対話
その日から彼女たちは毎週僕が天体観測に訪れるたびにそこにいた。まるで本当に僕を待っているかのように、必ず僕より先に丘の上にいる。でも嫌だとは思わなかった。むしろ「ああ、今週も会えた」と思い始めていたぐらいだ。
腰を下せば先週の続きから始まる会話が楽しい。すでにこの丘は静寂の中で頭の中を空っぽにしていた心地良さとはまた違う、暖かな充実感が得られる場所になっていた。
彼女らが聞いてくる質問に僕が答える。その答えを聞いて興味のある話題に話が流れていく。そうしてお互いに新しい考え方を見つけては疑問が生まれ、またその疑問に僕が答えていく。とても楽しい時間だ。
だが相手が彼女たちだからこんなにも心地よいのかと思えば、きっとそれは頷けるわけではなくて、大雑把な自己分析の結果、僕は他人と会話していること自体に喜びを感じているのかもしれないという結論に至った。たいして友人が多いわけではないことで、普段会話する相手なんて家族か教授ぐらいのもの。そんな僕に彼女らは僕自身が本来は会話好きである、という事実に気付かせてくれた。
「誰かとこうして話をするって、素敵な事ですよ。たとえそれが好いていない相手だとしても、時間が無駄だと感じても、言葉を交わすことで得られる充実感は必ずそこに在ると思います。だから私はお喋りするのが好きなんです」
「わたしもー!」
特別盛り上がるような話をする必要なんてないと彼女は言う。その言葉に小さな納得を一つ得た。僕が今まで会話を苦手に、そして遠く感じていたのは相手が好ましい反応を示してくれるにはどんな会話をすれば良いのかを考えてしまっていたからだ、ということに気付いたんだ。
「本当にどうでもいいことでも良いのかな?」
「あたりまえじゃん!」
返事をしたのは妹の方だった。彼女はにんまりと笑みを絶やさないまま僕を見つめている。僕は彼女の曇りのない瞳に吸い込まれてしまいそうな魅力を感じると共に、どこまでも落ちてしまいそうな暗闇を見た。
「おねーちゃんも言ったけど、お話すること自体に意味があるの。だからテキトウな会話をして、仮に相手が怒ったりしてもそれは一種の会話なの。無駄なんかじゃないの。意味はあるの」
まだ幼く見える少女の口から出たとは思えない言葉。そしてその言葉が持つ重さ。彼女の強烈な視線は僕の目がそれるのを許さなかった。
「わたしだってまだまだ経験が不足してるけど、少なくともおにーちゃんよりはコミュニケーション力はあるつもり。だって逃げないもん」
隣にいる姉は困ったような表情をしつつも彼女を止めるような様子はない。恐らく同意見なのだろう。
例えるなら金縛りのような感覚か。まるで石化したかのように体が動かないけれど、それでもやはり僕の胸の内に恐怖は無い。
胸に引っかかるのは彼女の最後の「だって逃げないもん」という一言だ。まるでこれまでの僕をずっと見て言っているようにも聞こえる。そして僕のこれまでの行動が逃げからくるものだと彼女は指摘した。見た目の幼さには不相応で流暢な言葉遣いがその指摘の鋭さを増しているように思う。
「君たちの目から見て僕は……逃げているのか?」
あえて何からという言葉は省いた。それは自分で考えるべきことだと思ったから。
僕の問いに返ってきたのは沈黙。僕はそれを肯定と受け取った。
では僕はこれまで何から逃げていたのか。いや、逃げているのか。心当たりなんて無い。普通に大学で学び、普通に毎日を終えては毎週ここで天体観測をしていたのだから、逃げているようには思えない。よほど困った顔をしていたのか、彼女らは呆れか諦めのような色をした溜息をついた。
「わからないなら教えてあげても良いんですけど……為にはならないですね」
「ヒントぐらいなら良いんじゃないの? さすがにおにーちゃんでも気付けないよ」
妹に背中を押されてか、頬に手を当てて悩んでいた彼女は呟いた。「星は孤独じゃない」と。
その後、余計に悩み始めた僕を放り出すようにして彼女らはいつの間にか姿を消していて、それにも気付かなかったくらい悩んでいた自分が悲しくなった。今日ここに来た時の高揚感や充実感とは打って変わって、心も体も鉛のように重たく感じる。
一人になって改めて空を見る。今日の景色は今までになく殺風景だと思った。