唐問答 ―The MOROKOSHI mondo(questions)―
今はむかし、仁和寺なる僧の道を行き給ふに、八つばかりなる童に会ひぬ。
僧に問ひ申すやう、「日の入る所と唐といづれか遠き」。
僧のいらへ給ふ、「日の入る所は遠し、唐は近し」と。
童の得心せずとて申すやう、「日の入る所はわが目に見ゆ。唐は未だ見ず。されば日の入る所は近し、唐は遠しと思ふ」。
僧、気色悪しくして「かつて遣唐使といふものなむありけり。今に聞こゆる弘法大師、伝教大師は言ふに及ばず、あまたの僧や博士の渡り給ひける。されど日の入る所へ渡りし者は居らず、見聞し帰りし者もまたなりと覚ゆ。極楽浄土の有様は阿弥陀経、無量寿経の目の当りに説き給ひければ、日の入る所の有様は未だ知ること能はず。然らば日の入る所は極楽浄土よりも遠かるべし」と言ひ給ふ。
童の重ねて問ふには「上人の宣へることわりもさなめり。さは、極楽浄土と地獄といづれかとほき」。
僧いよいよいまいましくぞ思ひけれど、いらへ難し。「とくとく教へ給へ」と申すこの童をば、ひとへにねめつくばかりなり。
さてこの問答を聞きしもののうちに、見目いやしげなる商人様の男あり。
男のさのさと進み出でて、「御坊にはいらふべくもあらず、いざ我が教えて進ぜう」とて、率て去ぬ。
人々うはぐみて「あれは三庄大夫と申す人商人なり。丹後なる己が館へ子らを取り率ては鞭を振るひて牛馬の如く使ふとか。あなあはれなり」などと申し合ふ。
僧これを聞きて、「生き地獄と言ふ言葉こそあれ、生き浄土とはなかるべし。しからば地獄は近し、浄土は遠しとなむ覚ゆ」と独りごちて、一つ屁を放てり。
理屈をこねる童、大人げない仁和寺の坊さん。
まぁどっちもどっち、ちゅうことでっしゃろな。
見目いやしげなる男として、山椒大夫(作中では三庄大夫)にも登場頂いた次第。
なおこの話は宇治拾遺物語巻第十二「八歳の童、孔子問答の事」を下敷きに書いています。題のとおり、童と問答をするのは孔子、そして童の理屈に孔子も市井の人々も感心するといった筋立てになっています。
一度現代語訳し、あらすじを組み直し、それを「現代語から古語を引く辞典」を用いて擬古文にしました。
原文はこれ以上に短い作品なので、ぜひ読んでみて下さい。
それでは次回、京都のどこかでまたお会いしましょう。
(平成28年3月1日脱稿)
<追記>
人の手を介して、当作品を某所にも投稿してみてもらうことにしました。
如何なる反応やあらん。