●第二話
今日もカグヤつきの侍女、カレッサは胃痛に悩まされていた。
カグヤがお見合いをするようになってからというもの、カレッサに「平穏」という言葉はないに等しい。
カレッサ・ミルゴ、来年はれて三十歳を迎える。
まだその年では早いのに、彼女のこげ茶色の髪には白髪が見え始めていた。
そのカレッサの目の前では、いま、まさにお見合いが始まっていた。
カグヤの今日のお相手は、モリウス・シュレク。由緒ある伯爵家の当主である。
御年五十五。ロマンスグレーの穏やかな紳士モリウスは、これまでに二度の離婚歴がある。
だが、別れた原因は二度とも元妻の不倫であった。
モリウスに罪はない。いたって健全で陽気なおじさまである。
だがカグヤはモリウスの経歴を見、彼本人と対面した直後に言い放った。
「三十年前にきてください」
モリウスは、決して醜くはない。だが、美男子というわけでもなかった。
せめて若さがあればということなのだろう。
カグヤの好みを知り尽くしているカレッサは、そう理解した。
カグヤが言っていることは、「おとといきやがれ」とおなじことだった。
だが、モリウスに理解できるはずもない。なにしろ魔力がすべて、それが当然の世界で生きてきたのだ。いや、カグヤだけが、カグヤの価値観だけが異質なのである。
(ああ、せっかくレイディス女王さまが選りすぐってくださったというのに)
カレッサは、モリウスに心から同情した。
しかしそこは年の功。モリウスもただでは引き下がらなかった。
「ああ、外見ならばいくらでもどうとでもなります。なんでしたらこれからカグヤさまのために、常に三十年若くいるようにいたしましょう」
「魔力なしでお願いします」
「わ、私の家にはそれはもう巨大な書庫がありましてな」
「お帰りください」
モリウスは撃沈した。
自慢の魔力が通用しないなんて、五十五年間生きてきて初めてのことだった。
とぼとぼとモリウスが部屋を出て行ってから、カグヤははぁっとため息をついた。
「屈辱だわ」
「いえ、モリウスさまのほうが屈辱だったかと」
恐る恐るカレッサは口を出してみる。
だが、それもカグヤの不機嫌さに拍車をかけただけだった。
「お母さまは本当にお見合い相手を選んでくださっているのかしら。手当たり次第お見合いをさせているだけでは?」
「そんなことはありません」
そうきっぱりと言い切ったのは、もちろんカレッサではなかった。
モリウスと入れ替わりに入ってきたのは、レイディス女王その人だった。
今日も今日とてその冷たい美貌は鉄面皮のままで、表情を読み取ることはできない。
「あらお母さま、ごきげんよう。ちょうどいま、今日のぶんのお見合いが終わったところです」
「そのようですね。今日もいままでと同様追い返したようですが」
ああ、今日も始まるのか。
レイディス女王について入ってきた侍女とカレッサとが、同時にお腹を押さえた。ふたりとも恒例の胃痛が始まったのである。なにを隠そう、レイディス女王つきの侍女、アガサ・セイランも胃痛の持ち主であった。カレッサほどではなかったが。
「カグヤ。お見合いをはじめてからこの一週間、あなたは実に二十一人もの殿方の求婚をお断りしてきましたね」
「そのようですね」
「一日に三人お見合いのセッティングをして、そのつどお断りを。なにがそんなに不満なのですか?」
「どのお方も『いいな』と思えません」
「参考までに聞きますが、あなたが『いいな』と思う条件はなんですか?」
「お聞きになりたいですか?」
「本当は聞きたくなんかありません。ですが、これではお見合いの場を設けてもらちがあきません。少しでも改善したいから、聞きたくもない質問をしているのです」
口では母に勝てない。
だからせめて、正直に答えた。
「見た目がそこそこによくて、魔力もそこそこにあって、読書が好きで、さっそうと馬に乗ることができて、剣術も得意で、お姫様抱っこができるほど体力があって、一緒にスイーツを食べたりもできるくらいスイーツが好きで、転びそうになったらすぐに支えてくれ『大丈夫ですか』と微笑みかけてくれ、わたしと同じくらいの年齢で、不器用でも優しい、普段は硬派でもその実茶目っ気があり、女心がわかっている殿方がいいなと思います」
「ふ」
ふざけんなと言いたいのを、恐らくレイディス女王はこらえたのだろう。
だが本心を告白したカグヤには、残念ながら伝わらなかった。
「お母さまがお笑いになるだなんて、今日は雪が降るのかしら。こんなに暑いのに」
「笑ったわけではありません」
まじめにそう答えてから、レイディス女王は命じた。
「カグヤ。この際その条件はあきらめなさい」
「なぜですか? この条件でなければ、恋に落ちる自信がありません」
「そもそも恋には自然と落ちるものです。条件がありきではありません。それが現実というもの、本当の恋というものなのです」
それが現実、と言われると、父と恋をしたことのある母の言うことを覆すことはできない。またもカグヤが言い負ける番だった。
ちょっとしょんぼりするカグヤを、レイディス女王は見過ごすことができなかった。長年甘やかしてきた副作用である。
ここで女王は温情を出した。
「では、せめて殿方たちにもチャンスをさしあげなさい」
「チャンス、ですか?」
「ええ。殿方たちに条件を出すのです。その条件を見事クリアしたら、その殿方と結婚するとお触れを出すのです。それならカグヤ、あなたもあきらめがつくでしょう」
「そう、ですね」
まだ不服だったが、カグヤはしぶしぶ折れた。
レイディス女王は、心持ち優しい声色になった。カグヤがちいさなころのように。魔力がないと周囲に奇異の目で見られ、傷ついていたカグヤに接していたときのように。
「いまからでも恋に落ちることをあきらめてはなりません。結婚してからでも旦那さまを好きになることも可能なのですよ」
レイディス女王もひとりの母であった。
「そういうものでしょうか」
「そういうものです。結婚してしまえばこっちのもの。自分の思うように夫を育てるのも楽しいですよ」
ひとりの母ではあったが、少々あやしい知識を娘に与えていることに本人は気づいていない。
これも娘を思いすぎるあまりである。
「わかりました。殿方に条件をお出しすることにいたします」
カグヤはそう約束し、レイディス女王は去っていった。
そして、その日の夜。
魔法大国アルオーンの空に、魔法映像があらわれた。
カグヤつきの侍女、カレッサによるもので、カグヤの命令であった。
映像はすべて文字であり、「わが夫になる条件といたしまして」と始まっていた。
『わが夫になる条件といたしまして、わがアルオーン城の門前にあります魔法神アルイーシャの像を破壊していただきたく存じます。方法は魔力でも力技でも、なんでもかまいません。見事果たすことができましたら、その男性を結婚相手として認め、婚姻を結ぶことを誓います。
カグヤ・ラスティス』
この魔法映像を出現させたあと、カレッサはしばらくひどい胃痛でうんうんベッドでうなっていたという。