外伝その3 サビオは度胸があるのです
「で、君は何がしたいのかね?」
船の上でふたりの子供がアカギツネの亜人の前に突き出されていた。男女二人組で、女の子の方はおどおどしているが、男の子は堂々としている。
アカギツネのアトムハート・クリムゾン中将は頭を悩ませていた。このままコミエンソに戻ることは不可能だからである。次の目的地はヒコ王国なので、そちらに降ろした方がよいと思った。
「先ほども言いましたよ、僕らをヒコ王国まで運んでほしいのです。お代はテンパで支払いますから」
そう言って男の子、サビオはポケットから札束を取り出した。数えてみるとコミエンソからヒコ王国までの乗船代二人分あった。サビオたちが今まで溜めた小遣い銭だ。ふたりとも無駄遣いをしないため、溜め込んでいたのである。
かといって軍艦を連絡船扱いされるのは勘弁だ。そもそも金があるならなぜそちらに行かないのか。子供たち、特にサビオの考えていることがよくわからない。
そこに女の子、ホビアルが震えるように小声でしゃべった。
「あっ、あの、わたしたち、ヒコ王国に、いきたいっす。そこにイエロお姉ちゃんがいる、っす」
「イエロ……? 君は鉄人コックの妹なのか?」
「いいえ、叔母です。ホビアルのお母さんの妹です。ちなみにラタ商会のラタさんは叔父さんですね」
サビオが補足した。アトムハートにとってプラタの仲間たちに個人的な感情はない。だが他の王国民が納得するとは思っていない。自分の部下たちはプラタに対して含むものはないし、身内を同行する気はないだろう。とはいえあまり堂々と名乗らせないよう約束させた。ホビアルは、こくんと無言で頷いた。
「ところでなぜ君たちはこの船に乗ったのかね。お金があるならそちらの船に乗ればよいだろう」
「だめです。僕たちは11歳ですから」
サビオが言った。レスレクシオン共和国では18歳以上で、司祭学校か教団学校に通っていない人間は船に乗せられないのだ。外の世界の勉強をしてから出ないと許可が下りないのである。
「それに僕は置手紙に陸路で行くと書いたんですよね。でも、お父さんには通用しなかったようです」
彼はけらけら笑っていた。彼らは朝日が昇る前に家を出たという。その際に置手紙を描いた。
『自分たちはヒコ王国に行きます。乗合馬車を利用して向かう予定です』と書いたそうだ。
もちろん嘘である。サビオは最初から妖精王国海軍のビッグヘッドシップであり軍艦のシュガーベイブ号を利用する予定だった。
11歳くらいではまだ外の情報は開示されていないのだが、サビオはこっそりと調べていたのである。
そして妖精王国の軍艦は入港したら最低でも3日以上は宿木島を離れないこと、そして次はヒコ王国へ向かうことも理解しているのだ。
ろくな鉱物もない妖精王国はシュガーベイブ号から得られる涙鉱石は貴重な輸出品である。薬品や工業品など精錬されているが、それも涙鉱石あってこそだ。
そのためアトムハートは軍人ではなく、商人だと揶揄されていた。
「ヒコ王国にはフエゴ教団の教会があります。あそこを治めているのは僕の祖父なんですよ。会ったら大目玉を喰らうのは間違いないですね。あはは」
サビオは明るく振舞っているが、ホビアルは不安そうであった。
アトムハートはサビオに対して不快感をあらわにした。確かに彼は賢いが、小賢しいと言ったところだ。それにどこか大人の癇に障るようなしゃべりかたをしている。自分はそれくらいでは怒ることはないが、馬鹿な大人は子供に侮辱されると子供以上に激怒する場合もある。
サビオは勉強よりも道徳や礼儀をしっかり学ばせるべきだと、心の中で思った。
☆
「ここがヒコ王国か。魚の匂いがぷんぷんするね」
数日後、シュガーベイブ号はヒコ王国の港に入港した。結果的にふたりはヒコ王国まで連れてこられたのである。無線電報で返事を返しておいたので、もうじき迎えが来るだろう。
その前にアトムハートはホビアルに聞きたいことがあった。
「ホビアルちゃん。イエロお姉ちゃんはとっても優しい人だったのかしら?」
どういう人間かと尋ねたら、軍人だから何か情報を得たいのかと思われるだろう。ここで優しい人と訊くことで警戒心を解くのだ。他愛ない話でもそこからイエロの人物像が少しでも浮かび上がるのである。
「うん。優しい……っす。鉄の身体になっても、とっても温かいっす」
ぼそぼそとホビアルが答えた。どこか目が優しくなっている。在りし日の彼女を思い出したのだろう。しかし、どこか目がうるうるしてきた。
「でも、お姉ちゃんはいなくなっちゃった……。わたしが悪い子だから、消えちゃったのかな……」
「……。いや、よい子でもいなくなる可能性はある」
アトムハートの言葉にホビアルが反応した。
「大切な人だからこそ、遠ざけねばならないときがある。私も子供がいるが昔はよく分家の親戚に命を狙われたことがあったな。嫁の私より弱い息子を狙おうとしたが、返り討ちにしたよ。あまりにしつこいので無人島に家庭教師とメイドと一緒に住ませていたな」
クリムゾン家の分家は動物系の亜人が家に入ることを嫌った。夫は守ってくれるが、ダブルである息子を執拗に狙っていた。ビヨンド大佐が作った教育島でその手の貴族の子供たちを集めていたのだ。もちろん殺害を狙った親戚は証拠をそろえて刑務所に収容させた。
「イエロにとってホビアルは大切な人だ。嫌いならば殺すか捨てるかのどちらかだね。貴族が下女に子供を作らせた場合、まさにそれだからな」
子供にしていい話ではないが、アトムハートはきちんと説明すべきだと思った。子供は言外の含みを理解できない。きちんと言葉を示さなければ納得できないと判断した。
ホビアルはショックを受けたのか、ぶるぶる震えていた。薬が効きすぎたかと、彼女は反省する。
さてヒコ王国はかつてポルトガルと呼ばれた国だ。二百年前の建物はそのまま流用していた。初代国王ヴェンセドル一世は成人でありながら、シャチの亜人に変貌し、国を治めた人物だ。大半は魚人たちが目立つ。目は丸く、鱗にまみれているが、鱗は体毛が変化したものだ。えら呼吸もできない。海女のように長時間潜水できるが、魚のようには泳げない。
人魚もいるが、人魚症という、生まれつき両足がくっついた症状が進化したものだ。こちらは下半身が鱗に覆われ、足はひれができており、泳ぎはそれなりに得意である。
サビオは好奇心旺盛で街を眺めていた。彼は幼い頃から図鑑を読んでおり、ヒコ王国の内情を知っていた。初めて見る魚人や人魚に興奮を隠せずにいる。
ホビアルは終始怯えていた。人間と亜人は見た事はあるが、魚人たちは初めて見たので怖がっている。
それを通行人の魚人が見て、絡んできた。
「おい人間のガキ!! そんなに魚人が珍しいかよ、俺たちが嫌いなら人間の国に帰れ、帰れよ!!」
いきなり恫喝してきた。ハオコゼの魚人だ。ハオコゼとはカサゴ目ハオコゼ科の海水魚だ。磯のアマモなどの海草の間にすんでおり、全長7センチくらいで、うろこはほとんどない。背びれに毒のとげがある毒魚だ。
小柄で癇癪を起こしそうな雰囲気を持っていた。
ホビアルは泣きそうな顔になる。ハオコゼはそれを見てにやりと笑った。さらに言葉を畳みかけようとする。
「お前、調子に乗るなよ?」
ハオコゼの首が絞められた。それはアトムハートの尻尾である。彼女は尻尾を自在に操ることができるのだ。首を絞められ、言葉が出ない。じたばた暴れていた。
「年端のいかない子供をいじめるやつはクズだ。私は妖精王国出身だが、お前みたいな弱い者いじめしかできないやつは、人から嫌われていることを自覚することだな」
そう言ってハオコゼを近くの壁に叩き付けた。ぐえっとカエルが潰れたような情けない声を上げる。
ぐったりと気絶した。側にいた通行人はアトムハートに声をかける。さんまの魚人だ。
「えっへっへ。妖精王国の軍人様。こいつはあっしらにおまかせください。いつも弱い者いじめばかりして、でかい声を上げる、嫌われ者ですぜ。兵士が来てもあっしらが証言いたします。なあみんな!」
おう、と周囲の魚人たちが同意した。よほどハオコゼは嫌われているようである。
ホビアルはサビオの背に隠れてしまった。彼は怯える彼女を優しく抱く。
そこに別の怒声が上がった。斧や木槌を持った魚人たちが現れる。
「フォ―――!! 人間どもめ、よくも俺たちの兄弟をいたぶってくれたなぁ―――!! ぶっ殺してやるぅ!!」
クサフグやキタマクラの魚人たちだ。常人より体が大きく、丸い。キタマクラはフグの仲間でどちらも皮膚に毒を持つ種類だ。毒を持つ形態だと気が短く、毒舌な性質が多いのである。
「お前たち、あんまり調子に乗らないことだ。私の尻尾は一本だけだが一般人を相手になら難なくあしらえるぞ」
アトムハートは余裕を崩さない。しかしクサフグは興奮しきっている。ハオコゼが人間によって斃されたことで切れているのだ。実際はアカギツネの亜人のせいだが、彼らはサビオたちのせいだと思い込んでいる。
「殺すぅぅぅ!! プラタは今留守なんだ、人間どもを王国から追い出してやるんだぁぁぁ!! げへへへへ!! 俺たちは偉大な魚人なんだ、だから人間を自由に殺していいんだよ!!」
クサフグたちは狂ったように笑い続けた。目はぎらつかせており、口からよだれをだらだらたらしている。周囲の魚人たちは非難して離れていた。
クサフグは丸くなっているサビオたちに向かって、斧を振り下ろした。
アトムハートは一瞬の隙を突かれてしまい、対応が遅れる。
ホビアルは猫のように丸くなっており、サビオはそれを覆いかぶさる形だ。
斧は小さなふたりをあっさりとミンチに変えるはずだった。
ところがサビオは寸手で、斧を止めてしまった。手には青白い火花が散っている。
「僕のお母さんはデンキウナギの亜人なんだよね。でお父さんはグレート・ピレニーズの亜人なんだ。なのに生まれた僕は人間なんだ。そのせいで僕はウナギイヌの子供と馬鹿にされ、いじめられていたんだ。けど、それがいい。無責任な噂をしてくれたことが素晴らしいんだよ。おかげで僕にもデンキウナギの特色を得られたんだからね」
斧から電気が流れ、クサフグの魚人は感電した。バチバチと身体に走り、焦げた臭いがする。口から灰色の煙を吐き、クサフグは倒れた。
「ぐぐぐ、ぐおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
キタマクラの魚人たちはそれを見て逆上した。さらにサビオを殺そうとしたが、突如空から何かが飛んできた。
彼らは何かに殴られたのか、吹き飛んで地面に倒れる。全員泡を吹いていた。
それは人魚だった。下半身は金色の鱗で輝く人魚だった。
「まったく、腐れ外道がいるとヒコ王国の品格が疑われるわね。こんな可愛らしい子供たちに手を下す馬鹿は痛めつけないと反省しませんもの」
その様子は威風堂々とした格好であった。十代後半の女性らしいが、どこか気品があり、お姫様のような雰囲気がある。
その人魚はサビオにくるりと向いた。
「初めまして。私はオウロ。ようこそヒコ王国へ」




