極道女王、覚醒。婚約者一家に新居を乗っ取られたので、全員まとめて地獄に叩き落としました
丹念に整えたばかりの、東京の高級マンション。
未来の姑とその親戚たちは、私の留守中に勝手に押し入り、そこを無残に踏み荒らしていた。
出張から戻って玄関を開けた瞬間、買ったばかりの大塚家具のソファには子どもの泥足と排泄物。
壁一面には水性ペンの落書き。
大切に集めてきたシャネルのバッグも、カルティエのジュエリーも、床に投げ捨てられていた。
寝室から出てきた見知らぬ女は、私のシルクのパジャマを着たまま、私を見下ろして鼻で笑った。
「この女、誰?人の家に勝手に入ってきて、挨拶もできないなんて。育ちが知れるわね」
未来の姑、佐藤琴江は私の腕を乱暴につかみ、唾を飛ばしながら叫んだ。
「この人は健太の従兄の奥さんよ!初対面なんだから、うちの田舎のしきたりでは、弟嫁になる人間が甥っ子に十万円のご祝儀を渡すものなの。さっさと出しなさい!」
トイレから出てきた婚約者、佐藤健太は、まるで当然のような顔で言った。
「ちょうど親戚も来てるんだ。今日はちゃんと振る舞って、俺の顔を立ててくれよ」
怒りで震えながら、私はスマホを取り出して警察に通報しようとした。
けれど、二人の男は嘲笑いながら、私を私自身が買った部屋から力ずくで廊下へ放り出した。
その直後、母から電話が入った。
「沐!お姑さんが東京の病院に行くために、少しあなたの部屋に泊まっただけでしょう?それなのに年長者に手を上げて、子どもまで蹴ったんですって?今すぐ病院へ行って、土下座して謝りなさい!」
「お母さん、違うの。あの人たちは無断で入ってきて、私の物まで盗んで――」
「男の子が嘘をつくはずないでしょう。健太さんのほうが、よほどあなたより誠実よ。女の子がそんな虚栄のための財産を持って、何になるの!」
切れた通話画面を見つめて、私はふっと笑った。
そう。
あなたたちは皆、伝統を守る善良な人間。
悪いのは、常識に従わない私ひとり。
ならば、望みどおり悪女になってあげる。
私は五分で、母名義の家族カードをすべて停止した。
さらに十分で、東京でも指折りの要人警護会社に連絡し、黒いスーツに身を包んだ百九十センチ級のプロのボディガードを五人、緊急で雇った。
そして、もう一度あの扉の前に立った。
ドアを開けた琴江は、勝ち誇った顔で私を見た。
「実家に帰って、お母さんに叱られてきたんでしょう?躾のなっていない娘ね。さあ、入って台所の皿を洗いなさい。夕飯の支度も――」
私は無言で足を上げた。
尖ったヒールを、健太の股間へ全力で叩き込む。
「やりなさい。手加減はいらないわ」
1
大阪出張から戻ったばかりだった。
マンションの廊下に足を踏み入れる前から、部屋の中から耳障りな笑い声と麻雀牌の音が聞こえていた。
その中に混じる、聞き覚えのある甲高い声。
胸の奥で、怒りが一気に燃え上がる。
私は深く息を吸い、キャリーケースを置いて、予備の鍵を取り出した。
そして玄関を開けた瞬間、目に飛び込んできた光景に、理性の糸がぷつりと切れた。
「……あなたたち、ここで何をしているの?」
室内が一瞬で静まり返った。
けれど私は、それどころではなかった。
品川区にあるこの高級マンションは、私と佐藤健太が結婚後に暮らす予定だった新居だ。
私たちはお見合いで知り合った。
彼の実家は地方の小さな町で、ごく普通どころか、はっきり言えば垢抜けない家庭だった。
けれど健太自身は、穏やかで気遣いのできる、いわゆる草食系の男性に見えた。
冷めきった婚活市場で、相手の感情を大切にしてくれる人に出会えたのだと、私は本気で思っていた。
交際を続けた末に、両家で婚約の話が進んだ。
この部屋は、私が社会に出てから残業を重ね、節約をし、賞与を貯め、全額現金で購入したものだった。
結婚しても、相手の家の顔色をうかがわず、まっすぐ立っていられるように。
そのために買った、私だけの城だった。
登記事項証明書に記されている名義は、私、水野沐ただ一人。
そのことを知った健太は不満そうだった。
「俺には何も残らないんだな」
そう言って、内装費の負担を拒んだ。
私の収入は彼よりずっと高かった。
だから私は高級インテリア会社に依頼し、自分の好みだけでこの部屋を整えた。
ここは私の夢の家だった。
出張に出る二日前、健太は突然、母の琴江が体調不良で、東京の大きな病院で検査を受けたいと言い出した。
彼も私も仕事が立て込んでいるから、親戚にも付き添ってもらうという。
その流れで、彼はその大人数をこの新居に泊めたいと匂わせた。
私は即座に断った。
「健太、ここは私たちの新居よ。正式に入籍する前に、知らない親戚を何人も泊めるつもりはないわ。家具も寝具も新品なの。私は潔癖なところがあるから、そこは譲れない」
彼の顔がこわばるのを見て、私は少し言い方を和らげた。
「近くのホテルを取ればいいでしょう。費用はあなたと私で半分ずつ出す。お義母さんも、そのほうが楽だと思う」
ところが健太の顔色は、一瞬で険しくなった。
「水野さ、そういうお嬢様気質、そろそろやめたら?もうすぐ入籍するんだぞ。お前の部屋は、俺の部屋でもあるだろ。母さんと親戚が数日泊まるくらい、何が悪いんだよ」
その瞬間、私の目は冷えた。
「内装費も出していない。購入費も一円も出していない。この部屋は私の個人資産よ。結婚したとしても、私のもの。健太、もし結婚後に私の財産を当てにしているなら、この婚約はここで終わりにしましょう」
そう告げて、私はキャリーケースを引き、空港へ向かうタクシーに乗った。
その日の夜、健太はLINEで必死に謝ってきた。
仕事のストレスで頭に血が上っていた。
私の財産を狙うつもりなどない。怒鳴ったことを心から反省している。
そんな長文が何通も届いた。
彼は私の出張先のホテルを調べ、花屋に頼んで赤い薔薇と、私の好きな有名店の弁当まで届けさせた。
甘い言葉が途切れることはなかった。
結婚したら必ず私の味方になる。私たちは一番近い家族になるのだから、と。
長く付き合ってきた情もあった。
低姿勢で謝る彼を見て、私は心を軟らかくしてしまった。
眠る前、私は何気なく、彼の母と親戚が泊まるホテル代を聞いた。
彼は、母と親戚に東京を楽しんでもらうため、一泊二万円のビジネスホテルを一週間分押さえたと言った。
食費も含めれば二十万円ほどかかるという。
LINEの画面には、泣き顔のスタンプ。
「来月はコンビニの値引き弁当で乗り切るしかないな」
家族のために頑張る婚約者が気の毒になり、私はその場で三十万円を送金した。
健太は形だけ遠慮したあと、すぐに受け取った。
あのときの私は、自分を優しくて思いやりのある完璧な婚約者だと思っていた。
今、リビングに群がるこの無頼の連中を見て、私は自分の愚かさに吐き気がした。
玄関に入ると、買ったばかりの本革ソファには、子どもの泥だらけの靴跡がびっしりついていた。
ジュースと正体不明の液体があちこちにこぼれ、北欧風の壁紙には、水性ペンで下品な落書きが広がっている。
無垢材の床はべたつき、生活ごみと吐き捨てられた何かで散らかっていた。
震える手を握りしめ、私は一番大切に整えた主寝室を見た。
オーダーメイドのダブルベッドには、かび臭い荷物が山積みにされていた。
大切にしていたシャネルのバッグ、カルティエのアクセサリーは乱暴に引き出され、床に投げ散らかされている。
そして、私のシルクのパジャマを着た見知らぬ女が、私の高級スキンケアを顔に塗りながら、寝室から出てきた。
「この女、誰?本当に常識がないのね。人の家に勝手に入ってきて、挨拶もできないの?」
2
怒りが、頭のてっぺんまで一気に燃え上がった。
けれど私が口を開くより早く、ソファから立ち上がった佐藤琴江が、私をにらみつけた。
「帰ってくるなり何を大声出してるの。妻になる女の分際で、婦道も礼儀も知らないのね。正式に佐藤家の嫁になったら、私があなたの親に代わって、伝統的な女の務めを叩き込んであげるわ」
琴江は私の手首を乱暴につかみ、寝室から出てきた女の前へ引きずっていった。
「この人は健太の従兄の奥さん。外にいるのが従兄の高橋と、その子どもよ。初対面でしょう?うちの田舎では、新しく嫁に来る女は、子どもに結縁のご祝儀を渡すのが決まりなの。最低でも十万円。あなたは東京のエリートOLなんだから、それくらいすぐ出せるでしょう。人付き合いというものを学びなさい」
あまりの厚かましさに、私は言葉を失った。
琴江はそれを、私が年長者の威圧に屈したのだと勘違いしたらしい。
「出張でいなかったのなら、事前に銀座の高級弁当くらい手配しておきなさいよ。この二日間、私たちは自腹で東京を回ったのよ。あなたが帰ったのなら、すぐに夕飯を作りなさい。懐石料理と神戸牛、それから一番いい刺身。高い日本酒も二本買ってきて、高橋をもてなしなさい。佐藤家の顔に泥を塗るんじゃないわよ」
そのとき、ソファの上で跳ねていた七歳ほどの子どもが、特撮ヒーローの玩具を振り回しながら私に突進してきた。
鼻水を垂らしたまま、私の高級スーツにそれをこすりつける。
「金ちょうだい!お小遣い!ママが言ってたぞ、東京の女は金持ちなんだって!新しい変身ベルト買ってくれないなら、怪獣にやっつけさせるからな!臭い女、死ね!」
プラスチックの玩具が、何度も私の膝に打ちつけられた。
力は子どもとは思えないほど強い。
高橋夫婦は止めるどころか、茶菓子をつまみながら笑っていた。
「水野さん、早くお金を渡してあげなさいよ。子どもに東京でつらい思いをさせるなんて、かわいそうでしょ」
怒りのあまり、視界が白く霞んだ。
耳の奥で、嫌な音が鳴り続ける。
けれど極限まで怒りが振り切れた瞬間、頭の中はかえって冷えた。
私はスマホを取り出し、健太に電話をかけた。
ところが、聞き慣れた着信音はリビング横のトイレから鳴った。
ドアが開く。
部屋着姿の佐藤健太が、わざとらしい驚きと焦りを顔に浮かべて出てきた。
「あ、沐。明日まで出張って言ってなかった?早かったんだな。えっと……母さんたち、今日東京に着いたばかりでさ。新居を見たいって言うから、俺が忙しくて、うっかり連絡を忘れてたんだ」
吐き気がするほど優しい笑みを浮かべ、いつものように私の手を取ろうとする。
「ちょうど親戚もいるんだ。俺の優秀な婚約者を紹介できる。今日は長辈たちに気に入られるチャンスだぞ。俺の顔を立てて、いい子にしてくれ」
まるで恩を与える側のような顔だった。
私はその手を、渾身の力で払いのけた。
乾いた音が響く。
続けて、玩具で私の膝を殴っていた子どもを蹴り飛ばした。
子どもの泣き声が天井に跳ね返る。
私は健太をまっすぐ見据えた。
「佐藤健太。その気持ち悪い顔をやめて。私ははっきり言ったはずよ。入籍前に、この部屋へ関係のない人間を入れるな、と。私が渡した三十万円は、お義母さんたちをホテルに泊めるためのお金だった。あなたはその金を受け取っておきながら、この寄生虫たちを私の個人資産に連れ込み、踏み荒らしたのね」
私は部屋にいる全員を見渡した。
「登記事項証明書に書かれている所有者は、水野沐。ここは私の家よ。全員、今すぐ出て行きなさい」
琴江が、尻尾を踏まれたネズミのように跳ね上がった。
「この躾の悪い女!あなたのもの?私のもの?何を馬鹿なことを言っているの。うちの息子に嫁ぐなら、あなたもこの部屋も佐藤家の財産よ!私のかわいい孫を蹴って、私たちに出て行けですって?健太、この狂った女を外に放り出しなさい!」
健太の表情が、完全に暗く沈んだ。
大股で私へ近づいてくる。
私は必死に抵抗した。
爪で彼の頬を引っかき、血の筋を作った。
健太は悲鳴を上げ、高橋を呼んだ。
二人の成人男性の力に、私はかなわなかった。
しかも高橋は、押し合いの最中にわざと私の服をつかみ、いやらしく身体へ触れてきた。
そして耳障りな笑い声の中、私は自分で買い、自分で整えた東京のマンションから、無残にも冷たい廊下へ投げ出された。
3
冷えた廊下に立ち尽くし、最初に訪れたのは空白だった。
次に、腹の底から沸き上がる怒り。
私はすぐにスマホを取り出し、警察へ通報しようとした。
その瞬間、母からビデオ通話が入った。
通話を受けると、母の甲高い叱責がスピーカー越しに廊下へ響き渡った。
「水野沐!あなた、いったい何をしているの?私が苦労して育てて、東京の大学まで行かせたのは、都会で姑を殴り、年長者を侮辱するためだったの?健太さんとはもうすぐ結婚するんでしょう。お母さんが病院へ行くために、少し新居を借りただけじゃない。どうしてそんなに自分勝手で、器が小さいの!」
母の荒い呼吸音を聞いた瞬間、胸が沈んだ。
母には重い先天性の心臓病がある。
子どものころから、母がこうして息を乱すたび、私は本能のように恐怖と罪悪感に縛られてきた。
どれほど悔しくても、私は声を抑えた。
「お母さん、落ち着いて。ゆっくり息をして。事情は健太が言ったようなものじゃないの」
「健太さんから聞きました!」
母は私を遮った。
「あなたは仕事のストレスで、地方から来た人たちを汚いと見下し、新居に泊めなかったそうね。水野沐、はっきり言っておきます。姑さんをそこに泊めることは、母親である私が許しました。産んで育てた母親に、それくらい決める権利もないの?今すぐタクシーでこっちへ来なさい。私を怒らせて、死なせたいの?」
通話は一方的に切られた。
母の発作が怖くて、私は一秒も迷えなかった。
公寓に戻ってあの連中と争うこともせず、路上でタクシーを拾い、東京近郊の実家へ急いだ。
玄関を開けると、母は無事にリビングの椅子に座っていた。
喉まで詰まっていた不安が、ようやく下りていく。
「お母さん……」
屈辱も、痛みも、悔しさも、一気にあふれ出した。
私は、この世界で一番信じていた人に、佐藤家がしたことをすべて話すつもりだった。
けれど、近づく前に母が立ち上がった。
そして、私の頬を思いきり叩いた。
乾いた音が響き、視界が揺れた。
耳の奥が、じんじんと鳴った。
「跪きなさい!」
母は怒りに顔を歪めていた。
私は熱を帯びた頬を押さえ、信じられない思いで母を見た。
「どうして……どうして跪かなきゃいけないの?私が何をしたって言うの?健太は、あなたに何を吹き込んだの」
「健太さんのお母さんは病院へ行くために東京へ来たのよ。それなのにあなたは、年長者を汚いと嫌って追い出した。出張から帰って親戚がいたら、長辈に手を上げ、七歳の子どもまで蹴った。今、あちらのお母さんはあなたのせいで血圧が上がって病院に運ばれているの。子どもも怪我をしたそうじゃないの。今すぐ支度して病院へ行き、佐藤家の皆さんの前で土下座しなさい。許してもらえるまで謝り続けなさい!」
「どうして私は、こんな自分勝手で冷血な暴力女を産んでしまったのかしら。情けない!」
その瞬間、私の中の何かが完全に崩れた。
涙が勝手にあふれた。
「どうして……どうして、あなたは他人の嘘を信じて、実の娘の話を一言も聞こうとしないの?聞きもせずに、私を叩いたの?健太は私のお金を騙し取って、私の部屋を壊して、私の身体まで辱めた。なのにどうして、あなたまで外の人間と一緒になって私を踏みにじるの!」
母の目には、心配も痛みもなかった。
あるのは嫌悪だけだった。
「男は細かいことを気にしないものよ。健太さんは立派な男性よ。そんな小さなことで嘘をつくはずがないでしょう。むしろあなたのほうが、昔から細かくて、考えていることのわからない子だった。いいですか、水野沐。この家で私は健太さんの言葉を信じます。今日、病院で土下座しないなら、二度とこの家の敷居をまたがせません。私には、あなたのような不孝な娘はいません」
私は、目の前の母を見た。
私を産み、私を縛り、私を利用してきた女を。
昔から母は、男尊女卑に骨の髄まで染まっていた。
私を産んだとき身体を壊し、男の子を産めなくなったせいで、古い村の家で姑から冷たく扱われた。
私は必死に勉強し、必死に働いた。
東京で高収入を得られるようになって最初にしたことは、母をあの遅れた村から連れ出すことだった。
毎月、多額の生活費を送り、男尊女卑で酒癖が悪く、暴力を振るう父との離婚も支えた。
母が、人から羨まれるような暮らしを送れるように。
けれど、私が最も苦しみ、助けを求めたそのとき。
私にとどめを刺したのは、私が全力で守ってきた母だった。
理由はただ一つ。
佐藤健太が、男だったから。
4
「お母さん。東京での暮らしは、ずいぶん余裕があるみたいね。他人の家庭に口を出す暇があるくらいだもの」
私は涙を拭い、背筋を伸ばした。
声は驚くほど平らだった。
「それなら、もう田舎へ帰してあげる。お父さんと仲良く暮らして、伝統だの婦道だの、好きなだけ語り合えばいいわ。親不孝な娘が、愛し合う夫婦を引き離してしまったんだものね」
私は寝室へ向かい、大きなごみ袋を引っ張り出した。
母の服、化粧品、日用品を次々に放り込む。
普段従順だった娘が突然反抗するとは、母は思っていなかったのだろう。
彼女は泣き叫びながら私の後を追った。
「私をあんな場所から連れ出したのは、あなたでしょう!今さら追い返すなんて許さない!私が不孝だと言ったことがそんなに間違っているの?普通の家の娘が、実の親を離婚させるわけがないでしょう。あなたは昔から腹黒くて、陰険な子だった!」
「それに、私が止めなかったら、あなたみたいな女の子は生まれたときに川に沈められていたのよ。私がどれだけ殴られてきたと思ってるの?その恩を忘れて、私を追い出すつもり?このことをニュースやネットに流せば、世間はみんなあなたを不孝娘だと叩くわ。さあ、やめなさい。私の高い服に触らないで!」
母の声を聞きながら、私は手を止めた。
母は、自分の脅しが効いたのだと思ったらしい。
勝者のように腕を組み、私を見下ろした。
「部屋をめちゃくちゃにして。早く片付けなさい。それから着替えて、一緒に病院へ行くのよ。佐藤家に謝るの」
私は振り返り、口元だけで笑った。
ごみ袋を放り出し、母の袖をつかむ。
そして、全身の力で彼女を玄関の外へ引きずり出した。
まるでごみ袋を投げるように、冷たい廊下へ突き飛ばす。
「あなたが昔殴られていたのは、自分が村のトラック運転手と不倫していたからでしょう。私が川に沈められなかったのは、成人したら私を高い結納金と交換して、あなたの甥の家を買うつもりだったから」
母は床に座り込んだまま、私を見上げていた。
「子どものころ、あなたがほんの少しだけくれた温情は、この数年で私が渡した数百万円の生活費で、もう十分すぎるほど返した。私が愚かだったのよ。スマホを持たせて、ネットに触れさせれば、少しは考え方が変わると思っていたなんて」
私は冷たい目で母を見下ろした。
「最新のiPhoneも、口座の中のお金もあるでしょう。自分でタクシーを呼んで、田舎へ帰りなさい。あなたみたいな女は、一生あの村で、暴力男に踏みにじられていればいい。それがあなたにふさわしい報いよ」
ドアを閉め、鍵をかけた。
母は外でドアを叩き、罵倒し、やがて泣き落としに変わった。
私はすべて聞こえないふりをした。
最後には、母は仮面を脱ぎ捨て、廊下で叫んだ。
「水野沐!この冷血女!健太さんがあなたを選んでくれたこと自体、前世の徳だと思いなさい!私を養わないつもりなら、最高裁判所に訴えてやる!会社にも行って、あなたの正体をばらしてやる!東京で社会的に殺してやるから、覚えていなさい!」
私はテレビの音量を最大にして、その声を消した。
二時間後、外の女が去ったことを確認し、私は黒いスーツに着替えた。
ヒールを履き、タクシーで品川区の新居へ戻る。
けれど今度の私は、先ほどのように無力ではなかった。
背後には、黒い高級スーツを着た五人のボディガードが整然と並んでいた。
全員がワイヤレスイヤホンを装着し、百九十センチ近い体格と、ただ立っているだけで人を黙らせる圧をまとっている。
東京でも指折りの要人警護会社から、緊急で派遣してもらったプロたちだ。
静かな廊下に、私のヒールの音だけが響く。
ドアベルを押すと、すぐに扉が開いた。
顔を出した琴江は、私の腫れた頬と手形を見て、心底嬉しそうに笑った。
「あら、実家でお母さんにしっかり躾けてもらったのね。ざまあないわ。長辈に躾けられたくないなら、田舎でお母さんに殴られて目を覚ましてくればよかったのよ。これで佐藤家の嫁としての心得がわかったでしょう?さあ、台所に山ほどある食器を洗いなさい。買い物も夕飯の支度もあるのよ。逆らうなら、また健太に殴らせるからね」
その奥で、健太はワイングラスを手に、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「沐、全部お前のためなんだ。ちょっとしたお仕置きだよ。外はもう暗い。ここで言うことを聞かなかったら、東京中どこにもお前の居場所はないぞ。母さんの言うとおりにしろ。そうすれば、佐藤家の嫁として認めてやる」
私は従順そうにうなずき、健太へ指を曲げて見せた。
「いいわ。でもその前に、健太。こっちへ来て。結婚後の財産のことで、二人だけで話したいの」
私が大人しくなったと思ったのだろう。
健太は虚栄心を満たされた顔で、両手をポケットに入れ、偉そうに玄関へ近づいてきた。
その瞬間、私の笑みは消えた。
右脚を振り上げる。
鋭いヒールの踵が風を切り、健太の股間へ正確に突き刺さった。
「地獄へ落ちなさい、この人間の屑」
5
倍返しという言葉が、私は嫌いではない。
健太が床に崩れ落ちた瞬間、私はその顔へ二発、容赦なく平手打ちを叩き込んだ。
さらに腹へヒールをめり込ませる。
琴江は宝物のような息子が犬のように呻く姿を見て、悲鳴を上げて玄関へ飛び出してきた。
「この女、うちの息子から離れなさい!」
枯れ枝のような両手が、私の髪をつかもうと伸びる。
その刹那、私は指を鳴らした。
背後の五人が、影のように前へ出る。
「やりなさい。ここは監視カメラの死角よ」
彼らは池袋でも名の通った、要人警護を専門にする会社の精鋭だ。
百九十センチ近い身長と、分厚い筋肉。
琴江ひとりなど、鷹に捕まった雛鳥と変わらない。
彼女は襟首を片手でつかまれ、床から足が離れたところで、ようやく顔に恐怖を浮かべた。
「私は年寄りよ!こんなことをしたら警察に――」
「うるさい。黙らせて」
重い平手が続けざまに響き、玄関は乾いた音で満たされた。
私は健太にまたがり、ネクタイをつかんで殴り続けた。
途中で息が上がったとき、ふと母の家族カードを思い出す。
私はスマホを取り出し、母名義のすべての家族カードを永久停止した。
愛を望まないというのなら、憎しみを受け取ればいい。
私が手を止めると、ボディガードたちは無言で健太と琴江を囲み、さらに床へ転がした。
二人の悲鳴は廊下まで響いた。
さっきまでリビングで威張っていた高橋夫婦は、今や次の寝室に鍵をかけ、息を殺していた。
十万円のご祝儀を要求していた威勢は、見る影もない。
私はリビングへ進み、財産の被害を確認した。
エルメスとシャネルのバッグが五つ消えている。
高級リップは十二本なくなり、結婚用に用意していた金のアクセサリーはすべて姿を消していた。
新品の寝具は彼らに使い回され、子どもの排泄物までついている。
私はiPhoneで部屋の状態を三百六十度撮影した。
刑事事件の証拠として、隙なく残しておくためだ。
頭の中で損害額を計算し、私は冷たく告げた。
「消えたバッグ、金、ジュエリーをすべて元通り出しなさい。それとは別に、修繕費と慰謝料として百五十万円。今日はまず、現金五十万円を用意して」
鍵のかかった寝室のドアが、わずかに開いた。
高橋の妻が青ざめた顔で近づいてくる。
「あの……沐ちゃん、みんな親戚なんだから……」
言い終える前に、私は彼女の頬を打った。
「誰が口を開いていいと言ったの?黙って」
彼女は床に座り込み、背後の黒服たちを見て震え上がった。
私は高橋へ視線を向ける。
「どう払うの。答えて」
高橋は膝を震わせ、田舎で日雇いの仕事をしているだけで、そんな金はないとつぶやいた。
私は優しく微笑んだ。
「なら身体で払えばいいわ。自分の頬を一発叩けば一万円。息子を一発叩けば五万円に換算してあげる。自分でやるなら抵当として数える。けれど、後ろの彼らがやるなら、加減までは保証できない」
黒服たちが、一歩前へ出た。
その圧に、高橋はその場で失禁した。
「や、やります!自分でやります!警備の方に手を出させないでください!」
彼は震える手で、自分の頬を軽く叩いた。
私は眉をひそめた。
「何それ。蚊でも叩いているの?お手本を見せてもらう?」
「い、いえ!必要ありません!」
彼は歯を食いしばり、自分の頬を思いきり叩いた。
ぱん、ぱん、ぱん。
乾いた音がリビングに続く。
やがて彼は、日頃甘やかしていた息子にも平手打ちを食らわせた。
子どもは泣くことすらできなくなった。
私は封を切ったばかりの椅子に腰かけ、芝居を見るように眺めていた。
高橋親子の顔が豚のように腫れたころ、私はようやく立ち上がった。
高橋は期待と媚びの混ざった目で私を見ていた。
私はわざと困ったように肩をすくめる。
「あら、ごめんなさい。見物に夢中で、何発叩いたか数えるのを忘れていたわ。今のは全部なかったことにしましょう。百五十万円、一円も減らないから」
6
その夜、佐藤健太は、ほとんど動けなくなった母と高橋一家を連れ、私のマンションから逃げ出した。
もちろん、出て行く前に床と壁は徹底的に掃除させた。
子どもが落書きした部分は、東京で最も高いハウスクリーニングと内装会社の見積もりで計算し、その場で送金させた。
怒りを吐き出すと、心は少しだけ軽くなった。
私は新しいカバーをかけ直したソファに沈み込み、痛むこめかみを押さえた。
そして水野家の家族LINEに、淡々と一文を送った。
「男方の浮気、窃盗、住居侵入および器物損壊により、佐藤健太との婚約を正式に破棄します。婚約披露の予定も取り消します」
送信から数秒で、父からビデオ通話がかかってきた。
何を言うつもりかなど、考えるまでもない。
私は迷わず切った。
電話に出ないとわかると、田舎の父は怒りをLINEへぶつけてきた。
「この勝手気ままな逆らい者め。婚約は家と家の大事な話だ。お前の一存で取り消せると思うな。東京で会社員をしているからといって、自分が偉くなったつもりか。いい年をして東京で独身のままいるつもりか。水野家の顔を村中に潰す気か」
「恥を知れ。親戚も近所も、お前が東京の公務員と結婚すると知っている。今さら破談にするなど許さん。少し部屋を借りただけの話でここまで騒ぐとは。お前が生まれたとき、川に沈めておけばよかった」
「佐藤家からの百万円の結納金は、俺と母さんがもう受け取った。俺たちは健太しか婿と認めん。母親を東京から追い出した不孝者。親の命に背く不忠者。お前のような白眼の女は、新幹線にでも轢かれて死ね」
幼いころから、父の言葉の暴力には慣れているつもりだった。
それでも東京の静かな部屋でこの呪詛を見ると、胸に冷たい悲しみが広がる。
私は笑いながら返信した。
「受け取った人が嫁ぎなさい。私が署名しない限り、この世界の誰にも私を入籍させることはできません」
「ついでに知らせておきます。今後その口調で私に連絡するなら、毎月三十万円の生活費は一円も送りません。手も足もあるのだから、田畑で働いて稼いでください」
送信した瞬間、それまで勢いよく鳴っていた通知がぴたりと止まった。
結局、この吸血鬼のような両親にとって、金は尊厳や伝統よりずっと重いのだ。
それから数日、私は専門業者を呼び、部屋の壁紙を張り替え、除菌と清掃を徹底した。
恋愛では最悪でも、仕事は順調だった。
大阪での大型商談は大成功し、社内では管理職の人事異動が迫っていた。
私は新任課長の最有力候補として、役員たちの評価を受けていた。
普段から目をかけてくれていた部長も、昇進はほぼ決まりだと内々に教えてくれた。
仕事があったから、私はあの人間たちに傷ついている暇すらなかった。
ただ前へ進み、自分の価値を証明したかった。
けれど昇進発表の前日。
丸の内のオフィスビルへ足を踏み入れた瞬間、私は周囲の異様な視線に気づいた。
普段は丁寧に挨拶してくる後輩や同僚たちが、汚いものを見るような目で私を見ていた。
私が近づくと、彼らは急に口を閉じ、忙しそうなふりをして散っていく。
席に着くより早く、部長の秘書が複雑な顔でやってきた。
「水野さん、部長がお呼びです。すぐに来てください」
部長室へ入ると、部長の顔は恐ろしく険しかった。
彼は一枚の印刷物を机に叩きつけた。
そこには、新任課長の氏名欄に、はっきりと「水野沐」と書かれていた。
喜びが湧き上がる前に、部長はその辞令を目の前で破った。
紙片がごみ箱へ落ちる。
「水野君。私は君を、やる気と能力があり、勤務態度も優秀な若手だと思っていた。しかし私生活で、社会的道徳に反する行為をここまでしていたとはね」
「課長の件は白紙だ。君の私生活のスキャンダルは、会社の企業イメージに深刻な悪影響を与えている。役員会の判断で、今日から一週間、自宅待機とする。荷物をまとめて、すぐに帰りなさい」
私は固まった。
何が起きているのか、まったく理解できなかった。
部長は、私が動かないのを見て、嫌悪の混じった顔でスマホを取り出した。
Twitterで大炎上している動画を開き、私の前へ置く。
画面中央には、私の顔がはっきりと晒されていた。
その横では、泣き崩れる私の両親と、全身に包帯を巻いた佐藤健太、佐藤琴江が映っている。
動画のタイトルは、赤い大文字でこう書かれていた。
「東京のエリートOL、富豪に囲われ有名になった途端、夫と子を捨て、実の親を雇った暴力団風の男に襲わせる」
7
動画の中で、母と父は泣きながら、私を東京の大学へ行かせるためにどれほど苦労したかを語っていた。
自分たちは村で食べるものも着るものも我慢し、年中継ぎはぎの服を着ていた。
それなのに私は東京の大企業に入り、高給を得るようになると、一度も実家に帰らなくなった。
母がはるばる東京へ会いに来たのに、深夜、残酷にも家から追い出した。
「私は字もろくに読めない、心臓病を持った年寄りです。夜中に実の娘から東京の街へ放り出されました。難しいスマホの使い方もわからず、道もわからず、寒風の中を五時間歩いて、ようやく帰ったんです。足の裏は血豆だらけで……でもいいんです。娘の顔が見られるなら、母親はいくらでも我慢します」
母は顔を覆って泣いていた。
わざと白髪交じりに染めた髪と、完璧な演技。
コメント欄は、私への罵倒で埋まっていた。
続いて母は、包帯だらけの健太を画面の前へ引っ張り出した。
「でも、東京でお金持ちに囲われて愛人になったからといって、婚約者を雇った男たちに殴らせるなんて、あまりにもひどい。健太さんは、こんなにいい子なのに」
健太は涙で目を赤くし、全身の傷を見せつけながら、なぜか赤い薔薇の花束を抱えていた。
「沐、戻ってきてくれ。虚栄心に負けて金持ちの愛人になったことは、俺は責めない。君が戻ってきてくれるなら、昔の約束はまだ有効だ。俺はまだ君を愛している。母さんも、君が母さんを病院送りにしたことはもう責めないと言っている。だから帰ってきてくれ」
隣の琴江まで涙を拭った。
「若い二人が幸せなら、私は毎日東京で洗濯でも炊事でも何でもします。沐さん、戻ってきてちょうだい」
動画はそこで終わった。
私の爪は、手のひらに深く食い込んでいた。
部長のスマホを握り潰しそうになるほど、指に力が入る。
私は、この連中を甘く見ていた。
婚約を破棄し、金の流れを断った途端、実の両親は外の人間と手を組み、黄ばんだ嘘と作り話で私の名誉を汚しにきたのだ。
東京で生きるために築いてきた仕事を、根こそぎ壊すために。
部長はスマホを取り戻し、残念そうに私を見た。
「会社の上層部は君に期待していたのに、こんな近道に堕ちるとはね。水野君、年長者として言わせてもらう。背伸びをしないで、実家へ帰りなさい。君の家族は、本当に君を愛しているんだ」
私は深く息を吸った。
そして、部長の目をまっすぐ見た。
「部長。この動画の内容は、すべて捏造です。数日だけ時間をください。法的手段で、必ず自分の潔白を証明します」
部長は私が悪あがきをしていると思ったのだろう。
面倒そうに手を振り、退室を促した。
席に戻り、青ざめた顔で私物を箱に詰めながら、私は頭の中で弁護士と証拠の手配を組み立てた。
そのとき、一階受付から内線が入った。
声はひどく慌てていた。
「水野さん!ご両親と、婚約者のご家族が、一階ロビーと正面玄関に来ています。横断幕を持って泣き叫んでいて、周囲に通行人や社員が大勢集まっています。すぐに対応してください!」
その一言で、丸の内のオフィス全体の好奇心に火がついた。
私は冷たく笑い、段ボール箱から手を離した。
数日泳がせてから殺すつもりだった。
けれど、そちらから東京のど真ん中、丸の内の大企業街へ死にに来たのなら。
今日、この場で、全東京の前で地獄へ送ってあげる。
8
会社ビルの外へ出ると、広場は人で埋まっていた。
スーツ姿の会社員、通りすがりの人々、野次馬。
その中心に、あの連中がいた。
母は私を見つけるなり、父を引っ張って駆け寄ってきた。
まだ何も言っていないのに、涙だけは完璧なタイミングで流れている。
二人は、衆人環視の中で、私の足元に土下座した。
「娘よ!全部、父さんと母さんが悪かったの。甘やかしすぎたから、あなたをこんな子にしてしまった。悪いのは私たちです。ここで頭を下げます。だから、あなたを囲っているお金持ちと別れて、もっと家に帰ってきておくれ!」
そう言って、本当に地面に額を打ちつけた。
周囲の事情を知らない人々は、すぐに怒り出した。
「ひどいな。両親は継ぎはぎの服なのに、娘は高そうなスーツかよ」
「親を養わない女なんて最低だ。人間の心がない」
親切ぶった通行人が両親を起こそうとした。
だが二人は怯えたように震え、私を見つめるばかりだった。
まるで私が許さなければ立ち上がることもできないように。
一方で健太と琴江は、これ見よがしに数十枚の写真を取り出した。
加工された、露骨な写真。
そこには、私らしき女が肌を晒し、太った中年男たちに寄り添っていた。
健太は私を見る一瞬だけ、悪意と勝利をにじませた。
それから大声で叫ぶ。
「皆さん、見てください。これが佐藤家が百万円の結納金を払って迎えようとした嫁です。俺は東京で家を買うために、不動産の名義まで彼女一人にしてやった。なのに彼女は外で愛人をし、男に囲われた。恩を仇で返し、極道まがいの男たちに母の肋骨を折らせた。警察に行くなと脅されたんです。それでも俺は、夫として彼女を愛しているから、こうして恥を忍んで来たんです!」
周囲の社員たちが私を見る目は、唾を吐きかけたいと言わんばかりだった。
世間体を重んじる社会で、私のような「悪女」に、ここまで愛情深い草食系の夫がいるという物語は、人々の怒りと陶酔を同時に満たす。
罵声が波のように押し寄せた。
耳鳴りがする。
拳を握る手のひらは汗で濡れ、身体は怒りと嫌悪で震えた。
私はゆっくり腰をかがめた。
そして、完全に心が折れた女のように、地面にいる両親へ手を伸ばした。
「どうして……お父さん、お母さん。どうして私を壊そうとするの。私はあなたたちの娘じゃないの?」
私が弱ったと見た母は、私の手を強く押さえ、耳元へ唇を寄せた。
その声は、周囲には聞こえないほど低く、冷たく、得意げだった。
「今日中に、品川の高級マンションの名義を私と父さんに移しなさい。それから、あなたの家で通帳を見たわ。口座にある五百万円、全額私の口座に振り込みなさい。健太さんの百万円の結納金はもう使った。今日、この場で彼と結婚すると皆の前で約束するのよ」
母は勝ち誇った目で私を見た。
「あなたの評判は、もう東京では終わりよ。健太さん以外、まともな男はあなたを相手にしない。わかったら、さっさと言うことを聞きなさい。そうしなければ、あなたが東京で生きられないようにしてやる」
そこで私は理解した。
この連中が、なぜここまで巧みに世論戦を仕掛けられたのか。
なぜ私の会社の正確な所在地まで知っていたのか。
私の母が、婚房で引き出しを漁ったとき、佐藤家の内通者になっていたのだ。
私の財産状況も会社情報も、すべて売り渡した。
私は、両親を起こそうとしていた手をゆっくり離した。
崩れた女の表情は、一瞬で冷たく変わる。
「今、私が起こそうとしたのに、あなたたちは立たなかった。でも大丈夫。すぐに、自分から這うように立ち上がることになるから」
9
私の言葉が終わるのと同時に、道路の向こうから鋭いサイレンが響いた。
赤色灯を回したパトカーが二台、広場の脇へ滑り込む。
制服の警察官と刑事たちが、興奮した人垣をかき分けて入ってきた。
警察が来たのを見て、周囲はさらに騒がしくなった。
人々は口々に、私がどれほど道徳に反した女かを訴え、なかには今すぐ逮捕しろと叫ぶ者までいた。
刑事が中央に立ち、泣き崩れる佐藤母子と、地面に跪く水野夫婦を見渡した。
「ここで何が起きていますか。通報者はどなたです」
警察を見た途端、私の両親は地方の小物らしい公権力への恐れを露わにした。
慌てて立ち上がり、へつらうような笑顔を浮かべる。
「いやあ、お巡りさんにご迷惑をおかけして。これは家のことです。娘を教育していただけでして。娘が東京へ出たまま帰らないので、親として心配で来ただけです。家族の問題ですから、どうぞお帰りください。こちらで何とかします」
しかし刑事は相手にしなかった。
まっすぐ私の前へ来る。
「水野沐さんですね。あなたの代理人弁護士から、緊急の刑事告訴相談と通報が入っています。現在のご要望を確認します」
群衆が凍りつく中、私はiPhoneを掲げた。
音声ファイルを開き、Bluetoothスピーカーへ接続して再生する。
次の瞬間、母が先ほど私の耳元で吐いた声が、広場中へ鮮明に響き渡った。
品川のマンションを父母名義に移せ。
五百万円を全額振り込め。
今日中に健太と結婚すると約束しろ。
従わなければ東京で生きられなくしてやる。
さっきまで私を罵倒していた人々は、喉をつかまれたように沈黙した。
最も激しく罵っていた数人は、青ざめた顔で後ろへ下がろうとしたが、周囲に押し戻された。
録音が流れた瞬間、母の顔色は変わった。
「やめなさい!」
彼女は叫び、私のスマホを奪おうと飛びかかってきた。
手が私の頬にかすめる直前、私は避けなかった。
むしろその力に合わせて、自分の傷ついた頬を強く打ち、柔らかく地面へ倒れた。
「助けてください!証拠を消すために、ここで私を殺そうとしています!」
刑事は即座に動いた。
母の両腕をひねり上げ、パトカーのボンネットへ押さえつける。
続いて私は、父がLINEで送ってきた文章を音声読み上げにして流した。
「生まれたとき川に沈めておけばよかった」
「金を出さないなら死ね」
「親に逆らう女は新幹線に轢かれろ」
そんな言葉が、丸の内の広場に一つずつ響いた。
刑事たちでさえ、同情と怒りの色を隠せなかった。
これは親の言葉ではない。
血のつながった敵の呪いだ。
父は顔を赤くしながらも、古い家父長の権威にしがみつき、警察に向かって怒鳴った。
「子どもは教育しなければわからんのだ。しかもこいつには俺の血が流れている。父親が結納金を受け取り、嫁に出すのは当然だろう。あのとき村で沈めなかっただけ、こいつは俺に感謝すべきだ!」
その一言で、広場の空気は完全に変わった。
「何だよ、それ。娘をATMか商品扱いか」
「継ぎはぎの服も演技か。丸の内で世論操作して娘を脅すなんて、最低の親だ」
罵声の矛先は、私から父へ向かった。
その隙に、健太と琴江、高橋一家が人込みに紛れて逃げようとしていた。
私はゆっくり立ち上がり、口元の血を拭った。
そして彼らを指さした。
「警察の方、あちらの佐藤一家もです。彼らは私の住居に無断侵入し、私有財産を破壊し、数百万円相当の金やアクセサリーを盗んだ疑いがあります。さらに、加工写真を使ってネット上で大規模な名誉毀損を行いました」
私は用意していた資料を刑事に渡した。
「これは私の戸籍と独身証明です。私は現在も未婚で、佐藤健太とは法的な夫婦関係にありません。こちらには、部屋の被害状況を撮影した映像、紛失物の一覧、会社前の監視カメラ映像、そして名誉毀損に関する投稿の記録をまとめています。今ここにいる全員が、彼が公然と虚偽を述べ、私を脅迫した証人です」
健太の顔は、死人のように白くなった。
警察官の手にある手錠を見た瞬間、彼は完全に壊れた。
「全部お前のせいだ!お前が素直に部屋と金を差し出して、俺と結婚していれば、こんなことをする必要はなかったんだ!水野沐、うちは結納金を払ったんだぞ。死んでも佐藤家の女だ。俺を警察に入れて前科をつけるなら、出てきたあと一生かけてお前を許さない!」
10
私は佐藤健太を、少しだけ尊敬した。
東京の刑事を前に、堂々と被害者への脅迫を口にできる無知と勇気。
ここまで愚かなら、最高級の牢獄行き定食を用意する価値がある。
私はすぐに怯えた女の顔を作り、刑事の背後へ下がった。
目に涙を浮かべ、声を震わせる。
「刑事さん……聞きましたよね。彼は警察の前で私を脅しました。怖いです。出てきたら私を逆恨みして、殺しに来るかもしれません。私は東京で一人で働いているだけの独身女性なのに……」
警察が最も嫌うのは、目の前で被害者を脅す加害者だ。
先頭の刑事の顔が、完全に暗くなった。
彼は私の肩を軽く叩いた。
「水野さん、ご安心ください。法治国家である日本で、このような脅迫を放置することはありません」
そして同僚たちと共に、叫び続ける健太と琴江に手錠をかけ、パトカーへ押し込んだ。
「窃盗、住居侵入、器物損壊、名誉毀損、脅迫の疑いについて、詳しく調べます」
私は素直にうなずき、警察へ深く礼をした。
彼らが乗り込む前に、私は高橋一家と、さきほど人込みの中で私を罵倒し、押しのけた数人も指さした。
「それから、この方々もです。私に対する公然の侮辱と暴行がありました。代理人を通じて、名誉毀損および損害賠償請求を進めます」
私は、受けた恨みを忘れない。
警察で詳細な事情を話し終え、部屋へ戻ると、私はパソコンの前に座った。
両親がどのように私を男尊女卑の価値観で縛ってきたか。
そして佐藤家と手を組み、私を陥れようとした経緯。
すべての送金記録、録音、写真、動画をまとめ、一つの長い動画に編集した。
幸い、丸の内でのあの逆転劇は、野次馬根性の強い同僚たちが高画質で撮影し、私のメールに送ってくれていた。
カメラの前で、私はもう一滴も泣かなかった。
長女として食べてきた苦しみ。
原生家庭に血を吸われてきた過去。
佐藤一家が鍵を騙し取り、私の個人資産を占拠し、身体にまで触れたこと。
私は表情を崩さず、論理的に語った。
実家へ送り続けた高額の仕送り、銀行明細、家族カードの利用履歴。
すべてを、誰が見てもわかる形で示した。
私は誰にも借りはない。
良心に恥じることは何一つない。
まして、あの人間たちの欲望のために、汚名を着せられる筋合いなどない。
動画をYouTubeへ公開すると、その劇的な反転と証拠の量は、数時間で日本中に波のように広がった。
高校時代、ひそかに私を助けてくれた担任の先生。
大学で私が働きながら学んでいたことを知る教授や同級生たち。
彼らが実名で次々に証言してくれた。
「私は水野沐さんの高校時代の担任です。当時の彼女は、骨と皮だけのように痩せていました。両親は一週間に五百円しか給食費を渡さず、家庭内暴力で彼女を家の外に締め出していました。見かねた私は、妻に頼んで三年間、毎日一つ多く弁当を作ってもらい、学校で彼女に渡していました」
そのコメントの下には、十七歳の私が保健室で撮られた写真が添えられていた。
写真の中の私は、痩せて小さく、白い肌に青あざと紫の痕がいくつも浮かんでいた。
教師のカメラに向けた目には、媚びと怯えと、生き延びたいという必死の願いがあった。
私はその写真を、スマホの暗号化フォルダに保存した。
血と涙に浸された暗い過去は、今日、私の手でようやく終わりを迎えた。
丸の内での大逆転が社会的にも大きな反響を呼んだことで、会社はその夜のうちに私への自宅待機命令を撤回した。
翌朝の全社会議で、社長自らが私の昇進辞令を読み上げた。
私は、会社史上最年少の女性課長となった。
昨日まで私を陰で指さしていた同僚や上司たちは、高級なワインや菓子を持って私のデスクへ列を作り、深々と頭を下げた。
ネットの噂を鵜呑みにして申し訳なかった、と。
その夜、銀座の高級居酒屋で、部署の仲間たちが昇進祝いを開いてくれた。
皆が笑い、私の昇給と昇進を祝ってくれる。
そんなとき、私用のスマホが震えた。
表示された番号は、東京拘置所からのものだった。
通話を受けると、佐藤健太の掠れた、絶望した声が聞こえた。
向こうで何度も頭を床に打ちつけているような鈍い音も混じっている。
「沐……いや、課長様。俺が悪かった。土下座でも何でもする。頼む、昔のよしみで一度だけ許してくれ。刑務所に入りたくないんだ。俺は佐藤家の一人息子なんだ。日本で刑事事件の前科がついたら、俺の人生は終わる。どこの会社も雇ってくれない。盗んだ物は全部返す。貯金も全部渡す。だから示談書にサインしてくれ」
私は杯の中の日本酒を揺らし、電話の向こうの屑の泣き声を聞いた。
唇に、冷たく愉快な笑みが浮かぶ。
「佐藤健太。安っぽい涙はしまって。判決が出るまで、私はどんな示談にも応じない。和解もしない。許しもしない。私の財力と人脈をすべて使って、あなたとあなたの母親に思い知らせてあげる。東京の刑務所の中で、あなたたちがいったいどんな悪女に手を出したのか、残りの人生をかけて後悔しなさい」
私は通話を切った。
すぐに、田舎の両親からも見慣れた番号で電話がかかってきた。
この人間たちは、いつも私が一番幸せで、一番誇らしい瞬間を狙って泥を塗りに来る。
けれど今回、私は出る気にもならなかった。
そのまま通話を拒否し、二つの番号を永久に着信拒否へ入れた。
あの封建的な寄生虫たちは、一生後悔という言葉を学ばないだろう。
今さら私に連絡してくる理由など、家族カードを止められ、生活費を断たれた怒りと、いつもの道徳的な脅しに決まっている。
「恩知らず」
「親不孝」
「育ててやったのに」
言葉はどうせ、その程度だ。
ならば、彼らに吐き出す機会すら与えない。
腹の底にたまった無力な怒りを抱えたまま、遅れた村で朽ちていけばいい。
居酒屋の柔らかな灯りの下、若い部下たちが笑顔でビールジョッキを掲げた。
「水野課長、最年少昇進おめでとうございます!これからもどんどん上に行ってください!」
私は笑って杯を掲げ、喉の奥まで一気に飲み干した。
「ええ。ありがとう。これから、もっと高く行くわ」




