ホビアル、再び18歳ッス
「ふん、ふんッ、ふぅんッ!!」
ホビアルは皮張りの台の上でベンチプレスを行っていた。
時刻はすでに日が落ちている。辺りは真っ暗で家から洩れる光だけがぽつぽつとホタルのように灯っていた。
ここは友人であるアモルの実家にあるトレーニングルームだ。とても広く二〇人ほど入っても余裕のある空間である。部屋の明かりは白熱灯で照らされていた。電力は屋外にある水力発電のおかげである。
アモルの両親は筋肉トレーニングが趣味であった。
父親のシンセロは人間で、アモルと同じ女性に近い容姿だった。そのため筋肉に固執していたのだ。
母親のフエルサはゴリラの亜人だった。人間では持ち上げられないダンベルをホイホイ上げていたという。
そんな夫婦だがベッドではシンセロが絶対君主として降臨していたそうだ。アモルにとっては知りたくない情報だったが。
アモルも男らしくなりたくて毎日鍛えているし、居候であるフエルテも同じだ。
最近はオンゴ村から来た村長の娘ヘンティルも一緒に体を鍛えている。
ヘンティルはベニテングダケの亜人だ。一見筋肉モリモリの大男に見えるが女性である。のどぼとけはないし、股をすぼめることもしない。声は野太いので男と間違えやすいのが難点だ。
キノコの亜人は特殊で、食用キノコだと男性らしい女性だ。逆に毒キノコだと女性らしく見えて中身は男なのである。
ベニテングダケはその中で珍しいキノコだ。毒々しい赤い傘を持つ毒キノコだが致死量は意外に低い。食べ方によっては美味とも呼ばれるのだ。
それ故にベニテングダケの亜人は他と違い、性別が一定しないのである。
さてホビアルたちの筋肉トレーニングだが、戦うための筋肉ではない。いや、戦いにまったく関係ないわけではないのだ。ホビアルは血液に関するスキルを持っている。脂肪を減らし、皮一枚になるまで鍛える必要があるのだ。
そうすることで血管が浮き出てスキルを発動しやすくなるメリットがあるのだ。
ホビアルたちはまず部屋の中を五分ほど軽く走った。有酸素運動のためである。
その後に高負荷の筋トレを行い、最後に有酸素運動を行うのだ。
脂肪を消化するには重いウェイトを使ってやるのが一番である。
だが人は慣れてしまうと筋肉がつかなくなってしまうのだ。だから普段より高負荷のトレーニングを行うことで身体が刺激され、脂肪が燃焼されるのである。
ホビアルのベンチプレスはまさにそれだ。以前では軽いものだったが、徐々にウェイトが増えているのである。
さらに彼女が行っているのはレストポーズ法と呼ばれるものだ。
具体的に書けば八レップ《回数》をマックスで行うものとし、ベンチプレスで八レップできるぎりぎりの重量をセットするのだ。
一セット目はぎりぎりできる回数であろう。だが二セット目はきつくなる。
なので六レップ後に二~三〇秒の休憩を挟み、残りの二レップを行うのだ。
三セット目は四レップ目に休憩を挟む。そしてまた四レップを行うのである。
レストポーズ法は筋肉を休ませずに追い込む方法だ。休憩が長いと意味がなくなるのが問題だが。
「あらあら、ホビアルさんは頑張るわねぇ。あたしには真似できないわ」
ヘンティルだ。キノコの亜人は肌が白い。皮膚が弱いので日焼け止めが欠かせないのだ。
ランニングにホットパンツを穿いている。
「あんまり鍛えすぎると筋肉が壊れますからほどほどにね」
アモルがタオルで汗をふきながら冷えた豆乳を飲んでいる。髪を後ろにまとめ、ホットパンツを穿いているが、上半身は裸だ。ウエストは引き締まっており、膨らんだ大胸筋はまるで女性の乳房に見えた。遠目で見れば女性と間違っても不思議ではない。
逆に近くで見れば男だとわかるが、女性に近い顔立ちなのでジロジロ見るのはためらわれるだろう。
「アモルさん。上着を身に付けなさいな。いくら女の子しかいないからといって恥ずかしくないのかしら」
「私は男です。もろ肌を見せても恥じらう必要はありませんから」
アモルははっきりと否定する。少々ハスキーだが女性と間違えられやすい声である。
「ふん、ふんッ、ふぅんッ!」
ホビアルはベンチプレスを無我夢中でしていた。その様子を見て二人はふぅっとため息をついた。
「肉を鍛える楽しさは理解できますけど、やりすぎはよくないわねぇ。スクワット百回を三セット。それだけでなく腹筋に背筋も同じメニューをこなしている。それでもやり足りないと思っているみたいね」
「言っても無駄なんですよね。一度筋トレを始めると泡を吹くまでやめないんですよ。オーバーワークで逆に筋肉が壊れちゃうのに」
「昔のあたしにそっくりだわ。筋肉のためにオイルダイエットをして、飴玉ひとつのカロリーすら嫌がったものよ」
ヘンティルはしみじみとつぶやいた。
☆
「ホビ姐、ティル姐!!」
部屋に一匹のゴリラが入ってきた。正確にはゴリラの亜人である。
名前はアミスター。友情という意味が込められていた。アモルと八歳年下の弟である。
アミスターはトレーニングを終えたホビアルに抱きついた。ホビアルの割れた腹筋に頬ずりをする。
「うわぁ、ホビ姐の腹筋ごつごつして気持ちいい~~~!!
こんな固いけどほどよい柔らかさのある筋肉は見たことないよ~~~!!」
アミスターは心の底から筋肉を愛していた。それをホビアルは微笑ましく見下ろしていた。
「これこれ、アミ坊。自分は筋トレを終えたばかりで汗臭いッスよ? シャワーを浴びてきたら思いっきり抱いてもいいッスよ」
「というかいきなり女の子に抱きつくのは問題だと思うわよ」
ヘンティルがたしなめた。するとアミスターはヘンティルの腹筋に抱きついた。
「うわぁ、ティル姐の腹筋も最高だ~~~!!
肌が真っ白で大理石みたいな感触だよ~~~!!」
ホビアルと同じように腹筋に顔をこすりつけていた。
ヘンティルはあまりの恥ずかしさに頬を染めている。
「アミスター!! いきなり女性に抱きつくのはやめなさい!!
親しき中にも礼儀ありですよ。それに子供だからと言って甘えてはいけません!!」
見かねた兄は弟を叱咤する。だがちっちゃなゴリラは美しい兄を睨みつけた。
「うるさい、オカマ野郎!! お前なんかに注意されたくない!!」
血の繋がる兄弟のセリフとは思えなかった。あまりの口汚さに一同は目を丸くする。
「これこれ、アミ坊。アモルに対して口が過ぎるッスよ。
それにアモルはオカマじゃないッス。女を超越した男。男の娘ッス」
「いや、私は男の娘じゃないです。変なこと教えないで!!」
アモルが抗議をするがアミスターは兄に対して罵詈雑言を並べ立てた。
「うるさい、うるさい! うるさい!!
ボクはお前のおかげでいじめられているんだ。男なのに女に見えるなんておかしいって。
ボクのお兄ちゃんはフエ兄だけだ! お前みたいな奴はお兄ちゃんじゃないやい!!」
アミスターはヘンティルから離れるとアモルの後ろに回り、両手の人差し指を合わせる。そして尻に向かって突き刺したのだ。
「浣腸!!」
「ひゃあ!!」
アモルは声が出た。まるで乙女だ。アモルは肛門に手を当て抑えている。
「こっ、こら!! アミスター、いい加減になさい!!」
アモルは叱るがアミスターは涙目になりつつも、必死に言葉を吐き出す。
「お前なんかお兄ちゃんじゃないや!!」
アミスターは捨て台詞を吐いて部屋を出て行った。
アモルたちはしばらく言葉を発することができなかった。
「うーん。アミ坊は元気いっぱいッスね。でもアモルに対する口の利き方がなっていないッス」
「そうよねぇ。わたくしにも妹はいますが、あんな舐めた口をきいたらお仕置きするわね」
「……やっぱり両親がいないことが問題なのかもしれません」
二人の問いに答えるようにアモルはつぶやいた。
アモルとアミスターの両親はすでに亡くなっている。父親のシンセロが病死し、フエルサも後を追うように亡くなったのであった。
一応この屋敷はアモルが主だが、シンセロの兄弟も住んでいる。
メリノ種の亜人である執事で名前はコンシエルヘが代理を務めているのだ。
コンシエルヘはシンセロの弟だ。父親が人間で母親が羊の亜人だからだ。
彼も結婚して子供は複数いる。妻は蜂の亜人でアモルたちも自分の子供と同様に愛していた。
だが本当の母親には敵わない。どことなく寂しさを感じているのだろう。
寂しい以上にアミスターにとって兄アモルは頭の痛い人間であった。
人間であることは問題ではない。男のくせに女性に見えるのが問題なのだ。
もっともアミスター自身やんちゃで勉強が嫌いな性格だった。いじめられるのはその点にあるのだが本人は自分の非を認めず、兄のせいにしているのだ。
そのためか居候であるフエルテやヘンティル、アモルの友人であるホビアルに好意を抱いているのだ。
特にフエルテは男らしい筋肉の持ち主だ。理想の男は彼だと言わんばかりである。
「これもみんな私が男らしくないのが原因なのね。いくら工夫をしても女扱いされるし……」
アモルは沈んでいた。彼は丸刈りにしても女性と間違えられてしまうのだ。筋肉を鍛えてもますます女性に見えてしまう。そのせいで弟がいじめの対象になるなど罪悪感ばかりが増すのであった。
「でもアミ坊も悪いッス。同じクラスの女の子に意地悪したりして困らせているとジュディとプッチーがぼやいていたッス。
アモルがするべきことはきちんと話し合いをして納得させることッス。コンシエルヘさんの奥さんとも協力してきちんと躾けるのが大事ッス」
ホビアルの答えに二人は顔を合わせた。ホビアルは軽そうに見えて真相を突く発言をすることが多い。
「そうだね。アミスターを育てるのは私だけじゃない。この屋敷にいるみんなできちんと教育しないとね」
アモルはそう新たに決意を固めるのであった。
☆
ホビアルとヘンティルは客室で一緒に寝ていた。屋敷の部屋数は多く、アモルだけでなくコンシエルヘ一家の他に住み込みの弟子たちが住んでいる。
ヘンティルには妹でサシハリアリの亜人であるイノセンテがいるが、彼女は友達の家で泊まっているのだ。
ホビアルたちは寝巻に着替えている。ホビアルはピンク色のパジャマで、髪をナイトキャップでまとめていた。
ヘンティルは薄紫のネグリジェを着ている。髪の毛はタオルを白菜のように巻き付けていた。キノコの亜人の傘は髪の毛だ。成長することでキノコの傘のように作られていくのである。
部屋にはベッドが二台並べており、二人はベッドの上に座っていた。
「ふう、いいお湯だったッス。筋トレした後のお風呂は最高ッス」
「そうね。村では銭湯が主だったけど、家の中にあるお風呂もいいものね」
基本的にフエゴ教団では一般信者は銭湯を利用している。司祭クラスだと自宅に浴槽を持っている場合が多い。もしくは各村にある教会にも浴槽はある。
「でもキノコの亜人なのに出汁が出ないものッスね。舐めても味がしないッス」
「出汁なんか出ないわよ。それにわたくしはベニテングダケの亜人。寧ろ毒キノコが入った後が困りものになるわ」
実際キノコの亜人から出汁などでない。だが毒キノコ系だと気持ち悪がるので、ヘンティルはみんなが入った後にしている。ホビアルはまったく気にしていないが。
「アミ坊はちょっと問題ッスね。ヘンティルが入った残り湯を飲んでいたッス」
「そうね。垢まみれのお湯を飲んだらお腹を壊してしまうわ」
「もう壊したッス。風呂場を出たら速攻でトイレにこもったそうッス。フエルテが薬を飲ませて自分の部屋に連れて行ったッスよ」
アミスターはフエルテに懐いている。以前フエルテは司祭の杖になったがアモルと一緒に祝うことはなかった。逆にアモルがいないときに祝ったのである。
アミスターも最初はアモルを姉のように慕っていた。だが現在は反抗期であり、親代わりのアモルに悉く反発しているのだ。男なのに女神のように美しい兄を冷やかされるのがたまらないのである。
逆にフエルテを理想の兄貴として慕っている。そしてホビアルやヘンティルのような素晴らしい筋肉の持ち主を戦乙女のように崇拝しているのだ。筋肉を褒めたたえることで自信を男らしく見せたいという子供らしい心理である。
ちなみに司祭の杖とは司祭を守るために育成された異能力者である。大抵は両方とも十八歳になると試験を受けるのだ。合格した後司祭と共に猛毒の山に赴き、キングヘッドに報告するという儀式がある。
ホビアルは誕生日が早かったため試験を早めに受けられた。その後合格したのはいいものの、パートナーであるサビオが足を折ってしまい、治療のために延期したのだ。
その後はフエルテとアトレビドが合格した。そしてホビアルもサビオのケガが治った後猛毒の山で儀式を終えたのである。
もう一つ付け加えると司祭は必ず同年代の司祭の杖を連れていく必要はない。両親や親戚が代理で務める場合がある。ホビアルたちは三名とも同年代の司祭と一緒になった珍しいケースであった。
さあ寝るかと、電灯を消そうとした瞬間、屋敷内から轟音が響いた。ぱらぱらと埃が小雨のように落ちてくる。
一体何事だとホビアルたちは部屋を出た。音は一階の西側にある部屋からだ。そこにはフエルテとアモルの部屋がある。
ホビアルたちはドアからモクモクと煙が立ち上がる部屋に入った。
そこはめちゃくちゃになっていた。家具はすべて壊され、窓ガラスはすべて砕けていた。
ホビアルは部屋の主がどこにいるか見回している。そこで後ろから声をかけられた。
「ホビアル! ヘンティル! 大丈夫なの!!」
それはアモルだった。彼は水色と白の縞々のパジャマを着ていた。
「アモル! なんスかその色気のないパジャマは!! そんなんじゃフエルテは燃え上がらないッスよ!!」
ホビアルの的外れな指摘にアモルはイラついた。
「パジャマなんかどうでもよろしい! 問題はフエルテとアミスターです!! この部屋の散らばりように充満する火薬の臭い。おそらく爆弾を使用されたのでしょう」
さすがに火薬を扱う一族らしく、アモルは部屋の惨状を見抜いた。
そこに鳴き声が聞こえてくる。それは部屋の隅からであった。
ベッドを横に立て、バリケードのように設置されていた。
アモルが恐る恐る除くとそこには毛布が丸まっている。鳴き声はそこから聞こえてきたのだ。
ホビアルたちはベッドを取り除くと、毛布をほどいた。そこには身を丸くしたアミスターが泣きじゃくっていたのだ。
「アミスター!! 無事だったのね。でもフエルテはどこにいってしまったの!?」
アモルは弟の無事に安堵するも、部屋の主が不在なことに首を傾げていた。フエルテの性格からしてアミスターを見捨てて逃げるなどありえない。いったいどこにいってしまったのか?
その答えはアミスターが答えてくれた。
「フエ兄は、フエ兄はビッグヘッドに攫われちゃったんだ!!」




