双星
「明るくても暗くても見える大きなもの、なーんだ?」
太陽が眠り、蒼月が冷たい輝きを放ち始めると僕は浮足立つ。
夜行性と言うわけではなく、普通に昼間に学校へ行き、面白くも無い教授の念仏に瞼を重くするのが日課な学生。それが僕だ。
そんな僕でも、週に一度だけ近所の丘で肉眼限定の天体観測をするのが好きだ。
だけど天体や星座に特別な思いは持っていない。ただ「観測する」という行いに魅力を感じたから日課にしたしただけであって、偶然天体観測を選んだのだった。
肉眼限定なのも、近所の丘なのも、全部その半端なこだわりによるものだ。
ただ一人、一面に広がる草むらに寝転んで空に広がる黒い海を眺める。
今日もいつもと変わらない光景が僕を待ってくれていた。自分で勝手にそう思っている。
だけど、五月の半ばの事だ。変化は突然やって来た。
「ねーねー、なにしてんの?」
「こんなところに寝転がっていると服が汚れてしまいますよ」
僕の視界に黒い影が差しこんだ。それは二人分の頭のシルエット。
響いた声は少女のもので、自分以外の存在の登場に驚いた僕は跳ね起きた。
こんな遅い時間に出歩く少女がいるのか、なぜわざわざ僕に声をかけたのか。そんな疑問が僕の頭の中を駆け巡る。小さくてどうでもいい疑問ばかり積み重なって、それが僕の動揺を顕著に表しているという場にそぐわぬ冷静な分析ができた時には自嘲的な笑いを隠しきれなかった。
とっさに出た言葉も「星を見ているだけ」という面白くない一言だけ。僕はなんとなく恥ずかしくなったので今日の観測はやめることにした。
立ち上がって去ろうとする僕を見てその意図を察したらしい少女らは、声色だけでもわかるほど申し訳なさそうに大人しくなった。
「帰っちゃうの? 話しかけたのが迷惑だったらごめんね」
「驚かせるつもりは無かったんです、すみません。今日は星も綺麗ですし、良ければ一緒に眺めませんか?」
その態度が僕を引き留める意図的なものだとするとずるいとは思ったけれど、それでもなんとなく帰り辛くなってしまい仕方なく彼女らに向き直した。ここでようやく二人を落ち着いて見ることができた。
先ほどから元気そうな口調だった少女はイメージ通りまだ幼さが強い小学生ぐらいの女の子で、止まることを知らないようにふわふわと波打つショートヘアが彼女の活発さ加減を窺わせる。
対してもう一人の方はギリギリ高校生かもしれないぐらいの体躯・雰囲気でこちらは対照的に真っ直ぐに伸びた黒髪が落ち着きのある印象を強めていた。
二人ともどう見ても普通の女の子に違いなかったけれど、どうしてだろう。感覚的にではあるけれど僕には彼女らが人間離れした存在のようにしか思えてならなかった。とても神秘的に見えたんだ。
「この季節は空気が澄んでいて星が綺麗に見えますよね。私、好きなんです」
「流れ星も多いよ! こうビューって流れちゃうからお願いごといっつも間に合わないの!」
彼女たちは楽しそうに語りかけてくれる。
今まで静寂の中で見ていた星の海が、今日は一段と明るく見える気がする。
帰ろうと思っていたはずだ。けれど、しばらくは無理そうだということを僕は悟り、いつの間にからしくもない他人との対話を求め始めている自分がいる事に気付かないまま彼女らを見ている。
君達はどうしてここに?
ただ一度、単純な問いを投げ掛けただけだった。にも関わらず彼女たちはとても嬉しそうに微笑みながら僕を見つめている。
「貴方と同じですよ。貴方と同じ景色を見たくて私たちはここに来たんです」
その言葉に僕は自分で思う以上に舞い上がってしまったらしい。瞬間的に胸の奥から熱だけが沸き起こる錯覚を得た。可愛らしい少女が自分と同じ景色を見るためにここまで来た、と言われては意識しない方が無理という話だ。だが同時に疑問も生まれた。だが、僕がそれを口にする間は与えられなかった。
「夜の空なんてほとんど意識もしていなかった私たちにとって、貴方の行いは不思議そのものだったんです。わからないものは知りたい。理解したい。そうは思いませんか?」
断続的に続く問いが僕の思考を妨げる。
彼女に問いかけられる度に僕は直前まで考えていたことをつい忘れてしまう。
それでも彼女たちの問いに答えたい一心で僕は自分でも驚くほど饒舌になっていく。
文字通り胸が弾んでいた。
時間が経つのも忘れ、三人しかいない丘に会話の花が咲く。あまり遅くなってはいけないと思い、今度こそ僕は帰るために腰を上げた。
「楽しかったよー! またお話しようね!」
「私たちも今日はもう時間ですのでお気になさらず。またお会いしましょう?」
妹(?)の少女は名残惜しそうにずっと手を振って僕を見送ってくれた。「また会おう」と言ってくれた彼女ははじめと変わらない柔らかな笑みで僕を見送ってくれた。
この時僕は、この出会いが後に多大な衝撃を与える事なんて微塵も考えていなかった。