
「このまま行けば海底神殿に着けるのですが……皆さま、水龍がいる筈です。お気を付けて」
エリックさんが真剣な表情で教えてくれた。
尚、息が出来るだけじゃなく、会話にも全く支障がありません。
……この魔道具、元の世界で使えたら革命が起きると思います……。
そうして辿り着いた海底神殿。
ローザさんから話を聞いていた通り、柱も床も天井も蒼水晶で出来ており、青い海の中にあってもなお、その透明度は他を圧する程の煌めきを放っている。
周囲には神殿内部に戻りたそうにしている魔物も多数いたけど、何かに弾かれて入る事は出来ずにいるみたいだ。
そして魔物たちも、心配そうに神殿の前に屯っているだけで、私達に襲いかかる気配は全くない。
魔物は悪、と私も認識していたけど、どうもそういうものでもなさそうだな。
外見こそおっそろしい姿だけど、その瞳には慕う者を心配するような色が浮かんでいるもの。
……きっとアーシェさんなんだろう。
彼らの為にも、早くアーシェさんを悲しみから解放してあげなくちゃね!
「……本当に美しい場所だね、ここは……。夢みたいだ……」
当然のように私の手を取り、神殿の内部を歩きながらレオンが呟く。
「……これが全部氷砂糖だったら、俺、幸せで死ねる……」
……フォレスさんや、貴方も当然みたいな表情で私の手を取って歩いてますけど、その感想は残念すぎますからね!?
「この先の大広間にアーシェと……水龍がいるはずです」
緊張した表情のエリックさん。
なんだか貴方が一番まともな気がしちゃうのは気のせいではないですよね、きっと!
そうして辿り着いた大広間。
空のように高い場所にある天井、それを支えるキラキラと光る、美しい彫刻が施された巨大な蒼水晶の柱の群れ。
透明度の高い蒼水晶で出来た床の下ではお魚さんたちが優雅に泳いでいて、まるで空の上を歩いているような気持ちになる。
感嘆する程に広い、広いその大広間の中心部に
──大きな水龍が、険呑な雰囲気を纏わせ、背後の何かを護るように立ち塞がっていた。
『性懲りもなくまた来おったか、人間!
妾に食い殺されても良いとの決意を持って来たのだろうな!?』
顔の回りを蒼く透き通った鰓で覆われ、耳の辺りまで大きく開いた口から水とも氷ともつかないブレスを吐きながら私達を威嚇する水龍。
蛇のような体躯に立派な前足を備え、長い尻尾はとぐろを巻くように神殿の床を覆っている。
爛々と紅く輝くその瞳は真っ直ぐにエリックさんを見据え、今にも襲いかかって来そうな危険な雰囲気だ。
「……リコ」
レオンに言われるより前に展開していた私のザル心眼。
その回りには青と黄色の星印が確認出来る。
■ヴァライア
■水龍
■触るな危険
心眼スキルぅぅぅぅーーーー!!!!
もはや何の役にも立ってないよ、馬鹿ぁぁーー!!
「……氷と聖魔法適性……触るな危険……」
それでも、得たその情報は共有せざるを得なく……。
残念な気持ちそのままに俯いて呟いた私の言葉に、ブッ、と案の定フォレスが噴き出した。
「こんな時くらいどうにかなんねぇのかよ、お前のスキルは!?」
さすがに爆笑するのは控えたらしいけど、笑いは噛み殺せていませんからね!?
「リコ、名前は解る? ドラゴンは、その真名を告げるだけで交渉の余地を持って貰える場合があるんだ。名前さえ解ればボクが交渉の場に立つから……」
私の手を一層力強くギュッと握り、レオンが真剣な表情で尋ねる。
「ヴァライア……」
私が呟いたその瞬間。
『ほぅ、我が真名を知る人間とは久しいの……。
良いだろう、お前にのみ、妾との対話を許してやろう。そこな人間、その忌々しい男から離れ、妾の前に進み出よ』
ギャアアアアーーーー!!??
何故だかまたしても交渉役にご指名されちゃいましたぁぁーー!!
私、本当に頭は良くないので自信はないんですけど……。
「……ごめんリコ、また君に頼らなきゃいけないみたいだ……。
龍の指名となれば仕方が無い。君の事は必ず守るから……頼む、リコ」
レオンがまた泣きそうな表情で私を見据えてそう言う。
やめてよもう! 私だって悲しそうなレオンの表情なんて見たくないんだから!
「戻ったら君に聞いて欲しいことがある。どんな危険からだって、君は必ず守るから。……リコ、今は君にしか、頼めない」
私の手を握ったままのレオンの手に、グッと力が込められた。
「……気にしないでレオン。この為に私は来たの。貴方を危険になんか晒さない。
フォレスとエリックさんをお願いね、レオン」
レオンを安心させるようにニコリと微笑み、軽く頷いて私はそっとレオンから手を離した。
振り返れば、圧倒的な威圧感を放つ大きな、大きな龍。
ゲームの世界では割とお馴染みだけどさぁ……実物マジ怖い。本当はちょっと泣きそうなんだけど……。
ここで怯んでいたら格好がつかないもんね! ええい、女は度胸!
……黒リコさん、GO!
「水龍・ヴァライア。高貴なる御身との対話が許されとても光栄です。
願わくばその怒りを解き、この海とサウスの平穏を貴方自身が望んでくれますように……。
この対話がその手助けになるよう努めますね」
精一杯平気なフリをしながら、私は一歩、水龍に向けて、踏み出した。
……ねぇ、今回はあの残念淫魔みたいに残念な結果にするのはやめてよね……!?
お読み頂き、有り難うございました!




